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2018
03.04

時の轍 最終話

Category: 時の轍(完)
牧野つくしの心の奥にいたのは道明寺司。
そしてその人を想いながら私を産み亡くなった本当の母親の代わりに私と兄を育ててくれた。

けれど今はもう母を自由にさせてあげたい。
西野つくしを自由にしてあげたい。
自由に好きなところへ行けばいい。
牧野つくしとして。
だから私は西野家の墓に行き、牧野つくしの骨壺を取り出すと持参することに決めた。









「申し訳ない。こんな遠くまで足を運んでいただきお疲れでしょう。それから父の願いを聞き入れて下さったことに感謝申し上げます」

そう言った道明寺悠は、私が行くことを伝えるとすぐに日にちを決めたが、父親の体調が悪いと聞かされていただけに、彼が決めた日に文句はなかった。
その日は、木曜の午後に彼に会ってから訪れた二度目の日曜だった。
そして差し向けられた車で連れてこられた鎌倉は、古くから多くの政財界の人間が別荘を構える土地。そこにある道明寺家の別荘は、緑に囲まれた場所にある大きな洋館で、建物は昭和初期に建てられたと思われるが、広い建物は想像以上の大きさで道明寺という財閥のその姿を見たような気がした。

そして母がこの場所に思い出があるとすれば、一体どんな思い出なのか。
かつての恋人とここで会っていたというなら、何をして過ごしたのか。
女性として満たされた時間があったのだろうか。
今、私の中にある思いは、母親に対しての思いではなく、1人の女性の献身的な愛に対しての思い。母として私を育ててくれた人は、ほほ笑みを絶やなかった。
だがそれは子供たちの前だけでのことであり、本当は違ったはずだ。
彼女は何を思い長い間私の母でいてくれたのか。
そしてかつて愛した人の元へ骨になって訪れることになった母は何を思うのか。
私は胸の前に抱えた骨壺が入った風呂敷包に心の奥で訊いた。
お母さん。あなたは今何を考えているの?と。






「あの。道明寺さん。お父様のお加減はよろしいのでしょうか?」

身体が弱っているなら人に会いたいといった気も起きなくなるが、恋人だった人の骨を分けて欲しいと言った男が早々にこの日を決めたのは、待ちきれないといった思いからなのだろう。私は前を歩く道明寺悠に訊いたが返事はなかった。だから再び訊いた。

「あの道明寺さん。お父様お加減がすぐれないようでしたら_」

「西野さん。父は今日のこの日を待っていました。早くこの日が来て欲しいと思っていた。だからご心配には及びません。ではご案内しますのでどうぞこちらへ」


と言うと彼は黙ったまま邸の中を歩いて行く。
それにしてもこんなに広い邸は初めてで、余りの広さに驚くしかないが、おそらく応接間にでも通され、お茶を出され、そこで道明寺司に会うのだろうと思った。
だが応接間に通されることもなく、ただひたすら広い邸の中を歩かされ、辿り着いたのは大きな扉。その先に何があるのかと思ったが、その扉の向うは庭だった。
そして庭に出ると、今度は目の前に立つ別の建物の方へ歩いて行く。
それは大きな洋館とはまた別の離れと言える平屋。
外観は母屋と同じ洋館作りで日当たりも良かった。
そして扉の前に立ち止まった男は振り返った。

「父はここにいます」












静寂だけを感じられるその場所は霊廟。

墓石に記されているのは道明寺司の名。

そして道明寺つくしの名。


「父は多くの人に囲まれて生きてきた。ですがそこにあったのは偽りの微笑みで本物の微笑みはありませんでした。そんな中で父は若い彼女を愛し、年を取った彼女を愛した。
父には年齢は関係なかったと思います。たとえ幾つになってもつくしさんを愛していた。
それは彼女がこの世からいなくなっても変わらなかった。あなたのお母様が亡くなったと訊いたとき、父は自分も死んでしまいたいと思ったはずです。でも死ぬことは出来ません。そんなことをすれば看護師だったお母様は許さないでしょうから。それから二人がここで実際に会っていたかどうか分かりません。もしそうだったとしてもあなたのお母様は夫を裏切ることはなかったはずだ」

道明寺司が亡くなったのは12月の末。
その日は母であるつくしの誕生日と同じ28日。
亡き人の誕生日をひとりで祝って酒を飲んでいたとき胸が苦しいと言い、使用人が慌てて救急車を呼ぼうとしたが止められ主治医が呼ばれたが亡くなったという。
だがこのことは公表されておらず、葬儀は本人の希望で身内だけでひっそりと執り行われ荼毘に付された。そして2月下旬に納骨を済ませたという。

「それに人は愛する人がいなくなったからといって、愛が消える訳ではありません。
心から愛する人のことなら、たとえ現世にいなくてもいつまでも愛していられるんです。晩年の父はあなたのお母様のことを思い出すことが多かったのでしょう。自分が死んだら彼女の骨を貰って来て欲しいと私に言いました。そして一緒の骨壺に入れて欲しいと言ったんです。それから自分のことを諦めの悪い男だと言って笑っていました」

墓石に彫られた名前は牧野つくしではなく、道明寺つくし。
死しても公にその名を記すことも、同じ墓に入ることも出来ない。
だから道明寺司は二人だけの霊廟を作り、愛した人の僅かな骨と共に眠りたいとここを永遠の眠りの場所と決めた。
そして墓石の正面に刻まれた文字は、『限られた時間の中に永遠の愛を込めて』

「それからデスクの中に鍵があったんですが初めその鍵がどこの鍵か分かりませんでした。色々と鍵穴に当てはめてみましたが、合う穴はありませんでした。ですがある日見つけたんです。それは父のクローゼットの奥に置かれた小さな箱です。鍵が鍵穴に嵌った時は嬉しかったですね。まるで宝物をみつけたようでした。中には小さな箱がありました。その中にはネックレスがひとつだけ置かれていました。それがこれです」

道明寺悠は、そう言ってネックレスを差し出した。
それは見覚えがあるデザインのあるネックレスだった。私がまだ幼かった頃、母が、牧野つくしがいつも首にかけていたものだ。キラキラと光る球体は幼い子供にとっては興味を惹く対象だ。だから憶えている。手を伸ばして触れていたのだから。

「これはどうやら父があなたのお母様に贈ったもののようです。古い写真の中の彼女はこれを身に付けていますから。ですが返されているようですね?」

そう言えば、いつの頃からか、このネックレスが母の首に掛けられているのを見ることはなかった。

「それからその箱の中に手紙がありました。そのひとつがあなたにお渡しした短い手紙です。他の手紙は内容が内容だけに恥ずかしくてお渡し出来ませんでした。何しろあの道明寺司が書くような手紙ではありませんから」

青春の後悔を残し別れた二人。
送られた手紙と送ることのなかった手紙。それはラブレター。
人生が二度あるならこの次はきっと一緒になろう。後悔はしたくないから。
そんなことが書かれていたという手紙。


「愛を削られた男の背中を見たことがありますか?父の背中はそんな男の姿でした。男としては一流と言われた父でしたが、人を愛する心はどこかに置いて来た。父はそんな男でした。男同士だから分るんです。男だからこそ分る。ですが、そんな父の背中に気付いたのは私が大人になってからです。父の人生は歩き続けなければならなかった人生。立場が立場ですから立ち止まることが許される人生ではありませんでした。それからこんなことを言えば頭がどうかしてるんじゃないかと思われるかもしれませんが、亡くなった父の声が聞こえるんです。いや。でもそうなんです。夢枕に立つではありませんが、父が言うんです。頼むから早く彼女を連れてきてくれって。おかしいですよね?今はあの世で二人は会っているはずです。それでも骨が一緒じゃないことが不満なんですよ、父は」

と言って道明寺悠は笑った。

「それから父は一度も結婚はしませんでした。財閥の経営が大変だった頃もありましたが、所謂政略結婚といったものはしませんでした。私は道明寺司の本当の子供ではありません。私は彼の姉の子供で叔父である道明寺司の養子になりました。ですから血の繋がりはあります。そして叔父によく似ていることも分っています」

一時財閥の経営が急激に悪化したことがあったが、他に頼ることなく自主再建の道を選び苦しいながらも再建を果たした男は、牧野つくし以外の女は欲しくなかった。
だから苦しみながらも財閥を立て直した。そしてその後も誰とも恋に落ちることもなく、結婚もしなかった。道明寺司は、死ぬまで独身を通した。その理由を知っているのは、事情を知る数少ない身内だけ。

「そうでしたか.....よく似ていらっしゃるので本当のお父様だと思っていましたがそうでしたか。実は私も....私も母の本当の子供ではありません。私を産んだ母は、私の命と引き換えに亡くなりました。それから暫くして父が迎えたのが牧野つくしです」

牧野つくしも道明寺司以外の男は欲しくなかった。
しかし結婚することは出来なかった。
その理由が何であるかは、今となっては臆測でしか言えないが、二人が同じ未来を歩もうと決めたとき、財閥の経営が傾いた。そして政略的な結婚の話が持ち上がり、それを耳にした彼女は彼から離れることを決めたのかもしれない。そしてそれから後、母を亡くした赤ん坊に母親を与えて欲しいという男の願いを受け入れた。その心は慈悲の心だったはずだ。だが迷いは大きかったはずだ。

「ということは、この二人は互いに子供を持つことはなく、互いを愛し続けていたと考えてもいいのでしょうね」

純情とも言えるその想い。
恋をし続けるには余りも長い時間。
二人とも本当に好きな人と結ばれることを望み、他の人間との間に子供を作ることはなかった。そして恐らく別れてから別の異性との交渉は一切持たなかったということだろう。
その意味は互いの身体は互いの為だけにあったということだ。
だが道明寺悠は母が夫を裏切ることはなかったはずだと言った。それは、二人の間に性的な匂いはなかったということだ。

「父は亡くなる少し前、言いました。かつての恋人、つまり牧野つくしさんが来て色々と話をしたそうです。もちろんそれは夢の中の話でしょう。実際にその人が父の所へ来た訳ではありませんから。何しろ彼女は亡くなっていましたから」

だがたとえ相手が亡くなっていたとしても、幽霊でもいいから会いたいと思う人間もいる。

「父は生涯で一度だけ情熱的な恋をした。その相手があなたのお母様のつくしさんだった。そして父は彼女を忘れることが出来なかった。私が耳にした彼女を連れて来てくれという言葉は父のつくしさんに対する心からの想いです。背負い続けなければならなかった道明寺司の立場という父の人生は終わりましたが、きっと今は満足しているはずです。こうして彼女に会えたのですから。そしてこれから先はずっと一緒にいることが出来るのですから。でも本当にいいんですか?骨は一部でいいんですが、全てを父のものと一緒にしても本当に構わないんですね?」

「ええ。構いません。一部だけにすれば、母も身体が引き裂かれたように感じるでしょうから。それに西野の家の墓には私の本当の母親の骨がありますし、父は牧野つくしよりも私の産みの母の方が大切でしょうから」

構わなかった。
彼女が、母が幸せなら。
だから分けて欲しいと言われた骨を全て道明寺司のものと一緒にしていいと言った。

「そうですか。でもあなたは本当にそれでいいんですね?」

道明寺悠は私が頷くのを見ると、台の上に置かれている牧野つくしの骨壺の蓋を取り、彼女の骨を彼の父であり叔父である道明寺司の骨が納められている骨壺へ移し始めたが、その骨壺は明らかに二人分の骨が収められるだけの大きさがあった。と、いうことは、初めからひとかけらの骨ではなく、全ての骨の分まで考えていたということになるのだが、それだけ彼女と一緒になることを望んだということだ。

その時だった。
私には見えた。
骨壺の中で骨が混ぜ合わされたとき、この場所にぼんやりとした影が揺らめいたのを。
それは背の高い男性が小さな女性の身体を抱きしめている姿。
そして女性もその男性の腕に嬉しそうに抱かれている姿があった。
互いの腕の中で見つめ合いほほ笑み合う姿。
相手の全てを抱きしめたかったという男と女。
そこには冷たさなど感じられない柔らかな情感を満たした空気があった。

二人の姿は誰の目にも見えるものなのか。
それとも私の目にだけ見えるものなのか。
医者者である私が魂や幽霊といったものを信じるかと言われればノーと答えることにしている。だが、医療現場に立ち会う人間として、時に理屈では説明が出来ないことがある。
多分、今の私が目にしているのは、そういった類のものなのだろう。

哀しみとか、傷ついたこととか、別れといった全てを浄化させてしまった大きな時の流れの中にいる男女の姿は幻。だが幻だとしてもそこに見えたのは二人の魂。
魂が離れたくないと、たとえ肉体が滅びても、それでも心はその人の傍にいたいと願う気持は確かにある。母は、牧野つくしは生涯でただ一人の恋人の傍に行けたことが嬉しいのだろう。
そして道明寺悠の叔父であり父親である男も彼女が傍に来てくれたことを喜んでいる。
限られた人生の中で知った愛を心に抱いき、誰にも邪魔されないこの場所で二人が永遠に過ごすことを。


それは、たとえ魂だけになっても傍にいたいと願った二人の恋。
そんな究極の恋があることを私は知った。







外に出た時気付いたことがある。
離れと言える霊廟を取り囲むようにして桜の樹が植えられているが、1本だけ花が咲いていない樹があった。けれど、それも桜の樹だと訊かされた。
だが、春を迎えてもその桜は咲かないという。
何故ならその桜は秋から冬に咲くヒマラヤ桜。
そしてその桜はその名前の通り、ヒマラヤが原産で牧野つくしの誕生月である12月に花を咲かせるという。

花言葉は心の美という桜。
霊廟の周りに植えられた桜は、あの日二人が手を繋ぎ見上げた桜のトンネルを再現している。あの写真に写っていた桜と同じだと思った。

風が吹き花びらが舞い落ちる。
四月の午後の陽射しはあの日と同じとは言えないとしても、桜の花びらがはらはらと舞う姿は、何十年経とうと同じはずだ。
そしてそれを再現しようとした道明寺司は、あの日自分達の頭上にあった桜のトンネルの景色が瞼に焼き付いて離れなかったということだろう。

生きている時、一度は交わったが再びは交わらなかった二人の時の轍。
だがこれからは、たとえ離れていた時が長かったとしても、永遠に一緒にいることが出来るはずだ。

二人の魂は暖かな光りのある春に結ばれたのだから。

そして二人が次に産まれて来るときは、共に生きることが初めから約束されていることを願わずにはいられなかった。




< 完 > *時の轍(わだち)*
*補足説明*
一度納骨を行った墓から遺骨を移動させるには「墓地、埋葬等に関する法律」に基づき、市町村長の許可が必要です。


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2018
03.10

縁 ~時の轍 番外編~

Category: 時の轍(完)
<縁(えにし)>
西田秘書視点のお話しをとリクエストを頂きました。
よろしければお読み下さいませ。
************************







瞼を閉じた時、浮かぶ風景はいったい何なのか。
見えない糸で結ばれた人と結ばれることを願った男は何を考えているのか。
ごくありふれた日常の風景の中に見える景色に何を思うのか。
そんなことを考えていた男は、隣に座る男の言葉に思考を止めた。

「西田。時間に遅れるようだが先方には断りを入れたか?」

「はい。目的地まで恐らくあと1時間は掛かるのではないでしょうか」

「そうか」

ただそれだけ言った男は再び静かに目を閉じた。






首都高は事故渋滞で酷く混み、普段なら30分で到着できる場所へも、まだ半分の距離も進んでいなかった。だが事故が起きたからといって一度乗った道路からは、降りることも引き返すことも出来ない。それは西田が仕える人間の人生と同じ。一度乗った人生のレールから降りることが許されない人物が道明寺司という人間だ。

西田が道明寺司の秘書になったのは、司がまだ20代の頃。
それから35年の歳月が流れたが、まだ彼の秘書を務めていた。

道明寺司は日本人離れした容姿を持ち、大勢の女を惹き付ける。
だが彼は女に興味がない。いや。興味がないと言えば語弊がある。
ただ彼の周りに集まってくる女に興味がないだけで、決して男としての機能が問題でもなければ、同性愛者でもない。
それは、ひとりの女性以外欲しくないというだけの話であり、その女性以外必要ないということだ。

彼がひとつ年下の牧野つくしと知り合ったのは、二人が同じ学園に通う高校生の頃。
男が彼女を見初め恋をした。だが始まりは、それが恋だと気付かなかった。
しかし男は自分が恋をしていることに気付くと、それまで生きてきた人生の全てをかけ、彼女に永遠の愛を誓うと言ったが、その言葉に誰もが驚いた。
何しろ男は彼女に出会うまで、まともに他人と口を利くことをしない人間だったからだ。
つまり学園の支配者と呼ばれた男は、勝手気ままに時を過ごし、自己表現は暴力だったということだ。

若い二人の交際は、男がNYの大学を卒業し2年ほど続いた。
だがある日、暗い顔をした男が現れ、それから暫くして二人が別れたことを知った。

西田は牧野つくしを知っている。
黒い髪に大きな真っ黒な瞳。それは確固たる意思を示すためいつも輝いていた。
真面目で曲がったことが嫌い。
人としての道理をわきまえ生きることが彼女の生き方。
だから男に結婚の話が出ると、男の傍を離れた。
それは彼を思っての行動であり、本当は離れたくはなかったはずだ。
何しろ、二人は深く愛し合っていたのだから。

それから男は人前では笑わなくなった。
唇の端をほんの少し曲げることすらなく、一切の表情を失った。
笑わない男と呼ばれ、虚しさだけを身体に纏った男は、未来を夢見る感情を捨てビジネスだけに集中していた。
そのおかげで一時傾いていた会社は持ち直し、それからは、何の問題もなく会社は成長を遂げた。

そして、どれだけ月日が流れても、男は彼女だけを求めていた。
時に嬉しいことがあったのか。不自然な表情になることがあったが、それは長い間笑うことのなかった男が、笑いの表情の作り方を忘れてしまったための顔だったのかもしれない。
そしてある日こんな言葉を言われた。

「人を愛する気持ちを止めることが出来るか」

その時何と答えたか覚えていないが、男が放った言葉だけは頭の中に残っている。

「自分の気持を全うすることが悪いことか?」

あの時、男の視線は私を見てはいなかった。
その視線は窓の外に広がる景色に向けられていた。そしてそれは、自分の元を去った女が暮らす街へと向けられていると感じた。

そんな男の手にごくありふれた封筒が握られていることがあった。
それは彼女からの手紙。
差出人の名前は西野つくし。
かつて男と付き合っていた女は、幼い子供のいる男性と結婚していた。
だがいつの頃からか、二人は時間を割き会うようになっていた。

封筒から手紙を取り出したとき、男の動きが止ったことがあった。
そこに何が書かれていたのか。
これまでの経験から知っていた。
『ごめんなさい。会えません』
言葉が違ったとしても、似た様な文言が使われていたはずだ。

今までも何度かあった彼女からの断りの手紙。
夫と子供がいる女と会うことは、男にとって簡単とは言えなかった。
そしていつだったか、車の中から彼女を見かけたことがあった。幼い女の子の手をひいて歩く姿は、紛れもなく母親であり、女の子は目を輝かせ母親を見ていた。
それを見た男は、表情のない顔をしていたが、苦しかったに違いない。

だが他の男の妻となった女も、別れた男のことが好きだった。
そして男もまた同じ気持ちを持ち続けていた。
だが二人の人生は同じ時を歩むことが出来なかった。
二人が苦しんでいるのは、傍目にも分かった。二人は決して口には出さなかったとしても、互いに苦しみ、喘いでいるのを知っていた。それでも私はいつか二人が一緒になれると思っていた。
愛し合う二人が結ばれるのは時間の問題だけだと思っていた。

しかし彼女の人生はある日突然終わった。
私がそれを告げたとき、男の視界が滲んだのを見た。
だが涙を溢れさすことはなかった。

ただ黙ってその話しを聞いた男は、出て行ってくれ。暫くひとりにしてくれ。電話も繋ぐな。とだけ言うと、背中を向けた。
その時、男の胸の中にどんな思いが広がっていたのか。運ばれてきたばかりのコーヒーがあったが、飲まれることはなかった。


そして私は西野つくしの葬儀へ参列し、男に報告を済ませた。
男が参列することが許されない愛しい人の葬儀。
もし道明寺司が参列すれば、どういった関係かと問われることは間違いない。
そして、遠い昔二人が1年にも満たない間だったが、恋人同士だったことを暴かれることになるかもしれない。そうすると残された家族に迷惑がかかる。
牧野つくしがお腹を痛め産んだ子ではないが、深い愛情を与え育てた子供に迷惑がかかる。
そのことを慮った男は葬儀に参列することはなかった。

だから遠く離れた場所に車を止め、魂だけを見送る鎮魂の時間があった。
亡くなった夫が医者だった女の葬儀は、立派なもので、息子と娘が選んだ遺影は若々しかった。
そこへ道明寺司の名前ではなく、西田の名で持参した香典袋の中には、金額とは別の想いというものが込められていた。

私は焼香を終えたとき、西野つくしの遺影に言った。

「牧野様。司様はすぐそこまでいらっしゃっています。どうぞ安らかにお眠りださい。いつか司様がそちらへ向かわれる時がきます。その時は思いを受け止めてあげて下さい」

そして車に戻り葬儀の報告をしたが、じっと前を向き、虚空を見つめる男は、何を考えていたのか。何も言葉はなかった。だが横顔には、彼女に対して消えない思いを宿しているのが感じられ、もしかすると後を追うのではないかといった気がした。
しかし乾いた頬を涙が流れることはなく、ただ、一瞬だけ唇が大きく歪んだのが見て取れた。
それは、牧野様の遺影はにこやかに笑っていたと報告した時だった。

そしてその時、放たれた言葉は、
「そうか」
の低く静かなひと言だったが、万感胸に迫るものがあった。

私はあの日を思い出すたび思う。
葬儀場の近くまで足を運びながら、最後の別れを告げることが出来なかった男の気持を。
恐らくあの日、心の中で愛しい人の魂を送りながら呟いたはずだ。
短い別れだ。すぐに会いに行くからと。






「西田。こんないい天気の日。父は今どこにいると思う?」

西田はその声に、隣に座る男が、司の甥の道明寺悠であることを失念していたことに気付いた。何しろ二人はよく似ていて長年仕えた男と混同していた。

「司様は牧野様とご一緒のはずです。永遠の恋人と一緒に過ごされているはずです」

「そうか。父は・・つくしさんとは永遠の恋人か」

感慨深げに話す道明寺悠は、父であり叔父である男の望みを叶えた。
西野つくしの葬儀から5年後、最愛の人の誕生日に急死した道明寺司は、つい先日念願だった彼女の骨と共に永遠の眠りについた。

「あの二人は今頃満開の桜の下で笑っていらっしゃるはずです」

私は男が倒れたとき、連絡を受けすぐに駆け付けたが間に合わなかった。
恐らくだが、彼が最後に目にした光景は、瞼の裏に浮かんだ桜の景色だと確信している。
何故なら、司が大切にしていたセントラルパークで二人が手を繋いだ写真を撮ったのは西田だからだ。

「そうだな。やっと二人は一緒になれたんだ。手に手をとって花を見上げているはずだ。それにしても彼女、勝手に骨を持ち出して大丈夫だったのか?家族は驚いているはずだ」

そして道明寺悠が気にしている女性が、西野つくしとなった牧野つくしが育てた西野周子であることに少し驚いた。
それはまるであの二人が悠と周子の縁を結ぼうとしているように思えたからだ。
自分達は結ばれなかったが、二人に縁のある者が結ばれることを望んでいる。
もしかするとあの世から二人に呼び掛けているのかもしれない。

「お前たちお似合いだ。とっととくっついちまえ」

西田にはそう言って語り掛ける少年だった頃の司の姿が見えた。







どんな人間にでも縁(えにし)がある。
ただそれがどのような形で現れるのかは、人それぞれだ。
本来縁(えにし)とは、男と女の縁(えん)のことだが、私は道明寺司の秘書としての縁(えん)があった。だから彼の最後を見届ける義務があった。
それが秘書として長年仕えた人間の義務だ。

そして道明寺司と牧野つくしが、同じ墓に眠ることを見届けたことが、道明寺司という男の秘書として最後の仕事になった。

二人が同じ墓に入ったと連絡を受け、鎌倉の別荘を尋ねたとき、飾られていた遺影に満足げな笑みが浮かんだように見えたのが気のせいだとしても、光りが射したような気がしていた。
そして声が聞こえた。

「西田。お前言ったよな?いつか必ず逢えるってな。今俺はあいつと一緒にいるから心配するな」

かつて我儘だった少年はひとりの少女を愛し、その愛に殉じたが、今の二人が幸せなら、未来永劫その幸せが続くように祈ることが私の人生の勤めだ。
そして次に二人に与えられる運命が、彼らにとって良いものであることを願う。
ただ一人の人のためだけに生きた二人なのだから。





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