ヨーロッパから戻った司は本来なら会社に立ち寄ることなくマンションに帰るつもりでいた。だが美奈が調査員を牧野つくしのマンションに張り付かせ、女の行動を監視させていると訊かされ、自分が何もしなければまた姪が何かすると分かっていた。
何しろ1億の小切手を持ち、夫と別れてくれと直談判に行った姪は行動的なのだから。
姪の美奈は、成績は抜群な上に椿に似た容姿だったこともあり、傍目には申し分のない少女だったが、裡に秘めた想いというものは一旦燃え上がると誰も止めることが出来ないと言われる性格の持ち主だ。そんなとき瞳の中に激しい気性といったものを見ることが出来るが、それはまさに道明寺の血筋であり、姉椿から美奈に受け継がれていた。
そんな姪だからこそ18歳で白石隆信と結婚することを母親の椿に認めさせたが、結婚後たった1年で浮気をされたばかりに、姪の情熱の炎というものが、悪い方向へ行ってしまわないためにも、叔父である司が彼女の頼みを訊き動くことにしたのだが、3週間不在の間に美奈の気に入らない何かあったということなのか。どちらにしても、美奈には悪かったと思っている。
そして牧野つくしを自分の手の内である道明寺で仕事をさせれば、行動の全てが把握出来るはずだったが、女は誰の目にも触れることなく美奈の夫と会っていたのか。
だがそれも今後はないはずだ。
司は美奈の願いである牧野つくしを落とすことをたった今から始めるつもりだ。
牧野つくしはいるか?の声にパーテーションの向うから現れたのは、白衣の女。
「道明寺副社長?!」
驚いた声を上げた医師は道明寺の勤務医として長い勤務歴を持つ。
だが、NYから帰国して1年になる男が医務室を訪れたことは一度もなく、それに会社の重責を担う男に年に何度かの健康診断が義務つけられているとしても、医務室に勤務する女医である彼女が健診をすることなどなく、道明寺系列の病院で高名な医師の手によって行われていた。だからこうして医務室に現れた司に心配そうに口を開いた。
「….あの。何かありましたか?」
もしかすると体調が悪いのか。だからその思いをそのまま口にした。
「いや。俺じゃない。ここに牧野つくしがいるはずだが?」
「ええ。牧野さんならいらっしゃいますよ?食堂で倒れここに運ばれてきましたから。それからずっと眠っていらっしゃいましたけどただの貧血で問題はありません」
女医はどこかホッとしたような声色になった。
それは彼女が一を聞いて十を知るタイプの人間で司が訊きたかった答えを即座に理解して答えたからだ。
何しろ副社長は無駄話が嫌いだと訊く。そしてすべての物事は結果さえ知ることが出来ればそれで充分といった考え方だという。そもそもビジネスというものは最終的に勝つか負けるかの勝負であり結果が全て。今はまさにその結果ではないが、医務室に足を運んだ男の目的がひとつであることは、開口一番の言葉で全て表されていたからだ。だから医師は即座に男が求めている答えを口にした。
「そうか。それで牧野は?まだ眠っているのか?」
低い声はパーテーションの向うにいる女の耳にも届いた。
だからつくしは上着に片腕しか通していなかったが、急いでもう片方に腕を通しパーテーションの向うへ飛び出し頭を下げた。
「牧野です。副社長お帰りなさいませ。ヨーロッパ出張お疲れさまでした」
司は空港から社に着き執務室へ足を向けた後、数階下にあるエネルギー事業部 石油・ガス開発部別室へ足を運んだが、そこに牧野つくしはいなかった。
佐々木から聞かされたのは、牧野つくしが社員食堂でトレーを持ったまま突然倒れ、そのまま医務室に運び込まれたということ。医師からは単なる貧血だから目が覚めるまでこのまま寝かせておくと言われたということ。
そして最後に訊かされたのは、牧野さんここ何日か顔色が悪かったので心配していたんですの言葉。
司は眉をひそめ考えたがその言葉が想像させるのは、牧野つくしが夜誰かと会っていたから寝てないということ。そしてその相手は美奈の夫であるということ。
突然倒れた理由が貧血だというのは、もしかすると牧野つくしは美奈の夫の子供を妊娠したのかもしれないということ。
そのことに嫌悪を感じたが、なるべく自然に見える表情で言った。
だが司の表情で自然に見える表情と言えば無表情だがその無表情が口を開いた。
「牧野。今日はもういい。送って行くから支度しろ」
「え?」
「俺も丁度帰るところだ。だから乗って行け。そんなふらついている身体で電車は無理だ。行くぞ」
相手の返事も訊かず行くぞと言った男は、彼が行くぞと言えば女は黙って付いて来るのか当たり前だ。だが背を向けた男に向かって放たれた言葉は意外な言葉。
「あの。副社長のお気持ちは嬉しいんですが大丈夫ですから。副社長にご迷惑をかける訳にはいきません。それにもう大丈夫ですから電車で帰れます」
つくしが乗る電車は36分かけ自宅であるマンション近くの駅に着く。
電車のいいところは、何も考えなくても乗っていれば目的地へと連れていってくれること。
そして駅からは15分歩くが普段なら何も気にならない。
だが長い時間寝て目が覚めた時は身体の中心が重く力が入らないと感じていたが、今はふわふわとして地に足が着かない。腰から下の力がすっかり抜けている感じがしていた。だがだからといって副社長の好意に甘える訳にはいかない。
いや好意以前に狭い車内で知らない人と一緒にではないにしても、副社長と同じ車に乗るなどとんでもない話だ。それに何故自分を送って行こうなどと思ったのか。理由を知りたいと思った。
つくしの言葉に振り向いた司は、女と目が合った。
大きな黒い瞳は真摯な色を浮かべ司を見ていた。だが直ぐにその瞳が閉じられ、ぐらりと身体が傾き何かで身体を支えようと手を伸ばしだが傍に掴むものはなく、目眩を起した女の身体を支えたのは司だった。
「おっとあぶねぇ」
「牧野さん!」
司と同時に声をかけた医師は、もう少しここで休んだ方がいいわね。それから帰りはタクシーを使った方がいいわと言い、どうぞこちらへと言って再びつくしをベッドへ寝かせるように言ったが司は断った。
「こいつは俺が病院に連れていく。その方がよさそうだ。それから送って行く」
司が言うと医師は時計を確認し、すでに受付けは終了しているが財閥系の病院であり、勤務医からの連絡があれば受診できるからと「ではこれから社員が行くと連絡を入れます」と病院へ連絡をしようとしたが司は止めた。電話などしなくても司が行けばいつでも受診出来るからだ。だがそれと同時に倒れかけた身体を支えられたつくしも口を開いた。
「あの。大丈夫ですから。ただの貧血だと言われましたし、本当に大丈夫です。あの…タクシーで帰りますから大丈夫です」
だがそうは言ったがタクシーに乗るつもりはない。
だが副社長の車で送られるならタクシーに乗った方がいい。
それにここにいる医者に貧血だと言われたのだから病院に行く必要はないはずだ。
「いや。俺が病院に連れていく。その後は俺が責任を持って送って行くから心配するな」
司は言うといきなりつくしの身体を抱き上げた。
身体がふわりと持ち上げられた瞬間。つくしの身体は揺れたが、それは一瞬のことでそこから先は全く揺れを感じなかった。だが身体が思うように動かないことは確かで、まるで地の底に背中を横たえているように感じられた。だがなんとかして目を開けたが、ぼんやりとした視界の中に男性の顔が見えるだけで音は聞こえなかった。
そして見上げる男性が下を向き何か口にしたが、その声は水の向うから発せられた声のようにくぐもって聞え何を言っているのか分からなかったが、訊き返すことも出来ず目を閉じると何も聞こえなくなった。
「副社長。本当に病院へお連れするのですか?」
西田は目の前の座席で横になり眠っている女を見た。
いびきはかいてはいないが、小さな寝息が規則正しく聞こえ、少々のことでは全く起きそうにない。そして司は西田から受け取った女の鞄の中を確かめていた。
それはブランドものではないシンプルな茶色い革の鞄。
「ああ。そのつもりだ。医者はただの貧血だと言ったがこの女が妊娠しているのか確かめる」
司はそうは言って自分の隣で軽く寝息を立てている女に視線を向けたが、実際問題もし牧野つくしが妊娠しているならこの女は産むつもりでいるのか。それともそのつもりはないのか。
どちらにしても、そのことを美奈が知ったとき、どういった態度に出るのか。
だが美奈が夫の不倫相手に子供が出来たことを理由に別れるというなら、それでもいいではないか。何も白石隆信に執着などしなくとも男ならいくらでもいる。
それに美奈ほどの美貌と財産を持つ女ならいくらでも男は見つかるはずだ。しかし美奈の口振りからすれば、別れることはないだろう。だがそうなると話がややこしくなる。
司は牧野つくしの鞄の中から目当てのものを見つけると開いた。
それは女の手帳。だがそこに白石の名前はなかった。だが白石と書かれていないだけで他の文字、もしくは名前で記されているのかもしれない。
そして次に取り出したのは携帯電話。ロックは掛かっておらず見ることが出来たが、そこにも白石という名前はない。だがそれも他人名義で登録されている可能性もあるが、白石の名に繋がるものを見つけることは出来なかった。
財布、手帳、ペン、携帯電話、キーケース。
ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチ、折り畳み傘。
飴、口の中に清涼感が感じられるミントタブ。
そして小さく折り畳まれたナイロン製の袋。
司は女の鞄の中というものは、こういったものが入っていたのかと初めて知った。
***
それにしても、何故自分がここでこうして副社長と食事をしているのか分からなかった。
自腹なら絶対に来ることのない高級鉄板焼きの店。
周囲を見回したが上品な店の雰囲気は、桜子と行く焼き肉屋とは雲泥の差で流れる音楽はクラッシック。そんな中、目の前の鉄板で焼かれた大きなステーキ肉が切り分けられ皿に盛られれば、ナイフとフォークではなく、箸を使い口に運んでいたが、柔らかすぎて噛む必要がない肉は、最高級の黒毛和牛で今まで想像したことすらなかった味がした。
そして一緒に出された野菜は長野県産ですと言われ、思わずシェフの目を見つめうちの弟が長野の農協に勤めてますと言いそうになったが、口角を緩く上げ笑みを返された。
二度目に気を失ったつくしが目覚めたとき、そこは車の中で隣は副社長。向かいの席には秘書の西田が座り、二人ともつくしのことは気にしていなとばかり手元の書類に目を落としていた。
そして病院に向かっていると言われ、検査をして貰えと言われたが、ただの貧血でここまでする副社長の意図が分からなかったが、断ることは出来なかった。
なにしろ、車を降りた途端、つくしの前に並んでいたのは道明寺系列の病院の医院長と副院長。事務長、診療部長という面々。そんな人物に念のために検査をしましょうと言われれば、断わることなど出来ず、大人しく診察を受けたが、やはり結果は貧血であり、他にどこも異常はないと言われホッとした。
そして、ここで途切れがちの会話をする理由を見つけるため箸を置き、思考を巡らせ隣に座る男に視線を向けた。
「あの…..副社長。お伺いしたいことがあるのですが….」
「なんだ?」
「どうして私たちは一緒に食事をしているのでしょうか?」
「どうしてだと思う?」
「さ、さあ…..」
思ったことがそのまま口をついたが、それが正直な気持ちだ。
「牧野。お前は貧血だと言われた。貧血と言われれば肉だろ?いいから喰え」
ワイングラスに手を伸ばした男は結構な量を流し込んでいるはずだが、全く酔っている気配はない。それはワインなど水だといった飲みっぷりだ。
そして爽やかな笑みと言うのだろうか。
そんな笑みを向けられれば、桜子の話ではないが、この男性が十分に魅力的でモテる理由が分かったような気がする。だがその笑みを向けられる理由というのが今ひとつ理解出来なかったが、普段食べることが出来ない肉を喰えと言われれば有難くいただこうと思い、置いていた箸を取った。

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何しろ1億の小切手を持ち、夫と別れてくれと直談判に行った姪は行動的なのだから。
姪の美奈は、成績は抜群な上に椿に似た容姿だったこともあり、傍目には申し分のない少女だったが、裡に秘めた想いというものは一旦燃え上がると誰も止めることが出来ないと言われる性格の持ち主だ。そんなとき瞳の中に激しい気性といったものを見ることが出来るが、それはまさに道明寺の血筋であり、姉椿から美奈に受け継がれていた。
そんな姪だからこそ18歳で白石隆信と結婚することを母親の椿に認めさせたが、結婚後たった1年で浮気をされたばかりに、姪の情熱の炎というものが、悪い方向へ行ってしまわないためにも、叔父である司が彼女の頼みを訊き動くことにしたのだが、3週間不在の間に美奈の気に入らない何かあったということなのか。どちらにしても、美奈には悪かったと思っている。
そして牧野つくしを自分の手の内である道明寺で仕事をさせれば、行動の全てが把握出来るはずだったが、女は誰の目にも触れることなく美奈の夫と会っていたのか。
だがそれも今後はないはずだ。
司は美奈の願いである牧野つくしを落とすことをたった今から始めるつもりだ。
牧野つくしはいるか?の声にパーテーションの向うから現れたのは、白衣の女。
「道明寺副社長?!」
驚いた声を上げた医師は道明寺の勤務医として長い勤務歴を持つ。
だが、NYから帰国して1年になる男が医務室を訪れたことは一度もなく、それに会社の重責を担う男に年に何度かの健康診断が義務つけられているとしても、医務室に勤務する女医である彼女が健診をすることなどなく、道明寺系列の病院で高名な医師の手によって行われていた。だからこうして医務室に現れた司に心配そうに口を開いた。
「….あの。何かありましたか?」
もしかすると体調が悪いのか。だからその思いをそのまま口にした。
「いや。俺じゃない。ここに牧野つくしがいるはずだが?」
「ええ。牧野さんならいらっしゃいますよ?食堂で倒れここに運ばれてきましたから。それからずっと眠っていらっしゃいましたけどただの貧血で問題はありません」
女医はどこかホッとしたような声色になった。
それは彼女が一を聞いて十を知るタイプの人間で司が訊きたかった答えを即座に理解して答えたからだ。
何しろ副社長は無駄話が嫌いだと訊く。そしてすべての物事は結果さえ知ることが出来ればそれで充分といった考え方だという。そもそもビジネスというものは最終的に勝つか負けるかの勝負であり結果が全て。今はまさにその結果ではないが、医務室に足を運んだ男の目的がひとつであることは、開口一番の言葉で全て表されていたからだ。だから医師は即座に男が求めている答えを口にした。
「そうか。それで牧野は?まだ眠っているのか?」
低い声はパーテーションの向うにいる女の耳にも届いた。
だからつくしは上着に片腕しか通していなかったが、急いでもう片方に腕を通しパーテーションの向うへ飛び出し頭を下げた。
「牧野です。副社長お帰りなさいませ。ヨーロッパ出張お疲れさまでした」
司は空港から社に着き執務室へ足を向けた後、数階下にあるエネルギー事業部 石油・ガス開発部別室へ足を運んだが、そこに牧野つくしはいなかった。
佐々木から聞かされたのは、牧野つくしが社員食堂でトレーを持ったまま突然倒れ、そのまま医務室に運び込まれたということ。医師からは単なる貧血だから目が覚めるまでこのまま寝かせておくと言われたということ。
そして最後に訊かされたのは、牧野さんここ何日か顔色が悪かったので心配していたんですの言葉。
司は眉をひそめ考えたがその言葉が想像させるのは、牧野つくしが夜誰かと会っていたから寝てないということ。そしてその相手は美奈の夫であるということ。
突然倒れた理由が貧血だというのは、もしかすると牧野つくしは美奈の夫の子供を妊娠したのかもしれないということ。
そのことに嫌悪を感じたが、なるべく自然に見える表情で言った。
だが司の表情で自然に見える表情と言えば無表情だがその無表情が口を開いた。
「牧野。今日はもういい。送って行くから支度しろ」
「え?」
「俺も丁度帰るところだ。だから乗って行け。そんなふらついている身体で電車は無理だ。行くぞ」
相手の返事も訊かず行くぞと言った男は、彼が行くぞと言えば女は黙って付いて来るのか当たり前だ。だが背を向けた男に向かって放たれた言葉は意外な言葉。
「あの。副社長のお気持ちは嬉しいんですが大丈夫ですから。副社長にご迷惑をかける訳にはいきません。それにもう大丈夫ですから電車で帰れます」
つくしが乗る電車は36分かけ自宅であるマンション近くの駅に着く。
電車のいいところは、何も考えなくても乗っていれば目的地へと連れていってくれること。
そして駅からは15分歩くが普段なら何も気にならない。
だが長い時間寝て目が覚めた時は身体の中心が重く力が入らないと感じていたが、今はふわふわとして地に足が着かない。腰から下の力がすっかり抜けている感じがしていた。だがだからといって副社長の好意に甘える訳にはいかない。
いや好意以前に狭い車内で知らない人と一緒にではないにしても、副社長と同じ車に乗るなどとんでもない話だ。それに何故自分を送って行こうなどと思ったのか。理由を知りたいと思った。
つくしの言葉に振り向いた司は、女と目が合った。
大きな黒い瞳は真摯な色を浮かべ司を見ていた。だが直ぐにその瞳が閉じられ、ぐらりと身体が傾き何かで身体を支えようと手を伸ばしだが傍に掴むものはなく、目眩を起した女の身体を支えたのは司だった。
「おっとあぶねぇ」
「牧野さん!」
司と同時に声をかけた医師は、もう少しここで休んだ方がいいわね。それから帰りはタクシーを使った方がいいわと言い、どうぞこちらへと言って再びつくしをベッドへ寝かせるように言ったが司は断った。
「こいつは俺が病院に連れていく。その方がよさそうだ。それから送って行く」
司が言うと医師は時計を確認し、すでに受付けは終了しているが財閥系の病院であり、勤務医からの連絡があれば受診できるからと「ではこれから社員が行くと連絡を入れます」と病院へ連絡をしようとしたが司は止めた。電話などしなくても司が行けばいつでも受診出来るからだ。だがそれと同時に倒れかけた身体を支えられたつくしも口を開いた。
「あの。大丈夫ですから。ただの貧血だと言われましたし、本当に大丈夫です。あの…タクシーで帰りますから大丈夫です」
だがそうは言ったがタクシーに乗るつもりはない。
だが副社長の車で送られるならタクシーに乗った方がいい。
それにここにいる医者に貧血だと言われたのだから病院に行く必要はないはずだ。
「いや。俺が病院に連れていく。その後は俺が責任を持って送って行くから心配するな」
司は言うといきなりつくしの身体を抱き上げた。
身体がふわりと持ち上げられた瞬間。つくしの身体は揺れたが、それは一瞬のことでそこから先は全く揺れを感じなかった。だが身体が思うように動かないことは確かで、まるで地の底に背中を横たえているように感じられた。だがなんとかして目を開けたが、ぼんやりとした視界の中に男性の顔が見えるだけで音は聞こえなかった。
そして見上げる男性が下を向き何か口にしたが、その声は水の向うから発せられた声のようにくぐもって聞え何を言っているのか分からなかったが、訊き返すことも出来ず目を閉じると何も聞こえなくなった。
「副社長。本当に病院へお連れするのですか?」
西田は目の前の座席で横になり眠っている女を見た。
いびきはかいてはいないが、小さな寝息が規則正しく聞こえ、少々のことでは全く起きそうにない。そして司は西田から受け取った女の鞄の中を確かめていた。
それはブランドものではないシンプルな茶色い革の鞄。
「ああ。そのつもりだ。医者はただの貧血だと言ったがこの女が妊娠しているのか確かめる」
司はそうは言って自分の隣で軽く寝息を立てている女に視線を向けたが、実際問題もし牧野つくしが妊娠しているならこの女は産むつもりでいるのか。それともそのつもりはないのか。
どちらにしても、そのことを美奈が知ったとき、どういった態度に出るのか。
だが美奈が夫の不倫相手に子供が出来たことを理由に別れるというなら、それでもいいではないか。何も白石隆信に執着などしなくとも男ならいくらでもいる。
それに美奈ほどの美貌と財産を持つ女ならいくらでも男は見つかるはずだ。しかし美奈の口振りからすれば、別れることはないだろう。だがそうなると話がややこしくなる。
司は牧野つくしの鞄の中から目当てのものを見つけると開いた。
それは女の手帳。だがそこに白石の名前はなかった。だが白石と書かれていないだけで他の文字、もしくは名前で記されているのかもしれない。
そして次に取り出したのは携帯電話。ロックは掛かっておらず見ることが出来たが、そこにも白石という名前はない。だがそれも他人名義で登録されている可能性もあるが、白石の名に繋がるものを見つけることは出来なかった。
財布、手帳、ペン、携帯電話、キーケース。
ハンカチ、ティッシュ、化粧ポーチ、折り畳み傘。
飴、口の中に清涼感が感じられるミントタブ。
そして小さく折り畳まれたナイロン製の袋。
司は女の鞄の中というものは、こういったものが入っていたのかと初めて知った。
***
それにしても、何故自分がここでこうして副社長と食事をしているのか分からなかった。
自腹なら絶対に来ることのない高級鉄板焼きの店。
周囲を見回したが上品な店の雰囲気は、桜子と行く焼き肉屋とは雲泥の差で流れる音楽はクラッシック。そんな中、目の前の鉄板で焼かれた大きなステーキ肉が切り分けられ皿に盛られれば、ナイフとフォークではなく、箸を使い口に運んでいたが、柔らかすぎて噛む必要がない肉は、最高級の黒毛和牛で今まで想像したことすらなかった味がした。
そして一緒に出された野菜は長野県産ですと言われ、思わずシェフの目を見つめうちの弟が長野の農協に勤めてますと言いそうになったが、口角を緩く上げ笑みを返された。
二度目に気を失ったつくしが目覚めたとき、そこは車の中で隣は副社長。向かいの席には秘書の西田が座り、二人ともつくしのことは気にしていなとばかり手元の書類に目を落としていた。
そして病院に向かっていると言われ、検査をして貰えと言われたが、ただの貧血でここまでする副社長の意図が分からなかったが、断ることは出来なかった。
なにしろ、車を降りた途端、つくしの前に並んでいたのは道明寺系列の病院の医院長と副院長。事務長、診療部長という面々。そんな人物に念のために検査をしましょうと言われれば、断わることなど出来ず、大人しく診察を受けたが、やはり結果は貧血であり、他にどこも異常はないと言われホッとした。
そして、ここで途切れがちの会話をする理由を見つけるため箸を置き、思考を巡らせ隣に座る男に視線を向けた。
「あの…..副社長。お伺いしたいことがあるのですが….」
「なんだ?」
「どうして私たちは一緒に食事をしているのでしょうか?」
「どうしてだと思う?」
「さ、さあ…..」
思ったことがそのまま口をついたが、それが正直な気持ちだ。
「牧野。お前は貧血だと言われた。貧血と言われれば肉だろ?いいから喰え」
ワイングラスに手を伸ばした男は結構な量を流し込んでいるはずだが、全く酔っている気配はない。それはワインなど水だといった飲みっぷりだ。
そして爽やかな笑みと言うのだろうか。
そんな笑みを向けられれば、桜子の話ではないが、この男性が十分に魅力的でモテる理由が分かったような気がする。だがその笑みを向けられる理由というのが今ひとつ理解出来なかったが、普段食べることが出来ない肉を喰えと言われれば有難くいただこうと思い、置いていた箸を取った。

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司*****E様
おはようございます^^
可愛い姪の気持を慮りつくしに対し邪な考えを持つ叔父。
愛人だと思っているようですが『間違ってるよ~』と言ってあげたいですね?
そしてつくしの鞄の中を物色する男。本当にとんでもないです。
お嬢様方は修学旅行にお出かけなんですね?しかしお天気が心配ですよね?
気温の変化が激しいですので体調を崩してお帰りならなければいいですね?
そして素敵な想い出を沢山作ってくれたら嬉しいですよね?
元気でお帰りになられることをお祈りしております。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
可愛い姪の気持を慮りつくしに対し邪な考えを持つ叔父。
愛人だと思っているようですが『間違ってるよ~』と言ってあげたいですね?
そしてつくしの鞄の中を物色する男。本当にとんでもないです。
お嬢様方は修学旅行にお出かけなんですね?しかしお天気が心配ですよね?
気温の変化が激しいですので体調を崩してお帰りならなければいいですね?
そして素敵な想い出を沢山作ってくれたら嬉しいですよね?
元気でお帰りになられることをお祈りしております。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:15 | 編集

童*様
お隣が怪しいですか?
勘違いでつくしを傷付ける可能性。
司はそのつもりのようですが、さてどうなるのでしょう。
そして勘違いが発覚した時、彼はどうするのでしょうね。
コメント有難うございました^^
お隣が怪しいですか?
勘違いでつくしを傷付ける可能性。
司はそのつもりのようですが、さてどうなるのでしょう。
そして勘違いが発覚した時、彼はどうするのでしょうね。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:18 | 編集

と*****ン様
お久しぶりです。こんにちは^^
春は色々と忙しい季節ですからねぇ。
そんな中で足(指?)を運んで下さったんですね?ありがとうございます。
司の誤解はいつ解けるのか。二人はどのようにして恋に堕ちるのか。
堕ちて頂きましょう!
それにしてもこの寒さはなんでしょうね?本当に身体がついていくのが大変です。
と*****ン様もお身体ご自愛下さいませ。
そしてお名前を拝見するたび、アレが食べたくなるんですが某社の回し者ですね!(笑)
コメント有難うございました^^
お久しぶりです。こんにちは^^
春は色々と忙しい季節ですからねぇ。
そんな中で足(指?)を運んで下さったんですね?ありがとうございます。
司の誤解はいつ解けるのか。二人はどのようにして恋に堕ちるのか。
堕ちて頂きましょう!
それにしてもこの寒さはなんでしょうね?本当に身体がついていくのが大変です。
と*****ン様もお身体ご自愛下さいませ。
そしてお名前を拝見するたび、アレが食べたくなるんですが某社の回し者ですね!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:23 | 編集

ふ*******マ様
おはようございます^^
姪っ子想いの叔父さん。でもイヤな男(笑)確かにそうですね?
>当たらずも遠からじ…
そうですねぇ(笑)
そして誰がどうして「つくし」の名前を騙ったのか。
つくしにしてみればいい迷惑ですが、司にとっては運命の人との出会いとなるはずです(笑)
拍手コメント有難うございました^^
おはようございます^^
姪っ子想いの叔父さん。でもイヤな男(笑)確かにそうですね?
>当たらずも遠からじ…
そうですねぇ(笑)
そして誰がどうして「つくし」の名前を騙ったのか。
つくしにしてみればいい迷惑ですが、司にとっては運命の人との出会いとなるはずです(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:28 | 編集

さ***ん様
つくし妊娠疑惑を持っていた男。
そんな男は彼女の持ち物を勝手に調べています。
しかし、白石に繋がるものは見つかりませんでした。
そして貧血女は診察を受ける。副社長の隣でステーキを食べる。
何故?(笑)
この男と女はどうなるんでしょう?
コメント有難うございました^^
つくし妊娠疑惑を持っていた男。
そんな男は彼女の持ち物を勝手に調べています。
しかし、白石に繋がるものは見つかりませんでした。
そして貧血女は診察を受ける。副社長の隣でステーキを食べる。
何故?(笑)
この男と女はどうなるんでしょう?
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:31 | 編集

ア*******ク様
こんにちは^^
白石氏の不倫相手は隣人。
そんな隣人の存在を隠すため、わざと『牧野つくし』と言った。
問題は姪の存在ですね?まだ二十歳の姪。
優秀ですが学生の彼女には社会経験はありません。
そういった事も関係しているのかもしれませんが、心当たりのないつくしにしてみれば、本当にいい迷惑な話です。
さて、この司はどういった行動に出るのでしょうか。
最後に謝罪はあるのか?プライドの高い男は間違いを認めるのでしょうかねぇ。
拍手コメント有難うございました^^
こんにちは^^
白石氏の不倫相手は隣人。
そんな隣人の存在を隠すため、わざと『牧野つくし』と言った。
問題は姪の存在ですね?まだ二十歳の姪。
優秀ですが学生の彼女には社会経験はありません。
そういった事も関係しているのかもしれませんが、心当たりのないつくしにしてみれば、本当にいい迷惑な話です。
さて、この司はどういった行動に出るのでしょうか。
最後に謝罪はあるのか?プライドの高い男は間違いを認めるのでしょうかねぇ。
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.05.08 23:36 | 編集
