「すみません、いつも急なのにありがとうございます」
「いいのよ。うちは全然構わないから」
つくしが美容院の予約をしたのは、前日のことだ。
たまたま予約が空いていたということで、即座にお願いをしたが、マンションに引っ越して来てからずっと同じ美容院なのは、ふらりと立ち寄れる雰囲気のある店だということもあるが、オーナーの人柄にも魅力を感じていたからだ。
オーナーは50歳くらいで以前は銀行員だったという女性。
デスクワークに明け暮れるだけの日々ではなく、もっと別のことがしたい。長時間デスクに座ってする仕事は自分には向いてないと銀行を辞めたのが30歳の頃だと言った。そしてそれから美容師の資格を取ったという変わり種だ。つまり、お金を数える毎日に飽きた。OLという生活が性に合わなかったということだ。
そしてその時一緒に言われたのが、
『だって他人のお金をいくら数えてもおもしろくないでしょ?それに銀行員にしてみればアレはただの紙切れでね。その紙切れのために私たちは一算互明(いっさんごめい)が当たり前で一円でも合わなかったら帰れないの』
午後3時にシャッターが下りると、窓口担当の行員にとって一番大変な仕事が待っているの。オーナーはそう言って話を継いだ。
『一算互明は銀行用語でね。行員はシャッターが下りると窓口で行った手続きが正しいかどうか確認する作業に入るの。お客様が書いた入出金額や振込み金額の数字と行員が処理した金額が合っているか確認して一回で合うことを一算ゴメイって言うのよ。それでね。合ったらゴメイですって窓口担当全員に聞こえるように言うの。その声を訊いてみんな今日は帰れるんだって思うの。それが聞えなければ、お金が合わないってことで帰れないって腹を括るってことね。それからそれが終ったらテレマーケティング。お客様にこんな商品がありますけど、どうですかって電話するの。それにノルマもあるしね。私は自分がそういった仕事に向いているとは思えなくなってね。だから銀行を辞めたの』
そういった話をしてくれたオーナーは独身だ。
そしてつくしも独身で実はオーナーが勤めていた銀行でローンを組んでマンションを買ったという話をしたとき、
『あらそうなの?凄い偶然ね?でも牧野さんがマンションを買った頃には私は銀行を辞めてたわ。それに私。同じ支店の男性と結婚を考えたことがあったの。でもタイミングが合わなかったって言うのかしら。それ以来ご縁はないけど、行員時代に溜めたお金でこうして小さいけど自分の店を持ったし、もうこの年になると髪結いの亭主、つまり妻の働きで養われる夫は必要ないわね』
と過去の自分の恋愛話をしてくれたことがあった。
「ねえ。牧野さん。ちょっと髪が痛んでるみたいだけど海外旅行とか行ったのかしら?」
オーナーは椅子に腰掛け、散髪用エプロンを着けた鏡の中のつくしに訊いた。
「え?分かるんですか?」
「ええ。毛先がパサついてるわね?どこか乾燥した場所へ行った?」
ニューヨークは乾燥した場所かと問われれば、日本のように湿度が高い国に比べれば乾燥していることは確かだがそうなのだろうか。
「出張でニューヨークへ行ってたんですけど、やっぱり痛んでますか?」
「そうねぇ。ニューヨークの水は軟水だからシャンプーで痛むことはないけど、やっぱり乾燥かしら。だって向うはもう夏でしょ?紫外線で傷みやすい季節だしね?それなりにケアしないとパサついちゃうのよ。牧野さんの髪はカラスの濡れ羽色のような黒髪だからお手入れはきちんとしなきゃ勿体ないわよ。髪は女の命だもの。それに髪は年を取ると痩せてくるのよ?でも今のうちからきちんとお手入れすれば、私くらいになってもこの黒髪を保てるわよ?それにしてもまだ染めなくても真っ黒なんて羨ましいわね。私なんて30歳を迎えた途端、白いものがチラホラ目立つようになってね?もう嫌になっちゃったわよ?でも牧野さんは全然見当たらないんだから羨ましいわ」
そんな他愛もない話をしながら、髪はカットされていくが、パーマを当てるでも染めもしないのだから1時間と少しで終わるのがつくしの美容院滞在時間だ。
「さあ、出来たわ。こうやってブローの最後に冷たい風を当てると艶が出るのよ?ほらね?これならシャンプーのコマーシャルに出れるわよ?」
シャンプーとコンディショナーにカットをしてブローした髪は、確かに艶が出て触ればツルリとした感触でパサついていた髪とは大違いだ。
「ねえ、牧野さん。このまま誰かとデートでもすればイチコロよ。男性はね。綺麗で清潔感のある髪に惹かれるものよ。だから牧野さんは染めたりパーマを当てるなんて言わないでね?これはあなたのヘアスタイリストからのお願いよ?」
『デートすればイチコロよ』
オーナーにそう言われウキウキした気持ちになると言ってはおかしいかもしれないが、実際つくしの心は弾んでいた。今まで髪型を気にしたことはなかったが、綺麗にしてもらうことがこんなにも心弾むものだとは思わなかった。
そしてこれから恋人に手料理をご馳走するのだから買い物をして帰ろうと、いつも立ち寄るスーパーへ足を向けあと少しというそのとき、横合いから声を掛けられた。
「牧野さん」
何気なく振り返ったつくしは、とっさに顔がこわばった。

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「いいのよ。うちは全然構わないから」
つくしが美容院の予約をしたのは、前日のことだ。
たまたま予約が空いていたということで、即座にお願いをしたが、マンションに引っ越して来てからずっと同じ美容院なのは、ふらりと立ち寄れる雰囲気のある店だということもあるが、オーナーの人柄にも魅力を感じていたからだ。
オーナーは50歳くらいで以前は銀行員だったという女性。
デスクワークに明け暮れるだけの日々ではなく、もっと別のことがしたい。長時間デスクに座ってする仕事は自分には向いてないと銀行を辞めたのが30歳の頃だと言った。そしてそれから美容師の資格を取ったという変わり種だ。つまり、お金を数える毎日に飽きた。OLという生活が性に合わなかったということだ。
そしてその時一緒に言われたのが、
『だって他人のお金をいくら数えてもおもしろくないでしょ?それに銀行員にしてみればアレはただの紙切れでね。その紙切れのために私たちは一算互明(いっさんごめい)が当たり前で一円でも合わなかったら帰れないの』
午後3時にシャッターが下りると、窓口担当の行員にとって一番大変な仕事が待っているの。オーナーはそう言って話を継いだ。
『一算互明は銀行用語でね。行員はシャッターが下りると窓口で行った手続きが正しいかどうか確認する作業に入るの。お客様が書いた入出金額や振込み金額の数字と行員が処理した金額が合っているか確認して一回で合うことを一算ゴメイって言うのよ。それでね。合ったらゴメイですって窓口担当全員に聞こえるように言うの。その声を訊いてみんな今日は帰れるんだって思うの。それが聞えなければ、お金が合わないってことで帰れないって腹を括るってことね。それからそれが終ったらテレマーケティング。お客様にこんな商品がありますけど、どうですかって電話するの。それにノルマもあるしね。私は自分がそういった仕事に向いているとは思えなくなってね。だから銀行を辞めたの』
そういった話をしてくれたオーナーは独身だ。
そしてつくしも独身で実はオーナーが勤めていた銀行でローンを組んでマンションを買ったという話をしたとき、
『あらそうなの?凄い偶然ね?でも牧野さんがマンションを買った頃には私は銀行を辞めてたわ。それに私。同じ支店の男性と結婚を考えたことがあったの。でもタイミングが合わなかったって言うのかしら。それ以来ご縁はないけど、行員時代に溜めたお金でこうして小さいけど自分の店を持ったし、もうこの年になると髪結いの亭主、つまり妻の働きで養われる夫は必要ないわね』
と過去の自分の恋愛話をしてくれたことがあった。
「ねえ。牧野さん。ちょっと髪が痛んでるみたいだけど海外旅行とか行ったのかしら?」
オーナーは椅子に腰掛け、散髪用エプロンを着けた鏡の中のつくしに訊いた。
「え?分かるんですか?」
「ええ。毛先がパサついてるわね?どこか乾燥した場所へ行った?」
ニューヨークは乾燥した場所かと問われれば、日本のように湿度が高い国に比べれば乾燥していることは確かだがそうなのだろうか。
「出張でニューヨークへ行ってたんですけど、やっぱり痛んでますか?」
「そうねぇ。ニューヨークの水は軟水だからシャンプーで痛むことはないけど、やっぱり乾燥かしら。だって向うはもう夏でしょ?紫外線で傷みやすい季節だしね?それなりにケアしないとパサついちゃうのよ。牧野さんの髪はカラスの濡れ羽色のような黒髪だからお手入れはきちんとしなきゃ勿体ないわよ。髪は女の命だもの。それに髪は年を取ると痩せてくるのよ?でも今のうちからきちんとお手入れすれば、私くらいになってもこの黒髪を保てるわよ?それにしてもまだ染めなくても真っ黒なんて羨ましいわね。私なんて30歳を迎えた途端、白いものがチラホラ目立つようになってね?もう嫌になっちゃったわよ?でも牧野さんは全然見当たらないんだから羨ましいわ」
そんな他愛もない話をしながら、髪はカットされていくが、パーマを当てるでも染めもしないのだから1時間と少しで終わるのがつくしの美容院滞在時間だ。
「さあ、出来たわ。こうやってブローの最後に冷たい風を当てると艶が出るのよ?ほらね?これならシャンプーのコマーシャルに出れるわよ?」
シャンプーとコンディショナーにカットをしてブローした髪は、確かに艶が出て触ればツルリとした感触でパサついていた髪とは大違いだ。
「ねえ、牧野さん。このまま誰かとデートでもすればイチコロよ。男性はね。綺麗で清潔感のある髪に惹かれるものよ。だから牧野さんは染めたりパーマを当てるなんて言わないでね?これはあなたのヘアスタイリストからのお願いよ?」
『デートすればイチコロよ』
オーナーにそう言われウキウキした気持ちになると言ってはおかしいかもしれないが、実際つくしの心は弾んでいた。今まで髪型を気にしたことはなかったが、綺麗にしてもらうことがこんなにも心弾むものだとは思わなかった。
そしてこれから恋人に手料理をご馳走するのだから買い物をして帰ろうと、いつも立ち寄るスーパーへ足を向けあと少しというそのとき、横合いから声を掛けられた。
「牧野さん」
何気なく振り返ったつくしは、とっさに顔がこわばった。

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司*****E様
おはようございます^^
美容院に行って綺麗にしてもらって心が弾んでいます。
恋をするってそうなんですよね~。(遠い目)
そしてつくしの髪の傷みを見るヘアスタイリスト!
彼女はカリスマ美容師かもしれませんね?(笑)
そして声を掛けられ振り返ったそこにいた人は!
もうお話が進んでしまいましたので、お分かりですね?
そしてそろそろ…です。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
美容院に行って綺麗にしてもらって心が弾んでいます。
恋をするってそうなんですよね~。(遠い目)
そしてつくしの髪の傷みを見るヘアスタイリスト!
彼女はカリスマ美容師かもしれませんね?(笑)
そして声を掛けられ振り返ったそこにいた人は!
もうお話が進んでしまいましたので、お分かりですね?
そしてそろそろ…です。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.11 22:32 | 編集

H*様
えっ?引っ張ってる?(笑)
そんなつもりは無いんですが、一度に書ききる時間がなく、このような感じになっています^^
拍手コメント有難うございました^^
えっ?引っ張ってる?(笑)
そんなつもりは無いんですが、一度に書ききる時間がなく、このような感じになっています^^
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.11 22:34 | 編集

ふ******マ様
わはは(≧▽≦)来る人はアノ人だと思いましたか?
貞子と火曜サスペンスのテーマ曲!
はい。きっと来ます!(笑)
コメント有難うございました^^
わはは(≧▽≦)来る人はアノ人だと思いましたか?
貞子と火曜サスペンスのテーマ曲!
はい。きっと来ます!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.11 22:38 | 編集

優*様
こんにちは^^
読み逃げOKですのでお気になさらないで下さいませ。
さて、椿の娘であり司の姪の美奈。本当は心根の優しい女性のはず…。
そうですね。あの椿さんの娘ですからねぇ。
母はLAから乗り込んで来ますので、母と娘で何かあるのかないのか。
そして過分なお言葉。ありがとうございます。(低頭)
このようなお話ですが、楽しんでいただければ幸いです。
こちらこそ、いつもお読み頂き、ありがとうございます^^
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
読み逃げOKですのでお気になさらないで下さいませ。
さて、椿の娘であり司の姪の美奈。本当は心根の優しい女性のはず…。
そうですね。あの椿さんの娘ですからねぇ。
母はLAから乗り込んで来ますので、母と娘で何かあるのかないのか。
そして過分なお言葉。ありがとうございます。(低頭)
このようなお話ですが、楽しんでいただければ幸いです。
こちらこそ、いつもお読み頂き、ありがとうございます^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.11 22:40 | 編集

さ***ん様
イチコロ(≧◇≦)
アカシア昭和人間ですから、ごく普通に出てしまうんですね(笑)
なまはげ美奈(≧▽≦)
良い子のつくしが泣く前に司、早く来い!
そしてお前が泣け!(笑)
ええ。そうです泣くのはあの人です。
コメント有難うございました^^
イチコロ(≧◇≦)
アカシア昭和人間ですから、ごく普通に出てしまうんですね(笑)
なまはげ美奈(≧▽≦)
良い子のつくしが泣く前に司、早く来い!
そしてお前が泣け!(笑)
ええ。そうです泣くのはあの人です。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.11 22:44 | 編集
