「私の夫と別れて下さい」
「は?」
「ですから、私の夫と別れて欲しいんです。夫があなたとそういった関係になったのは、気の迷いですから。今後は主人があなたと付き合うことは一切ありませんから。これは手切れ金です。1億ご用意しました。それからこのことは誰にも話さないで下さい。家名に傷が付きますから」
そう言って女性がテーブルの上に置いたのは、額面1億円の小切手。
そしてつくしに注いでいた視線を『金壱億円也』と書かれた文字に向け、そして再びつくしを見た。
「もしこれで足りないとおっしゃるならあと1億お出ししますわ。それで夫とは縁を切って下さい。間違ってもこれ以上夫に近づかないで下さい。もしまた夫に近づこうとするなら私にも考えがありますから」
「…あの。何か勘違いをされているのではないですか?私はあなたのご主人を存知あげないのですが….」
つくしは一瞬言葉に詰まったが、1億とか夫とか。どういう意味が分からず困惑しつつ訊ねたが、相手はそんなつくしの言葉に引きつった表情に変わり、そして怒りをあらわにした。
「この期に及んでまだそんなことを言うつもり?ちゃんと証拠はあるんですからね?夫が白状したわ。それなのに夫を知らないと言うなんて!」
「は、白状?」
「ええ。そうです。あなたと付き合ってもうすぐ1年になると言ったんです。気づかなかった私もバカですけど、夫はもっとバカです。あなたみたいな美人でもない、資産家でもない女と付き合っているって言うんですから、一体どんな得があるのかしらね?身体だって貧相だし、一体夫はあなたのどこに惹かれたのかしらね?」
人を見下すような言葉は、淡いピンク色の口紅を塗った唇から放たれ、品のいいベージュのスーツにパールのネックレスとイヤリングをした女性の顔は、怒りをあらわにした表情から険しい表情に変わり、そして今はこれ以上ないほど険しく感じられた。
だがつくしには、女性の言っている意味が分からなかった。
いや。分からないではない。この女性の夫は牧野つくしと浮気をしていて、それが1年にも及び、それがバレた夫はそのことを妻に告白したと言うことだ。
だがつくしには全く身に覚えのないことだ。それに女性が話しをする夫という男性にも全く心当たりが無い。そしてその男性の妻と名乗る女性が、1億の小切手を用意することが出来る人間であることに驚いていた。
確かに洋服は上品で、身に付けている大振りなパールや隣の席に置かれたハンドバッグは見るからに高級品だと分かる。そして女性の雰囲気から、相手が所謂金持ちの奥様という立ち位置の女性であることも理解出来た。
だが、身に覚えもなければ、心当たりもないことを言われても困惑する以外ないのだが、否定したところで信じてはもらえないような気配が漂っていた。
机上の内線電話が鳴り、受け付けからお客様がお見えですと伝えて来たのは、昼休みに入る直前。どなたですか?と訊いたところ、白石様とおっしゃる女性の方ですと言われたが心当たりは無かった。
だが牧野つくしに会いたいと来ていると言われれば、たとえこちらが知らなくても、会わなければ失礼になる。だからちょうど昼休みということもあり、エントランスホールまで下りると、受付で教えられた背を向けソファに腰を降ろしている髪の長い女性に「お待たせしました。牧野です」と明るく笑顔で声をかけた。
初対面ともなれば第一印象が肝心だ。
そしてここは会社だ。相手が牧野つくしを、と指名して来た以上、つくしにとっては初対面だとしても、相手はつくしのことを知っているということだ。だから、社会人としてのマナーに照らし合わせれば、自ずと微笑みを浮かべて挨拶をするのが礼に叶っているはずだ。
だからつくしは、親しみを込めるとまで言わなくとも、にこやかな表情で名前を名乗った。
だがこちらを振り向いた女性は「私。白石の妻です」と無表情に告げて来た。
だが白石という名前に心当たりもなく、どちらの白石様と訊くのも失礼であり、当たり障りのない言葉を探したが、白石の妻と名乗った女性は、棘を含んだ言葉でつくしに向かって話始めた。
『あなたが牧野つくしさん?….そう?あなたがね?』
そしてつくしに向かって1億受け取って夫と別れてちょうだいと言ってきた。
その女性は、見た所つくしより若い。
恐らく20代前半。だとすれば、夫と呼ばれる男性も恐らくその年頃か。それとももう少し上か。いや。もしかすると1億出せるような家なら、年の差婚で随分と年が離れているのかもしれない。だがどちらにしても、白石という名前に心当たりがなければ、付き合ってもいないのだから別れるも別れないもない。
それに目の前に突き付けられるように置かれた1億円の小切手も、当然受け取ることは出来ないのだから、この女性の勘違いを正す必要があった。
「あの…..申し訳ありません。何か勘違いされていると思います。私はあなたのご主人である白石さんという男性を存知あげないのです。ですからお人違いをされているのではないでしょうか?」
と、つくしは何のことか分からないまま丁寧に訊いたつもりだったが、相手は有無を言わせぬ口調でたたみこんで来た。
「しらじらしいわね?どこまで白を切るつもりなの?1億じゃ足りないなら足りないって言いなさいよ?いいわ。ここでもう1億の小切手を切るわ。だから夫には近づかないでちょうだい!」
女性の声が大きくエントランスに響けば、何事かと受付けの女性の視線がこちらに向いたのが感じられ、つくしは慌てた。
女性は夫の愛人と思われる女と対峙しているのだから、冷静でいられるはずもなく、感情が高ぶっても仕方がないと思うが、ここは会社のエントランスホールであり人の目もある。
そして昼休みということもあり、人の出入りが激しい。現に女性の上げた大きな声に、傍を通った女性の視線が向けられたが、夫に近づかないで。の発言は好奇心を掻き立てるに十分な言葉だ。
だから、気のせいではない。傍を通り過ぎた女性もだが、受付けの女性の視線や、別のソファに腰を降ろしている男性の視線がこちらに向けられているのが感じられた。
「あの。奥様。本当に何か勘違いをされていらっしゃいます。牧野つくしはわたくしですが、私は本当に白石様という男性を知りません。私の知り合いにそういった名前の人物はおりません。ですから_」
と、つくしがそこまで言ったところで、相手は被せるように言った。
「もういいわ。あなたがそこまで言うなら、表面上はそういうことにしておくわ。でも分かってるの。夫の愛人は牧野つくしという名前の女ってね。こんな珍しい名前の女が他にいるなら教えて頂きたいわ。どう?つくしなんて名前。いないわよね?こんな雑草の名前を付ける親を笑っちゃうわ。笑うついでに言わせてもらうけど、雑草なんて見向きもされず踏まれておしまいでしょ?だから黙って小切手を受け取って別れてちょうだい。それがあなたのためよ?」
つくしは自分の名前が嘲笑の対象になることは慣れている。
だが白石と名乗った女性の口から零れる言葉は初対面の人間が言っていい言葉ではない。
そして自分を産んでくれた親のことまで言われる筋合いも侮辱される言われもない。
「….雑草ですか…確かに私の名前は雑草と同じ名前ですけど、両親のことまで言われる筋はないと思います。私の親はもう亡くなっていますけど、両親は両親なりに真面目に考えて名付けてくれたはずです。ですからあなたに名前のことでとやかく言わる筋合いはありません。あなたがそこまで言うなら、私も言わせてもらいます。あなたがそんな女だから旦那様は浮気をされたのではないですか?人の話を訊かずいきなり非難をするような方ですから。旦那様も嫌になったんじゃないんですか?」
「な、なによ….おばさんの癖して!」
「ええ。私はおばさんです。あなたより随分と年上だと思います。だからって何でも言っていいということにはなりません。ましてや私のことを年上と思うなら、それに初対面の人間に対しての口の利き方というものがあると思います。ですから、私はこれ以上あなたとお話することはありません。昼休みですから食事に行きませんと。では失礼いたします」
つくしは、自分を愛人呼ばわりする女性を残し席を立った。
そして後ろを振り返ることはなかった。

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「は?」
「ですから、私の夫と別れて欲しいんです。夫があなたとそういった関係になったのは、気の迷いですから。今後は主人があなたと付き合うことは一切ありませんから。これは手切れ金です。1億ご用意しました。それからこのことは誰にも話さないで下さい。家名に傷が付きますから」
そう言って女性がテーブルの上に置いたのは、額面1億円の小切手。
そしてつくしに注いでいた視線を『金壱億円也』と書かれた文字に向け、そして再びつくしを見た。
「もしこれで足りないとおっしゃるならあと1億お出ししますわ。それで夫とは縁を切って下さい。間違ってもこれ以上夫に近づかないで下さい。もしまた夫に近づこうとするなら私にも考えがありますから」
「…あの。何か勘違いをされているのではないですか?私はあなたのご主人を存知あげないのですが….」
つくしは一瞬言葉に詰まったが、1億とか夫とか。どういう意味が分からず困惑しつつ訊ねたが、相手はそんなつくしの言葉に引きつった表情に変わり、そして怒りをあらわにした。
「この期に及んでまだそんなことを言うつもり?ちゃんと証拠はあるんですからね?夫が白状したわ。それなのに夫を知らないと言うなんて!」
「は、白状?」
「ええ。そうです。あなたと付き合ってもうすぐ1年になると言ったんです。気づかなかった私もバカですけど、夫はもっとバカです。あなたみたいな美人でもない、資産家でもない女と付き合っているって言うんですから、一体どんな得があるのかしらね?身体だって貧相だし、一体夫はあなたのどこに惹かれたのかしらね?」
人を見下すような言葉は、淡いピンク色の口紅を塗った唇から放たれ、品のいいベージュのスーツにパールのネックレスとイヤリングをした女性の顔は、怒りをあらわにした表情から険しい表情に変わり、そして今はこれ以上ないほど険しく感じられた。
だがつくしには、女性の言っている意味が分からなかった。
いや。分からないではない。この女性の夫は牧野つくしと浮気をしていて、それが1年にも及び、それがバレた夫はそのことを妻に告白したと言うことだ。
だがつくしには全く身に覚えのないことだ。それに女性が話しをする夫という男性にも全く心当たりが無い。そしてその男性の妻と名乗る女性が、1億の小切手を用意することが出来る人間であることに驚いていた。
確かに洋服は上品で、身に付けている大振りなパールや隣の席に置かれたハンドバッグは見るからに高級品だと分かる。そして女性の雰囲気から、相手が所謂金持ちの奥様という立ち位置の女性であることも理解出来た。
だが、身に覚えもなければ、心当たりもないことを言われても困惑する以外ないのだが、否定したところで信じてはもらえないような気配が漂っていた。
机上の内線電話が鳴り、受け付けからお客様がお見えですと伝えて来たのは、昼休みに入る直前。どなたですか?と訊いたところ、白石様とおっしゃる女性の方ですと言われたが心当たりは無かった。
だが牧野つくしに会いたいと来ていると言われれば、たとえこちらが知らなくても、会わなければ失礼になる。だからちょうど昼休みということもあり、エントランスホールまで下りると、受付で教えられた背を向けソファに腰を降ろしている髪の長い女性に「お待たせしました。牧野です」と明るく笑顔で声をかけた。
初対面ともなれば第一印象が肝心だ。
そしてここは会社だ。相手が牧野つくしを、と指名して来た以上、つくしにとっては初対面だとしても、相手はつくしのことを知っているということだ。だから、社会人としてのマナーに照らし合わせれば、自ずと微笑みを浮かべて挨拶をするのが礼に叶っているはずだ。
だからつくしは、親しみを込めるとまで言わなくとも、にこやかな表情で名前を名乗った。
だがこちらを振り向いた女性は「私。白石の妻です」と無表情に告げて来た。
だが白石という名前に心当たりもなく、どちらの白石様と訊くのも失礼であり、当たり障りのない言葉を探したが、白石の妻と名乗った女性は、棘を含んだ言葉でつくしに向かって話始めた。
『あなたが牧野つくしさん?….そう?あなたがね?』
そしてつくしに向かって1億受け取って夫と別れてちょうだいと言ってきた。
その女性は、見た所つくしより若い。
恐らく20代前半。だとすれば、夫と呼ばれる男性も恐らくその年頃か。それとももう少し上か。いや。もしかすると1億出せるような家なら、年の差婚で随分と年が離れているのかもしれない。だがどちらにしても、白石という名前に心当たりがなければ、付き合ってもいないのだから別れるも別れないもない。
それに目の前に突き付けられるように置かれた1億円の小切手も、当然受け取ることは出来ないのだから、この女性の勘違いを正す必要があった。
「あの…..申し訳ありません。何か勘違いされていると思います。私はあなたのご主人である白石さんという男性を存知あげないのです。ですからお人違いをされているのではないでしょうか?」
と、つくしは何のことか分からないまま丁寧に訊いたつもりだったが、相手は有無を言わせぬ口調でたたみこんで来た。
「しらじらしいわね?どこまで白を切るつもりなの?1億じゃ足りないなら足りないって言いなさいよ?いいわ。ここでもう1億の小切手を切るわ。だから夫には近づかないでちょうだい!」
女性の声が大きくエントランスに響けば、何事かと受付けの女性の視線がこちらに向いたのが感じられ、つくしは慌てた。
女性は夫の愛人と思われる女と対峙しているのだから、冷静でいられるはずもなく、感情が高ぶっても仕方がないと思うが、ここは会社のエントランスホールであり人の目もある。
そして昼休みということもあり、人の出入りが激しい。現に女性の上げた大きな声に、傍を通った女性の視線が向けられたが、夫に近づかないで。の発言は好奇心を掻き立てるに十分な言葉だ。
だから、気のせいではない。傍を通り過ぎた女性もだが、受付けの女性の視線や、別のソファに腰を降ろしている男性の視線がこちらに向けられているのが感じられた。
「あの。奥様。本当に何か勘違いをされていらっしゃいます。牧野つくしはわたくしですが、私は本当に白石様という男性を知りません。私の知り合いにそういった名前の人物はおりません。ですから_」
と、つくしがそこまで言ったところで、相手は被せるように言った。
「もういいわ。あなたがそこまで言うなら、表面上はそういうことにしておくわ。でも分かってるの。夫の愛人は牧野つくしという名前の女ってね。こんな珍しい名前の女が他にいるなら教えて頂きたいわ。どう?つくしなんて名前。いないわよね?こんな雑草の名前を付ける親を笑っちゃうわ。笑うついでに言わせてもらうけど、雑草なんて見向きもされず踏まれておしまいでしょ?だから黙って小切手を受け取って別れてちょうだい。それがあなたのためよ?」
つくしは自分の名前が嘲笑の対象になることは慣れている。
だが白石と名乗った女性の口から零れる言葉は初対面の人間が言っていい言葉ではない。
そして自分を産んでくれた親のことまで言われる筋合いも侮辱される言われもない。
「….雑草ですか…確かに私の名前は雑草と同じ名前ですけど、両親のことまで言われる筋はないと思います。私の親はもう亡くなっていますけど、両親は両親なりに真面目に考えて名付けてくれたはずです。ですからあなたに名前のことでとやかく言わる筋合いはありません。あなたがそこまで言うなら、私も言わせてもらいます。あなたがそんな女だから旦那様は浮気をされたのではないですか?人の話を訊かずいきなり非難をするような方ですから。旦那様も嫌になったんじゃないんですか?」
「な、なによ….おばさんの癖して!」
「ええ。私はおばさんです。あなたより随分と年上だと思います。だからって何でも言っていいということにはなりません。ましてや私のことを年上と思うなら、それに初対面の人間に対しての口の利き方というものがあると思います。ですから、私はこれ以上あなたとお話することはありません。昼休みですから食事に行きませんと。では失礼いたします」
つくしは、自分を愛人呼ばわりする女性を残し席を立った。
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司*****E様
おはようございます^^
不穏な空気から始まった連載。
つくしが不倫している!
いえ。身に覚えがありません。
しかし白石という男性は、浮気相手は牧野つくしと言いました。
連載ですので、徐々にとなると思いますがまたお付き合いいただければ幸いです。
西田さんとタマさんは次回。
楽しみにしたいと思います。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
不穏な空気から始まった連載。
つくしが不倫している!
いえ。身に覚えがありません。
しかし白石という男性は、浮気相手は牧野つくしと言いました。
連載ですので、徐々にとなると思いますがまたお付き合いいただければ幸いです。
西田さんとタマさんは次回。
楽しみにしたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.04.18 22:16 | 編集

み***ん様
おはようございます^^
いきなりなりの出だしですが、白石さんって誰ですよね?
今度の二人はどのような恋をしてくれるのか。
最近シリアスが多かったので脳内切り替えてみたいと思います!(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
いきなりなりの出だしですが、白石さんって誰ですよね?
今度の二人はどのような恋をしてくれるのか。
最近シリアスが多かったので脳内切り替えてみたいと思います!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.04.18 22:22 | 編集

ま**ん様
こんにちは^^
びっくりな始まり!(笑)
そうですよね。夫と別れてと言われる女。
あらぬ誤解を受けた女は身に覚えがありません。
白石って誰?すでに沢山の想像と妄想が始まったんですね?
物語はこれからですので、お付き合い頂ければ幸いです。
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
びっくりな始まり!(笑)
そうですよね。夫と別れてと言われる女。
あらぬ誤解を受けた女は身に覚えがありません。
白石って誰?すでに沢山の想像と妄想が始まったんですね?
物語はこれからですので、お付き合い頂ければ幸いです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.04.18 22:26 | 編集
