孫の誕生は未来を感じさせる。
それにしても、何故孫はこんなにも可愛いのか。
それは、妻に会った途端虜にされ、心臓がろっ骨にあたりそうなほどドキドキが止まらなかった少年の頃以来だ。
「嘘・・この子。髪の毛くるくるしてる!」
可愛い、の後の妻の第一声は髪の毛の話。
東洋と北欧の遺伝子を受け継いだ翔は、父親と母親の特徴を半物ずつ分け与えられていた。
くるくると巻いた髪は茶色。
生まれた時は、そうでもなかったらしいが、日に日に癖が出て来たという。
そして顔立ちは彫りが深く、ふっくらとした頬にブルーグレーの瞳。
だが瞳の色は、数ヶ月すれば茶色に変わるはずだ。
そして赤ん坊にしては長い睫毛。
唇は小さいがキュッと引き結ばれているのは、何かの意思の表れなのか。
とにかく生まれて間もない翔は、遠い国から訪れた男の顔をじっと見つめているが、見慣れない顔に泣きはしなかった。それは司が祖父と分ったからではないだろうか。
なぜなら目の前の男性は、見慣れないとは言え、自分の父と同じ顔をして、くるくるとした髪を持っているからだ。
そして彼の傍に立つ女性は、こうと決めたことは、最後まで諦めず絶対にやり抜くといった強い意思を持つ心優しい人だと分かったようだ。何故なら、自分を抱いたつくしを見てニッコリとほほ笑んだからだ。
「お袋。親父。可愛いだろ?髪の毛は俺の癖そのままだ」
「ああ。そうだな。お前のその癖は俺の癖でもあるが、翔にも遺伝したか」
「そうみたいだ。何しろこの髪は道明寺家の男達だけに受け継がれていくみたいだからな。俺も産まれた時は普通の髪だったらしいが、すぐに捲いてきたそうだ。そうだろ?お袋」
「え?うん。そうよ。航も産まれた時はストレートだったのよ?それなのに時間が経てば経つほどくるくるになっちゃって、遺伝子って恐ろしいなぁって思ったわ?」
航のいう通りで、くるくるとした癖のある髪は、道明寺家の兄弟たちには受け継がれたが、娘の彩には受け継がれなかった。だが司にしてみれば、それで良かったと思っている。
何しろストレートの黒髪を持つ彩は妻によく似ていて、英徳の高等部の制服姿は、出会った頃の妻そのものだからだ。
そんな彩や息子たちからも甥の誕生祝いにとプレゼントを預かっていた。そして司がジェットに乗せ運ぶ予定の初孫への大量のおもちゃのプレゼントは、母親から訊かされた航から止めてくれと言われ、持ち込むことは出来なかった。
それにすでに航のペントハウスの中は、子供の誕生を祝い、沢山のおもちゃやら贈り物が届けられているからだ。
だが司は初孫へどうしても贈り物をしたかった。
それならと航が言ったのは、世田谷の道明寺邸に飾られている古い兜飾りだ。
初節句の祝いを兼ねてその兜を貰えないかと言った航。
それは、司の祖父が彼の為に買ってくれたもので50年以上前の古いもの。
普段は殆ど誰も立ち入ることのない部屋に飾られている。
そして圭と蓮には、祖母である楓がそれぞれに立派な兜飾りを贈っていた。
だが航は、母と二人アパート暮らしで育った。端午の節句が来ても立派な兜飾りなど飾られたことは無かった。だからこそ我が子にはぜひ飾ってやりたいといった思いがあるということだが、司は初孫の初節句用に立派な兜を注文していた。
だが、航は父親が祖父から贈られたものがいいと言った。
そのとき、司は理解した。
航は、司が父親であることを知るまでアイデンティティーは牧野航であり、道明寺航ではなかった。本来なら父親しか出来ないことを、父親の肌から感じて学ぶことも学べなかった。
そして人生を道明寺航として始めるにあたり、当然だが葛藤もあったはずだ。
だが今では、道明寺航として生きているのが当たり前となり、司と航の親と子の絆は確かだが、航は子供の頃に父親からもらったものは何もない。だから親となった航は、父親がいれば祝ってもらえたであろう思い出が欲しい。自分が父親から贈られたものを、我が子に引き継がせたいといった思いがあるのではないだろうか。だから、兜が代々引き継がれて行けるなら、その兜を翔のために飾りたいと願ったということではないだろうか。
司は、そんな航の想いを汲み取り、古い兜をNYまで運んだ。そしてその兜を航を通し翔に贈った。
「ところで親父も今日から正真正銘のおじいちゃんだな。翔、おじいちゃんが東京から来てくれたぞ」
「ねえ航。この子人見知りしないのね?それとも本能であたしと司のことを理解しているのかしらね?」
祖母の腕に抱かれた翔は、自分を覗き込む大人たちの顔をまん丸の瞳でじっと見つめ返しているが、何の不満もないのか大人しく抱かれていた。
そんな孫の頬を司は指で優しく触れながら、この子はいったいどんな子に育つのかと思考を巡らせた。
道明寺家に生まれた子供は、世間では考えられないような特権と待遇を受ける。
だがそれを当然のように甘受するようでは、ただのぼんくら人間に成り下がってしまう。
航は、生まれたときは何も持たない女の子供だったが、父親が道明寺司であると知ってから、自分の人生について考えた。
だから、自らの意思でNYの楓の元で大学に通いながら、道明寺での仕事を学んだ。
そして子供もひとりの人格者として航を育てた妻は、我が子がNYで暮らすことを決断したとき、喜んで送り出した。それは航の人生は、航がやりたいようにすればいいといった思いが大きかったからだが、司もそのことに異議を唱えなかった。
かつて子供を無視した教育を受けさせられた司は、子供たちの自主性を重んじるではないが、彼らの判断を信用していた。それが将来本人のためになると知っているからだ。
そして自分の行動の責任は自分が負う。それが当たり前であり、道明寺という家を笠に着ての行動など、妻が許すはずがないからだ。
遠い昔、司は言われた。
親の権力を笠に着たお山の大将だ、と。
そして、愛情溢れる母親に育てられた航は、我が子にもその愛を惜しみなく与えると分かっている。
今の司は、我が子が自分の跡を継ぎ立派に仕事し、結婚し、そして孫が生まれたことを喜ばずにはいられない。そんな司が、かつて生きて行く意味が見いだせなかった男だとは誰も思わないはずだ。だがそんな司にも人を愛するという人間の誰しもが持つ本能が芽生えたのは、妻に出会ってからだ。
「本能か。どんなに世の中が進化しようとそれだけは変えることは出来ないからな。俺がつくしを本能で自分の女だって分かったのと同じでな。なあ、翔。お前もいつか自分の本能に従って好きな女を見つけるんだろうが、世界のどこにいても運命の女ってのは絶対分る。それがたとえ地の果てにいたとしてもだぞ?」
司はそう言って満足そうに孫を見つめながらも、航が繰り返し自分をおじいちゃんと呼ぶことにムッとしていた。当然だが司は自分をおじいちゃんと呼ばせるつもりはない。
航も祖母である楓のことは、おばあちゃんとは呼ばず楓さんと呼んでいた。今は曾祖母となった楓は、まだこの街で暮らしている。そしてひ孫の翔が結婚するまで長生きしてみせると言っていた。だがさすがの楓も、ひ孫には楓さんと呼ばせるつもりはなく、大おばあちゃまと呼ばせるつもりでいる。
それなら自分は何と呼ばせるか。グランパと呼ばせ、NYヤンキースの帽子を被らせ一緒に球場まで足を運ぶか。それなら妻はグランマとなるが彼女はおばあちゃんと呼ばれることに抵抗はないようだ。
「ねえ、航。ティナの所に行ってあげていいのよ?翔くんのことはあたしがちゃんと見ててあげるから」
ティナとはクリスティーナのことで、航の妻だが道明寺NYの顧問弁護士のひとりで忙しい人間だ。
つくしが初めてティナに会ったとき、流暢な日本語で挨拶をされ驚いたが、東京の大学に1年間留学をしていたと訊かされ納得した。
そんなティナと航は本当に仲がいい。それこそ長い間付き合いで、お互いのことを全て知っているように感じられるが、付き合ったのは1年というのだから、運命を感じたのだろう。
そして今日のティナは女性弁護士の集まりといったものがあるらしく、土曜日で仕事が休みの航が二人を出迎えていた。
「いいのか?お袋どこか行く予定があるんじゃないのか?」
「いいの。いいの。あたしと父さんは翔くんに会いたいからこの街に来たのよ?」
ニコニコと笑う母親は腕の中の孫が可愛くて仕方がないといった様子だ。
「それに赤ちゃん、毎晩泣くんでしょ?二人とも疲れてるわね?今日くらいゆっくりしたらいいわよ?大丈夫。あたしは4人の子育てをしてきたんだから、翔くんの面倒も見れるから任せなさい。あ、それからね、あたしも翔くんにいいものを持ってきたの。航。そこの鞄開けて?」
航は翔を抱いた母親が目配せした鞄を開けた。
「それね、懐かしいでしょ?航が小さい頃持ってたウサギ。日本から持って来たの。それは司が、父さんが小さかった頃、お母様から贈られたウサギでもあるけど、そのウサギを翔くんの傍に置いてあげて?何しろその子は道明寺家の男の子の面倒は見慣れてるから頼もしいわよ?たとえどんなに泣こうが喚こうが黙って傍にいてくれるわ。それに涙も吸い取ってくれるし便利よ?」
航の手に握られた白い小さなウサギ。
確かに母親が仕事でいないとき、いつも傍にそのウサギがいた。
そして幼かった司もそのウサギと一緒に時を過ごした。
つまりそのウサギは、道明寺家の男たちの弱さを知るウサギだ。
「本当はね、新しいウサギを連れて来ようと思ったんだけど、その子がどうしても道明寺家の新しい家族に会いたいって言うから連れてきたの」
親子の会話はそこで一旦途切れたが、司も航もそれぞれにウサギと過ごした時間を思い出し、苦笑いしていた。
「お袋。ありがたく貰うよ。このウサギ、うちの家宝にするよ」
「大袈裟ね。でも貰ってくれて嬉しいわ。じゃあ、そういうことで、ティナを迎えに行って二人でゆっくりして来たら?なんならどこかに泊まってもいいわよ?あたしと父さんのことなら気にしないで。ゲストルームで翔くんと遊んでいるから」
そう言って笑った女は、母であり、妻であり、祖母の顔をしていた。
家族と触れ合うことで優しい温もりといったものを知った司は、どんなに高価だと言われる宝石よりも、輝きを持つ小さな命が優しさを連れて来てくれることを知った。
それは、司が我が子の誕生に感じた時と同じだが、孫というのはまたその時とは違った感情を呼び起こす。
世間でよく言われる、孫は目に入れても痛くないという言葉。
だが実際には目の中には入らないが、孫のためならどんなことでもしてやりたいと思う。
そして思う。
本当に大切なものは何なのかと。
それは普段の日々の中にそっと置かれている愛だ。
司もつくしもいつかは旅立つ。
だが生まれてきた孫に命は受け継がれた。
そしてこうして命が繋がれることが嬉しいと思える。
子は親になり、やがて年を取れば彼らの拠り所となれる存在でありたいと思う。
「おい・・つくし・・翔が漏らしたようだ。ケツのあたりがじんわりと暖かい」
大きな手で孫を壊れ物のように抱く男は妻に言った。
「あ。本当?翔くんおしっこが出たのね?おむつ替えましょうね?」
「ああ、俺が替えてやるからおむつを出してくれ」
そんな会話が似合わないと言われていた男は、もういない。
そして幸福な光景を描くとすれば、今のこの状況を言うはずだ。
孫を抱く道明寺司。
かつての司を知る人間がそんな彼の姿を想像するだろうか。
だがあの頃の少年は今も変わらずここにいる。
ただし、妻の前だけに現れ我儘を言う。
二人が過ごした年月は、司が妻を忘れた分だけ削られているが、それでも今は幸せで、この幸せが永遠に続いてくれることを願わずにはいられない。
少なくともあと40年は続いて欲しいと思う。
「うわっ!翔のヤツしょんべんひっかけやがった!」
それはかつて我が子から何度もされた行為。
男の子の親なら誰もが経験がある、おむつを開けた途端噴水のように上がるおしっこ。
「あはは!まさかNYまで来て孫からおしっこひっかけられるなんて、圭や蓮が知ったら笑うわね?」
「うるせぇ!笑うなつくし!」
司は息子たちの前では父親としての威厳を見せる。
だが妻の前ではただの男だ。
そして妻の前なら笑われても同じように笑い返すことが出来る。
「しかし翔のヤツ。元気が良すぎるな。けど子供は元気なのが一番だ」
孫におしっこをかけられても笑って答える男。
翔のおじいちゃんは偉くて頼もしくて優しい男だ。
そして、そんな男を見上げる翔は、おじいちゃんに初めておしめを替えてもらい、ギュッと握った小さなこぶしを満足そうに振り回していたが、その手が開かれたとき、愛を描く手となり未来を変えてくれるはずだ。
司はその未来を見たいと思う。
だから翔を見下ろしながら決めた。
それは百歳まで元気で生きること。
もちろん、妻と共にだが、そう思うと突然ウキウキとした気持ちになるのだから不思議だ。
そして妻は、夫がそんな気持ちを抑えながらおしめを替えているとは思わないはずだ。
身体が健康で普通に生きること。
それが素晴らしいと思える司は、孫を得た歓びを改めて噛みしめていた。

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それは、妻に会った途端虜にされ、心臓がろっ骨にあたりそうなほどドキドキが止まらなかった少年の頃以来だ。
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可愛い、の後の妻の第一声は髪の毛の話。
東洋と北欧の遺伝子を受け継いだ翔は、父親と母親の特徴を半物ずつ分け与えられていた。
くるくると巻いた髪は茶色。
生まれた時は、そうでもなかったらしいが、日に日に癖が出て来たという。
そして顔立ちは彫りが深く、ふっくらとした頬にブルーグレーの瞳。
だが瞳の色は、数ヶ月すれば茶色に変わるはずだ。
そして赤ん坊にしては長い睫毛。
唇は小さいがキュッと引き結ばれているのは、何かの意思の表れなのか。
とにかく生まれて間もない翔は、遠い国から訪れた男の顔をじっと見つめているが、見慣れない顔に泣きはしなかった。それは司が祖父と分ったからではないだろうか。
なぜなら目の前の男性は、見慣れないとは言え、自分の父と同じ顔をして、くるくるとした髪を持っているからだ。
そして彼の傍に立つ女性は、こうと決めたことは、最後まで諦めず絶対にやり抜くといった強い意思を持つ心優しい人だと分かったようだ。何故なら、自分を抱いたつくしを見てニッコリとほほ笑んだからだ。
「お袋。親父。可愛いだろ?髪の毛は俺の癖そのままだ」
「ああ。そうだな。お前のその癖は俺の癖でもあるが、翔にも遺伝したか」
「そうみたいだ。何しろこの髪は道明寺家の男達だけに受け継がれていくみたいだからな。俺も産まれた時は普通の髪だったらしいが、すぐに捲いてきたそうだ。そうだろ?お袋」
「え?うん。そうよ。航も産まれた時はストレートだったのよ?それなのに時間が経てば経つほどくるくるになっちゃって、遺伝子って恐ろしいなぁって思ったわ?」
航のいう通りで、くるくるとした癖のある髪は、道明寺家の兄弟たちには受け継がれたが、娘の彩には受け継がれなかった。だが司にしてみれば、それで良かったと思っている。
何しろストレートの黒髪を持つ彩は妻によく似ていて、英徳の高等部の制服姿は、出会った頃の妻そのものだからだ。
そんな彩や息子たちからも甥の誕生祝いにとプレゼントを預かっていた。そして司がジェットに乗せ運ぶ予定の初孫への大量のおもちゃのプレゼントは、母親から訊かされた航から止めてくれと言われ、持ち込むことは出来なかった。
それにすでに航のペントハウスの中は、子供の誕生を祝い、沢山のおもちゃやら贈り物が届けられているからだ。
だが司は初孫へどうしても贈り物をしたかった。
それならと航が言ったのは、世田谷の道明寺邸に飾られている古い兜飾りだ。
初節句の祝いを兼ねてその兜を貰えないかと言った航。
それは、司の祖父が彼の為に買ってくれたもので50年以上前の古いもの。
普段は殆ど誰も立ち入ることのない部屋に飾られている。
そして圭と蓮には、祖母である楓がそれぞれに立派な兜飾りを贈っていた。
だが航は、母と二人アパート暮らしで育った。端午の節句が来ても立派な兜飾りなど飾られたことは無かった。だからこそ我が子にはぜひ飾ってやりたいといった思いがあるということだが、司は初孫の初節句用に立派な兜を注文していた。
だが、航は父親が祖父から贈られたものがいいと言った。
そのとき、司は理解した。
航は、司が父親であることを知るまでアイデンティティーは牧野航であり、道明寺航ではなかった。本来なら父親しか出来ないことを、父親の肌から感じて学ぶことも学べなかった。
そして人生を道明寺航として始めるにあたり、当然だが葛藤もあったはずだ。
だが今では、道明寺航として生きているのが当たり前となり、司と航の親と子の絆は確かだが、航は子供の頃に父親からもらったものは何もない。だから親となった航は、父親がいれば祝ってもらえたであろう思い出が欲しい。自分が父親から贈られたものを、我が子に引き継がせたいといった思いがあるのではないだろうか。だから、兜が代々引き継がれて行けるなら、その兜を翔のために飾りたいと願ったということではないだろうか。
司は、そんな航の想いを汲み取り、古い兜をNYまで運んだ。そしてその兜を航を通し翔に贈った。
「ところで親父も今日から正真正銘のおじいちゃんだな。翔、おじいちゃんが東京から来てくれたぞ」
「ねえ航。この子人見知りしないのね?それとも本能であたしと司のことを理解しているのかしらね?」
祖母の腕に抱かれた翔は、自分を覗き込む大人たちの顔をまん丸の瞳でじっと見つめ返しているが、何の不満もないのか大人しく抱かれていた。
そんな孫の頬を司は指で優しく触れながら、この子はいったいどんな子に育つのかと思考を巡らせた。
道明寺家に生まれた子供は、世間では考えられないような特権と待遇を受ける。
だがそれを当然のように甘受するようでは、ただのぼんくら人間に成り下がってしまう。
航は、生まれたときは何も持たない女の子供だったが、父親が道明寺司であると知ってから、自分の人生について考えた。
だから、自らの意思でNYの楓の元で大学に通いながら、道明寺での仕事を学んだ。
そして子供もひとりの人格者として航を育てた妻は、我が子がNYで暮らすことを決断したとき、喜んで送り出した。それは航の人生は、航がやりたいようにすればいいといった思いが大きかったからだが、司もそのことに異議を唱えなかった。
かつて子供を無視した教育を受けさせられた司は、子供たちの自主性を重んじるではないが、彼らの判断を信用していた。それが将来本人のためになると知っているからだ。
そして自分の行動の責任は自分が負う。それが当たり前であり、道明寺という家を笠に着ての行動など、妻が許すはずがないからだ。
遠い昔、司は言われた。
親の権力を笠に着たお山の大将だ、と。
そして、愛情溢れる母親に育てられた航は、我が子にもその愛を惜しみなく与えると分かっている。
今の司は、我が子が自分の跡を継ぎ立派に仕事し、結婚し、そして孫が生まれたことを喜ばずにはいられない。そんな司が、かつて生きて行く意味が見いだせなかった男だとは誰も思わないはずだ。だがそんな司にも人を愛するという人間の誰しもが持つ本能が芽生えたのは、妻に出会ってからだ。
「本能か。どんなに世の中が進化しようとそれだけは変えることは出来ないからな。俺がつくしを本能で自分の女だって分かったのと同じでな。なあ、翔。お前もいつか自分の本能に従って好きな女を見つけるんだろうが、世界のどこにいても運命の女ってのは絶対分る。それがたとえ地の果てにいたとしてもだぞ?」
司はそう言って満足そうに孫を見つめながらも、航が繰り返し自分をおじいちゃんと呼ぶことにムッとしていた。当然だが司は自分をおじいちゃんと呼ばせるつもりはない。
航も祖母である楓のことは、おばあちゃんとは呼ばず楓さんと呼んでいた。今は曾祖母となった楓は、まだこの街で暮らしている。そしてひ孫の翔が結婚するまで長生きしてみせると言っていた。だがさすがの楓も、ひ孫には楓さんと呼ばせるつもりはなく、大おばあちゃまと呼ばせるつもりでいる。
それなら自分は何と呼ばせるか。グランパと呼ばせ、NYヤンキースの帽子を被らせ一緒に球場まで足を運ぶか。それなら妻はグランマとなるが彼女はおばあちゃんと呼ばれることに抵抗はないようだ。
「ねえ、航。ティナの所に行ってあげていいのよ?翔くんのことはあたしがちゃんと見ててあげるから」
ティナとはクリスティーナのことで、航の妻だが道明寺NYの顧問弁護士のひとりで忙しい人間だ。
つくしが初めてティナに会ったとき、流暢な日本語で挨拶をされ驚いたが、東京の大学に1年間留学をしていたと訊かされ納得した。
そんなティナと航は本当に仲がいい。それこそ長い間付き合いで、お互いのことを全て知っているように感じられるが、付き合ったのは1年というのだから、運命を感じたのだろう。
そして今日のティナは女性弁護士の集まりといったものがあるらしく、土曜日で仕事が休みの航が二人を出迎えていた。
「いいのか?お袋どこか行く予定があるんじゃないのか?」
「いいの。いいの。あたしと父さんは翔くんに会いたいからこの街に来たのよ?」
ニコニコと笑う母親は腕の中の孫が可愛くて仕方がないといった様子だ。
「それに赤ちゃん、毎晩泣くんでしょ?二人とも疲れてるわね?今日くらいゆっくりしたらいいわよ?大丈夫。あたしは4人の子育てをしてきたんだから、翔くんの面倒も見れるから任せなさい。あ、それからね、あたしも翔くんにいいものを持ってきたの。航。そこの鞄開けて?」
航は翔を抱いた母親が目配せした鞄を開けた。
「それね、懐かしいでしょ?航が小さい頃持ってたウサギ。日本から持って来たの。それは司が、父さんが小さかった頃、お母様から贈られたウサギでもあるけど、そのウサギを翔くんの傍に置いてあげて?何しろその子は道明寺家の男の子の面倒は見慣れてるから頼もしいわよ?たとえどんなに泣こうが喚こうが黙って傍にいてくれるわ。それに涙も吸い取ってくれるし便利よ?」
航の手に握られた白い小さなウサギ。
確かに母親が仕事でいないとき、いつも傍にそのウサギがいた。
そして幼かった司もそのウサギと一緒に時を過ごした。
つまりそのウサギは、道明寺家の男たちの弱さを知るウサギだ。
「本当はね、新しいウサギを連れて来ようと思ったんだけど、その子がどうしても道明寺家の新しい家族に会いたいって言うから連れてきたの」
親子の会話はそこで一旦途切れたが、司も航もそれぞれにウサギと過ごした時間を思い出し、苦笑いしていた。
「お袋。ありがたく貰うよ。このウサギ、うちの家宝にするよ」
「大袈裟ね。でも貰ってくれて嬉しいわ。じゃあ、そういうことで、ティナを迎えに行って二人でゆっくりして来たら?なんならどこかに泊まってもいいわよ?あたしと父さんのことなら気にしないで。ゲストルームで翔くんと遊んでいるから」
そう言って笑った女は、母であり、妻であり、祖母の顔をしていた。
家族と触れ合うことで優しい温もりといったものを知った司は、どんなに高価だと言われる宝石よりも、輝きを持つ小さな命が優しさを連れて来てくれることを知った。
それは、司が我が子の誕生に感じた時と同じだが、孫というのはまたその時とは違った感情を呼び起こす。
世間でよく言われる、孫は目に入れても痛くないという言葉。
だが実際には目の中には入らないが、孫のためならどんなことでもしてやりたいと思う。
そして思う。
本当に大切なものは何なのかと。
それは普段の日々の中にそっと置かれている愛だ。
司もつくしもいつかは旅立つ。
だが生まれてきた孫に命は受け継がれた。
そしてこうして命が繋がれることが嬉しいと思える。
子は親になり、やがて年を取れば彼らの拠り所となれる存在でありたいと思う。
「おい・・つくし・・翔が漏らしたようだ。ケツのあたりがじんわりと暖かい」
大きな手で孫を壊れ物のように抱く男は妻に言った。
「あ。本当?翔くんおしっこが出たのね?おむつ替えましょうね?」
「ああ、俺が替えてやるからおむつを出してくれ」
そんな会話が似合わないと言われていた男は、もういない。
そして幸福な光景を描くとすれば、今のこの状況を言うはずだ。
孫を抱く道明寺司。
かつての司を知る人間がそんな彼の姿を想像するだろうか。
だがあの頃の少年は今も変わらずここにいる。
ただし、妻の前だけに現れ我儘を言う。
二人が過ごした年月は、司が妻を忘れた分だけ削られているが、それでも今は幸せで、この幸せが永遠に続いてくれることを願わずにはいられない。
少なくともあと40年は続いて欲しいと思う。
「うわっ!翔のヤツしょんべんひっかけやがった!」
それはかつて我が子から何度もされた行為。
男の子の親なら誰もが経験がある、おむつを開けた途端噴水のように上がるおしっこ。
「あはは!まさかNYまで来て孫からおしっこひっかけられるなんて、圭や蓮が知ったら笑うわね?」
「うるせぇ!笑うなつくし!」
司は息子たちの前では父親としての威厳を見せる。
だが妻の前ではただの男だ。
そして妻の前なら笑われても同じように笑い返すことが出来る。
「しかし翔のヤツ。元気が良すぎるな。けど子供は元気なのが一番だ」
孫におしっこをかけられても笑って答える男。
翔のおじいちゃんは偉くて頼もしくて優しい男だ。
そして、そんな男を見上げる翔は、おじいちゃんに初めておしめを替えてもらい、ギュッと握った小さなこぶしを満足そうに振り回していたが、その手が開かれたとき、愛を描く手となり未来を変えてくれるはずだ。
司はその未来を見たいと思う。
だから翔を見下ろしながら決めた。
それは百歳まで元気で生きること。
もちろん、妻と共にだが、そう思うと突然ウキウキとした気持ちになるのだから不思議だ。
そして妻は、夫がそんな気持ちを抑えながらおしめを替えているとは思わないはずだ。
身体が健康で普通に生きること。
それが素晴らしいと思える司は、孫を得た歓びを改めて噛みしめていた。

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司*****E様
おはようございます^^
初孫にご対面した司とつくし。
そして孫の成長に想いを馳せる。
自分のように育たないでと思っていますが、それは航が親ですからきっと大丈夫でしょう。
運命の人に必ず会えるという遺伝子。翔にも受け継がれているはずです。
え?彩ちゃんに彼氏が出来る話しですか?(笑)
司パパ大変なことになりそうな気がします。
雨の被害はありませんでした。しかし風が強いのは困りました。
そして行事出席お疲れさまでした。
子供たちの門出。新しい未来に向かって前を向いて歩いてもらいたいですね?^^
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
初孫にご対面した司とつくし。
そして孫の成長に想いを馳せる。
自分のように育たないでと思っていますが、それは航が親ですからきっと大丈夫でしょう。
運命の人に必ず会えるという遺伝子。翔にも受け継がれているはずです。
え?彩ちゃんに彼氏が出来る話しですか?(笑)
司パパ大変なことになりそうな気がします。
雨の被害はありませんでした。しかし風が強いのは困りました。
そして行事出席お疲れさまでした。
子供たちの門出。新しい未来に向かって前を向いて歩いてもらいたいですね?^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.03.10 00:14 | 編集

ま**ん様
司にとって運命の女神であるつくし。
どんな状況下でも幸せな人生を歩むことが、あの二人の未来であって欲しいと思えるのは何故でしょうねぇ(笑)
本当に二人の人生は皆の望む理想なのでしょうねぇ(笑)
素敵なおじいちゃんとおばあちゃんになる二人。
司おじいちゃんはワイルド系かもしれませんね?
そして二人の間に生まれた航は、冷静に二人を見ることが出来る男。
楓さん曰く、性格は自分に似てると言うのですから、もしかするとそうなのかもしれませんね?
道明寺ファミリーのお話しにお付き合いいただき、ありがとうございました^^
司にとって運命の女神であるつくし。
どんな状況下でも幸せな人生を歩むことが、あの二人の未来であって欲しいと思えるのは何故でしょうねぇ(笑)
本当に二人の人生は皆の望む理想なのでしょうねぇ(笑)
素敵なおじいちゃんとおばあちゃんになる二人。
司おじいちゃんはワイルド系かもしれませんね?
そして二人の間に生まれた航は、冷静に二人を見ることが出来る男。
楓さん曰く、性格は自分に似てると言うのですから、もしかするとそうなのかもしれませんね?
道明寺ファミリーのお話しにお付き合いいただき、ありがとうございました^^
アカシア
2018.03.10 00:22 | 編集

ふ*******マ様
おはようございます^^
おおっ!二人の親と自覚されていたところに、孫の誕生ということは、ひいおばあちゃんではないですか!
司は孫のために百歳まで生きると決めたようですが、こんな穏やかな日々があの二人に訪れるとは・・。
はい。人生捨てたものではありません。
生きていれば必ずいいことがある。健康であれば何でも出来ます!
そして道明寺ファミリーの幸せがこれからも続くように祈りたいですね?
拍手コメント有難うございました^^
おはようございます^^
おおっ!二人の親と自覚されていたところに、孫の誕生ということは、ひいおばあちゃんではないですか!
司は孫のために百歳まで生きると決めたようですが、こんな穏やかな日々があの二人に訪れるとは・・。
はい。人生捨てたものではありません。
生きていれば必ずいいことがある。健康であれば何でも出来ます!
そして道明寺ファミリーの幸せがこれからも続くように祈りたいですね?
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.03.10 00:32 | 編集
