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2018
10.01

臥待月 最終話

Category: 臥待月(完)
「お見通しなんだな」

「そうよ。私たち何年夫婦をやってると思うの?司が私のことが分るように、私もあなたのことは分かってるつもりよ」

だが何年夫婦であっても互いを理解出来ない人間も多い。
そして殆どの夫婦は、結婚当初あったいい意味での緊張感も、やがて子供が生まれ成長し時間が経つと別の感覚に変わる。だがそれが何であるかは夫婦それぞれで違うはずだが、互いが互いに対し興味を無くしてしまう夫婦もいる。だが司と妻の間にもたらされたのは、ぬくもりのある生活。だから妻が言った通りで、彼女は司が口にしたこととは別のことを考えていることに気付いていた。

「それに司が何を考えていたとしても反対はしないわ」

「反対しない?」

「ええ。そうよ。私が今まで司のすることで何か反対したことがあった?それにもし反対したとしても、あなたは心に決めたことを簡単に止めるような人じゃないもの」

分かったような口を利く妻だが、若い頃は司の気持を読むことはなく、イライラすることもあった。だが司と一緒に暮らしているうちに鈍感ではなくなっていた。
それがいいことなのか。それとも悪いことなのか。夫に向かって不敵な笑みを浮かべるが、それは全く構わなかった。それが夫婦なのだから。

「社長を退こうと思っている。後進に道を譲ろうと思ってな」

「引退するの?」

「ああ。そのつもりだ。後は副社長の英に任せるつもりだ」

「英に?」

「ああ。あいつならもう十分立派にやれる。あいつは初めから俺の跡を継ぐつもりでいた。その意思は英が道明寺に入社した時改めて本人の口から訊かされたが、この家に生まれた以上そのつもりでいたそうだ。だがいつそれを決めたかまでは教えてはくれなかったが、少なくとも俺が高校生の頃そう考えたのと同じだったはずだ」

司が高校3年の時、父親が倒れ家業を継ぐ決心をしたが、彼の右腕として副社長を務める英は、自分が道明寺英として何を求められているかを感じ取ったのは早かった。
どんなに妻が普通に育てたつもりでいても、周囲が普通の子供に接する以上の態度で接すれば、子供は自分が何者であるか自問をする。
それに子供には子供の世界がある。無神経な言葉を投げかける大人もいる。その中で自ずと知る出自とアイデンティティー。父親の生き方の中に自分の未来を見たのはいつだったのか。司には分からなかったが、正直息子が会社を継ぐつもりでいると言った時は嬉しかった。

「そうね。司が会社を継ぐ決心をしたのも高校生の頃だったものね。あの時は司が4年間ニューヨークで勉強して私を迎えに来るって言ってくれて嬉しかったわ」

道明寺という家から逃げることばかりを考えていた少年の心を変えたのは妻だった。
ふたりの未来を考えた時、何がベストであるか。何が彼女にとって一番いいことなのか。それを考えたとき司の心は決まった。

「でも4年の時間と距離がふたりを駄目にするかもしれないと思ったこともあったのよ?ふたりには未来がないんじゃないか。そう思ったことがあったのよ?」

子供に自立と質素倹約を教えてきた妻は、そう言い添えて笑ったが、ふたりは司が帰国して2年後に結婚した。
そしてプロポーズの言葉は、「一生の住所はここでいいか?」だった。




「でも英は驚くんじゃない?自分に社長はまだ早いって思うんじゃない?」

「どうだろうな。だがいずれにしても継ぐつもりでいるんだ。遅いも早いもないだろ?それに俺が社長の椅子を継いだのはあいつよりも若かった」

実際司は31歳で社長に就任した。
英は34歳。年令の割りにしっかりとしていると言えば、それこそ親の贔屓目だと言われるかもしれないが、それでも息子は同じ年頃の自分に比べれば優秀だと言えた。
それに英にはなんとは無しに話していたが、60歳を前に人生のギアチェンジをするには少し早いんじゃないかと言われた。
だが司は社長を退く決心をした。後任の社長は息子だが決して世襲という訳ではない。
能力がない人間に会社を任せることはしない。



「それで。社長を退任した後はどうするの?」

「俺か?立場としてなら会長だな」

「会長さん?」

「ああ。母親が俺に対してやっていたようにあいつを見守るつもりだ」

既に亡くなっている司の母親は生前よく言っていた。

『どんなに優秀な人間であっても躓くことがあるわ。社内で軋みが生じることもあるわ。その時は経験がある者が手を差し出さなければ会社は傾くわ』

それは一度傾きかけたことがある道明寺を知る母親だから言えた言葉。
ビジネスに絶対という言葉はなく、母親がいつも張りつめていたのは、そういったことがあったからだと知ったのは、司自身が社長の座についてからだ。



「それなら司も今までより少しは楽になれるわね?ゆっくり出来るわね?」

「ああ。そうだな。ゆっくり考える時間も持てるはずだ」

「そう。良かったわ。司は働き過ぎだから、これからは少しのんびりした方がいいのよ。あ、もうすぐ着くわね。あの時も短く感じたけど、今夜もそうだったわね。あっという間に終わったからキスする時間がなかったわね」

「そうだな。あの時もそうだったな」

音も揺れもないゴンドラの中で交わされる夫婦の会話がそこで終わったのは、地表が近づいて来たからだ。








司は向かい側の窓を見ていた。
外が暗く中が明るい状態で窓が鏡になった窓鏡に映るのはひとりの男の顔。
そしてその顔の下の座席には、彼がいつも持ち歩いている写真が置かれていた。
それは満面の笑みを浮かべた妻の写真。
その写真を撮影したのは司だ。




死が二人を分かつまで。
その誓いが全うされたのは2年前の夏の日。
享年56歳。彼の妻である道明寺つくしはこの世を去った。健康診断で悪性腫瘍が見つかり手術をしたが間に合わなかった。

「人間の寿命は概ね決まっているそうだが心臓が一生のうちに打つ鼓動ってのは決まってない。だがな。恋をして鼓動する回数が多い人間ほど寿命が短いらしい。
恋をしなければ心臓は激しく鼓動することもない。心臓に負担をかけることはない。だから恋をしなかった人間は長生きする。俺はお前に恋をしたからいつも鼓動が早かった。だから俺の方がお前より先に逝くはずだ」

冗談でそんな言葉を交わした後のことだった。
だが妻には聞こえたはずだ。
あの時も激しく打っていた夫の胸の鼓動が。


ふたりの愛に影が差す事はなかった。
司にとって妻は太陽だった。
そして今彼女は太陽に見える月になり、臥待月がゴンドラを照らしていたが、浮かび上がった人影はひとつで視線の先に彼女の姿はなかったが、たった今まで妻はそこにいた。
司は一度好きになった女性と離れることは出来ないし、忘れることは出来ない。
だからたとえ彼女の姿がそこになくても、声だけでもそこにあるなら、臥待月が空に昇っていた日に逝った彼女の傍にいることが出来るなら、またここに会いに来る。
そしていつになるか分からないが、司も月の上で待つ彼女の傍に行くはずだ。
永遠に一度しか巡り合うことが出来ない人の傍に。




やがてゴンドラが地上に降りると秘書がそこにいた。

「社長。奥様にはお会いすることが出来ましたか?」

「ああ。会えた。誰よりも遠い場所にいるが、誰よりも近い場所にいる。月の上にいたが同じ空の下にいる」

「はい。今日は19日で奥様の月命日。臥待月の日でしたから今夜は月の上から社長を見つめていらっしゃいます」

老齢のベテラン秘書はそう言って空を見上げたが、司からこの場所を貸し切れと言われた時は驚いたはずだ。だがふたりの若い頃のことを知る秘書は直ぐに察した。
そして子供たちから比翼連理の言葉はふたりの為にあると言われたが、片割れを失った男は決して飛べない鳥ではない。何故ならここに来れば空高く飛ぶことが出来る。そして彼女に会えると分かったから寂しくはなかった。


「それから西田。その社長という呼び方は止めてくれ」

「やはり決心は変わらないということですね」

「ああ。あとは英に任せる。それに遼も結婚するんだ。親の役割から一線を退かせてもらうつもりだ。つくしは最後まで遼が結婚するか心配していたが、あいつも生涯の伴侶を決めた。それをつくしに報告出来た。それに伝えたいことは伝えることが出来たと思っている」

司は自分にしか見えない景色を見た。
群青色の晴れた夜空に浮かぶ楕円の月の上にいる最愛の人の姿を。
それにいつかは彼も妻の待つ世界へ旅立つ日が来る。
だがその日がいつであるかは、神のみぞ知ることであり司は知りたいとは思わなかったが、人は人生の先が見えてくると、過去を振り返りたがる。そしてその過去が曖昧な記憶に変わる前に頭に刻み付けておきたいと思うようになると言うが、妻と過去の想い出を語り合ったのは、あちらの世界へ逝く日が近いということなのか。
だがもしそうだとしても怖くはなかった。
むしろ妻と会うことで温かで優しい想いを感じることが出来たのだから。
そして今夜見た月は、今まで見たどの月よりも美しかった。





< 完 > *臥待月(ふしまちづき)* 

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コメント
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dot 2018.10.01 06:30 | 編集
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dot 2018.10.01 07:27 | 編集
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dot 2018.10.01 08:29 | 編集
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dot 2018.10.01 09:53 | 編集
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dot 2018.10.01 10:22 | 編集
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dot 2018.10.01 15:03 | 編集
司******E様
おはようございます^^
想い出の観覧車に一人で乗りに来た司。
向かい側の席に置いていた妻の写真。その写真が語りかけてきたようです。
そして終わってみれば、このようなお話となりました。
臥待月が天に昇っていた日に旅立った妻。
夏の日と書きましたが、8月19日が命日ですね。
太陽のような女性は月になりましたが、天から夫を見守ってくれているはずです。

台風の風は凄かったですね。玄関のドアを開けようとして押し戻される風の強さ。
腕や指を挟まれないように気を付けて開けました。
はい、お蔭様で被害はありませんでしたがまた次の台風が‼
平成最後の夏は災害が多い夏になりましたね。
ところで、本日の行事は無事終了されたのでしょうか?とりあえず肩の荷がひとつ下りましたね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.02 20:59 | 編集
ふ*******マ様
おはようございます^^
臥待月の空の下。観覧車の中で会っていた妻は亡き人でした。
夫婦とは他人には理解出来ないこともあると思います。
子供にすら分からないこともあるのですからねぇ。そして夫婦とは他人だけど「家族」。
そして司とつくしはどんな夫婦となったのか。
アカシアのお話の中ではこのような夫でした。
事あるごとに妻に話しかける男。多分そうでしょうね。
そしていつか彼女の元へ逝く日が来る。あまり早く追いかけるとつくしに怒られる!(笑)
そう言えば「秋日の午後」では怒られてましたね(笑)
このようなお話でしたが、お読み頂きありがとうございました^^
アカシアdot 2018.10.02 21:05 | 編集
つ***ぼ様
ふたりの絆は夫婦になってから深く強くなったはずです。
守る人がいて、守りたい家族がいて。そして守られている自分がいると気付いている男。
口に出さなくても分かることがあるのが夫婦。
でも口に出さなければ分からないこともあります。
夫婦は難しいですね?(笑)
それでもこのふたりの絆は永遠ではないでしょうか。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.02 21:10 | 編集
ま**ん様
おはようございます^^
はい。今のふたりは別の世界に存在していました。
それでも観覧車の中で妻に会った男は伝えたいことは伝えられて満足のようです。
残されてしまいましたが、いつかは妻の元へ旅立つ。
その日がいつになるのか分かりませんが、つくしは空の上から見守っているはずです。
夫婦って様々な生き方がある。そうですよね、アカシアも樹木さんの生き方にそれを思いました。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.02 21:13 | 編集
s**p様
タイトルを調べた!(笑)
え?そして覚悟しながらお読みになったんですね!
そしてドンデン返しになってしまったんですね!(≧▽≦)
予想外であったとしても、司の思いを汲み取って下さりありがとうございました。

お蔭様で台風の被害はありませんでした。
え?夜中に外に出た?それは恐怖でしたよね?何が飛んで来るか分かりませんから怖いですよね。お怪我がなくてなによりです。
そしてまた次の台風が‼今年は災害が多い夏となりましたが、これ以上被害がないことを祈りたいです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.02 21:16 | 編集
さ***ん様
月命日の日に想い出の場所で妻に語り掛ける夫。
生きていたら一番に話したかったことを話す司の向かい側の席には写真が置かれていましたが、そこには確かに妻がいたんでしょうね。
そして死んでもなお愛される女は、運命共同体の女ですから、司にとっては唯一無二。
今は離れた場所にいたとしても、近くに感じることが出来るのでしょうね。

え~。タイトル講座ですね?(笑)
臥待月の日に亡くなった妻。
別名寝待ち月と言われる月ですので、空に昇る時間は遅いです。
妻を亡くなった日の月になぞらえている男は、その月が昇るまでの間は何を思うのでしょう。こちらのお話はそんな男が彼女に会うことを楽しみにしている思いを書いているつもりです。臥待月=妻です。
どの月が綺麗かと問われれば、臥待月が一番だと答える男がそこにいます。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.02 21:23 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2018.10.03 00:05 | 編集
さ***ん様
お返事遅くなりましたが、タイトル講座にご満足いただけて良かったです!
司はロマンチストだと思いますよ(笑)
え?アカシアもですか?( *´艸`)いやぁ。どうなんでしょうねぇ(笑)
ま、とにかく司は恋に一途。つくしに一途な男でしたから、今は別の世界にいるとしても、また逢えると思って案外長生きしてくれるかもしれませんね?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.10.05 21:08 | 編集
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