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2017
11.27

恋におちる確率 14

「なんだこれは?」

「ご覧の通りパンです。クロワッサンです」

「そんなものは見れば分る」

「ではどうぞ召し上がって下さい。このクロワッサンは社員食堂で焼かれたものです。とっても美味しいんです。それにコーヒーによく合います」

2年前に建て替わった道明寺HDのビル。
その中の社員食堂は、名門「ホテルメープル」の料理が楽しめるのだが、庶民的と言われる豚の生姜焼き定食は勿論のこと、本格的な網焼きサーロインステーキをリーズナブルに食べることが出来る。

食堂は、ホテル仕込みの料理だけのこともあり、味に狂いはなく、海外駐在経験が多い社員の肥えた舌を満足させると言われていた。

そして、いつの時代にも言われることだが、一人暮らしの男性の傾向として、朝食を食べないといったことが話題となる。そして誰もがそれがいいとは言えないことを理解していて、朝食を取らないことにメリットなどなく、デメリットばかりが目立つのが事実だ。

それは朝食を食べないことで頭に十分なブドウ糖が回らず、脳の働きが悪くなると言われていることだ。そしてそのことが、集中力に欠ける、記憶力が低下するといったこと繋がると言われていた。
つまりは仕事に影響を及ぼすことになるということで、大袈裟な言い方だが最終的には会社に損失を与えるということだ。
そういった考え方と、社員の健康管理を目的とし、会社は朝の時間にも食堂を開けることを決め、朝食のサービスを始めていた。

メニューは和定食と洋定食があり、洋食は併設されたおしゃれなカフェテリアで出されるのだが、つくしはそこで出される焼きたてのクロワッサンがお気に入りだ。だから時々朝食を家で食べることなくわざわざカフェテリアで食べることもあった。

ホテルメープル仕込みのクロワッサンは、良質のバターをたっぷりと練り込んであり、小麦も最高のものを使っていると言われ、サクサクとした食感と香りと甘みがなんともいえず、初めてこのパンを食べたとき感動し病みつきになり、毎日でも食べたいと思った。

だからつくしは、普段社員食堂など利用しない、朝食を食べない副社長にも、そのクロワッサンを食べて貰おうと考え、副社長が最上階で出迎えた西田と話しをしている間に食堂へ走った。そして、予め頼んでおいたパンを受け取り55階へ戻り、コーヒーを淹れ、一緒にデスクへ置いたが、その反応は思った通りだが、流れた沈黙は、戸惑いというよりも、つくしが行った行為が差し出がましいことだということが目に現れていた。

「なんで俺がこのパンを食べなきゃならない?」

司は椅子に背をもたせ、運ばれて来たデスクの上のパンに視線を落とすことなく、立っているつくしを見つめた。

「なんでって、副社長は朝食を召し上がっていらっしゃいませんよね?」

「だから?」

「だからです」

「意味が分かんねぇな。だからってどういう意味かちゃんと説明しろ」

「だから社員の健康管理を言うならご自身の健康について考えられてはどうですか?」

「どういう意味だ?」

「だってそうじゃないですか。朝食を食べない社員の為に食堂は朝食のサービスをしているのに、このビルの最高責任者である副社長が食べないなんておかしいじゃないですか?それに朝食を食べないことで生活習慣病に罹るリスクも高まります」

つくしは秘書として、朝食のことを口にした事が差し出がましいことをしたとは思ってない。
むしろ、秘書として仕える人物が仕事を円滑に進めるために必要なことだと考えたからだ。

ただし、道明寺司に対し集中力に欠ける、記憶力が低下するといった言葉を当てはめることは出来ない。だから生活習慣病といった言葉を用いた。
だがそれがお節介だと言われれば、それはその通りなのだが、突然ひらめいたというのか、思い付いたというのか行動に移していた。

だが突然目の前にパンを出された男は、口の端を歪め硬質な声で言った。

「おまえは医者か?違うだろうが。それなら何にしても余計なことをするな。俺は朝食は食わねぇって決めてる。それに朝はコーヒー以外必要ねぇことはお前も理解してんだろうが。それともアレか?ちょっと美味いコーヒーを淹れることが出来るからって奢ってんじゃねぇのか?」

最後の言葉は嘲るような言い方で、頭の切れ具合は姿かたちに現れると言われるが、引き締まった体躯は食事を抜こうが関係ないといった様子だ。
そして男はカップを手に取り口に運び、腕時計に目を落すと椅子から立ち上った。
時刻は9時5分前。9時から役員会議室での会議が始まる。そのために部屋を出ていくのだろう。

「俺は今までもこうして朝はコーヒーだけだ。一時不味い水を飲まされた時以外はな。いいか?言っとくが余計なことは二度とするな」

再び余計なことをするなと硬い口調で言われ、つくしは口を開かなかった。
何をどう答えても、目の前の男に通じないと分かったからだ。
そして、よく磨かれた革靴と、一流の職人が仕立てたスーツを着た男は、それだけ言うと、つくしの傍を通り過ぎ、彼独特のコロンの匂いを彼女の鼻先に残し部屋を出た。





つくしは、正直あそこまで冷たく言われるとは思いもしなかった。
副社長の秘書になって2週間。誰もが低頭する男の傍にいて慣れたと言えば慣れたのだが、反論を許さない声というのは、ああいった声のことなのだろう。

地の底を這うような低い声であり、誰もが身の縮む思いをする声。
その声に余計なお世話だと言われ、確かにそうかもしれないが、これはちょっとした気遣いのつもりだった。

けれど、実際実行に移すまで何十回も悩み、迷った。だがあの男にしても、もう少し言い方といったものがあるはずだが、冷たい言葉は冷たい心を感じさせ、つくしの心遣いを突き返してきた。

この会話の結論として、つくしが感じたのは、まだ副社長の性格といったものが掴めていないということだ。
だが、秘書になった以上、第一秘書の西田とまでとは言わないが、信頼のおける秘書になろうと努力していた。

そしてひとりになって数十秒。
デスクに置かれたクロワッサンをぼんやりと眺めていたが、自分にはぼんやりとしている時間などないのだと、副社長であるあの男の目に触れることがないよう皿を片付けなければと持ち上げた。

だが副社長の言葉の中に、美味いコーヒーといった言葉が聞け、目の前のカップが空になっていることは嬉しかった。

だが朝食と取らない男へのこの行為は、出過ぎたことだったのかと思い反省した。

「・・でも本当に美味しいのにね・・。このクロワッサン」












「ああ。いたいた。やっぱここか?」

「・・うるせぇな_んだよ?」

舌打ちとも取れる音は、幼馴染みに向けられた言葉。
司は会員制高級クラブのカウンターでウィスキーを飲んでいた。
全く酔わないといってもいい男のグラスは、氷も水も入れられず、そのまま口に運ばれていた。

「なんだって・・お前に用があって電話したらマキノって言う女の秘書が出たぞ?お前女の秘書は嫌いじゃなかったのか?いつだったかクソ不味い色の付いた湯を飲まされた挙句、香水の匂いをそこら中にまき散らすような女が秘書だったことがあっただろ?・・そうだ!お前が帰国してまだ間もない頃の話だ。女の秘書なんて冗談じゃねぇって西田さんを呼び寄せたんだろ?それなのにどうしてまた女の秘書がお前に付いてるんだ?」

美作商事専務の美作あきらは、司の幼馴染みで親友だ。
あきらは、女と付き合うなら原則として人妻以外手を出さないと言われ、情事が一番だと言い、高校生の頃からマダムキラーと呼ばれていた。

そんな男がつい先日司に電話をしたが、会議中だと言われ、電話の相手に司の第二秘書だと名乗られ我が耳を疑った。そしてあの日以来どうして女の秘書が親友に付いたのか知りたいと思っていた。

「おい、理由を教えろよ。なんで女がお前の秘書になってる?」

「なんとなくだ」

「はぁ?なんだよそのなんとなくってのは?」

「気が向いたからだ」

「だからなんだよその気が向いたってのは?」

あきらはバーテンから受け取ったグラスと一緒に、目の前に置かれたナッツを掴み口に入れ隣に座る男を見たが、ピッチの速さは相変わらずで、手にしたグラスの中身は殆どない。
そんな男の受け答えは、完璧に感情を隠した声。そして煙草に火を点け、顔の前に青い煙をたなびかせ始めたが、やがて口に運び白い煙を吐き出した。
そんな仕草も絵になる男は、あきらの問いにやはり表情の欠けた声で答えた。

「ああ。面白そうな女だから秘書にした」

「おいおい。面白そうだからってお前はそんな理由で秘書を決めたのか?」

「ああ。それが悪いか?」

「いや、別に悪いとは言わねぇけど、道明寺司ともあろう男がそんな簡単な理由で秘書を決める、それも女の秘書を自分の傍に置くってことは、相当インパクトがある事件じゃねぇのか?」

あきらは、予想もしなかった答えに驚くと同時に、親友にちょっとした変化が生じたのではないかと考えた。
道明寺司はという男は、笑わない男と世間で言われていることが嘘ではないと知っている。
だがそんな男は、恋愛を求める女にすれば、その冷たさが魅力的に映ることは間違いないのだが、本人は今まで本気で女を好きになったことがない。

それは、どんなに美しいと言われる女でも、一晩か二晩、よく続いて半年といった関係で終わっていることが証明していた。
そんな男が言った面白そうだから女を秘書にした。
その言葉の意味を考えたとき、あきらは親友にも、どうやら遅い春が訪れようとしているのではないかと感じ興味を抱き聞いた。

「で、そのマキノって女。どんな女だ?」

「チビで時々爆発寸前になる女だな」

「爆発寸前?」

「ああ。何に対しても真剣で、真面目な女だが、他人のことを心配する癖がある。そんな女だ」



あきらは司の言葉に今まで感じたことのないニュアンスを感じていた。
何故か急に楽しげに話をし始めた友人は、必死さや感情の波といったものに弄ばれたことがない。そんな男の口元が微かに笑みを浮かべたのを確かに見た。
もう随分と見たことがない男の笑い顔。
あきらにしても、司にしても幼い頃から周りにいたのは、作り笑いをして彼らに媚び諂う人間ばかりだった。
そして、世間に広く名を知られている男達は、容姿や財力抜きで彼ら個人を愛してくれる人間を見つけるのは難しい。だからこそ、あきらも司も本気の恋などしないのだ。
だが、恋におちたことがない男が、もしかすると初めての恋といったものを始めようとしているのではないか。

感情の波に弄ばれたことがない男が言った爆発寸前になる女。
あきらはその言葉の意味から、いったいどんな女が道明寺司の好奇心を掻き立てたのか、知りたくなっていた。




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コメント
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dot 2017.11.27 06:30 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
クロワッサン。食べてもらえませんでしたね。
新米秘書に言われたくらいで、食べるようなお人ではありませんよね?(笑)
そしてあきら登場。彼は司のことを良く知る男ですから、新しい秘書に指名したつくしに興味を持っていることに気付いています。と、その前に、司が女の秘書を傍に置いた時点でわかります(笑)
二人の恋の行方。大人の恋愛は早いか、遅いかどちらかです(笑)

そして御曹司。楽しんで頂けて嬉しいです。エロ坊ちゃんの妄想劇場&夢芝居劇場と化してしまいました(笑)
アッシジの出来事(笑)そうなんです。友人と二人で小芝居をしたんです。
遠い昔のお話です(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.28 00:10 | 編集
H*様
やはりクロワッサンは食べてもらえませんでした。
あの司がこの時点で素直に食べるはずがありません。
でも彼女が淹れたコーヒーはお気に入り。
恋に目覚める日はいつなのでしょうねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.28 00:14 | 編集
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