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2018
04.09

あの頃の想いをふたたび 5

つくしの起床時間は朝4時20分。
住むアパートは職場であるパン屋から自転車で片道5分の場所にある。
顔を洗い、身支度をして自転車に乗り5時に店に着くと仕込みを始める。
真冬には日の出には程遠い暗闇の中を自転車を漕ぐ事になるが近いこともあり苦にはならなかった。

パン屋によっては、2時や3時といった時間から仕込みを始めるところもある。だがつくしの店は焼き上げるパンの数が多くないため、仕込みの時間も短くて済む。そして開店時間の9時までひたすらパンを焼き上げる作業をする。
そして今日も営業時間の終わりである19時を過ぎれば、いつものように店頭に並べられたトレーから売れ残ったパンを集めていた。

高校を卒業しこの店で働きはじめて9年。
家族同様の付き合いをしている店主は夫婦ふたり暮らしで跡継ぎはいない。
ある日、店主が店を継ぐ人間がいないんだが、やる気があるかと言われ二つ返事で受けた。
そしてここを買い取るための資金は、長年この店と取引がある信用金庫に融資を申し込んでいて審査が通るよう祈っていた。
そして家族同様の従業員はつくしの他に同じパン職人である四つ年下の女性と、販売を担当するパートの女性がひとり。つまり街の小さなパン屋は夫婦と従業員3人で切り盛りしていた。

就職先にパン屋を選んだのは、もともと食べることが好きだったこともあるが、自分が作ったものを人に食べてもらいたいといった思いもあった。それなら何がいいかと考えたとき、経験がある無しに関わらず、専門的な資格も必要がないことからパン職人になろうと思った。手で生地を捏ねる作業は力がいるが、体力には自信があった。それに朝早く起きることが苦痛だとは思わなかった。むしろ朝早く起きることで得をしたように感じていた。

それは早起きは三文の徳と言う言葉があるように、太陽が昇る前に活動することで、昇り来る朝日を最初に浴びることが幸せであるように思えたからだ。
そして時に思う。
かつてその太陽が沈む様子を南の島で眺めたことを。
ただの女の子とただの男が砂浜に腰を下ろし沈む太陽を眺めていたことを。
それは世界がここしかなくて、二人だけのような時間で、ロマンチックな恋愛がからきし駄目だった少女が恋を認識した瞬間だった。だがその恋は突然終わりを迎えた。それは理不尽な出来事の結果であり二人うちの一人は自分の意思として選んだ別れではなかった。


つくしはなんとはなしに窓の外を見た。
日が暮れ始めた歩道を歩く人々は帰宅を急いでいるのか。わき目を振ることなく真っ直ぐ前を向き歩いている。
所々にある街灯の明かりが下を通り抜ける人の顔を照らし見えることもあるが、こちらを見ることはない。

この9年間。数えきれないほどしてきたパンを集める作業。
そして数えきれないほど立ったこの場所。
何かを待っていた訳ではないが、それでもこの場所で何かを待っていた。
いや。何かを待っていたのではない。誰かを待っていたと言った方がいい。

それは、もしかしてあの人が記憶を取り戻し会いに来てくれるのではないかといった微かな希望がなかったとは言えなかった。背の高い男性のシルエットにもしかしてと思ったことがあった。雨の降る日に傘をさすことなく飛び込んで来る人がいればもしかしてと思ったことがあった。だがそれは初めの頃だけだ。1年が過ぎ2年が過ぎ、やがて3年も過ぎればテレビや雑誌であの人のことを見る機会が増えれば増えるほどそれはもうないのだと。失われてしまった自分の記憶が戻ることは決してないのだと理解するようになっていた。
そして身の程といったものを改めて認識した。

それはテレビや雑誌で見る男の住む世界には恋というものはなく、真似事のようなことすらなかった。つまりそれは遊びであり、結婚する相手というのは本人の意思とは関係なく決められるということ。それが財閥の後継者としては当たり前のことであり周知のことなのだ。

そして彼のような男は庶民の娘など歯牙にも掛けないということ。世界的な財閥の跡取り息子とごく普通の.....いやそれよりも下の家庭に育った少女とでは、はじめから住む世界が違っていたのだ。

だがそれは知り合った頃言われていたことだ。
分っていたことだ。
だから仕方がないのだ。
これが運命なら受け入れるしかないのだ。
運命がそれぞれ別の方を向いているならその道を進むしかないのだ。
二人の道が交差したのは人生の中のほんの一瞬の出来事でこれから先、交わることは絶対にないのだから。
だから再出発をすることにした。
下を向き現れることのない人のことを考えるのは、時間の無駄であり前進あるのみだと気持ちを入れ替えた。そしていつか自分の店を持つという目標を定めた。それがもう間もなく叶うはずだ。だから窓の外に背の高い人影を探している場合ではない。



「ねえ。牧野さん。もうすぐこのお店のオーナーになるけど、楽しみよね?融資の審査結果もそろそろ分るのよね?でも大丈夫。牧野さんなら問題ないから。絶対に大丈夫よ」

レジを閉める作業をしている女性に声をかけられ、つくしは振り向いた。

「そう思う?そうだといいんだけど。世の中には絶対なんて言葉はないから結果が出るまで何とも言えないけどね?」

「うんうん。牧野さんなら絶対大丈夫。それにオーナーも言ってたじゃない?牧野さんにならこの店を安心して譲れる。うちの味は牧野さんが引き継いでくれたんだから彼女がいなくなったらこの街の朝の食卓から美味いパンが消えるぞって信用金庫さんを脅してたじゃない?
まあそれは冗談だけど。絶対大丈夫だと思うわ。で、その先のことを考えればうちは固定客が多いけどこれからは益々頑張らなきゃね?牧野さんの焼くパンの評判は誰に訊いても凄く美味しいってことだから心配してないけど、新規開拓じゃないけど近くの集合住宅にチラシでも配る?」

と、言った女性はつくしが働き始めた頃からパートで働いている30代の主婦だが、いつもこうやって頼もしい発言をしてくれるムードメーカー的存在だ。

「そうよね….。新しいマンションも建ったみたいだし、そこの管理人さんにお願いしてチラシを置いてもらうのもいいかもしれないわね?」

「それから新しくバイトを雇う件だけど、人来ると思う?今って人手不足でしょ?うちの時給で来てくれる人いると思う?18歳以上だから大学生でもいいと思うけど、どうかしらねぇ?だって入口に張り紙して1ヶ月になるけど応募者ゼロ。これじゃ全然ダメよね。もしかして張り紙が目立たない?インパクトが弱い?もっと派手に書く?働いてくれる方はパン食べ放題とか!何かいい方法考えなきゃねぇ。何しろ今のオーナー夫婦が引退しちゃうと働き手を二人失うわけで、仕事を3人で回すとなれば忙しいわよね?はぁ~参るわね。でもなんとかやらなきゃね!うん。働くのみだわ!」

今の世の中、働き手が確保できなくて会社が立ち行かなくなるといった話があるが飲食や販売、サービス業といった分野は特に人手不足と言われている。
だからこの店がアルバイトを募集するにあたっての時給で働いてくれる人が現れるのかと問われても分からなかった。
だがその時給以上は出せない。その代わり賄いではないが、焼きたてのパンは食べ放題だ。
だから働いてくれる人が現れるまで待つしかないのだが、パートの女性が言うとおり現れなければ仕方がない。暫くは3人でという状況が続くだろう。

「ねえ、牧野さん。でもさ。もし来てくれる人がイケメンの男の人だったらどうしよう!あたし仕事にならないかも。ほらイケメン俳優に似てるとか……あと….ほらあの人…..よくテレビや雑誌で取り上げられてるイケメンの副社長がいるじゃない?ほら、えーっとあの人よ、あの人!道明寺HDの副社長!あの人みたいな人でもいいわ!」

女性の口から飛び出した道明寺HD副社長という言葉に一瞬だけ胸が弾んだ。
だが、まさかという思いと共に笑いが込み上げた。
それはタキシードや高級なスーツではなく、店の名前が入ったエプロン姿の男がにこやかな笑みを張り付けながら客の対応をする姿。パンを袋に入れ、レジを打ちお釣りを渡す姿。
そんな姿を想像したとき、それは絶対にあり得ないことだからと言って声を上げて笑った。
本当に笑えた。
お腹の底から笑えた。
その名前を訊くことが辛いこともあったが、今はそうではない。だからこそこんなにも笑えるのだと思った。伸ばされた手を掴むことが出来なかったが、今はそれで良かったのだと思う。所詮住む世界が違った人なのだから。












「ここで働きたいんだがバイトの募集はまだしてるのか?」

背後で自動扉が開いた瞬間、香るのはパンの匂いとは別の香り。
と、同時に目の前にいる女性の口がポカンと開き、視線はつくしの後ろに注がれた。


振り向いたその先にいたのは、さり気ないという言葉が全く似合わない男だった。





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コメント
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dot 2018.04.09 06:02 | 編集
司*****E様
まさか話題の道明寺司が目の前に現れるなんて!
パートさんも驚いたことでしょう(笑)
勿論一番驚いているのはつくしですね?
誰が最初に口火を切るのか。
そして二人は話をすることが出来るのか。う~ん.....。

はい。どちらも購入させて頂きました(笑)
それにしても、二人が大人の関係になるのはいつなのでしょうね(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.09 23:01 | 編集
ふ*******マ様
まさか司がバイト?(笑)
でも司がバイトをするとすれば、どんなバイトを選ぶのでしょうねぇ。
もし司がパン屋でバイトするなら、そのパン屋。あっという間に売り切れるでしょうね!アカシアも行かせて頂きます!
そして司が売るのは、当然チョココロネですね?(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.04.09 23:10 | 編集
ま**ん様
え?(笑)司、自分の仕事はどうするのか?
はて?(笑)どうするつもりなのでしょう。
司がパン屋でバイト。売るのはチョココロネと決まっております(笑)
拍手コメント有難うございました^^

アカシアdot 2018.04.09 23:16 | 編集
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