ドイツ出張はつくしにとって思いもよらない経験が伴った。
それはマリアという女性に出会い、誘拐され、監禁され、川に突き落とされたこと。
多分、いや恐らくもう二度と経験しないことだと分かっているが、そんな経験をした当事者は、直ぐにでも退院したい。秘書としての仕事をしなければとベッドの上で考えていた。だがそれを許さなかったのが恋人となった男性と東京から飛んで来た秘書室長の西田だ。
見舞いに訪れた西田はつくしの頬に腫れと少しの傷を認めると、顔をしかめドイツでの仕事は心配しなくてもいいと言った。
そして、ドイツを立つという最終日前日に退院すると、扉を挟んだ部屋にいる男性のことを考えていた。
この部屋に泊まることを告げられたとき、二人の部屋の間の扉は、お前が開かない限り俺から開くことはないと言われた。
だが二人は付き合うことに決めたのだから、そんなことはもう関係ないと思う。
だから今夜一緒にいて欲しい、と喉元まで出かかったが恋人が先に口を開いた。
「おやすみ。ゆっくり休め」
そして頬に残った小さな傷に手を触れ言葉を継いだ。
「無理するな」と。
だがあの経験が生存本能を発動させたのか。
病院のベッドの上で濡れたスーツ姿で抱きしめられたとき、離れたくないと思った。あのままずっと抱いていて欲しいと思った。濡れたスーツを脱いで一緒にベッドに入って欲しいと思った。それに今は自分を守りたいといった考えはなかった。35歳のバージンなんて自慢にも何もならないのだが、別に意図して守っていた訳ではない。なんとなくそうなっただけだ。
かつて付き合いを始めたばかりの男性に、いきなりホテルに連れて行かれそうになり断るとノリが悪いと言われ、別れようと言われた。
あの当時、まだ若く漠然とだが初めて結ばれる人は結婚相手だと考えていた。女性なら誰もがそう思うはずだ。それがおかしいとは思わないはずだ。だがノリといった言葉を使った男性は、そういったことを真剣に考えてくれる人ではなかったということだ。
それにつくしもその人との行為にそれ相応の覚悟といったものは無かった。いや好きな人に抱かれるならそんな覚悟は必要ないはずだ。純粋にその人が欲しい。傍にいて欲しいと思うから抱かれたいと思うはずだ。だがあの時、そんな気にはなれなかった。
だが今のつくしは、自分の方が恋人となった男性と一緒にいたいといった思いがあった。
だが抱かれたからといって責任をとって結婚しろとは言わない。さすがにそこまで図々しいことは言えない。ただそれでも付き合ったその先に未来があればいいと思う。
それなら扉を開け恋人の元へ行けばいい。勇気を出して恋人になった男性の元へ行くのよ!扉は簡単に開くのだから!と心は叫んでいた。だがそれが出来ない女なのだからどうしようもない。
「ハァ….機を逸しちゃったのよね….何やってんだろあたし」
そんな自分に情けなさを感じたが、最後に言われた無理するな、の言葉はそういった意味を含んでいるはずだ。
それにこういったことは、出来れば男性の方からアプローチして欲しいと思う。
だいたい何も経験のない女が、世界中の女にモテる男を相手にどうすればいいのか分かるはずがないのだから。
***
「え?ウィーンですか?」
「ああ」
「日本へ、東京へ帰るんじゃないんですか?」
東京へ向かうはずのジェットは、デュセルドルフを飛び立つとウィーンへ向かっていた。
だがつくしには知らされておらず、突然の変更に何があるのかといった思いがある。
何しろウィーンといえばマリアの母国であるオーストリアの首都。
マリア出身地はウィーンではないが何か関係があるのかと考えてしまう。だが向かい合わせに座る男から聞かされたのは思いもよらぬ言葉だった。
「俺とお前は付き合うことになったが、マリアのせいでとんでもない目に合わせちまったな。悪かったと思ってる。その罪滅ぼしじゃねぇがせっかくドイツまで来たんだ。ウィーンで過ごすのも悪くないと思ってな。お前はウィーンに行ったことがあるか?」
「いいえ、行ったことはありませんが、でも一度行ってみたいと思っていたんです」
と、つくしは正直に答えた。
音楽の都、ウィーン。
クラッシック音楽が盛んな街といったイメージのウィーンは世界的に美しい街だとは聞いている。だから興味はあった。
「そうか。それなら丁度いい。ちょっと寄ってこう。寒いが観光だ」
と言うが、まるで近所の居酒屋で一杯やって行こうといった物言い。
だが考えてれみれば、道明寺司が居酒屋を訪れることはないはずだ。
だからその言い方がおかしかったのだが、秘書としては、忙しいスケジュールをそんなに簡単に変えていいのかといった疑問が生じる。それに西田室長はこのことを了承しているのか。そんな思いからつくしは訊いた。
「でも、仕事は大丈夫ですか?今後のスケジュールに影響が出ませんか?」
「構わねぇよ。ドイツでのビジネスは全て上手くいった。西田にもスケジュールを空けさせた。お前が気にすることはない」
司は怪訝な顔をした女にそこまで言うと笑みを浮かべたが、少しすると不満げな顔になった。
「なあ、牧野つくし」
「は、はい」
「その敬語は止めろ。俺とお前は恋人どうしだろ?その言葉使いは止めろ。恋人ならもっと恋人らしく話せ」
「あの…でもまだ仕事中ですから…」
つくしの視線は、客室の前方に座る警護の人間に向けられた。
いくら付き合うことを決めたとは言え、公私混同をすることは性格上できなかったからだ。
実際副社長の恋人役として振る舞うのと、本当の恋人となれば勝手が違う。
だが司にしてみれば、公私混同もなにも、初めからそのつもりだったのだから人目など気にもかけてない。
「牧野。ジェットの中に他に誰がいる?ああ、警護の連中なら気にするな。連中を気にしてたら何も出来ねぇだろ?」
司はそこで一旦言葉を切った。
それは、牧野つくしが恥ずかしそうな顔をしたからだ。
そして再び口を開いたとき、まだ訊けてなかったことを訊いた。
それは、どうしてマリアと一緒にいたかということだ。
「牧野、それにしてもお前どうしてマリアにのこのこ付いて行った?あの女はお前の手に負えるような女じゃないことくらい分っていたはずだ」
楓からマリアと牧野つくしが一緒の写真を見せられたとき、あの女から接触があったとしても無視しろと言うべきだったと悔やんだ。
「それはマリアさんに言われたからです。昔の道明寺司がどんな人間か興味があるでしょって。それに私は副社長の盾になるって言いましたから、その為にもマリアさんを知る必要があったからです」
「そうか….。昔の俺か。そんなに知りたかったのか?」
「はい。興味がありました。…好きな人のことなら興味を持たない女はいないと思います。でも私は過去に拘る人間ではありません。自分ではそのつもりでいます。前を向いて生きることが私の人生のポリシーですから。でもおかしいですよね?矛盾してますよね?過去に拘らないと言っても好きな人のことは....気になるんですから」
つくしは正直に答えたが、司はしばし考える表情になった。
だが牧野つくしの思いが嬉しかった。好きな人のことは気になると言った言葉が。
「そうか。それなら話しておくか。ちょっと長くなるがいいか?」
一体何を話すのか?
つくしが頷くと司は息を吐き、少し沈黙したあと口を開いたが、それは考えた末といった感じだ。もしくは秘密の告白とでもいった雰囲気だ。
それも長い脚を組み、肘掛に腕を乗せた姿は、ノーの言葉を受け付けない空気がある。
それは簡単に他人を寄せ付けない雰囲気と、天性の色香といったものを合わせもつ男独特のオーラだ。
「俺は今でこそ副社長として、大人としてビジネスに打ち込んでる。会社の発展のため働いている。だがガギの頃は相当悪かった。悪いってモンじゃねぇな。外道って言われたとしてもおかしくなかったな。意味もなく人を殴り、物を壊すようなガキだ。生まれた時から何でも周りにある子供で望まなくても手にいれることが出来る子供だ。つまり生意気なガキ。それが俺だ。それは金があることがそうさせたんだが、外見も同じだ。自分が望んでこの顔に生まれた訳じゃない。金も自分の力で手に入れたものじゃない。けどこの見た目で女が声をかけ来る。キスしてくれと唇を寄せてくる。たまたま金持ちの家に生まれ、綺麗な顔に生まれただけの男にな」
傍若無人な少年。
だが周囲の大人たちはそんな少年を叱ることはない。
人と馴れ合うこともなく好戦的。それが10代の司だ。
「それに自分に関心がなかった俺は、周りが俺の外見に興味を抱くことにうんざりした。親は海外生活が殆どで不在。だが家の跡継ぎとして当たり前のように政略結婚の話も来た。それも高校生の頃からだ。俺に求められたのは見てくれと金と血筋だけ。そうなると人間扱いされてないって感じだ。物だ、器だ。だから反抗しまくって荒れてた。とにかく若い頃の俺はそんな男だったってことだ。それが道明寺司の若い頃の姿だ」
人としての本質は見て貰えず、人間の形をした器だけが求められた。
道明寺家に生まれた以上、生きる道は生まれたとき決められ選択肢はなかった。
今の姿からは想像も出来ない少年時代の男の姿がそこにあった。
そしてそれは、つくしにはまったく縁のないお金持ちの生活。だがその口ぶりから、お金があることが必ずしも幸せであるとは限らないということを知った。
「それからマリアのことだが、俺とあの女との会話でわかったと思うが、戯れって言葉は違うかもしれねぇけど、NY時代。つまり東京へ戻るまではそんな女が何人かいたことは確かだ。なんて言えばいい?まあお前も分るだろ?男ってのはやっかいなもので女が欲しくなる時がある。マリアとの関係もそういった類のひとつだった。けどお前とのことは違う。俺は本気でお前のことが好きだ。マリアに川に突き落とされたとき、心臓が止まりそうになった。だからそのあとすぐにあの女を殺してやろうと思った」
殺してやろうと思った。
そんな物騒な言葉をさらりと口にする男は、一瞬切れ長の目がきつい目になった。だが次にはその目は笑ったが、口元は笑わなかった。そして一瞬見えた目が若い頃の男の姿なのだろう。
だが病院のベッドの上でつくしを抱きしめた男は、背を屈めた弱った獣のようだった。
そしてそんなことを思うつくしの前で司はやっと口元を緩め言った。
「牧野お前今本気でビビっただろ?言っとくが俺が本気で殺すわけねぇだろ?冗談だ、冗談。けど昔の俺なら....まあ要はそんな男だったってことだ。ああ、それからついでに話すが、西田の母親はとっくに死んでる。いつ何時ないってことはない。だから母親を見舞いに行く必要はない」
「は?」
思わず出た素っ頓狂な声。
子供の頃の話を訊き、裕福な家に生まれ何不自由なく育ったとしても、苦悩があるのだとしんみりとした思いに浸っていた。隣の芝生は青く見えるではないが、幸せそうに見えても色々とあるのだと思った。だが西田の母親はとっくに死んでいると言われると、額に皺が寄り思考がストップした。
「….それって私に嘘をついたってことですか?副社長もですが西田室長も?」
つくしは、自分が秘書に抜擢されたとき、西田から新潟の老人ホームで暮らす高齢の母親を見舞うため休みが取りたい。そのために第二秘書が必要だと言われ秘書として働く決意を固めた経緯がある。
「お前、怒ると額に皺が寄るぞ。まあそんなに怒るな。お前を俺に秘書にするために必要な嘘だったが今更別にいいだろ?それに西田も普段取れない休みを取れたんだ。だから嫌な顔はしてなかったはずだ」
だが西田は突然休めと言われ迷惑な話だと困惑していた事実がある。
「…そんな…だって秘書になって間もない頃、室長がお休みになられて、どれだけ大変だったか…西田室長まで嘘をついていたなんて!」
つくしは真剣に怒っていた。
仕事に対して生真面目と言われる女は秘書になりたての頃、アフリカ最高峰の山キリマンジャロに匹敵する神々のフロア55階で仕事をするため、それこそ高い山を登ることで息切れしないように呼吸を整え、気持ちを整え毎朝副社長の自宅まで迎えに行っていた。それなのにその努力が無駄になったように感じられた。
「ああ。悪かった。慣れない仕事で気を遣わせたはずだ。だがな、お前が慌てふためく姿は面白かった。ところで話は変わるが、お前、相変らず下着の色が地味だな。川に落ちたお前の服を脱がせたときベージュ_」
それは笑いながらしみじみと言われた言葉。
切れ長の目についさっきまで見えた厳しさはなく、ただつくしをからかうのが楽しいという表情。
あの日、服を脱がせたのは目の前の男で、ベージュと言われた途端、恥ずかしさにそれ以上喋らせまいと取った行動は、相手の唇を自分の唇で塞ぐことだった。
それは、そうしたかったからつくしが自分から唇を求めた。
だがここはジェットの中とはいえ、他に人がいる場所だと気づき慌てて唇を離した。
そして数秒の短い間、互いの顔を見つめていたが、次に唇を寄せたのは司。
つくしは美しい唇に見惚れていたが、やがてそっと瞳を閉じた。

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見舞いに訪れた西田はつくしの頬に腫れと少しの傷を認めると、顔をしかめドイツでの仕事は心配しなくてもいいと言った。
そして、ドイツを立つという最終日前日に退院すると、扉を挟んだ部屋にいる男性のことを考えていた。
この部屋に泊まることを告げられたとき、二人の部屋の間の扉は、お前が開かない限り俺から開くことはないと言われた。
だが二人は付き合うことに決めたのだから、そんなことはもう関係ないと思う。
だから今夜一緒にいて欲しい、と喉元まで出かかったが恋人が先に口を開いた。
「おやすみ。ゆっくり休め」
そして頬に残った小さな傷に手を触れ言葉を継いだ。
「無理するな」と。
だがあの経験が生存本能を発動させたのか。
病院のベッドの上で濡れたスーツ姿で抱きしめられたとき、離れたくないと思った。あのままずっと抱いていて欲しいと思った。濡れたスーツを脱いで一緒にベッドに入って欲しいと思った。それに今は自分を守りたいといった考えはなかった。35歳のバージンなんて自慢にも何もならないのだが、別に意図して守っていた訳ではない。なんとなくそうなっただけだ。
かつて付き合いを始めたばかりの男性に、いきなりホテルに連れて行かれそうになり断るとノリが悪いと言われ、別れようと言われた。
あの当時、まだ若く漠然とだが初めて結ばれる人は結婚相手だと考えていた。女性なら誰もがそう思うはずだ。それがおかしいとは思わないはずだ。だがノリといった言葉を使った男性は、そういったことを真剣に考えてくれる人ではなかったということだ。
それにつくしもその人との行為にそれ相応の覚悟といったものは無かった。いや好きな人に抱かれるならそんな覚悟は必要ないはずだ。純粋にその人が欲しい。傍にいて欲しいと思うから抱かれたいと思うはずだ。だがあの時、そんな気にはなれなかった。
だが今のつくしは、自分の方が恋人となった男性と一緒にいたいといった思いがあった。
だが抱かれたからといって責任をとって結婚しろとは言わない。さすがにそこまで図々しいことは言えない。ただそれでも付き合ったその先に未来があればいいと思う。
それなら扉を開け恋人の元へ行けばいい。勇気を出して恋人になった男性の元へ行くのよ!扉は簡単に開くのだから!と心は叫んでいた。だがそれが出来ない女なのだからどうしようもない。
「ハァ….機を逸しちゃったのよね….何やってんだろあたし」
そんな自分に情けなさを感じたが、最後に言われた無理するな、の言葉はそういった意味を含んでいるはずだ。
それにこういったことは、出来れば男性の方からアプローチして欲しいと思う。
だいたい何も経験のない女が、世界中の女にモテる男を相手にどうすればいいのか分かるはずがないのだから。
***
「え?ウィーンですか?」
「ああ」
「日本へ、東京へ帰るんじゃないんですか?」
東京へ向かうはずのジェットは、デュセルドルフを飛び立つとウィーンへ向かっていた。
だがつくしには知らされておらず、突然の変更に何があるのかといった思いがある。
何しろウィーンといえばマリアの母国であるオーストリアの首都。
マリア出身地はウィーンではないが何か関係があるのかと考えてしまう。だが向かい合わせに座る男から聞かされたのは思いもよらぬ言葉だった。
「俺とお前は付き合うことになったが、マリアのせいでとんでもない目に合わせちまったな。悪かったと思ってる。その罪滅ぼしじゃねぇがせっかくドイツまで来たんだ。ウィーンで過ごすのも悪くないと思ってな。お前はウィーンに行ったことがあるか?」
「いいえ、行ったことはありませんが、でも一度行ってみたいと思っていたんです」
と、つくしは正直に答えた。
音楽の都、ウィーン。
クラッシック音楽が盛んな街といったイメージのウィーンは世界的に美しい街だとは聞いている。だから興味はあった。
「そうか。それなら丁度いい。ちょっと寄ってこう。寒いが観光だ」
と言うが、まるで近所の居酒屋で一杯やって行こうといった物言い。
だが考えてれみれば、道明寺司が居酒屋を訪れることはないはずだ。
だからその言い方がおかしかったのだが、秘書としては、忙しいスケジュールをそんなに簡単に変えていいのかといった疑問が生じる。それに西田室長はこのことを了承しているのか。そんな思いからつくしは訊いた。
「でも、仕事は大丈夫ですか?今後のスケジュールに影響が出ませんか?」
「構わねぇよ。ドイツでのビジネスは全て上手くいった。西田にもスケジュールを空けさせた。お前が気にすることはない」
司は怪訝な顔をした女にそこまで言うと笑みを浮かべたが、少しすると不満げな顔になった。
「なあ、牧野つくし」
「は、はい」
「その敬語は止めろ。俺とお前は恋人どうしだろ?その言葉使いは止めろ。恋人ならもっと恋人らしく話せ」
「あの…でもまだ仕事中ですから…」
つくしの視線は、客室の前方に座る警護の人間に向けられた。
いくら付き合うことを決めたとは言え、公私混同をすることは性格上できなかったからだ。
実際副社長の恋人役として振る舞うのと、本当の恋人となれば勝手が違う。
だが司にしてみれば、公私混同もなにも、初めからそのつもりだったのだから人目など気にもかけてない。
「牧野。ジェットの中に他に誰がいる?ああ、警護の連中なら気にするな。連中を気にしてたら何も出来ねぇだろ?」
司はそこで一旦言葉を切った。
それは、牧野つくしが恥ずかしそうな顔をしたからだ。
そして再び口を開いたとき、まだ訊けてなかったことを訊いた。
それは、どうしてマリアと一緒にいたかということだ。
「牧野、それにしてもお前どうしてマリアにのこのこ付いて行った?あの女はお前の手に負えるような女じゃないことくらい分っていたはずだ」
楓からマリアと牧野つくしが一緒の写真を見せられたとき、あの女から接触があったとしても無視しろと言うべきだったと悔やんだ。
「それはマリアさんに言われたからです。昔の道明寺司がどんな人間か興味があるでしょって。それに私は副社長の盾になるって言いましたから、その為にもマリアさんを知る必要があったからです」
「そうか….。昔の俺か。そんなに知りたかったのか?」
「はい。興味がありました。…好きな人のことなら興味を持たない女はいないと思います。でも私は過去に拘る人間ではありません。自分ではそのつもりでいます。前を向いて生きることが私の人生のポリシーですから。でもおかしいですよね?矛盾してますよね?過去に拘らないと言っても好きな人のことは....気になるんですから」
つくしは正直に答えたが、司はしばし考える表情になった。
だが牧野つくしの思いが嬉しかった。好きな人のことは気になると言った言葉が。
「そうか。それなら話しておくか。ちょっと長くなるがいいか?」
一体何を話すのか?
つくしが頷くと司は息を吐き、少し沈黙したあと口を開いたが、それは考えた末といった感じだ。もしくは秘密の告白とでもいった雰囲気だ。
それも長い脚を組み、肘掛に腕を乗せた姿は、ノーの言葉を受け付けない空気がある。
それは簡単に他人を寄せ付けない雰囲気と、天性の色香といったものを合わせもつ男独特のオーラだ。
「俺は今でこそ副社長として、大人としてビジネスに打ち込んでる。会社の発展のため働いている。だがガギの頃は相当悪かった。悪いってモンじゃねぇな。外道って言われたとしてもおかしくなかったな。意味もなく人を殴り、物を壊すようなガキだ。生まれた時から何でも周りにある子供で望まなくても手にいれることが出来る子供だ。つまり生意気なガキ。それが俺だ。それは金があることがそうさせたんだが、外見も同じだ。自分が望んでこの顔に生まれた訳じゃない。金も自分の力で手に入れたものじゃない。けどこの見た目で女が声をかけ来る。キスしてくれと唇を寄せてくる。たまたま金持ちの家に生まれ、綺麗な顔に生まれただけの男にな」
傍若無人な少年。
だが周囲の大人たちはそんな少年を叱ることはない。
人と馴れ合うこともなく好戦的。それが10代の司だ。
「それに自分に関心がなかった俺は、周りが俺の外見に興味を抱くことにうんざりした。親は海外生活が殆どで不在。だが家の跡継ぎとして当たり前のように政略結婚の話も来た。それも高校生の頃からだ。俺に求められたのは見てくれと金と血筋だけ。そうなると人間扱いされてないって感じだ。物だ、器だ。だから反抗しまくって荒れてた。とにかく若い頃の俺はそんな男だったってことだ。それが道明寺司の若い頃の姿だ」
人としての本質は見て貰えず、人間の形をした器だけが求められた。
道明寺家に生まれた以上、生きる道は生まれたとき決められ選択肢はなかった。
今の姿からは想像も出来ない少年時代の男の姿がそこにあった。
そしてそれは、つくしにはまったく縁のないお金持ちの生活。だがその口ぶりから、お金があることが必ずしも幸せであるとは限らないということを知った。
「それからマリアのことだが、俺とあの女との会話でわかったと思うが、戯れって言葉は違うかもしれねぇけど、NY時代。つまり東京へ戻るまではそんな女が何人かいたことは確かだ。なんて言えばいい?まあお前も分るだろ?男ってのはやっかいなもので女が欲しくなる時がある。マリアとの関係もそういった類のひとつだった。けどお前とのことは違う。俺は本気でお前のことが好きだ。マリアに川に突き落とされたとき、心臓が止まりそうになった。だからそのあとすぐにあの女を殺してやろうと思った」
殺してやろうと思った。
そんな物騒な言葉をさらりと口にする男は、一瞬切れ長の目がきつい目になった。だが次にはその目は笑ったが、口元は笑わなかった。そして一瞬見えた目が若い頃の男の姿なのだろう。
だが病院のベッドの上でつくしを抱きしめた男は、背を屈めた弱った獣のようだった。
そしてそんなことを思うつくしの前で司はやっと口元を緩め言った。
「牧野お前今本気でビビっただろ?言っとくが俺が本気で殺すわけねぇだろ?冗談だ、冗談。けど昔の俺なら....まあ要はそんな男だったってことだ。ああ、それからついでに話すが、西田の母親はとっくに死んでる。いつ何時ないってことはない。だから母親を見舞いに行く必要はない」
「は?」
思わず出た素っ頓狂な声。
子供の頃の話を訊き、裕福な家に生まれ何不自由なく育ったとしても、苦悩があるのだとしんみりとした思いに浸っていた。隣の芝生は青く見えるではないが、幸せそうに見えても色々とあるのだと思った。だが西田の母親はとっくに死んでいると言われると、額に皺が寄り思考がストップした。
「….それって私に嘘をついたってことですか?副社長もですが西田室長も?」
つくしは、自分が秘書に抜擢されたとき、西田から新潟の老人ホームで暮らす高齢の母親を見舞うため休みが取りたい。そのために第二秘書が必要だと言われ秘書として働く決意を固めた経緯がある。
「お前、怒ると額に皺が寄るぞ。まあそんなに怒るな。お前を俺に秘書にするために必要な嘘だったが今更別にいいだろ?それに西田も普段取れない休みを取れたんだ。だから嫌な顔はしてなかったはずだ」
だが西田は突然休めと言われ迷惑な話だと困惑していた事実がある。
「…そんな…だって秘書になって間もない頃、室長がお休みになられて、どれだけ大変だったか…西田室長まで嘘をついていたなんて!」
つくしは真剣に怒っていた。
仕事に対して生真面目と言われる女は秘書になりたての頃、アフリカ最高峰の山キリマンジャロに匹敵する神々のフロア55階で仕事をするため、それこそ高い山を登ることで息切れしないように呼吸を整え、気持ちを整え毎朝副社長の自宅まで迎えに行っていた。それなのにその努力が無駄になったように感じられた。
「ああ。悪かった。慣れない仕事で気を遣わせたはずだ。だがな、お前が慌てふためく姿は面白かった。ところで話は変わるが、お前、相変らず下着の色が地味だな。川に落ちたお前の服を脱がせたときベージュ_」
それは笑いながらしみじみと言われた言葉。
切れ長の目についさっきまで見えた厳しさはなく、ただつくしをからかうのが楽しいという表情。
あの日、服を脱がせたのは目の前の男で、ベージュと言われた途端、恥ずかしさにそれ以上喋らせまいと取った行動は、相手の唇を自分の唇で塞ぐことだった。
それは、そうしたかったからつくしが自分から唇を求めた。
だがここはジェットの中とはいえ、他に人がいる場所だと気づき慌てて唇を離した。
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司*****E様
おはようございます^^
普通では経験できないようなことを経験したつくし。
そして乙女の心は揺れてます(笑)
司はかつての自分がどんな男だったか話しましたが、それは自分をもっと知って欲しかったということでしょう。
そして西田さんのお母様の件もサラリと告白。「大したことじゃねーだろ?気にすんな」程度ですね?
ベージュの下着を愛用しているつくし。
そろそろセクシーな下着を送られるのでしょうか?(笑)
そして、本日のドラマも小ネタが沢山あり、顔が緩んでしまいました(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
普通では経験できないようなことを経験したつくし。
そして乙女の心は揺れてます(笑)
司はかつての自分がどんな男だったか話しましたが、それは自分をもっと知って欲しかったということでしょう。
そして西田さんのお母様の件もサラリと告白。「大したことじゃねーだろ?気にすんな」程度ですね?
ベージュの下着を愛用しているつくし。
そろそろセクシーな下着を送られるのでしょうか?(笑)
そして、本日のドラマも小ネタが沢山あり、顔が緩んでしまいました(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.11 22:55 | 編集

か**り様
氷が張った冷たい川にも迷うことなく飛び込む男!
さすがですね、司。
そして西田さんのお母様に関する嘘もサラリと告白(笑)
それにしても、今年の冬は本当に寒いですね?
毎朝エアコンの効きが悪く感じられます。
ドイツも寒い所ですが、道明寺HDの新規事業が上手く行くといいですね?
そしてアルコール依存症のマリアは....そうですね、専門の医療施設に入れられることでしょう。
マリアの名前にあの映画が思い浮かばれたのですね?
あのマリアとは大違いのとんでもない侯爵令嬢でしたねぇ(笑)
名作は何度見ても色褪せませんが、あの映画もそのひとつだと思います。
ハラハラしながらも恋の行方も気になる。いい映画でした。
え?何やらいい雰囲気ですか?(笑)
続きは明日です^^
コメント有難うございました^^
氷が張った冷たい川にも迷うことなく飛び込む男!
さすがですね、司。
そして西田さんのお母様に関する嘘もサラリと告白(笑)
それにしても、今年の冬は本当に寒いですね?
毎朝エアコンの効きが悪く感じられます。
ドイツも寒い所ですが、道明寺HDの新規事業が上手く行くといいですね?
そしてアルコール依存症のマリアは....そうですね、専門の医療施設に入れられることでしょう。
マリアの名前にあの映画が思い浮かばれたのですね?
あのマリアとは大違いのとんでもない侯爵令嬢でしたねぇ(笑)
名作は何度見ても色褪せませんが、あの映画もそのひとつだと思います。
ハラハラしながらも恋の行方も気になる。いい映画でした。
え?何やらいい雰囲気ですか?(笑)
続きは明日です^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.11 23:11 | 編集

このコメントは管理人のみ閲覧できます

さ***ん様
そうなんです。35歳。牧野つくし。
生存本能が発動したんです(笑)
そんな女に昔の自分を語る男。お金があっても幸せじゃない。
そこから同情を買おうとしたのでしょうか?(笑)
そんな話の流れから、嘘をサラリと語り流そうとする男。
つくし。下着はベージュが好き(笑)透けない色だからでしょうか?
え?二人にとってはラッキーカラー?そうかもしれませんねぇ(笑)
でも久美子から貰った下着もあるでしょうにねぇ。
色々なことで「無理するな」
でも今のつくしは生存本能に忠実なのかもしれません(笑)
コメント有難うございました^^
そうなんです。35歳。牧野つくし。
生存本能が発動したんです(笑)
そんな女に昔の自分を語る男。お金があっても幸せじゃない。
そこから同情を買おうとしたのでしょうか?(笑)
そんな話の流れから、嘘をサラリと語り流そうとする男。
つくし。下着はベージュが好き(笑)透けない色だからでしょうか?
え?二人にとってはラッキーカラー?そうかもしれませんねぇ(笑)
でも久美子から貰った下着もあるでしょうにねぇ。
色々なことで「無理するな」
でも今のつくしは生存本能に忠実なのかもしれません(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2018.02.12 23:15 | 編集
