ニューヨークから帰国した翌日は、はじめから休暇を申請していたこともあり、土日と組み合わせる事で3連休になった。
ゆっくり休めと言われたが、2週間も家を留守にするということは、それなりにすることがあるものだ。
冷蔵庫の中はからっぽで買い出しに出掛けなければならない。
郵便物に目を通し、荷物を整理して洗濯をしなければならない。
そして荷物の中からプレゼントされた靴を取り出して下駄箱の一番上の棚に置いた。
男性から靴をプレゼントされたことはない。いや、それ以前にこんなにも高価なプレゼントを贈られたことはなかった。いい靴は素敵な場所へ連れて行ってくれると言うが、この靴を贈られたことで何かが変わった。この靴は恋を運んで来てくれた。恋をする勇気を運んで来てくれた。
はじめての海外出張は、副社長に同行というもので、正直どうなるか不安があった。
何しろつくしの事を好きだといった副社長に対し、つくしはその気はないと返事をしていたからだ。だが心のありようは変化していった。人を好きになるという感情は、ゆっくりと湧き上がって来るものだと思っていた。けれど突然嵐の中に投げ出されたように恋におちた。
だがこの恋は永遠の恋ではない。
いつか終わりを迎える恋だと分かっている恋だ。
だからある日突然終焉を迎えても驚きはしないが、それが今ではないことだけは確かだと思う。何しろ恋ははじまったばかりなのだから。
帰国した昨夜は一緒に夕食を済ませるとマンションまで送られた。
そしてスーツケースを部屋まで運ぼうと言われたが断わった。
何を遠慮していると言われたが、遠慮もする。黒い長い車がマンションの前に止まる意味は大きいからだ。
何しろごく普通と言われる収入で暮らす人間が住むマンションは、リムジンが停車するマンションではない。それにスーツケースを運ぶのがボディガードで、黒いスーツの人間がつくしの後を付いて歩く姿を住人の誰かに見られることは、何らかの誤解を与えるような気がしていたからだ。だから運ばなくていいと言った。だが遠慮するなと何度も言われたが、なんとか断った。
そしてつくしは、昨夜帰宅したとき、ポストの中に管理人の桐山から荷物を預かっているという知らせを目にした。だが桐山が管理室にいる時間は終わっていて、翌朝こうして管理室を訪ねたが桐山の姿はなかった。
もしかするとマンション内の巡回に出ているのかと思った。だがエントランスの外に目をやると、土で汚れた玄関をホースで水を撒きながら掃除をしている桐山の姿があった。
「おはようございます桐山さん。すみません。荷物を預かっていただいているそうですが取りに参りました」
つくしは、外へ出ると桐山に声をかけた。
すると桐山は、「おはようございます。ああ。あれですね?ちょっと待って下さいね」と言ってホースの水栓を止め管理室へ入ると、「ああこれだ」と言って通販会社から届いた箱を手に戻って来たが、それはニューヨーク出張に出かける前にインターネットで注文していたフライパンだった。
『このフライパンであなたも料理上手になれます!』がうたい文句のフライパンは、人気商品のためお届けには時間がかかりますと書かれていたが、どうやら2週間以内に届いたようだ。
桐山には暫く留守にしますとだけ伝えていて、ニューヨークへ行くとは言わなかったが、女性の独り暮らしともなれば、日頃から何かと世話になっていることもあり、ニューヨークへ行っていたと告げ土産として買っていたチョコレートの箱を渡した。
「これはどうも。私にまでわざわざありがとうございます。ニューヨークですか。私も若い頃は仕事で何度か行ったことがありますので懐かしいですね」
つくしは桐山のその発言に、おやっと思った。
桐山はマンションの管理人をしているが、ずっとこの仕事をしていたと言う訳ではないようだ。だが誰にでも人生の転機はある。桐山のはっきりとした年齢は知らないが、30代後半から40代前半の男性はかつてビジネススーツを着て、颯爽とあの街を歩いていたことがあるのだろうか。だが本人が言わない限り聞くことは憚られた。
けれど桐山は、そんなつくしの思いを読み取ったのか口を開いた。
「私は以前半導体を開発する企業で働いていたことがあるんです。本社はカリフォルニアでしたが、ニューヨークにも足を運ぶことが多かったんです」
その答えにますます驚いた。
半導体を開発していた人間がマンションの管理人に転職したことが悪いとは言わないが、その意外性に驚いた。つまり桐山は理工系の人間で、かつて半導体を開発する会社に勤務していて、本社がカリフォルニアにあるということは、アメリカに住んでいた可能性があるということだ。つくしは、つい好奇心から訊いていた。
「あの、桐山さんってアメリカに住んでいたことがあるんですか?」
「ええ。住んでましたよ」
桐山は、管理人をしている自分の経歴が興味を引くと分かっていたのか。それとも以前にも別の誰かに同じように不思議な顔をされたのか。短く答えた。そして言葉を継いだ。
「不思議に思われたんですよね?どうして半導体の開発をしていた人間がマンションの管理人なのかを。でも人生とはそういったものです」と言って笑った。
そしてチョコレートありがとうございます。と礼を言い、掃除に戻っていった。
『人生とはそういったものです』
確かに人生は何が起こるか分からないものだ。
つくしは、届いたフライパンの箱を抱えエレベーターが降りて来るのを待ちながら思考を巡らせていた。
2週間前なら考えられなかったことだが、つくしは道明寺司と付き合い始めた。
そしてふと思ったのは、もしかするとこのフライパンで手料理を作る可能性もあるということだ。
だが冷静に考えてみればそれはないだろう。
生まれながらの美食家といった言葉が似合う男が、つくしが作った料理を食べたいと思うだろうか。
いや。思わないはずだ。
それにつくしの料理の腕で舌の肥えた男を満足させることが出来るかと言えば、正直なところ自信がない。
だがそれでも作ってあげたいと思っていた。
昨日の夜、食べている間に交わす会話は楽しかった。
もぐもぐと食べるのはもっぱらつくしの方だったが、好きな男性と食事をする楽しさは格別だと感じた。
いつだったか、テレビ番組で長年連れ添った夫婦が食事をする様子が映し出されていた。
その光景は何年も一緒にいた夫婦にしか分からない目に見えない何かを感じさせる光景。
こたつに入った夫婦が土鍋をつついている姿を微笑ましいと思えた。
今はまだ鍋のシーズンではないが、いつか一緒に鍋をつつくことが出来ればと願うことが我儘だとは思えなかった。
それでも、道明寺司がエノキダケを箸でつまんでふぅふぅと息を吹きかけている姿を想像すると笑いが込み上げた。

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ゆっくり休めと言われたが、2週間も家を留守にするということは、それなりにすることがあるものだ。
冷蔵庫の中はからっぽで買い出しに出掛けなければならない。
郵便物に目を通し、荷物を整理して洗濯をしなければならない。
そして荷物の中からプレゼントされた靴を取り出して下駄箱の一番上の棚に置いた。
男性から靴をプレゼントされたことはない。いや、それ以前にこんなにも高価なプレゼントを贈られたことはなかった。いい靴は素敵な場所へ連れて行ってくれると言うが、この靴を贈られたことで何かが変わった。この靴は恋を運んで来てくれた。恋をする勇気を運んで来てくれた。
はじめての海外出張は、副社長に同行というもので、正直どうなるか不安があった。
何しろつくしの事を好きだといった副社長に対し、つくしはその気はないと返事をしていたからだ。だが心のありようは変化していった。人を好きになるという感情は、ゆっくりと湧き上がって来るものだと思っていた。けれど突然嵐の中に投げ出されたように恋におちた。
だがこの恋は永遠の恋ではない。
いつか終わりを迎える恋だと分かっている恋だ。
だからある日突然終焉を迎えても驚きはしないが、それが今ではないことだけは確かだと思う。何しろ恋ははじまったばかりなのだから。
帰国した昨夜は一緒に夕食を済ませるとマンションまで送られた。
そしてスーツケースを部屋まで運ぼうと言われたが断わった。
何を遠慮していると言われたが、遠慮もする。黒い長い車がマンションの前に止まる意味は大きいからだ。
何しろごく普通と言われる収入で暮らす人間が住むマンションは、リムジンが停車するマンションではない。それにスーツケースを運ぶのがボディガードで、黒いスーツの人間がつくしの後を付いて歩く姿を住人の誰かに見られることは、何らかの誤解を与えるような気がしていたからだ。だから運ばなくていいと言った。だが遠慮するなと何度も言われたが、なんとか断った。
そしてつくしは、昨夜帰宅したとき、ポストの中に管理人の桐山から荷物を預かっているという知らせを目にした。だが桐山が管理室にいる時間は終わっていて、翌朝こうして管理室を訪ねたが桐山の姿はなかった。
もしかするとマンション内の巡回に出ているのかと思った。だがエントランスの外に目をやると、土で汚れた玄関をホースで水を撒きながら掃除をしている桐山の姿があった。
「おはようございます桐山さん。すみません。荷物を預かっていただいているそうですが取りに参りました」
つくしは、外へ出ると桐山に声をかけた。
すると桐山は、「おはようございます。ああ。あれですね?ちょっと待って下さいね」と言ってホースの水栓を止め管理室へ入ると、「ああこれだ」と言って通販会社から届いた箱を手に戻って来たが、それはニューヨーク出張に出かける前にインターネットで注文していたフライパンだった。
『このフライパンであなたも料理上手になれます!』がうたい文句のフライパンは、人気商品のためお届けには時間がかかりますと書かれていたが、どうやら2週間以内に届いたようだ。
桐山には暫く留守にしますとだけ伝えていて、ニューヨークへ行くとは言わなかったが、女性の独り暮らしともなれば、日頃から何かと世話になっていることもあり、ニューヨークへ行っていたと告げ土産として買っていたチョコレートの箱を渡した。
「これはどうも。私にまでわざわざありがとうございます。ニューヨークですか。私も若い頃は仕事で何度か行ったことがありますので懐かしいですね」
つくしは桐山のその発言に、おやっと思った。
桐山はマンションの管理人をしているが、ずっとこの仕事をしていたと言う訳ではないようだ。だが誰にでも人生の転機はある。桐山のはっきりとした年齢は知らないが、30代後半から40代前半の男性はかつてビジネススーツを着て、颯爽とあの街を歩いていたことがあるのだろうか。だが本人が言わない限り聞くことは憚られた。
けれど桐山は、そんなつくしの思いを読み取ったのか口を開いた。
「私は以前半導体を開発する企業で働いていたことがあるんです。本社はカリフォルニアでしたが、ニューヨークにも足を運ぶことが多かったんです」
その答えにますます驚いた。
半導体を開発していた人間がマンションの管理人に転職したことが悪いとは言わないが、その意外性に驚いた。つまり桐山は理工系の人間で、かつて半導体を開発する会社に勤務していて、本社がカリフォルニアにあるということは、アメリカに住んでいた可能性があるということだ。つくしは、つい好奇心から訊いていた。
「あの、桐山さんってアメリカに住んでいたことがあるんですか?」
「ええ。住んでましたよ」
桐山は、管理人をしている自分の経歴が興味を引くと分かっていたのか。それとも以前にも別の誰かに同じように不思議な顔をされたのか。短く答えた。そして言葉を継いだ。
「不思議に思われたんですよね?どうして半導体の開発をしていた人間がマンションの管理人なのかを。でも人生とはそういったものです」と言って笑った。
そしてチョコレートありがとうございます。と礼を言い、掃除に戻っていった。
『人生とはそういったものです』
確かに人生は何が起こるか分からないものだ。
つくしは、届いたフライパンの箱を抱えエレベーターが降りて来るのを待ちながら思考を巡らせていた。
2週間前なら考えられなかったことだが、つくしは道明寺司と付き合い始めた。
そしてふと思ったのは、もしかするとこのフライパンで手料理を作る可能性もあるということだ。
だが冷静に考えてみればそれはないだろう。
生まれながらの美食家といった言葉が似合う男が、つくしが作った料理を食べたいと思うだろうか。
いや。思わないはずだ。
それにつくしの料理の腕で舌の肥えた男を満足させることが出来るかと言えば、正直なところ自信がない。
だがそれでも作ってあげたいと思っていた。
昨日の夜、食べている間に交わす会話は楽しかった。
もぐもぐと食べるのはもっぱらつくしの方だったが、好きな男性と食事をする楽しさは格別だと感じた。
いつだったか、テレビ番組で長年連れ添った夫婦が食事をする様子が映し出されていた。
その光景は何年も一緒にいた夫婦にしか分からない目に見えない何かを感じさせる光景。
こたつに入った夫婦が土鍋をつついている姿を微笑ましいと思えた。
今はまだ鍋のシーズンではないが、いつか一緒に鍋をつつくことが出来ればと願うことが我儘だとは思えなかった。
それでも、道明寺司がエノキダケを箸でつまんでふぅふぅと息を吹きかけている姿を想像すると笑いが込み上げた。

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通***り様
いつもお読み頂きありがとうございます。
このまま幸せに....
そうですよねぇ。遅い恋をした女は、この恋を楽しみたいと言っています。
それを壊さないで欲しいですね?
そして隆信の浮気相手はお隣さんなのか。
それとも別の誰かなのか。もう少しお付き合い下さいませ。
コメント有難うございました^^
いつもお読み頂きありがとうございます。
このまま幸せに....
そうですよねぇ。遅い恋をした女は、この恋を楽しみたいと言っています。
それを壊さないで欲しいですね?
そして隆信の浮気相手はお隣さんなのか。
それとも別の誰かなのか。もう少しお付き合い下さいませ。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.02 23:01 | 編集

司*****E様
おはようございます^^
久し振りの我が家にひと息ついているつくし。
留守中に届いていたフライパンを手に頭を過ったのは、このフライパンで調理したものを司に食べさせてあげる日が来るのかということ。そして鍋を二人でつつく姿も想像してみたり....。
恋が始まったばかりの頃は、色々と考えるんですよね。
たとえその恋が永遠に続くものではないとしても、今を生きることにした女は前向きです。
さて、マンション管理人の桐山。
何かひっかかりますか(笑)
そして美奈のことを気にする司は、早く真相を掴まなくては自分が嘘をついてつくしに近づいたことがバレてしまいます!
今頃彼は何をしているのでしょうねぇ..。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
久し振りの我が家にひと息ついているつくし。
留守中に届いていたフライパンを手に頭を過ったのは、このフライパンで調理したものを司に食べさせてあげる日が来るのかということ。そして鍋を二人でつつく姿も想像してみたり....。
恋が始まったばかりの頃は、色々と考えるんですよね。
たとえその恋が永遠に続くものではないとしても、今を生きることにした女は前向きです。
さて、マンション管理人の桐山。
何かひっかかりますか(笑)
そして美奈のことを気にする司は、早く真相を掴まなくては自分が嘘をついてつくしに近づいたことがバレてしまいます!
今頃彼は何をしているのでしょうねぇ..。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.02 23:13 | 編集

さ***ん様
予想は.....。
答えを言いたいのですが言えません!
もう少し待って下さい!
エノキダケを箸でつまみふぅふぅとする男を想像しながらお待ち下さい!(≧◇≦)
ふにゃっとしたエノキダケですが、司の口に入ると別の物に変化しそうな気もしますが、そうなると御曹司です!(≧▽≦)
色々あってもお口にチャックです。
コメント有難うございました^^
予想は.....。
答えを言いたいのですが言えません!
もう少し待って下さい!
エノキダケを箸でつまみふぅふぅとする男を想像しながらお待ち下さい!(≧◇≦)
ふにゃっとしたエノキダケですが、司の口に入ると別の物に変化しそうな気もしますが、そうなると御曹司です!(≧▽≦)
色々あってもお口にチャックです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.07.02 23:25 | 編集
