久美子の反応は予想出来た。
だがそれは予想以上の反応だった。
「ちょっとつくし!あんた道明寺副社長と寝たの!?」
「久美子!声が大きいってば!」
ドイツのお土産があるからと言って久美子を呼び出したつくしは、行きつけの居酒屋の個室で、正面に座る久美子を声が大きいと窘めた。
「だってつくし…まさか本当にあんたと副社長が恋人同士になるなんて!…ま、あたしもそんなことを口にしたけど実際そうなってみると信じられないっていうのか….つくしの彼氏が道明寺副社長って…なんて言えばいいの?まあ何も言うことないけど、ただ驚くだけだわ」
恋愛に疎いと言われた女が、秘書として自分の仕えている男と恋仲になる。
それは久美子が予想したことだったが、まさか本当にそんなことになるとはつくし自身も思いもしなかった。
そして出張中のドイツで起きた事件のことを話したが、聞き上手な久美子は、つくしが司とそういった関係になったことを簡単に訊き出していた。
「ねぇつくし。あんたいつの間にか副社長のことを好きになったって言ったけど、副社長もそうだったんでしょ?それって相思相愛だったってことよね?それにしてもこの急激な展開って凄すぎるわよ!きっかけは新堂さんがつくしにモーションかけて来たことが副社長のアンテナにひっかかったってことよね?ほら、オスって自分の縄張りに他のオスが入り込むことを許せないでしょ?それと同じでさ、新堂さんの思いを知ってから副社長も自分の気持に気付いたってことよね?それにしても結婚を前提に付き合うって言われたんでしょ?それってシンデレラストーリーそのものね?さしずめ昔の女のマリアが意地悪な義理の姉妹って役割で、その女の存在も副社長にとっては大きかったってことだもの。それにしても今までどっちかって言えば堅かったつくしがドイツに行った途端、身も心も柔らかくなったのね?」
ドイツ人のグリム兄弟によって書かれた『シンデレラ』。
義理の家族に苛められる貧しい少女が王子様に見初められ、王妃になるという物語。
それ以来お金持ちの男性に見初められ結婚する女性のことをシンデレラと言うが、久美子はつくしがそのシンデレラだという。そして身も心も柔らかくなったと言ったが、言われてみればそうなのかもしれない。今までのつくしは仕事ができる真面目な女だと言われ、堅物で女としての反応は鈍いと言われていた。
「……ところでつくし。教えてよ?」
「何を?」
「これって凄く興味があることなんだけどね?」
「うん」
「副社長…どうだった?」
「どうだったって何が?」
「つくしったら今更カマトトぶらないでよね?だから、どうだったって言ったら決まってるじゃない。身体の相性よ、身体の。つくしは随分と久し振りだと思うから忘れた感覚だと思うの。それに正直久し振りすぎで痛みを感じたはずよ?大丈夫だった?」
身体の相性….。
随分とあけすけな話だが、久美子はこういった話にオープンだ。
だからいつも久美子から自分の彼氏がどうだとか聞かされるたび困惑していた。
何しろ未経験の女はそういった話についていくことは出来ず、適当にごまかすしかなかった。だが別に未経験であることを隠そうとしたのではない。ただ訊かれなかったから話さなかった。それに自ら話すことではないから言わなかった。
それに大丈夫も何も初めての経験で痛くないはずがない。
それでも耐えられない痛みだとは思えなくなったのは、どの段階だったのか。だがそんなこと覚えているはずもなく、ただ大きな背中に抱きつき声を上げていただけだ。それから後は火傷のようにヒリヒリとした痛みが感じられたが、眠りにつくまでまるで償いでもするように優しく抱いてくれた。
「ちょっとつくし。もしかして思い出してるわけ?ウィーンでの魅惑の一夜を!思い出すのもいいけど、早く教えてよ!副社長ってやっぱり素敵だった?あの身体…ってあたしは裸を見たことがないから分らないけど、きっと逞しくてしなやかで、お腹なんか6つに割れてて思わず顔を寄せたくなるんじゃない?ねえ?で、どうだったのよ?」
そして、つくしの前でどうだったのかと訊く久美子は、早く教えて欲しいといった顔で返事を促した。
「うん…大丈夫だった….」
と、じっと見つめる久美子の前で何気ない風を装った。
「ふうん…..大丈夫だったねぇ….」
久美子は相変わらずじっとつくしの目を見つめているが、つくしの答えに真顔になると、さっきとは打って変わり静に言葉を継いだ。
「ねえつくし。もしかして今まで経験がなかった?男と寝たことがなかったんじゃない?もしかすると副社長が初めての相手?」
えっ?といった顔をしたつくしにやっぱりね、と言った久美子は優しく笑った。
「そっか。やっぱりね。だってつくしはそういった話しは全然しないでしょ?あたしが開けっ広げなのかもしれないけど、あたしが話しても自分の意見は言わなかった。それに自分の過去の経験でこんなことがあったとかって話しもないし、どちらかと言えば気まずそうだったもの。だからもしかしたらって思ったんだけど違う?」
「…..うん……」
つくしは躊躇いながらも答えた。
耳年増ではないが、久美子の話から男性に関する知識を仕入れていたといってはなんだが、そういったものなのかと訊いていた。だから別に経験者のふりをしていた訳ではないのだが、まさか久美子も自分の周りに30過ぎて未経験の女が存在したとは思わなかったようだ。
「それで?結婚を前提に付き合いたいって言われたんでしょ?つくしは副社長と結婚したいと思ってるの?」
「久美子。あたしね、言われたの。生きている間に自分の運命の人間、自分にベストな人間に出会えたことが人生の成功だって。それがあたしのことだって」
「つくし凄いじゃない!あの道明寺副社長がそんな言葉を言うなんて!その言葉ってプロポーズよね?もう結婚するしかないわね。だってウィーンで遊園地に行ったんでしょ?ロマンスの神様は遊園地に行った二人は1年後には結婚するって言ってるもの」
久美子の言うロマンスの神様は、遊園地に行った二人は1年後に結婚するという明確なルールがあるらしい。
「でもね、つくし。男と女が結婚するには相手の家族から認めてもらうことが重要よ?何しろ相手はあの道明寺司。うちの副社長で道明寺財閥の跡取り。母親は社長の道明寺楓。なかなか手強そうよ?」
久美子はそう言ったが、ドイツで司が駆けつけて来てくれたのは、道明寺楓から見せられた写真だったと言った。そして母親は自分がしなければならないことをしなさいと言ったという。その言葉の意味を考えたとき、彼は何を思ったのか。
そして観覧車の中で言われた『結婚を前提に』の言葉は本気だ。
一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど彼が何を求めているのか感じられるものがあった。
幼い頃から豊な生活をしてきた人で、物に対しての所有欲は薄いのだが、自分が本当に大切にしたいという人間に対しての所有欲は間違いなくある。
だから今日こうして久美子と会うことにも嫉妬ではないが、場所はどこだ、何時に終わるのかとしきりに気にしていた。
「ねえつくし。あんたも35歳になったんだから、母親になるならそろそろよ?早い方がいいに決まってるわ。だから悩んじゃダメよ。どうせつまらない事で悩むのは目に見えてるわ。悩んでる暇があるなら、早く副社長と結婚しなさいよ」
「久美子。久美子だって同じ年でしょ?どうして結婚しないの?あたし一度聞きたかったの。久美子みたいにモテる女がどうしていつまでもひとりなのか不思議に思ってた」
つくしは素朴な疑問を口にした。
久美子の性格は大雑把で細かいことは気にしない。
そして美人で若い頃からモデルにならないかとスカウトされたことがあったと言う。
つくしと二人一緒にいれば、間違いなく人の目は彼女に向けられ、こうして居酒屋で注文を取りにくる店員も久美子へ視線を向ける。
そんな親友がなぜいつまでもひとりなのか。
「つくし。外見だけがいいならマネキンでも買えばいいのよ。そんな男なんて願い下げ。それにあたしは外見じゃなくて頭で勝負したいから道明寺に就職することを決めたの。自分の実力を試したいから。だいたい顔だけでちやほやされる人間なんて容姿が衰えた途端どうなるか分る?あの人、若い頃は美人だったけど、中身はカラッポ。あの人お飾りなのよ?って言われちゃうわけ。でもその点うちの会社は顔で選ばないからね。容姿が衰えたからって関係ないでしょ?道明寺は能力第一主義。だからいつかあたしの外見じゃなくて内面を気に入ってくれる人が現れるまでバリバリ働くわ」
久美子の話は、司が話した彼自身の子供の頃の話に似ていた。
だが彼の場合は外見だけではなかったが、久美子と同じで人間の本質を見ては貰えなかったと言った。
「それにね。美人はなかなか幸せになれないのよ?だってロマンスの神様は女性だから美人には冷たいの。だからってつくしが美人じゃないなんて言ってないからね?つくしは可愛い。そうね…ウサギかな?ほら、ナキウサギ。寒い所に住んでるちっちゃくて掌に乗るハムスターみたいなウサギ。でもあのウサギは空気が綺麗な場所じゃないと死んじゃうのよね。あたしが思うに副社長はそんなつくしに惚れちゃったのね?副社長は黒豹だけどちっちゃなウサギが気に入ったのね?」
黒豹とウサギの組み合わせ。
その気になれば咀嚼せず丸呑み出来る小さなウサギ。
だがつくしは自分が小さくてか弱いウサギだとは思っていない。
つくしだって久美子と同じで道明寺という会社に入社したのは、バリバリ仕事がしたかったからだ。事実社会に出て13年。一人前に働き、給料をもらって生活していた。
そんな中で出会ったビルの最上階の住人は副社長で出会いは険悪だった。
やがて上司と秘書という立場でスタートした二人の関係。
初めの頃は、からかわれていると感じることもあった。だが仕事だから気にしなかった。
やがて話しに夢中になっていた二人は、個室の襖が開いたことに気付かなかった。
だがつくしの真正面で、襖へ顔を向けていた久美子の箸先から鶏の唐揚げがポロリと落ちた。
「つくし。迎えに来たぞ」
つくしは名前を呼ばれ顔をそちらへ向けた。
そこにいたのは、道明寺司。
大きくて切れ長の優しい目を持つつくしの恋人は、彼女だけに見せる笑顔を向けていた。
当然だがそれを見た久美子は言葉を失った。
ひと前で笑うことなど絶対にないと言われる副社長が笑っているのだから。
そしてそんな男は今ではどうかすると常につくしの傍にいたがる。
そんな男が、
「おいつくし。これ」
と言って差し出してきた茶色の紙袋が入った半透明のビニール袋。
受け取って触れると柔らかく温かい。
「なあに?」
「来る途中買った。お前甘いものが好きだろ?鯛焼きだ。鯛焼き」
「ほんと?嬉しい!ありがとう!」
「お前が汚そうな店で焼いてる鯛焼きが美味いって言うから、わざわざ汚そうな店で買ったんだ。だから絶対に美味いはずだ。それからお前の行きつけだって言う中華料理屋、いつ連れて行ってくれるんだ?美味いんだろ?そこの酢豚定食ってヤツ。それからこれはお前の友だちの分だ」
司は久美子に目をやり、手にしていたもうひとつの袋を差し出した。
「え?久美子の分まで買ってきてくれたの?」
「ああ。しかし女はどうしてこんな甘いモンが食べれるのか不思議だがな。こんなの食ったら胸焼けどころじゃねぇけどな」
久美子は今目の前で繰り広げられている男と女の会話が信じられずにいた。
鯛焼きを買って女を迎えに来た男の姿を。
無意味な笑顔が嫌いという副社長の顔に浮かんだ笑顔と、その男が鯛焼きを買う姿が想像出来なかった。
世界的企業道明寺HD副社長、道明寺司。
上等なスーツに黒のロングコートを着た男が1個180円ほどの鯛焼きの入った半透明のビニール袋を提げている姿を見た人間は、世界広しとしても久美子だけのはずだ。
いや、目の前の親友は今までも買ってもらったことがあるはずだ。
何しろ彼女に言われ、汚そうな店を選んだというのだから。
それにしても、久美子が受け取った袋の中にはいったい幾つの鯛焼きが入っているのか。
重さから最低でも10個は入っていそうだ。これをひとりで食べるには何日かかるのか?
そんな久美子の思いをよそに、目の前の二人は中華料理屋の話をしていた。
杏仁豆腐が付いたら1200円になるという酢豚定食の話を。
「あ。じゃあ久美子。帰るね?よかったら一緒に乗って行く?」
「うんうん。いい。鯛焼き貰ったから」
と車に乗るのを断る理由としては、意味不明の言葉を発したが、それしか言えなかった。
それにあの副社長に鯛焼きを貰ったことで充分だった。
それにしても、人生は思いもしないことが起こるというが、つくづく実感した。
副社長と秘書の恋。まさにロマンス小説のような展開。
久美子は、今日見た思わぬ光景の記念に、この鯛焼きは冷凍にしておこうと考えた。
そうすれば、一度に沢山食べなくてもいいこともあるが、幸せのお裾分けをしてもらえたような気がするからだ。だからこの鯛焼きは幸せの鯛焼きとでも呼ぶことにする。
それにしても、久美子が知らないうちにどうやら二人の関係は良い方へと進んでいるようだ。なにしろ二人が並んだ後ろ姿は、長い間付き合った恋人同士のようなさり気なさが感じられた。
「あたしも帰ろっと」
と、久美子は鯛焼きの入ったビニール袋の温もりを両手で包んだ。
「それにしても今年は雪がよく降るな」
「ホントね」
二人が店を出たとき、外は雪が降り始めていた。
司は自分のコートの前を広げるとつくしを背中から包んだ。
小さな女はコートを着ていても司にとってはまだ小さかった。
だから、彼の腕の中に余裕で収まった。
「ちょっと。鯛焼きが潰れちゃうじゃない!」
「お前は俺よりも鯛焼きの方が大切だって言うのか?」
それは、眉間に力を集め、こめかみに静脈を浮き上がらせた顏。
鯛焼きにまで嫉妬をする男を誰が想像するだろうか?
「だって餡が出ちゃったら可哀想じゃない!」
と言って鯛焼きの皮からはみ出る餡を心配する女。
「ああ、分かった。それなら鯛焼き屋ごと買ってやるから、そこで気が済むまで鯛焼きを食べればいいだろ?どこの鯛焼き屋がいいんだ?お前のお気に入りの店を買い上げてやる」
「もう!すぐそう言うこと言うんだから….そんなこと言うなら司にも食べてもらうからね?餡がお腹からはみ出した鯛を!」
道明寺HDの副社長は小さな女に文句を言うが、もちろん本気で言っているのではない。
ただ、じゃれたいだけ。だが餡が沢山詰まった鯛焼きは食べたくない。特に腹から餡がはみ出した鯛の姿は魚そのものの腹が裂けた訳ではないが、どうも嫌な気分になる。
だが、そんな鯛焼きでも彼女が食べさせてくれるなら食べてもいいと思う。
「お前が食べさせてくれるなら食べてもいい。但し口移しで」
と言ってみる。
「いいわよ」
つくしは得意気に同意した。
その言葉に司はやぶ蛇になったといった顔をした。
だがすぐにその顔は、好きな人の前だから見せることが出来る種類の、相手を安心させる笑顔に変わっていた。

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「だってつくし…まさか本当にあんたと副社長が恋人同士になるなんて!…ま、あたしもそんなことを口にしたけど実際そうなってみると信じられないっていうのか….つくしの彼氏が道明寺副社長って…なんて言えばいいの?まあ何も言うことないけど、ただ驚くだけだわ」
恋愛に疎いと言われた女が、秘書として自分の仕えている男と恋仲になる。
それは久美子が予想したことだったが、まさか本当にそんなことになるとはつくし自身も思いもしなかった。
そして出張中のドイツで起きた事件のことを話したが、聞き上手な久美子は、つくしが司とそういった関係になったことを簡単に訊き出していた。
「ねぇつくし。あんたいつの間にか副社長のことを好きになったって言ったけど、副社長もそうだったんでしょ?それって相思相愛だったってことよね?それにしてもこの急激な展開って凄すぎるわよ!きっかけは新堂さんがつくしにモーションかけて来たことが副社長のアンテナにひっかかったってことよね?ほら、オスって自分の縄張りに他のオスが入り込むことを許せないでしょ?それと同じでさ、新堂さんの思いを知ってから副社長も自分の気持に気付いたってことよね?それにしても結婚を前提に付き合うって言われたんでしょ?それってシンデレラストーリーそのものね?さしずめ昔の女のマリアが意地悪な義理の姉妹って役割で、その女の存在も副社長にとっては大きかったってことだもの。それにしても今までどっちかって言えば堅かったつくしがドイツに行った途端、身も心も柔らかくなったのね?」
ドイツ人のグリム兄弟によって書かれた『シンデレラ』。
義理の家族に苛められる貧しい少女が王子様に見初められ、王妃になるという物語。
それ以来お金持ちの男性に見初められ結婚する女性のことをシンデレラと言うが、久美子はつくしがそのシンデレラだという。そして身も心も柔らかくなったと言ったが、言われてみればそうなのかもしれない。今までのつくしは仕事ができる真面目な女だと言われ、堅物で女としての反応は鈍いと言われていた。
「……ところでつくし。教えてよ?」
「何を?」
「これって凄く興味があることなんだけどね?」
「うん」
「副社長…どうだった?」
「どうだったって何が?」
「つくしったら今更カマトトぶらないでよね?だから、どうだったって言ったら決まってるじゃない。身体の相性よ、身体の。つくしは随分と久し振りだと思うから忘れた感覚だと思うの。それに正直久し振りすぎで痛みを感じたはずよ?大丈夫だった?」
身体の相性….。
随分とあけすけな話だが、久美子はこういった話にオープンだ。
だからいつも久美子から自分の彼氏がどうだとか聞かされるたび困惑していた。
何しろ未経験の女はそういった話についていくことは出来ず、適当にごまかすしかなかった。だが別に未経験であることを隠そうとしたのではない。ただ訊かれなかったから話さなかった。それに自ら話すことではないから言わなかった。
それに大丈夫も何も初めての経験で痛くないはずがない。
それでも耐えられない痛みだとは思えなくなったのは、どの段階だったのか。だがそんなこと覚えているはずもなく、ただ大きな背中に抱きつき声を上げていただけだ。それから後は火傷のようにヒリヒリとした痛みが感じられたが、眠りにつくまでまるで償いでもするように優しく抱いてくれた。
「ちょっとつくし。もしかして思い出してるわけ?ウィーンでの魅惑の一夜を!思い出すのもいいけど、早く教えてよ!副社長ってやっぱり素敵だった?あの身体…ってあたしは裸を見たことがないから分らないけど、きっと逞しくてしなやかで、お腹なんか6つに割れてて思わず顔を寄せたくなるんじゃない?ねえ?で、どうだったのよ?」
そして、つくしの前でどうだったのかと訊く久美子は、早く教えて欲しいといった顔で返事を促した。
「うん…大丈夫だった….」
と、じっと見つめる久美子の前で何気ない風を装った。
「ふうん…..大丈夫だったねぇ….」
久美子は相変わらずじっとつくしの目を見つめているが、つくしの答えに真顔になると、さっきとは打って変わり静に言葉を継いだ。
「ねえつくし。もしかして今まで経験がなかった?男と寝たことがなかったんじゃない?もしかすると副社長が初めての相手?」
えっ?といった顔をしたつくしにやっぱりね、と言った久美子は優しく笑った。
「そっか。やっぱりね。だってつくしはそういった話しは全然しないでしょ?あたしが開けっ広げなのかもしれないけど、あたしが話しても自分の意見は言わなかった。それに自分の過去の経験でこんなことがあったとかって話しもないし、どちらかと言えば気まずそうだったもの。だからもしかしたらって思ったんだけど違う?」
「…..うん……」
つくしは躊躇いながらも答えた。
耳年増ではないが、久美子の話から男性に関する知識を仕入れていたといってはなんだが、そういったものなのかと訊いていた。だから別に経験者のふりをしていた訳ではないのだが、まさか久美子も自分の周りに30過ぎて未経験の女が存在したとは思わなかったようだ。
「それで?結婚を前提に付き合いたいって言われたんでしょ?つくしは副社長と結婚したいと思ってるの?」
「久美子。あたしね、言われたの。生きている間に自分の運命の人間、自分にベストな人間に出会えたことが人生の成功だって。それがあたしのことだって」
「つくし凄いじゃない!あの道明寺副社長がそんな言葉を言うなんて!その言葉ってプロポーズよね?もう結婚するしかないわね。だってウィーンで遊園地に行ったんでしょ?ロマンスの神様は遊園地に行った二人は1年後には結婚するって言ってるもの」
久美子の言うロマンスの神様は、遊園地に行った二人は1年後に結婚するという明確なルールがあるらしい。
「でもね、つくし。男と女が結婚するには相手の家族から認めてもらうことが重要よ?何しろ相手はあの道明寺司。うちの副社長で道明寺財閥の跡取り。母親は社長の道明寺楓。なかなか手強そうよ?」
久美子はそう言ったが、ドイツで司が駆けつけて来てくれたのは、道明寺楓から見せられた写真だったと言った。そして母親は自分がしなければならないことをしなさいと言ったという。その言葉の意味を考えたとき、彼は何を思ったのか。
そして観覧車の中で言われた『結婚を前提に』の言葉は本気だ。
一緒に過ごす時間が増えれば増えるほど彼が何を求めているのか感じられるものがあった。
幼い頃から豊な生活をしてきた人で、物に対しての所有欲は薄いのだが、自分が本当に大切にしたいという人間に対しての所有欲は間違いなくある。
だから今日こうして久美子と会うことにも嫉妬ではないが、場所はどこだ、何時に終わるのかとしきりに気にしていた。
「ねえつくし。あんたも35歳になったんだから、母親になるならそろそろよ?早い方がいいに決まってるわ。だから悩んじゃダメよ。どうせつまらない事で悩むのは目に見えてるわ。悩んでる暇があるなら、早く副社長と結婚しなさいよ」
「久美子。久美子だって同じ年でしょ?どうして結婚しないの?あたし一度聞きたかったの。久美子みたいにモテる女がどうしていつまでもひとりなのか不思議に思ってた」
つくしは素朴な疑問を口にした。
久美子の性格は大雑把で細かいことは気にしない。
そして美人で若い頃からモデルにならないかとスカウトされたことがあったと言う。
つくしと二人一緒にいれば、間違いなく人の目は彼女に向けられ、こうして居酒屋で注文を取りにくる店員も久美子へ視線を向ける。
そんな親友がなぜいつまでもひとりなのか。
「つくし。外見だけがいいならマネキンでも買えばいいのよ。そんな男なんて願い下げ。それにあたしは外見じゃなくて頭で勝負したいから道明寺に就職することを決めたの。自分の実力を試したいから。だいたい顔だけでちやほやされる人間なんて容姿が衰えた途端どうなるか分る?あの人、若い頃は美人だったけど、中身はカラッポ。あの人お飾りなのよ?って言われちゃうわけ。でもその点うちの会社は顔で選ばないからね。容姿が衰えたからって関係ないでしょ?道明寺は能力第一主義。だからいつかあたしの外見じゃなくて内面を気に入ってくれる人が現れるまでバリバリ働くわ」
久美子の話は、司が話した彼自身の子供の頃の話に似ていた。
だが彼の場合は外見だけではなかったが、久美子と同じで人間の本質を見ては貰えなかったと言った。
「それにね。美人はなかなか幸せになれないのよ?だってロマンスの神様は女性だから美人には冷たいの。だからってつくしが美人じゃないなんて言ってないからね?つくしは可愛い。そうね…ウサギかな?ほら、ナキウサギ。寒い所に住んでるちっちゃくて掌に乗るハムスターみたいなウサギ。でもあのウサギは空気が綺麗な場所じゃないと死んじゃうのよね。あたしが思うに副社長はそんなつくしに惚れちゃったのね?副社長は黒豹だけどちっちゃなウサギが気に入ったのね?」
黒豹とウサギの組み合わせ。
その気になれば咀嚼せず丸呑み出来る小さなウサギ。
だがつくしは自分が小さくてか弱いウサギだとは思っていない。
つくしだって久美子と同じで道明寺という会社に入社したのは、バリバリ仕事がしたかったからだ。事実社会に出て13年。一人前に働き、給料をもらって生活していた。
そんな中で出会ったビルの最上階の住人は副社長で出会いは険悪だった。
やがて上司と秘書という立場でスタートした二人の関係。
初めの頃は、からかわれていると感じることもあった。だが仕事だから気にしなかった。
やがて話しに夢中になっていた二人は、個室の襖が開いたことに気付かなかった。
だがつくしの真正面で、襖へ顔を向けていた久美子の箸先から鶏の唐揚げがポロリと落ちた。
「つくし。迎えに来たぞ」
つくしは名前を呼ばれ顔をそちらへ向けた。
そこにいたのは、道明寺司。
大きくて切れ長の優しい目を持つつくしの恋人は、彼女だけに見せる笑顔を向けていた。
当然だがそれを見た久美子は言葉を失った。
ひと前で笑うことなど絶対にないと言われる副社長が笑っているのだから。
そしてそんな男は今ではどうかすると常につくしの傍にいたがる。
そんな男が、
「おいつくし。これ」
と言って差し出してきた茶色の紙袋が入った半透明のビニール袋。
受け取って触れると柔らかく温かい。
「なあに?」
「来る途中買った。お前甘いものが好きだろ?鯛焼きだ。鯛焼き」
「ほんと?嬉しい!ありがとう!」
「お前が汚そうな店で焼いてる鯛焼きが美味いって言うから、わざわざ汚そうな店で買ったんだ。だから絶対に美味いはずだ。それからお前の行きつけだって言う中華料理屋、いつ連れて行ってくれるんだ?美味いんだろ?そこの酢豚定食ってヤツ。それからこれはお前の友だちの分だ」
司は久美子に目をやり、手にしていたもうひとつの袋を差し出した。
「え?久美子の分まで買ってきてくれたの?」
「ああ。しかし女はどうしてこんな甘いモンが食べれるのか不思議だがな。こんなの食ったら胸焼けどころじゃねぇけどな」
久美子は今目の前で繰り広げられている男と女の会話が信じられずにいた。
鯛焼きを買って女を迎えに来た男の姿を。
無意味な笑顔が嫌いという副社長の顔に浮かんだ笑顔と、その男が鯛焼きを買う姿が想像出来なかった。
世界的企業道明寺HD副社長、道明寺司。
上等なスーツに黒のロングコートを着た男が1個180円ほどの鯛焼きの入った半透明のビニール袋を提げている姿を見た人間は、世界広しとしても久美子だけのはずだ。
いや、目の前の親友は今までも買ってもらったことがあるはずだ。
何しろ彼女に言われ、汚そうな店を選んだというのだから。
それにしても、久美子が受け取った袋の中にはいったい幾つの鯛焼きが入っているのか。
重さから最低でも10個は入っていそうだ。これをひとりで食べるには何日かかるのか?
そんな久美子の思いをよそに、目の前の二人は中華料理屋の話をしていた。
杏仁豆腐が付いたら1200円になるという酢豚定食の話を。
「あ。じゃあ久美子。帰るね?よかったら一緒に乗って行く?」
「うんうん。いい。鯛焼き貰ったから」
と車に乗るのを断る理由としては、意味不明の言葉を発したが、それしか言えなかった。
それにあの副社長に鯛焼きを貰ったことで充分だった。
それにしても、人生は思いもしないことが起こるというが、つくづく実感した。
副社長と秘書の恋。まさにロマンス小説のような展開。
久美子は、今日見た思わぬ光景の記念に、この鯛焼きは冷凍にしておこうと考えた。
そうすれば、一度に沢山食べなくてもいいこともあるが、幸せのお裾分けをしてもらえたような気がするからだ。だからこの鯛焼きは幸せの鯛焼きとでも呼ぶことにする。
それにしても、久美子が知らないうちにどうやら二人の関係は良い方へと進んでいるようだ。なにしろ二人が並んだ後ろ姿は、長い間付き合った恋人同士のようなさり気なさが感じられた。
「あたしも帰ろっと」
と、久美子は鯛焼きの入ったビニール袋の温もりを両手で包んだ。
「それにしても今年は雪がよく降るな」
「ホントね」
二人が店を出たとき、外は雪が降り始めていた。
司は自分のコートの前を広げるとつくしを背中から包んだ。
小さな女はコートを着ていても司にとってはまだ小さかった。
だから、彼の腕の中に余裕で収まった。
「ちょっと。鯛焼きが潰れちゃうじゃない!」
「お前は俺よりも鯛焼きの方が大切だって言うのか?」
それは、眉間に力を集め、こめかみに静脈を浮き上がらせた顏。
鯛焼きにまで嫉妬をする男を誰が想像するだろうか?
「だって餡が出ちゃったら可哀想じゃない!」
と言って鯛焼きの皮からはみ出る餡を心配する女。
「ああ、分かった。それなら鯛焼き屋ごと買ってやるから、そこで気が済むまで鯛焼きを食べればいいだろ?どこの鯛焼き屋がいいんだ?お前のお気に入りの店を買い上げてやる」
「もう!すぐそう言うこと言うんだから….そんなこと言うなら司にも食べてもらうからね?餡がお腹からはみ出した鯛を!」
道明寺HDの副社長は小さな女に文句を言うが、もちろん本気で言っているのではない。
ただ、じゃれたいだけ。だが餡が沢山詰まった鯛焼きは食べたくない。特に腹から餡がはみ出した鯛の姿は魚そのものの腹が裂けた訳ではないが、どうも嫌な気分になる。
だが、そんな鯛焼きでも彼女が食べさせてくれるなら食べてもいいと思う。
「お前が食べさせてくれるなら食べてもいい。但し口移しで」
と言ってみる。
「いいわよ」
つくしは得意気に同意した。
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コメント
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司*****E様
おはようございます^^
久美子。大興奮!(笑)
久美子の中のロマンスの神様は、あの歌の通り遊園地に行ったら1年後はハネムーンらしいです(笑)
新堂巧。懐かしい名前が!でももうチャンスはないですよ。
諦めて下さい(笑)
そして司が鯛焼きを買って来るというレアな姿を目の当たりにした久美子。
幸せのお裾分けの鯛焼きを冷凍にして少しずつ食べるようです。
久美子にも素敵な人が現れるといいのですが、美人は幸せにならないと言う女(笑)
でもいつかきっと素敵な人が現れることでしょうね?
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
久美子。大興奮!(笑)
久美子の中のロマンスの神様は、あの歌の通り遊園地に行ったら1年後はハネムーンらしいです(笑)
新堂巧。懐かしい名前が!でももうチャンスはないですよ。
諦めて下さい(笑)
そして司が鯛焼きを買って来るというレアな姿を目の当たりにした久美子。
幸せのお裾分けの鯛焼きを冷凍にして少しずつ食べるようです。
久美子にも素敵な人が現れるといいのですが、美人は幸せにならないと言う女(笑)
でもいつかきっと素敵な人が現れることでしょうね?
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.18 23:01 | 編集

H*様
久美子。食べきれない鯛焼きを冷凍保存するそうです。
楽しくて頼りがいのある友達は同期ならではですね?
そして美人の彼女はなかなか幸せになれないのと言いますが、いつかきっと幸せになるはずです。
司にもっといい物を貰いたいですか?鯛焼きの中には餡ではなく別のものを詰めてもらいましょう!(笑)
拍手コメント有難うございました^^
久美子。食べきれない鯛焼きを冷凍保存するそうです。
楽しくて頼りがいのある友達は同期ならではですね?
そして美人の彼女はなかなか幸せになれないのと言いますが、いつかきっと幸せになるはずです。
司にもっといい物を貰いたいですか?鯛焼きの中には餡ではなく別のものを詰めてもらいましょう!(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.18 23:10 | 編集

L**A(坊****愛)様
幸せの鯛焼き!
アカシアにもお裾分けして欲しいです。
それにしても、坊ちゃんつくしに汚そうな店で買えと言われ、どんな店で買ったのでしょうね?(笑)
買う姿を見てみたいものです(≧▽≦)
拍手コメント有難うございました^^
幸せの鯛焼き!
アカシアにもお裾分けして欲しいです。
それにしても、坊ちゃんつくしに汚そうな店で買えと言われ、どんな店で買ったのでしょうね?(笑)
買う姿を見てみたいものです(≧▽≦)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.18 23:15 | 編集

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さ***ん様
久美子の予想を裏切らない反応。
ただ驚くだけ。それはそうです!
そしてロマンスの神様の、明確な遊園地ルール(笑)
そうです。ウィーンで遊園地に行ってます。
これはもう初めからそうなることが決まっていたかのようですね?(笑)
そしてアカシア名物(≧▽≦)つくしを「〇〇にたとえる!」
本当ですよね~(笑)色々とたとえてきましたが、今回はナキウサギ。
可愛いですよね?アカシアもあのウサギを掌に乗せてみたいです。
でも希少動物なんですよね?つくしも女としては、希少動物でしたから、たとえた久美子はそんな思いもあったのでしょうか?
え?ナキウサギの代わりのお土産が木彫りの熊!(笑)おじい様流石です!
【汚そうな店の鯛焼きが上手い】
そうなんです、そんな店の鯛焼きの方が、清潔感溢れる店よりも美味しそうに感じられるんですよね?
そして副社長から鯛焼きを賜った久美子は、それを幸せの鯛焼きとして冷凍庫へ保存。
幸せのお裾分け。いいですね、久美子にも早く幸せが訪れますように。
コメント有難うございました^^
久美子の予想を裏切らない反応。
ただ驚くだけ。それはそうです!
そしてロマンスの神様の、明確な遊園地ルール(笑)
そうです。ウィーンで遊園地に行ってます。
これはもう初めからそうなることが決まっていたかのようですね?(笑)
そしてアカシア名物(≧▽≦)つくしを「〇〇にたとえる!」
本当ですよね~(笑)色々とたとえてきましたが、今回はナキウサギ。
可愛いですよね?アカシアもあのウサギを掌に乗せてみたいです。
でも希少動物なんですよね?つくしも女としては、希少動物でしたから、たとえた久美子はそんな思いもあったのでしょうか?
え?ナキウサギの代わりのお土産が木彫りの熊!(笑)おじい様流石です!
【汚そうな店の鯛焼きが上手い】
そうなんです、そんな店の鯛焼きの方が、清潔感溢れる店よりも美味しそうに感じられるんですよね?
そして副社長から鯛焼きを賜った久美子は、それを幸せの鯛焼きとして冷凍庫へ保存。
幸せのお裾分け。いいですね、久美子にも早く幸せが訪れますように。
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.20 23:09 | 編集
