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2018
04.14

天涯の刻 ~残照 番外編~

Category: 残照(完)
<天涯の刻(てんがいのとき)>
*天涯=空のはて 








「そう言えば父さん、最後まで母さんの傍を離れなかったよな」

「そうだな。あの人は母さんが自分のことを覚えてなくてもそれでも良かったんだ。何しろ母さんは父さんにとって俺たちとはまた別のたった一人のかけがえのない人だったんだから。
恐らく今の父さんは母さんの魂の傍で安らかに過ごしているはずだ。それにいつか父さん言っただろ?人生は愛だって。あの父さんがだぞ?あの人の口から真面目な顔で人生は愛だって言葉を聞くとは思わなかったが実際そうだった。父さんの中では俺たちより母さんが一番で母さんを愛することが父さんの生きがいだったんだから、俺たちなんてその愛の副産物くらいにしか考えてなかったんじゃないのか?」

「…そうかもしれないな」

そんな会話を交わしているのは、道明寺家の兄弟ふたり。
彼らは父親によく似た風貌を持っているが、性格は母親譲りだと言われていた。







道明寺司が亡くなったのは半年前。
高校生の時、導かれるように妻に巡り会った彼らの父親は、病を患った最愛の妻と5年間過ごし、それから5年後息を引き取ったが、亡くなったのは桜が散るのと時を同じくしてのこと。朝起きてこない主を心配したメイドが様子を見に行ったが、その時にはすでに旅立っていた。享年72歳。心不全だった。

そして時の流れは確実に季節の移り変わりを示し、窓の外に見える庭の木々は色付き秋を迎えていた。
そんな秋の日の午後。
息子たちは父親が数多く残した写真の整理のため、東の角部屋へと足を踏み入れた。
そこは彼らの両親が暮らした場所。母が医師から入院を勧められるまで二人はこの部屋で暮らしていた。

若い頃、写真を撮られることが嫌いだったという父親。
だが結婚してからは、子供たちの成長と共に写真に写ることが増えたが、妻が病を患ってからは、その数が急激に増えたのは思い出作りのためか。息子たちがソファに腰かけ見ているのは、きちんと整理されアルバムに貼られた写真。ゆっくりと捲っていたが、二人は改めて父親の母親に対する想いを感じ取っていた。

写真の中の父は、心配そうに母を見つめる姿が多い。
父の隣に写る母は、夫のすぐそばにいるのだが、心は彼方へと向いている表情をしているものもあった。それは意識や記憶が薄れていく病のせい。誰にでも起こり得る可能性のある病は、他人事とはいえない病。だが子供たちは信じられなかった。自分達の母親がまさかといった思いだった。だが一番堪えたのは父親だった。

子供たちは両親がどれだけ深く愛し合っていたのか知っていたから、夫婦がこれからどうやって時を過ごそうと考えているのか。そのことを父親に訊いたとき、『見守っていく。それが夫の役目だ』と言い笑っていた。だが心の中は嵐が吹き荒れていたはずだ。

夫のことが分からなくなった妻と過ごした5年はどういったものだったのか。
子供である自分たちとはまた違った思いがあったはずだ。
それはきれいごとでは済まされないこともあった。
本人がその病に罹ったことを告げられたとき、絶望があったははずだ。
進行していく病を止めることは出来ず、自分が失われていく過程を記録に残すではないが、日記がつけられていたが、初めの頃はしっかりと書かれていた文字も、やがてミミズがはったような文字に変わり書けなくなった。そして衰えていく脳と比例するように体力も奪われ最期は病院で静かに息を引き取った。


コロニアル様式の邸の中で異質な空間と言われる和室に置かれた仏壇にある母の位牌。
いつだったか父が仏壇の前で黙って座っているところに出くわしたことがあった。
静かに何かを祈るような姿に声を掛けるのが躊躇われたが、振り向いた父親は『どうした?母さんに会いに来たんだろ?入れ』と言ったが、夫婦ふたりの時間を邪魔したようで『いいのか?』と思わず訊いたが父は『構うもんか。息子が会いに来たのに嫌がる母親がどこにいる?』と言い正面を譲ってくれた。

少しずつ自分の夫のことを忘れていく母親は、会うたびあなたは誰を繰り返していたが、そのたびに父は同じ言葉を繰り返していた。

『俺は道明寺司だ。お前の夫だ』

繰り返されたその言葉。
訊かれることに慣れたとしても、告げるたび切なさが積み上げられていったはずだ。



「ああ。これだこれ。この写真だ」

兄弟はそれぞれに父親のことを思い出しながらページを捲っていたが、兄はそう言って見つけた写真に声を上げた。

「母さんと父さんが能登に行った時の写真だ。あの旅のことだけどな。母さんまだ自分の意思がはっきりしてた時に父さん宛に書いた手紙があったそうだ。だけどそれは遺書だった」

「ちょっと待ってくれ。どういうことだ?俺聞いてないぞ?」

弟は兄の言葉に驚いた。
自分たちの母親が遺書を書いていたという話は初めて聞いたからだ。

「悪い。俺も父さんが亡くなる少し前に訊いたからな。お前に言おうか迷ってるうちに父さんが亡くなったから言えずじまいだった」

父親は弟や妹に話すかどうかは、お前が決めればいいと言って兄だけにその事実を伝えた。

「それで、どんなことが書いてあったんだ?」

「ああ.....母さんは自分が父さんのことを忘れ、俺たち家族のことを忘れて生きることが辛いって内容だったらしい。それであの海で死ぬつもりだったらしい。でも母さんが自分で自分の命を絶つなんてことが出来るはずがない。だから父さんも本気にはしてなかった。だけど本気だったんだよ….母さんは。自分が自分じゃなくなるのが辛かったんだ」

兄弟は二人が寄り添った写真を見ていた。
それは父親が母親を連れ最後の旅行に出たとき撮られた写真。
能登半島の冬の風物詩と呼ばれる『波の花』をバックに撮られた写真の母は微笑んでいて、しっかりとカメラのレンズを見つめる瞳があった。
その瞳は兄弟が知る母親のまっすぐな強い瞳。
だがその写真が撮られた夜。母親は入水自殺をしようとしたという。だが父親はそれを許さなかった。それもそのはずだ。あの父親がいくら妻の意思だからと言っても、母が逝くことを許すはずがない。

「けど晩年の父さんは一生分の幸福を味わってたんじゃないか?
母さんが子供みたいになってもそれは苦しみなんかじゃなかった。むしろ楽しみを分かち合ってたんじゃないか?俺はそう思う。あの二人高校生の頃出会って離れ離れの恋をして、それから結婚しただろ?NYと東京で離れた4年があったから若者らしい付き合いは経験しなかったはずだ。だから母さんがああなってからの父さんは、高校生のような気分だったはずだ。世話を焼きたがる父さんの姿なんてまさにそうだろ?それに俺たちは二人の子供だけど俺たちも全く知らない夫婦だけの関係ってのもあったはずだ。あの二人は幸せだったはずだ。特に父さんは幸せだったはずだ。だから今ごろ空の上で母さんに迎えられて喜んでるはずだ。それこそ子供みたいにな」

たとえ子供でも親のことについては知らないことがある。
それは自分達が親になり理解できることだが、夫婦には夫婦でしか分からない何かがある。
だがそうでなかったとしても、そうだったはずだと願う気持があった。

そして父親は、妻が亡くなってから毎年冬の能登へ足を運び、あの時と同じ旅館に泊まり『波の花』を見ていたが、恐らくそこにあの日の妻の姿が見えるのだろう。亡くなった存在だとしても、その姿を感じるのだろう。
そして『能登はやさしや土までも』と言われるほど能登の人は優しい。
その土地の持つ空気や人に癒されるのだろう。能登から戻ってきた父親の顔は東京にいる時の顔とは明らかに違い、向うで母さんに会えたと言ったことがあった。
もしかすると、妻の魂の一部は能登の海にいるのかもしれない。そんな思いなのだろう。


「ほら。こっちの写真見てみろよ?これ、母さんがブドウ狩りに行きたいって言ったことがあっただろ?能登の冬の次の秋だ。母さん俺たちが子供のころ行ったブドウ畑のことを言ったんだと思うが、何しろ意識も記憶も行ったり来たりだったが、父さん母さんを連れて山梨へブドウ狩りに出掛けただろ?これその時の写真だ。あの時、母さん摘み取ったブドウの実を潰してその汁で父さんの顔を紫に塗ってはしゃいだそうだ」

それは同行した看護師から訊かされた話。

『奥様はそれはもう楽しそうにされていました。もちろん旦那様もです。お二人とも子供のようでした』

妻の小さな白い手でブドウの汁を顔中に塗られ笑っていたとういう父親。

「父さんは母さんが好きなようにすればいいって考え方だったから決して止めようとはしなかった。その時の父さんはブドウの新しい食べ方を知ったって笑っていたそうだ」

両親の若い頃の話を訊いたことがある。
彼女が微笑むなら他に何もいらない。彼女が輝くことならどんなことでもしてやりたいと言ったという父親。だから二人の間に意思疎通が成り立たなくなっていても、言葉を越えた何かを夫である男は肌で感じていたということだ。

「そうだな。父さんは亭主関白に見えるけどいつも母さんを見ていた。それは目に見える表面上のことじゃない。心の中でいつも母さんの姿を追っていた。心はいつも母さんのことで一杯だった。だから最後に母さんを送ったときの唇の形、つくし、少しだけ待ってろって言った。その後は多分….俺もそのうち行くからなって….声に出さずにそう言ってた」

荼毘に付される前、白い花を棺の中に落とし横たわった妻に囁いたと思われる言葉。
最愛の人の魂を空の彼方へ送る儀式は父にとっては永遠の別れではない。
それは一時離れ離れになるだけ。
命ある者なら誰にでも訪れる自然の摂理を迎えただけ。

「…そうか。それに父さん、空の上に着いたら着いたで言ったはずだ。お前俺のこと忘れてねぇだろうなってな。地上じゃ最後に俺のこと忘れやがってあんときの仕返しかってな」

「そうだな。父さん絶対に言ってるはずだ」

高校生の頃、父が母のことを忘れたことがあったと訊いたが、母親がその仕返しとして父を忘れたとすれば、今頃は空の上で大げんかになっているはずだ。

そして母が旅立ったとき、父の顔には思慕といったものはなかった。涙を流すことはなかった。だから歓送とも言える見送り方だった。そう思えた。
そして父の心を縛っていた命は身体から解き放たれ最愛の人の元へ旅立った。
今二人は青い空のどこかにいて顔を見合わせ笑っているはずだ。


「つくし。遅れちまってすまねぇ。子供たちが色々と面倒なことを言いやがるから、すぐには来れなかったんだ」と。



父の晩年は決して孤独ではなかった。
心の中には、いつも母の面影があったはずだから。
そして今は最愛の人と空の上から子供たちや孫を見下ろしながら言っているはずだ。



「お前ら幸せに暮らせよ」と。


兄弟が目を落したアルバムの中には幸せそうな笑みが溢れていた。





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コメント
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dot 2018.04.14 10:13 | 編集
s**p様
あの日の能登の海での決心から、司は妻に自分をアピールし続けていた。それは子供の前でも関係ありませんでした。
彼の心は出会った時から妻だけを見ていた。
その中で子供たちは副産物だそうですからねぇ。
今は天国で妻に甘えている男です^^そして多分嫉妬深い男のままですね?(笑)

メロンパン愛!(≧▽≦)いいですねぇ。アカシアも食べたいんですが、お気に入りのメロンパンの店は離れた場所にあり、手に入れることは難しいです。でも近いうちに必ず!と思っています。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.15 00:03 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
長く意思の疎通が途絶えてしまった夫婦は、最期に何を思うのか。
たとえ妻が覚えていなくても、夫が妻の分まで愛を覚えていること。そして司の愛の深さでつくしは時に現実の世界に浮上して来ることもあったかもしれません。
子供たちの目から見た父親は、ひたすら妻であり、自分達の母親を愛する男だったことでしょう。
そして天国で交わされる会話は....(笑)
「俺のこと忘れやがってどういうつもりだ!」で始まったことでしょう(笑)
どこの世界にいても司はつくしを追っていく立場なのかもしれません。
天国でデートして下さい(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.15 00:16 | 編集
ま**ん様
天国へ旅立ったふたり。
空の上で子供や孫を見守っているはずです。
親の背を見て子は育つと言いますが、息子たちは、父親の母親に対する深い愛を感じながら育ちましたから、自分達の妻にも同じように接しているはずです。
司は子供のころ、決していい子ではありませんでしたが、つくしと出会い彼は変わった。そしてそのことを感謝して生きてきたと思います。
心から愛する人に会えたとき、周りのことも許せるようになった男。
今は天国で妻にイチャついていることでしょう!(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.15 00:29 | 編集
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dot 2018.04.17 16:33 | 編集
で********ん様
お久ぶりです^^お元気ですか?
そうなんです。3月はシリアス月間?と自分でも思いました。
どうしても短編を書くとその傾向が強くなります。
長生きすると色々とあると思いますが、二人の人生の色々をと思うとそういったお話になってしまいました。

誰にでもあり得る病を取り上げて書きました。
あの二人がもしそうなったら果たしてどうするのか。
司の事ですから、絶対に最後までお世話をしてくれると思います。
それでも、心の中に迷いが生じる一瞬といったものもある。葛藤というものはあるはずです。
大切な人がもしそうなったらどうするか。自分に置き換えて考えてみるとやはり辛いです。
自分が患った時どうするか。身近でのご経験があると、色々と考えてしまいますよね?
何もかも忘れてしまった人が、それでもたったひとりの人の名前を呟く....。つくしもそうだったはずです。
分からない中にも、時に正気に戻る瞬間があったりします。
暗い話ばかりになりましたので、次は明るめのお話をと思いますので、またよろしければお付き合い下さいませ^^

御曹司!(笑)笑って下さい!色々な妄想をする坊ちゃん。
大人になり、大人の妄想が激しいですが、すべてはつくしに繋がる坊ちゃんの妄想。
シリアスとはガラリと違う御曹司です(笑)
アカシアワールド(笑)このような世界ですがお楽しみいただければ幸いです。
コメント有難うございました^^

気温差が激しい日々に身体が翻弄されてます(笑)
で********ん様もお身体ご自愛下さいませ。
アカシアdot 2018.04.18 00:55 | 編集
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