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2018
04.23

出逢いは嵐のように 6

週明け月曜の朝というのは、部署ごとに一週間の仕事のスケジュールを確認することから始まる。
つくしが席を置く営業統括本部での仕事は、所謂営業事務と呼ばれる営業のサポートであり、営業担当とのチームワークや顧客とのコミュニケーション能力が必要になる。

つい最近もその能力が必要となったことがあった。
産業機械専門の商社という特性から、扱うものは機械が多く、特に大きな案件ともいえる大型機械を海外から輸入するとなれば納期の確認は絶対だが、当初ユーザーから納期は3ヶ月先でいいと言われたものが、どうしても1ヶ月以内に納入して欲しいと言われ、急遽ベルギーに工場を持つメーカーへ顧客の要望を伝え急ぐように依頼し、輸送手段を船便から航空便に変更する手配をしたばかりだった。

今つくしが担当しているのは、飲料メーカーで使われるペットボトル成形用大型コンプレッサの納入。
コンプレッサとは空気を含むガスを圧縮する機械であり、風水力機械と呼ばれ、工場での様々な機械に空気を送る役目を担っており、ガスを送る場合は化学プラントやLNGプラント等でガス供給のため使用され、プラントの心臓部として活躍する。

日本にも同種の機械を製造するメーカーはあるが、今回のユーザーである飲料メーカーの工場は、長年の実績からどうしてもその会社の機械でなければならないという。そしてヨーロッパからの空輸となると運送費はかなりかかるがそれでもいいから急いでくれと言われ、メーカーとの間で手配が終ったのが先週の金曜日だった。

客先の要求に応えるのが商社の仕事であり、たとえ無理だとしても、しなければならないことがある。それは要望に応えることで次のビジネスに繋がるからだ。
そういったこともあり、先週はギリギリまで手配に追われ、土日でゆっくりと休みそして月曜の朝を迎え、今度は次の案件の手配に取り掛かる週の始まりだった。

それにしても先週の頭には、思いもよらない言いがかりをつけられた。
いきなり現れた女性に夫と別れて欲しいと言われ、1億円の小切手を突き付けられた。
相手は若い女性だったが迫力があった。
だがあれから何もないのだから多分相手は間違っていたことに気付いたのだろう。
仕事も忙しかったが、1億円の小切手の女性のこともあり、先週は精神的に疲弊した。

そして週が明けた今日はいつもの月曜のはずだった。
だが今朝は違った。
出社してみれば、社員がそわそわと社内を歩き回っている姿があるからだ。
それは事業部長、部長、次長、課長といった管理職に関わらずの落ち着きのなさで、男性社員は一様にネクタイを締め直していた。
そして、つくしが用を足し出て来た個室の4つある洗面台の鏡の前は、化粧直しに勤しむ女子社員ですべて塞がっていた。

制服のない職場のため、服装は様々だが、オフホワイトストライプのブラウスにラズベリー色のスカート姿で鏡に向かっていた三条桜子は、個室から出て来たつくしと鏡越しに目が合うと、どうぞ。と言って手を洗う場所を開けた。

鮮やかな色のスカートは、華やかな桜子にはピッタリで、その横に立ったつくしは、ネイビーストライプのパンツに白いブラウスという目立たない服装だった。

真夏の暑い季節ならいざ知らず、5月の晴れ渡った空の下、出社したばかりで化粧が崩れているとは思えないのだが、洗面台に居並ぶ顔は、皆熱心に顔の仕上げにかかっていた。
そんな中でも特に桜子は真剣な表情で眉間に皺が寄っていた。
だから訊いた。


「ねえ、今日何かあるの?」

「牧野先輩。それが大変なんですよ!なんとあの道明寺司がうちの社を訪問するそうです。それもこれからなんですよ?朝一番で来社されるそうです」

つくしが手を洗うすぐ横で、覗き込むように鏡を見る桜子は、紅筆に口紅を含ませ、ほんのわずか唇からはみ出させるように色を描いていた。
桜子曰く、唇より大きく筆を滑らせることで、セクシーな唇になるそうだが、自分の顔の中で一番気に入っているのは唇ですと言った女の唇は確かに肉感的だ。

何でもその唇は、アメリカの有名女優のセクシーな唇を真似て作ってもらったらしい。
そしてその上にグロスを乗せればよりセクシーな唇が完成するんですという女は、鏡の中に清楚だが華やかさを感じさせる自分の顔に目を輝かせていた。

「道明寺司?」

「そうですよ。うちの会社、1年前に道明寺ホールディングスに買収されたじゃないですか。そこの副社長が今日うちを訪問するんです。だから専務や常務が社内を歩き回っては粗相がないかチェックしてるんですよ。何しろうちがグループ会社になって初めての訪問ですからね。何かあったら大変ですから。それに買収された時の調印は当然道明寺の本社だったから道明寺副社長がうちへ足を踏み入れるのは今日が初めてなんですよ?」

と、言いながらポーチの中に口紅と紅筆を収めた女は、今度は櫛を取り出すと、緩くウェーブがかかった髪を丁寧にとかし始めた。

「だから?」

「え?」

「だからどうしてそんなに化粧に励むのよ?」

その問いかけに、桜子は髪をとかす手を止め、手を洗い終えたつくしをこの人は何を言っているのと言わんばかりの顔で見た。
そして呆れたような口調で言った。

「どうしてって当たり前じゃないですか。あの道明寺司がうちの会社に来るんですよ?牧野先輩もご存知でしょ?あの道明寺司ですよ?仕事の出来る超がつくイケメンでお金持ちで、道明寺財閥の跡取りですよ?後継者ですよ?うちの会社もですけど、道明寺グループの全ての会社がゆくゆくはあの人ひとりの物になるんですよ?天は二物を与えずって言葉がありますけど、そんな言葉なんて関係ない人なんですよ?もうね、手に触れたものを全て黄金に変えるミダス王並に凄い人なんですからね!牧野先輩この意味分かってますよね?」

力説する桜子は、そう言いながら再び髪をとかし始めた。

「あのね、牧野先輩。道明寺司という人物は、日本経済を背負って立つ人です。いえ日本だけじゃありません。世界に4万人の社員を抱えるコングロマリットの副社長ですよ?そんな人に会えるだけでも凄いことですから。だから皆気合いを入れてるんです。分かりますよね?」

だがつくしはそこまで言われても興味が湧かなかった。
いや。興味が湧かないのではない。関心がなかった。
何しろそんな別世界の人間に興味を抱いたところで一体何になるというのだ。
いくらイケメンだろうが、お金持ちだろうが、自分の生活に関わりようがない人間には全く関心がない。

だが勿論道明寺司については知っている。
桜子の言うように、世界中に大勢の社員を抱えグローバル展開をする道明寺ホールディングス副社長の男を知らないはずがない。
それに、会社が買収されるとき、この先どうなるのかといった不安が無かったと言えば嘘になる。業務の見直しが行われ人員整理が行われるかもしれない。会社は従来通りの名前を残したが、今まで通りではない。変化があると思っていた。そして道明寺という巨大組織のひとつの企業になれば、子会社や関連会社に飛ばされる人間も出て来ると思ったが、そういったことにはならずホッとした。
ただ唯一変わったのは、健康保険の保険者名称が道明寺健康保険組合に変わったことだ。
そして以前よりも手厚い福利厚生が受けられるようになっていた。

「いいですか、先輩。道明寺司という人は、とにかく凄い男なんですよ?そんな人に会えるんですから綺麗にしておくのは当たり前です。それにどうやら今日は道明寺副社長がうちの社員と面談って言ったら変ですが、社員数名を選んで会社について忌憚のない意見を訊く時間を持つそうです。
凄いですよね?大企業のトップ自らが、いち社員の話に耳を傾ける時間を持つなんて。
どこの部署から何人選ばれるか分かりませんが、もし私が選ばれたらと思うと足が震えます」

そうか。
だからこうして女子社員は鏡に向かって化粧直しに励んでいるのだとつくしは納得した。
だが自分が呼ばれることは無いはずだ。
ああいった面談の参加者は少なくとも前日までには知らされているはずだ。だから自分は絶対にないと言える。

「あ~。どうしよう!もう少し落ち着いた服装の方が良かったかもしれませんね?でももし私が選ばれて、道明寺副社長と面談中に見初められたら私、玉の輿に乗るんですよね?そうしたらもう働かなくていいってことですよね?変な話ですけど、先週先輩のところに1億の小切手を持ってきた女性と同じくらい裕福な人妻になれるってことですよね?いいえ。そんな女性よりももっと裕福な人妻になれちゃうんですよね?先輩どう思います?私呼ばれると思います?」

なるほど。
ここにいる女性社員は皆そのことを考えているということか。
つくしは、そんなことがあるはずがないと笑いそうになったが、夢を見るのは自由だ。
だから否定はしなかった。

「さあ?ま、呼ばれたら呼ばれたで頑張ってみたら?もしかすると桜子の魅力に副社長も囚われちゃうかもね?」

桜子や自分が呼ばれることは無いと思うが、人生何が起こるか分からない。
だが予期せぬ出来事言うものがこれから起きるなら、それは桜子にとって最高の瞬間となるはずだ。それに道明寺司の名前は確かに有名で、その名は煌びやかな女優やモデルと並び週刊誌の記事に書かれることもある。だが彼は芸能人ではなく経済人だ。
それなのに、多くの女性が彼を見てうっとりとするのは、それだけ魅力的な人間だということだ。
だがつくしは興味がない。
もし彼に興味を持つとすれば、今後も間違いなくこの会社が継続されるかどうかを確かめる時だ。会社がなくなれば、他に生きていく手段を見つけなければならないからだ。

「じゃあ桜子。私先に行ってるから」

つくしは、そう言って化粧室の扉を押して廊下に出た。
そして営業統括本部にある自分の席へ向かおうとしたところで、後ろから声をかけられた。

「牧野くん!牧野くん!」

振り返ってみれば、小走りで駆け寄って来たのは専務。
つくしが入社した頃は事業部長だったこともあり、かつての上司だ。
そんな専務に頭を下げたが専務は息を詰まらせながら話し始めた。

「牧野くん…突然で悪いが実は今道明寺副社長がお見えなんだが面談に入ってくれ。
ふ、副社長の秘書の方から指示があったんだが、道明寺副社長は女性の視点での今の会社の現状といったものが訊きたいと仰っている。うちは男性社員の方が圧倒的に多い。だから女性の目で見た職場環境といったものを知りたいそうだ。対象者としては営業に近い立場にいる30代半ばの中堅社員がいいそうだ。だから牧野くん。君が副社長との面談に入ってくれ」

息を詰まらせながらも一気に話し終えた専務は、そう言ってつくしを促した。

「…私がですか?」

桜子から道明寺HDの道明寺司が来社する、社員と面談をすると訊いたが、何故自分がその社員なのか。専務の話では30代半ばということだが、それなら三条桜子も当てはまるはずだ。

「あの、専務。三条さんも30代半ばなんですが、どうして私なんですか?」

「秘書の方から指示があって道明寺副社長は落ち着いた女性がいいそうだ。だから君だよ、君。牧野つくし君!急いでくれ。副社長は既にお見えだ。社長室の隣の応接室にいらっしゃる。僕は君が席にいないから探し回ってたんだよ!」

そうは言われても、始業開始までまだ15分はある。
それに女子社員の仕事始まりは、化粧室からスタートすることくらい専務だって分かっているはずだ。
そしてつくしが会社に着いたのは始業30分前だったが、その時ビルのエントランスは静かだった。ということは、道明寺副社長はそれよりも早く来ていたということになる。
社員の目に留まることなくいつの間にか社内にいた道明寺副社長。仕事ができる男は、行動もスマートでしかも隠密に行動することが好きなのだろうか。
それにしても、桜子にとっては最高の瞬間になると言ったが、まさか自分が道明寺副社長と面談をするはめになるとは思いもしなかった。

「いいかね、牧野くん。粗相がないようにしてくれたまえ。まあ君のことだから心配してないが、副社長にはとにかくいい印象を与えてくれ。うちは真面目にコツコツと働く会社だ。派手じゃないただの産業機械専門商社だ。間違ってもセクハラが多い会社だなんて言わないでくれよ?ま、それは冗談だがとにかく急いで応接室へ行ってくれ」

つくしはそう言われ、エレベーターを待つよりも階段の方が早いと駆け上がり社長室の隣にある応接室へ走った。
それにしても、まさか月曜の朝から社内を走るとは思いもしなかった。それに専務にせかされたせいなのか、悪さをして呼び出しを受けた学生のような気分にさせられるのは何故なのか。

だがそんなことを考えている場合ではない。
それにしても、自分が道明寺司に会うことになるとは思いもしなかった。
だが女性の目で見た職場環境を知りたいというのだから、中堅社員として話すべきことは話しておこうと思う。

つくしは、応接室の前に立つと、呼吸を整え服装の乱れがないかを確認した。
そして息を大きく吸って扉をノックした。




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コメント
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dot 2018.04.23 07:48 | 編集
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dot 2018.04.23 19:04 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
滝川産業は朝から女性社員がソワソワ(笑)
そうですよね。あの道明寺司が来るんですから!
でも既にいらっしゃっていましたね?

つくしは非現実な世界に目を向けることはない。
自分の住む世界とはかけ離れた人間のことに興味はありません。
しかし、何故かかけ離れた世界と接点が...。
さて、司に呼び出されることになったつくし。
どうなるのでしょう(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.24 00:33 | 編集
ま**ん様
こんばんは^^
いよいよご対面。
何も知らないつくし。司は悪意を持って近づいてきました。
その悪意がいつか好意に変わるはずですが、その前に司はつくしを虜にして捨てると言ってます。
司の姪の旦那の浮気。何故つくしの名前を?
そちらはまだ先のお話となりそうです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.24 00:38 | 編集
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