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2018
01.14

恋におちる確率 43

高度1万2千メートルを飛ぶジェットの遥か下は、寒く暗く長い冬のシベリアの凍てついた大地。だが目的地はドイツ中西部に位置する街、デュッセルドルフ。
スイスアルプスを源流とするライン川河畔に位置するその街は、経済都市と呼ばれ多くの国際的企業が拠点を構えており、道明寺HDもEU脱退を決めたイギリスとは別に、その街に欧州支社を置いている。
時差は8時間あり東京の方が進んでいる。距離は9千キロと少し。
パイロットから今日のフライト所要時間は11時間だと言われた。

司は、牧野つくしを伴い、その街へ向かっているが、副社長の仕事とは、会社の組織原理に照らせば専門分野といったものは無く、毎月定例の報告書が出来上がってくるものに目を通すことや内部を統制することが仕事であり、会社の全てを把握しているとは言えない。
そして実際会社の全てを把握することは、不可能に近いものがある。

何故なら全てが報告される訳はないからだ。
そして報告書の内容が全てとは言えない。
だからこそ部門トップの判断といったものが重要度を増すことになり、彼らの判断を信頼するしかないのだが、今回のドイツ出張は、買収した電気機器メーカーとの統合プロセスが上手くいっているかを自身の目で確かめたい思いがあった。


それはヨーロッパに於けるEV(電気自動車)へのシフトが加速しているからだ。
まだ日本では馴染が薄いEV。だがその需要は確実に増えてはいる。

そしてどんなものにもメリット、デメリットがあるが、EVのメリットとして言われるのは、低排出ガスで環境に優しいことが一番に上げられ、地球温暖化問題解決のための大きな期待であることは間違いない。そして経済的にも、電気の方がガソリンよりコストが安いと言われている。
対しデメリットとして言われるのは、航続距離の短さや、車両価格が高い。充電インフラ数の不足といったものが上げられ、日本ではまだ一般的ではないといった声も訊かれる。

だが海外の車市場で注目されるのは、電気自動車であり、日本とは全く異なった車に注目が集まっているのが現状だ。そしてヨーロッパでEVシフトが加速した背景には、日本の自動車メーカーのハイブリッド技術に対抗し、ドイツの自動車メーカーが仕掛けたと言われている。

しかしそれはヨーロッパだけではない。
中国やインドも環境問題の深刻化でガソリン車からEVへの普及を推進しており、インドに於いては2030年までに国内販売される全ての自動車をEVのみとする政策を打ち出した。
そしてノルウェーでは、2025年までに全ての車をEVに切り替えることを決めた。
またフランスでは、2040年までに全廃する計画があり、英国も同様の方針だ。

そんなこともあり、EV部品で重要度が高い3つ「三種の神器」である電池、モーター、インバーターの需要が高まることは確実だ。
そして電池には使い切りの一次電池と充電可能な二次電池というものがあり、二次電池の一般的な呼び方としては、充電池といった言い方がされるが、学術用語としては「二次電池」「蓄電池」が認められた名称であり、EVに使用されるリチリウムイオン電池は二次電池になる。つまりEVは二次電池式自動車ということになる。

そしてその市場は世界ベースで拡大し、EVへの技術改革は市場が膨大であることから「三種の神器」に関わる企業には大きな利益をもたらすことになるのだが、その生産に大きく関わるのが道明寺HDと業務提携を結んだ菱信興産だ。

新堂巧が専務を務める日本を代表する大手総合化学メーカー菱信興産は、リチリウム新時代と呼ばれる現在に於いてリチリウムイオン電池を構成する正極材、負極材、セパレーター(絶縁体)、電解液の4部材のうちセパレーターと電解液の2部材を開発、生産しているが、特に電解液の技術は高く世界トップクラスだ。

道明寺HDはその部材を買収先の電気機器メーカー、バルテン社電池事業部のリチリウムイオン電池の生産に使い、二次電池市場に於いて世界一のシェアを目指す。
そのためEVに力を入れ始めたEU域内にあるドイツ企業を買収した。
何故ならヨーロッパでのリチリウムイオン電池の生産はまだ始まったばかりで不足分の殆どを日本や韓国の企業に頼っているのが現状なのだから、大きなビジネスチャンスとなることは確実だ。
それにEU域内の関税は無税となっており、ドイツ国内や近隣のEU加盟国に工場を構える自動車メーカーに電池を納めるとき日本から輸出するより安く販売できるからだ。


そしてこうしてドイツに向かうジェットの機内にいるが、今回同行するのは、西田ではなく牧野つくしを指名した。それはもちろん彼女との接点を増やすことが目的だ。
何しろ海外出張となれば一緒にいる時間が長くなる。現にこうしてジェットで長時間過ごすことが出来る。

西田はそれが公私混同だとは言わなかったが視線が懐疑的だったのは言わずもがなだ。
だが牧野つくしの秘書としての仕事ぶりは問題がないといった態度で、まあいいでしょう。と言った。
そしてくれぐれも牧野さんを困らせないで下さいと念を押された。

だが困らすもなにも司の機内での過ごし方は、書類に目を通すことが殆どだ。
今も手渡された書類に目を通し、読み終わるとサインをしたが、それが最後の書類だった。
そして通路を挟み隣の席に座る女に長い睫毛をぴたりと止め視線を合わせた。

「牧野。あのマフラーだが気に入ったか?」

司は自分が誕生祝いに渡したカシミアのマフラーについて聞いた。
それは優しい色合いと言われるクリーム色をしたマフラー。
自ら手に取り、その肌触りを確かめ購入を決めた。

今までの司なら女に誕生日のプレゼントをするなど考えもしなかった。
それも自らが誰かに贈る物を選ぶといったことをしたことがなく、西田から聞かされていた牧野さんに高額なジュエリーを贈られてもお喜びにはなりません、の言葉にそれなら何が喜ぶのかと考えていたが、まるで司の思いを読み取ったように西田が小さく口にした、

『上質のカシミアのマフラーなどいかがでしょうか。これから年が明け寒さも一段と厳しくなります。それに牧野さんのお帰りはご自分の足でお帰りになられます。暖かさの感じられる贈り物は嬉しいと思います』

その言葉に誕生日が冬であり、マフラーにしたのだが、その安さに本当にこんなものでいいのかという思いがしていた。

『贈り物は値段ではありません。贈り物というのは、その人が喜ぶ物は何かと考えることから始まるのです。受け取った人が、ああ自分のことを考えてこれをプレゼントしてくれたと思わせることが大切なのです。それに贈り物をした人間の心を考えてもらうことが贈り物の意図です。それからマフラーは普段から身に付けるものであり直接肌に触れるものですから、それを贈るということは独占欲の表れという意味があると言われています』

と言った西田の最後の言葉はまさに司の牧野つくしに対しての思いだ。だから今はマフラーを贈るという選択が間違っていたとは考えていない。



「はい。ありがとうございます。あれから使わせていただいています」

返された言葉は感謝の言葉だが、司は彼女がマフラーを捲いている姿を見た事がない。
それは車での移動が常となっている男なのだからそれもそのはずなのだが、彼女が自分の贈ったマフラーを捲いている姿を見たいと思う。だからこの出張でその姿を見ることを期待していた。それにしても、まさか自分がそんな些細なことを楽しみにするなど考えもしなかったことだ。

だが最近、年が明けてから彼女の態度にどこかぎこちなさを感じ、何かあったのかといった思いが頭を過る。それにパーティーで迷惑な女の盾となり恋人役を引き受けると言った時の明るさといったものが今は無い。

その原因のひとつとして考えられるのは、司が年末年始NYにいた間、新堂巧が彼女の元を訪れたと報告を受け、つけ回しているのかと思ったが、どうやらそれは違ったようで、それなら何があったのかという思いでいる。
そんな思いから司は訊いた。

「どうした?何か心配ごとでもあるのか?」

「え?いえそんなことはありません。・・初めての副社長との海外ですのでちょっと緊張しているだけですから・・大丈夫ですから・・・」

と言った彼女ははぐらかすようではないが、やはり言葉にいつもの明るさが感じられなかった。
そしてまるで自分のことはいいから、といったふうに司に訊いた。

「あの・・副社長が海外出張は多いことは存知上げていますが、出張を成功させるため気を付けていることはあるんですか?」

それは司をビジネスモードに引き戻すために訊かれたとしても、真面目な女の質問に答えることはやぶさかではない。それに彼女が何かを考えていたとして、無理矢理訊いたところで答えはしないだろう。
それなら彼女が自分に対し興味を抱いたことに答えることから始めるのも悪くはないと司は口を開いた。それに出張はこれからであり、牧野つくしと深く知り合う時間は幾らでもある。

「そうだな・・。海外出張を成功させるコツは、一緒の空気を吸い、一緒の食事を取ることだ。どんな仕事にしても仕事は人と人がするものだ。大切なことは直接会って話をするにこしたことはない。黙って目を見れば話が通じるということはビジネスの世界にはない。空気を読むという言葉もあるがそれが通じるのは日本人だけだ」

司は一旦言葉を切った。
そして静かに話を訊く姿勢の女に、その真面目な態度が彼女の持ち味であり、魅力のひとつだということに気付いていたが、偽物とはいえ二人はひと前では恋人関係だということを見せるつもりだ。だからもう少し肩の力を抜けと思うも、どこか心のガードといったものを感じながら話を継いでいた。

「最近の会議はモニター越しってことも多いが、相手の目を直接見れば心の奥に何を抱えているか分る。それに今回のドイツ出張は菱信興産との業務提携の成果が期待されるリチリウムイオン電池の生産にいいスタートが切れるようにしたい。そのためには向うの会社の、いやあの会社はもううちの会社だがPMI(Post Merger Integration 買収後の両社の統合プロセス)が上手くいっているかこの目で確認したい。お前も言ったよな?ドイツ人は日本人と同じ勤勉な国民性だ。従業員意識や管理体制の組織統合も問題ないだろうってな」

それを訊いた牧野つくしは、そうだったといった顔で頷いた。

司は彼女が秘書になったばかりの頃、彼女の仕事の力量を測るという意味もあり、どれくらい自分の話について来ることが出来るのかを試すため、PMIという言葉をそのまま口にしたが牧野つくしはその意味を理解していた。

だが今思えばすでにあの頃から彼女のことが酷く気になっていた。
いや。インフラ事業部の書類が間違えて彼女の元へ届き、それを手に自分の前に現れ、威勢の良さと大きな黒い瞳で睨みつけるようにして司を見た時から惹かれていた。
そして、今は彼女の一挙手一投足ではないが全てが気になる。だからどこか元気がない様子が気になっていた。

それにしても、空気を読むことが得意な日本人は多いが、司の話を訊いている女は空気を読むのが下手だということが分かる。そんなことから司は彼女のことを鈍感女とでも呼ぶかと思い、思わず口角が上がっていた。





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コメント
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dot 2018.01.14 09:25 | 編集
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dot 2018.01.14 19:33 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
11時間のフライト。二人の間に流れる空気はどんな空気だったのでしょうねぇ(笑)
つくしが鈍感なのは、恋に対してですね。
どうやらそちら方面は鈍感力が強いようです。
鈍感でいることがいい時もありますが、司にとってはその鈍感力は邪魔者ですね?(笑)
どこでどのように仕掛けるのか。
時とタイミング。大切ですからね~(笑)
ドラマ。見ました!テンポよく進むドラマで楽しめました^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.01.14 23:04 | 編集
と*****ン様
西田さんからの、誕生日プレゼントに対するアドバイス。
西田さん。あなたはどうして当たり前のようにあのような事が言えるのでしょう。
西田さんも私生活では恋をしたことがあったのでしょうか?
坊ちゃんのため人生を捧げている!そんな気がしますが、どうなんでしょうねぇ(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2018.01.14 23:08 | 編集
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