「タマ!」
少年は部屋の扉を開くと名前を呼んだ。
だが返事は無かった。
タマの部屋は、少年の祖父が彼女のために建てた和室。
畳の部屋が二間あり、和箪笥が置かれ、ちゃぶ台が置かれた部屋は、冬になればそれがこたつに変わり、火鉢に火が入れられる。物が多いとは思わなかったが使用人という仕事柄掃除は得意だから部屋はいつもきれいに片付けられていた。
そして和箪笥の上には写真が飾られていて、傍には花が飾られていたが、写った人物はタマの旦那さんだった人で、戦争で亡くなったと教えてくれた。
この邸に50年勤めているというタマの手は姉と違い枯れ木のような手だが、その手が旦那さん、と言って写真を撫でる姿を見たことがあった。
少年は手にしたウサギのぬいぐるみを飾り棚の上に置かれている陶器のウサギの隣に置いたが、久し振りにこの部屋に来た少年が目を止めたのは、新たに置かれた緑色のカエルと豚の姿をした陶器の置物。
つまりそこには、ウサギが二匹とカエルと豚が並んでいるのだが、何故かそれが滑稽に思えた。だがウサギは仲間が出来て嬉しそうに見えた。
少年はよし。これでウサギは寂しくないはずだ。そう思うと背中を向け部屋を出ようとしたところで後ろから声をかけられた。
「坊ちゃん駄目ですよ。そのウサギの居場所はここではありません」
誰もいないと思っていた部屋から聞こえる声は、聞き慣れた老女の声。
びっくりした司は後ろを振り返った。
「坊ちゃん。そのウサギをここに置いて行っては駄目です。その子がいる場所は坊っちゃんのお部屋です」
老女はそう言うとウサギのぬいぐるみを棚から取ると少年に手渡した。
「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、このウサギは坊ちゃんがまだお小さい頃、熱を出していた坊ちゃんの枕元にタマが置いたものです。同じ動物でもここにあるウサギやカエルたちとは意味が違います。なにしろそのウサギは坊っちゃんの傍にいることが出来ないお母様がお求めになられたものですから」
少年の母親は彼が高熱を出した時も傍にいなかった。
そしてそう言ったタマは振り返ると陶器で出来た置物たちの説明を始めた。
「ウサギとカエルは貯金箱です。背中に穴が開いていてそこに小銭を入れて溜めます。坊っちゃんは小銭をご存知ですか?お札ではなく細かいお金のことですが、見たことがありますか?世の中の人間はお財布に溜まった小銭をコツコツ溜めることをします。その小銭を溜めるための入れ物を貯金箱と言います。そちらの陶器のウサギは前からありましたが、一杯になったので新しくカエルを買いました。それから豚は蚊やり豚という名前がついていて、お腹の中がこのように空洞になっているのは、ここに緑色のグルグル渦を巻いたものを入れて火を点け蚊を落とすためです」
タマはそこまで言うと司の手を取り諭すように言った。
「坊ちゃん。ここにいる動物の置物はみんな意味があってここにいます。ただの飾りものではありません。みんなタマに必要とされているからここにいる。でもそのウサギはタマが必要としているものではありません。ウサギを必要としているのは坊っちゃんのはずです。
この子は柔らかい布で出来ていて、ベッドで一緒に寝ることが出来るのはこの子だけですから。それにこの子は坊っちゃんを守ってくれます。母親というのは、本当はいつも子供の傍にいたいものです。でもお母様はそれが出来ません。だから自分の代わりにこの子を置いていったんですよ?」
確かに少年のおもちゃは、みなプラスチックや超合金といった固いもので出来ていて、布で出来たものは無かった。
だがこのウサギが母親から贈られたものであっても、初等部2年生の少年がウサギのぬいぐるみと一緒に寝ているなど恥ずかしいことだと思っている。
それに母親が自分の代わりにウサギを置いていくとはどう考えても信じられなかった。
「坊ちゃん。この子は坊っちゃんを守ってくれるはずです。この子はたとえ坊っちゃんがこの子の存在を忘れたとしても、可愛がってくれたことは忘れません。人形には魂がありますからね。だからこの子をどこかにやるということはお止め下さい。お部屋の隅でもいいんです。せめてもう少しだけ沢山あるおもちゃと一緒に置いてあげて下さい。そしていつかお部屋から全てのおもちゃが移される時が来たら、その時はこの子をタマの所へお持ち下さい。この子がまた必要とされる時までタマがお預かりしておきますから」
タマにそう言われた少年は、再びウサギを手にすると自分の部屋へ戻り、学習机の上にウサギを座らせた。そしてプラスチックで出来た赤い小さな目をじっと見つめた。するとウサギの顔が微笑んだように見えた。
「なんだよ。また俺の部屋に戻れて嬉しいのか?」
少年が問い掛けた瞬間ウサギがゆらりと前へ傾いた。

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少年は部屋の扉を開くと名前を呼んだ。
だが返事は無かった。
タマの部屋は、少年の祖父が彼女のために建てた和室。
畳の部屋が二間あり、和箪笥が置かれ、ちゃぶ台が置かれた部屋は、冬になればそれがこたつに変わり、火鉢に火が入れられる。物が多いとは思わなかったが使用人という仕事柄掃除は得意だから部屋はいつもきれいに片付けられていた。
そして和箪笥の上には写真が飾られていて、傍には花が飾られていたが、写った人物はタマの旦那さんだった人で、戦争で亡くなったと教えてくれた。
この邸に50年勤めているというタマの手は姉と違い枯れ木のような手だが、その手が旦那さん、と言って写真を撫でる姿を見たことがあった。
少年は手にしたウサギのぬいぐるみを飾り棚の上に置かれている陶器のウサギの隣に置いたが、久し振りにこの部屋に来た少年が目を止めたのは、新たに置かれた緑色のカエルと豚の姿をした陶器の置物。
つまりそこには、ウサギが二匹とカエルと豚が並んでいるのだが、何故かそれが滑稽に思えた。だがウサギは仲間が出来て嬉しそうに見えた。
少年はよし。これでウサギは寂しくないはずだ。そう思うと背中を向け部屋を出ようとしたところで後ろから声をかけられた。
「坊ちゃん駄目ですよ。そのウサギの居場所はここではありません」
誰もいないと思っていた部屋から聞こえる声は、聞き慣れた老女の声。
びっくりした司は後ろを振り返った。
「坊ちゃん。そのウサギをここに置いて行っては駄目です。その子がいる場所は坊っちゃんのお部屋です」
老女はそう言うとウサギのぬいぐるみを棚から取ると少年に手渡した。
「覚えていらっしゃらないかもしれませんが、このウサギは坊ちゃんがまだお小さい頃、熱を出していた坊ちゃんの枕元にタマが置いたものです。同じ動物でもここにあるウサギやカエルたちとは意味が違います。なにしろそのウサギは坊っちゃんの傍にいることが出来ないお母様がお求めになられたものですから」
少年の母親は彼が高熱を出した時も傍にいなかった。
そしてそう言ったタマは振り返ると陶器で出来た置物たちの説明を始めた。
「ウサギとカエルは貯金箱です。背中に穴が開いていてそこに小銭を入れて溜めます。坊っちゃんは小銭をご存知ですか?お札ではなく細かいお金のことですが、見たことがありますか?世の中の人間はお財布に溜まった小銭をコツコツ溜めることをします。その小銭を溜めるための入れ物を貯金箱と言います。そちらの陶器のウサギは前からありましたが、一杯になったので新しくカエルを買いました。それから豚は蚊やり豚という名前がついていて、お腹の中がこのように空洞になっているのは、ここに緑色のグルグル渦を巻いたものを入れて火を点け蚊を落とすためです」
タマはそこまで言うと司の手を取り諭すように言った。
「坊ちゃん。ここにいる動物の置物はみんな意味があってここにいます。ただの飾りものではありません。みんなタマに必要とされているからここにいる。でもそのウサギはタマが必要としているものではありません。ウサギを必要としているのは坊っちゃんのはずです。
この子は柔らかい布で出来ていて、ベッドで一緒に寝ることが出来るのはこの子だけですから。それにこの子は坊っちゃんを守ってくれます。母親というのは、本当はいつも子供の傍にいたいものです。でもお母様はそれが出来ません。だから自分の代わりにこの子を置いていったんですよ?」
確かに少年のおもちゃは、みなプラスチックや超合金といった固いもので出来ていて、布で出来たものは無かった。
だがこのウサギが母親から贈られたものであっても、初等部2年生の少年がウサギのぬいぐるみと一緒に寝ているなど恥ずかしいことだと思っている。
それに母親が自分の代わりにウサギを置いていくとはどう考えても信じられなかった。
「坊ちゃん。この子は坊っちゃんを守ってくれるはずです。この子はたとえ坊っちゃんがこの子の存在を忘れたとしても、可愛がってくれたことは忘れません。人形には魂がありますからね。だからこの子をどこかにやるということはお止め下さい。お部屋の隅でもいいんです。せめてもう少しだけ沢山あるおもちゃと一緒に置いてあげて下さい。そしていつかお部屋から全てのおもちゃが移される時が来たら、その時はこの子をタマの所へお持ち下さい。この子がまた必要とされる時までタマがお預かりしておきますから」
タマにそう言われた少年は、再びウサギを手にすると自分の部屋へ戻り、学習机の上にウサギを座らせた。そしてプラスチックで出来た赤い小さな目をじっと見つめた。するとウサギの顔が微笑んだように見えた。
「なんだよ。また俺の部屋に戻れて嬉しいのか?」
少年が問い掛けた瞬間ウサギがゆらりと前へ傾いた。

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司*****E様
おはようございます^^
小学2年生の男の子のぬいぐるみに対する思いは、持っていることをみんなに知られると恥ずかしいといったところでしょうか。
それでもタマの言葉には素直に従うことが出来る。
つまりこの年齢の男の子はまだまだ甘えん坊なところがあるということです。
そしてウサギと部屋に戻った彼の「俺の部屋に戻れて嬉しいのか?」の言葉は俺様司だったと思いますよ。
まだどこか幼さが残る司ですが、彼がどんな風に成長していくのかを知っている我々は彼の成長を見守るしかありませんね?
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
小学2年生の男の子のぬいぐるみに対する思いは、持っていることをみんなに知られると恥ずかしいといったところでしょうか。
それでもタマの言葉には素直に従うことが出来る。
つまりこの年齢の男の子はまだまだ甘えん坊なところがあるということです。
そしてウサギと部屋に戻った彼の「俺の部屋に戻れて嬉しいのか?」の言葉は俺様司だったと思いますよ。
まだどこか幼さが残る司ですが、彼がどんな風に成長していくのかを知っている我々は彼の成長を見守るしかありませんね?
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.09.23 22:03 | 編集

ふ*******マ様
おはようございます^^
司も子供の頃は素直でいい子だったと思います。
しかしそれは限られた人の前だけ。椿とタマの前だけだったのではないでしょうか。
そして幼児期のごっこ遊びはしてこなかったと思います。
だから大人になり妄想御曹司となって大人のごっこ遊びに走ったのかもしれません‼(笑)
司と白ウサギの物語はどんな未来が待っているのか。
短編ですからあと少しです(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
司も子供の頃は素直でいい子だったと思います。
しかしそれは限られた人の前だけ。椿とタマの前だけだったのではないでしょうか。
そして幼児期のごっこ遊びはしてこなかったと思います。
だから大人になり妄想御曹司となって大人のごっこ遊びに走ったのかもしれません‼(笑)
司と白ウサギの物語はどんな未来が待っているのか。
短編ですからあと少しです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.09.23 22:13 | 編集
