色付き窓ガラスのリムジンは、マンションのエントランス前でエンジンがかけられた状態で待っていた。運転手はいつもの男で、司が近づくと後部ドアのハンドルに手をかけ「おはようございます。副社長」と言ってドアを開けた。
いつもと同じ運転手に、いつもと同じ車。
シートの革の柔らかさもいつもと同じで座り心地は完璧。車内の温度も快適。
だが違うのは反対側のドアを自ら開け乗り込んだ西田ではない新人秘書、牧野つくし。
肩口で切りそろえた黒い髪と、黒い大きな瞳と、時に息巻いて鼻をふくらませて話すことがある女は豊かな表情を持っていた。
それは言葉を変えれば、感情が漏れやすいということだ。
そしてそんな女は、中途半端なところで背伸びして自分をよく見せようとるす女ではなく、どこか生真面目なところがあり、どこにでもいる平凡な女だ。そして司の周りにはいなかったタイプの女だ。
司は長い脚を動かし、ゆったりとした姿勢で背中を座席にもたせかけ、コンソールに肘をついた。そして向かいの席に座った女がタブレット端末を取り出し、「では本日の予定を読み上げます」とスケジュールを読み上げる様子をじっと見ていた。
女は新しいスーツを着て見栄えのする小さな靴を履いているが、明らかに昨日着ていたものと違う。そしてそれが、西田が言った副社長の秘書としての身だしなみの結果だということはわかった。
だが司にしてみれば、副社長の秘書として相応しい身だしなみといったものに興味はない。
しかし、生地が違う、裁断が違う、縫製が違う。高級ブランドには、確かにそういった違いがあり、いくら形を真似ようとしても、見る者が見ればその違いを見抜くことが出来る。
そして、司の周りには目が肥えた人間が多く、彼自身も最高の物を常とするのが当たり前の人間であり、どんなものでも本物か偽物かを見分けることが出来るが、それは人間に対しても同じだ。
かつて司の周りにたむろしていた人間は、道明寺という巨大財閥の金に群がるハイエナのような存在であり、彼自身をひとりの人間として見てくれる人物は誰ひとりとしていなかった。
それは女も同じであり、本当の彼を見ているといった女はどこにもいなかった。
そして、女を社内の何かに例えるなら、消耗品だと考えていた。
しかしたった今、同じ車に乗り込んだ女は消耗品とは思えなかった。
例えるなら備品といったところだろう。
一度使用すれば終わるのが消耗品だが、長い間そこにあるものが備品だ。
そしてそれは、どんな扱いにも耐えるように作られているが、牧野つくしは耐えることが得意といった風に見えた。
例えばデスクや椅子といったものが備品として該当するが、仮に彼女が椅子だとしよう。
司の身体にはサイズの合わない小さな椅子。
それがうるさく喋るのを想像したとき、何故か奇妙な笑いを誘っていた。
きっとその椅子はこう言うはずだ。
「ちょっと!勝手にあたしの上に座らないでよ!もうッ・・重いのよ!早くどいてよ!」
女にあたしの上から早くどいてくれと言われたことはない。
「もう!止めてよ!いつまで座ってるのよ!早く降りてよ!潰れちゃうじゃない!」
それに女にもっと続けて、お願い。と喘ぎながら言われたことはあるが、止めてよと言われたことは一度もない。
だがそんな女たちは消耗品であり、本当の意味で深く付き合ったことはなく、別れるときは落ち着いた有無を言わせぬ口調で告げていた。
司は、画面を見ながら話す女が椅子になった姿に笑いが込み上げたが、気付かれないように口の端を小さく歪めていた。
「以上が本日の予定となっております」
端末から顔を上げた女は司を見た。
「副社長?聞いていらっしゃいますか?」
そして訝しげな顔で再び聞いた。
「ああ。聞いてる。9時から経営戦略会議。昼は菱信興産社長との会食。15時からバルテン社のPMIについての会議か?お前はこの件についてどう思う?」
司は、牧野つくしは仕事が出来ると聞いた以上、自分の話について来る事ができるのか知りたい思いがあった。だから彼女が話した予定の中に語られなかった言葉を使い聞いた。
それはPMIという言葉だ。
道明寺HDは最近ひとつの会社を買収したが、買収後の両社の統合プロセスのことをPMI(Post Merger Integration)と言うが、統合がうまくいかなかった場合、買収したがそれにより期待されていた効果を得ることが出来ず、業績が悪くなる場合もある。だからPMIというのは買収の成否を決める重要なプロセスだが、司の秘書として働く以上ビジネスに関する言葉を全く何も知らない、興味がないということでは困る。だからといって全てを知っていろというのではなく、会話として成り立つかどうかが知りたかった。
「M&A(買収)後の統合作業ですね?バルテン社はドイツの電気機器メーカーです。ドイツ企業でしたら企業文化が違ったとしても、勤勉な国民性は日本人と同じですから、従業員意識や管理体制の組織統合が難しいとは思えません。戦略も道明寺と似ていると思いますので大きな問題が起こるとは思えません」
どうやら牧野つくしは、食品事業部でコーヒーの淹れ方だけを学んでいたわけではないようだと、司はその答えに片眉を上げた。
そして、負けるもんですか!と気合いを入れていた女が、まだ何か?といった様子で司を見たが、早いうちに言っていた方がいいだろうと口を開いた。
「牧野。お前の尻。人に見せて歩く趣味がねぇんなら何とかした方がいいんじゃねぇのか?」
言われた女は腰を浮かせ、慌てて後ろに手をやると、スカートのファスナーを引き上げた。
自宅マンションを出た時から開いていたが気が付かなかったのだ。それは時計の針が進んでいた事とは別の恥ずかしい失敗だ。そして見られていたのだ。副社長であるこの男に。
そしてこの男のマンションまでどうやって来たか思い返した。秘書の分際で自宅までリムジンが迎えに来るはずもなく、ひとりでここまで来た。だがそれ以前に住まいの近くにそんな車が入るような道もなく、電車と地下鉄に乗った。そして歩いてマンションまで行ったが、11月上旬のこの日は暖かくコートも着ていない。途端、顔に血が駆けのぼった。
「いやな。お前の趣味かと思って言わなかったんだが、やっぱり言わなかった方がよかったか?」
司の前にいたのは、真っ赤な顔で、どこに下着を見せて歩く趣味の女がいるのよ!と今にも叫びそうな女。
そして、もしこれ以上何か言うつもりなら殴るわよ、といった空気が感じられたが、司は気にしなかった。
「それにしてもベージュのスリップか?俺を誘うつもりならもう少し色気のある色にした方がいいんじゃねぇの?赤や黒のセクシーなやつ。なんなら俺が買ってやろうか?」
強い意思と正義感。
それが、社会の中で役に立つかと言われれば、はい、と答えるのが牧野つくし。
そんな彼女がインフラ事業部の太田のミスに付き合った結果、秘書課への異動へと繋がった。
今では、副社長をマンションまで迎えに行き一日の予定を伝え、出社するとコーヒーを淹れることが仕事の中でのルーティンとなり、二週間が過ぎたが、いつもコーヒーカップが空になっていることが嬉しくて、コーヒー三課にいた人間としての面目躍如といった思いがしていた。そしてカップに頬ずりしたくなっていた。
そして、今日も副社長が9時からの新規事業立ち上げの会議に出席する前、コーヒーを彼の元へ運び、デスクの上に置き、頭を下げ早々に部屋を後にしたが、あの日以来、家を出る前には必ずスカートの後ろを確認することにしていた。
そしてあの日のスリップの色がどうの、といった発言は、先輩秘書が言った
『秘書になるということは、上司の癖を知ることも必要なの』の言葉に、副社長のああいった発言は癖なのだという結論に持っていくことにした。
しかし、ひとつ気になることがある。この二週間、自宅マンションに迎えに行き、玄関先で待つのだが、朝食を食べた様子がないことだ。だが男の独り暮らしについては、弟の進の生活態度からも知っている。進は、朝はコーヒーだけの生活を送っていたからだ。
朝、お腹に何か入れなければ仕事にならないわよ?と言ったことがあったが、「姉貴は俺の心配より自分の彼氏の心配でもしろよ」と笑われたが、彼氏がいない姉に向かってのその態度に「うるさいわね!ほっといてよ!」と言葉を返すしか出来なかった。
思い切って副社長に朝食は取られているのですか?と聞いてみようかと思ったが、自己管理が出来るいい大人を相手に余計なお世話だと言われることが目に見えているようで、聞くのが躊躇われた。
それに秘書の仕事はビジネスの補佐であり、身の回りの補佐ではないからだ。
だがそれでも、先輩秘書である野上の言葉にあったように、やはりそこはそう簡単に割り切れるものではないと納得した自分がいた。それに室長の西田にもある程度秘書が補佐する必要があると言われたはずだ。だから、二人の先輩秘書の言葉を総合的に判断すれば、やはり女性秘書としての気遣いを見せるべきではないだろうか。と、思いながらも朝食の件は本人に聞く事はしなかった。
副社長が第一秘書の西田と会議に入れば、つくしは秘書室で仕事をしているのだが、副社長宛の電話の対応や、各部署から承認を求めるため届けられる書類の整理、また郵便物や届けられる荷物といったものを確認する作業に追われていたが、新人秘書であるつくしは、目立たずひっそりと、だがわき目もふらず仕事をしていた。
そんなある日、専務秘書の野上から聞かれた。
「牧野さん?どう?慣れてきた?」
「はい。おかげさまでなんとか少しずつ」
と、答えたが、つくしは気になっていたことを野上に聞いてみた。
「あの。野上さんは副社長が朝食を召し上がっていらっしゃるかどうかご存知ですか?」
本来なら西田に聞けばいいのだが、何故か野上に聞いていた。
「ええ。知っているわ。秘書課の人間なら誰でもね。副社長は朝食をお召し上がりにはならないわ。朝召し上がるのは執務室で飲むコーヒーだけよ。だから朝のコーヒーは重要なの。今までは西田室長が淹れていたわ。でも今はあなた。秘書室のみんなは美味しいコーヒーを淹れる人が副社長の秘書になってくれたことを本当に喜んでいるのよ?何しろ西田室長がNYからいらっしゃるまでは、コーヒーじゃなくて色水だったんですもの。短い間だったけどね?その頃の副社長のご機嫌はいつも悪かったわ」
それは、女を前面に出すような人だと言われて短期間で異動になった以前の女性秘書のことだ。
「その人はね、コーヒーよりも自分が放つ匂いの方が気になるような人だったから」
そう言えば、とつくしは思い返した。
副社長は、つくしが初めて彼に淹れたコーヒーの香りを、ワインをテイスティングするように確かめた仕草があった。そして唇にやっとわかるほどの微かな笑みを浮かべていた。
つくしは、翌日コーヒーと一緒にクロワッサンをひとつデスクへ運んだ。
それを見た副社長がなんと言うかなど気にせずに。

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それは言葉を変えれば、感情が漏れやすいということだ。
そしてそんな女は、中途半端なところで背伸びして自分をよく見せようとるす女ではなく、どこか生真面目なところがあり、どこにでもいる平凡な女だ。そして司の周りにはいなかったタイプの女だ。
司は長い脚を動かし、ゆったりとした姿勢で背中を座席にもたせかけ、コンソールに肘をついた。そして向かいの席に座った女がタブレット端末を取り出し、「では本日の予定を読み上げます」とスケジュールを読み上げる様子をじっと見ていた。
女は新しいスーツを着て見栄えのする小さな靴を履いているが、明らかに昨日着ていたものと違う。そしてそれが、西田が言った副社長の秘書としての身だしなみの結果だということはわかった。
だが司にしてみれば、副社長の秘書として相応しい身だしなみといったものに興味はない。
しかし、生地が違う、裁断が違う、縫製が違う。高級ブランドには、確かにそういった違いがあり、いくら形を真似ようとしても、見る者が見ればその違いを見抜くことが出来る。
そして、司の周りには目が肥えた人間が多く、彼自身も最高の物を常とするのが当たり前の人間であり、どんなものでも本物か偽物かを見分けることが出来るが、それは人間に対しても同じだ。
かつて司の周りにたむろしていた人間は、道明寺という巨大財閥の金に群がるハイエナのような存在であり、彼自身をひとりの人間として見てくれる人物は誰ひとりとしていなかった。
それは女も同じであり、本当の彼を見ているといった女はどこにもいなかった。
そして、女を社内の何かに例えるなら、消耗品だと考えていた。
しかしたった今、同じ車に乗り込んだ女は消耗品とは思えなかった。
例えるなら備品といったところだろう。
一度使用すれば終わるのが消耗品だが、長い間そこにあるものが備品だ。
そしてそれは、どんな扱いにも耐えるように作られているが、牧野つくしは耐えることが得意といった風に見えた。
例えばデスクや椅子といったものが備品として該当するが、仮に彼女が椅子だとしよう。
司の身体にはサイズの合わない小さな椅子。
それがうるさく喋るのを想像したとき、何故か奇妙な笑いを誘っていた。
きっとその椅子はこう言うはずだ。
「ちょっと!勝手にあたしの上に座らないでよ!もうッ・・重いのよ!早くどいてよ!」
女にあたしの上から早くどいてくれと言われたことはない。
「もう!止めてよ!いつまで座ってるのよ!早く降りてよ!潰れちゃうじゃない!」
それに女にもっと続けて、お願い。と喘ぎながら言われたことはあるが、止めてよと言われたことは一度もない。
だがそんな女たちは消耗品であり、本当の意味で深く付き合ったことはなく、別れるときは落ち着いた有無を言わせぬ口調で告げていた。
司は、画面を見ながら話す女が椅子になった姿に笑いが込み上げたが、気付かれないように口の端を小さく歪めていた。
「以上が本日の予定となっております」
端末から顔を上げた女は司を見た。
「副社長?聞いていらっしゃいますか?」
そして訝しげな顔で再び聞いた。
「ああ。聞いてる。9時から経営戦略会議。昼は菱信興産社長との会食。15時からバルテン社のPMIについての会議か?お前はこの件についてどう思う?」
司は、牧野つくしは仕事が出来ると聞いた以上、自分の話について来る事ができるのか知りたい思いがあった。だから彼女が話した予定の中に語られなかった言葉を使い聞いた。
それはPMIという言葉だ。
道明寺HDは最近ひとつの会社を買収したが、買収後の両社の統合プロセスのことをPMI(Post Merger Integration)と言うが、統合がうまくいかなかった場合、買収したがそれにより期待されていた効果を得ることが出来ず、業績が悪くなる場合もある。だからPMIというのは買収の成否を決める重要なプロセスだが、司の秘書として働く以上ビジネスに関する言葉を全く何も知らない、興味がないということでは困る。だからといって全てを知っていろというのではなく、会話として成り立つかどうかが知りたかった。
「M&A(買収)後の統合作業ですね?バルテン社はドイツの電気機器メーカーです。ドイツ企業でしたら企業文化が違ったとしても、勤勉な国民性は日本人と同じですから、従業員意識や管理体制の組織統合が難しいとは思えません。戦略も道明寺と似ていると思いますので大きな問題が起こるとは思えません」
どうやら牧野つくしは、食品事業部でコーヒーの淹れ方だけを学んでいたわけではないようだと、司はその答えに片眉を上げた。
そして、負けるもんですか!と気合いを入れていた女が、まだ何か?といった様子で司を見たが、早いうちに言っていた方がいいだろうと口を開いた。
「牧野。お前の尻。人に見せて歩く趣味がねぇんなら何とかした方がいいんじゃねぇのか?」
言われた女は腰を浮かせ、慌てて後ろに手をやると、スカートのファスナーを引き上げた。
自宅マンションを出た時から開いていたが気が付かなかったのだ。それは時計の針が進んでいた事とは別の恥ずかしい失敗だ。そして見られていたのだ。副社長であるこの男に。
そしてこの男のマンションまでどうやって来たか思い返した。秘書の分際で自宅までリムジンが迎えに来るはずもなく、ひとりでここまで来た。だがそれ以前に住まいの近くにそんな車が入るような道もなく、電車と地下鉄に乗った。そして歩いてマンションまで行ったが、11月上旬のこの日は暖かくコートも着ていない。途端、顔に血が駆けのぼった。
「いやな。お前の趣味かと思って言わなかったんだが、やっぱり言わなかった方がよかったか?」
司の前にいたのは、真っ赤な顔で、どこに下着を見せて歩く趣味の女がいるのよ!と今にも叫びそうな女。
そして、もしこれ以上何か言うつもりなら殴るわよ、といった空気が感じられたが、司は気にしなかった。
「それにしてもベージュのスリップか?俺を誘うつもりならもう少し色気のある色にした方がいいんじゃねぇの?赤や黒のセクシーなやつ。なんなら俺が買ってやろうか?」
強い意思と正義感。
それが、社会の中で役に立つかと言われれば、はい、と答えるのが牧野つくし。
そんな彼女がインフラ事業部の太田のミスに付き合った結果、秘書課への異動へと繋がった。
今では、副社長をマンションまで迎えに行き一日の予定を伝え、出社するとコーヒーを淹れることが仕事の中でのルーティンとなり、二週間が過ぎたが、いつもコーヒーカップが空になっていることが嬉しくて、コーヒー三課にいた人間としての面目躍如といった思いがしていた。そしてカップに頬ずりしたくなっていた。
そして、今日も副社長が9時からの新規事業立ち上げの会議に出席する前、コーヒーを彼の元へ運び、デスクの上に置き、頭を下げ早々に部屋を後にしたが、あの日以来、家を出る前には必ずスカートの後ろを確認することにしていた。
そしてあの日のスリップの色がどうの、といった発言は、先輩秘書が言った
『秘書になるということは、上司の癖を知ることも必要なの』の言葉に、副社長のああいった発言は癖なのだという結論に持っていくことにした。
しかし、ひとつ気になることがある。この二週間、自宅マンションに迎えに行き、玄関先で待つのだが、朝食を食べた様子がないことだ。だが男の独り暮らしについては、弟の進の生活態度からも知っている。進は、朝はコーヒーだけの生活を送っていたからだ。
朝、お腹に何か入れなければ仕事にならないわよ?と言ったことがあったが、「姉貴は俺の心配より自分の彼氏の心配でもしろよ」と笑われたが、彼氏がいない姉に向かってのその態度に「うるさいわね!ほっといてよ!」と言葉を返すしか出来なかった。
思い切って副社長に朝食は取られているのですか?と聞いてみようかと思ったが、自己管理が出来るいい大人を相手に余計なお世話だと言われることが目に見えているようで、聞くのが躊躇われた。
それに秘書の仕事はビジネスの補佐であり、身の回りの補佐ではないからだ。
だがそれでも、先輩秘書である野上の言葉にあったように、やはりそこはそう簡単に割り切れるものではないと納得した自分がいた。それに室長の西田にもある程度秘書が補佐する必要があると言われたはずだ。だから、二人の先輩秘書の言葉を総合的に判断すれば、やはり女性秘書としての気遣いを見せるべきではないだろうか。と、思いながらも朝食の件は本人に聞く事はしなかった。
副社長が第一秘書の西田と会議に入れば、つくしは秘書室で仕事をしているのだが、副社長宛の電話の対応や、各部署から承認を求めるため届けられる書類の整理、また郵便物や届けられる荷物といったものを確認する作業に追われていたが、新人秘書であるつくしは、目立たずひっそりと、だがわき目もふらず仕事をしていた。
そんなある日、専務秘書の野上から聞かれた。
「牧野さん?どう?慣れてきた?」
「はい。おかげさまでなんとか少しずつ」
と、答えたが、つくしは気になっていたことを野上に聞いてみた。
「あの。野上さんは副社長が朝食を召し上がっていらっしゃるかどうかご存知ですか?」
本来なら西田に聞けばいいのだが、何故か野上に聞いていた。
「ええ。知っているわ。秘書課の人間なら誰でもね。副社長は朝食をお召し上がりにはならないわ。朝召し上がるのは執務室で飲むコーヒーだけよ。だから朝のコーヒーは重要なの。今までは西田室長が淹れていたわ。でも今はあなた。秘書室のみんなは美味しいコーヒーを淹れる人が副社長の秘書になってくれたことを本当に喜んでいるのよ?何しろ西田室長がNYからいらっしゃるまでは、コーヒーじゃなくて色水だったんですもの。短い間だったけどね?その頃の副社長のご機嫌はいつも悪かったわ」
それは、女を前面に出すような人だと言われて短期間で異動になった以前の女性秘書のことだ。
「その人はね、コーヒーよりも自分が放つ匂いの方が気になるような人だったから」
そう言えば、とつくしは思い返した。
副社長は、つくしが初めて彼に淹れたコーヒーの香りを、ワインをテイスティングするように確かめた仕草があった。そして唇にやっとわかるほどの微かな笑みを浮かべていた。
つくしは、翌日コーヒーと一緒にクロワッサンをひとつデスクへ運んだ。
それを見た副社長がなんと言うかなど気にせずに。

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司*****E様
おはようございます^^
スカートのファスナーの上げ忘れ(笑)他人事ではありません!
ついうっかり・・なんてことにならないように気を付けたいと思います(笑)
そして司は、今まで女性の身なりなんて気にしていなかったと思いますが、気にしてるんですね?
興味がない女なら、ファスナーが開いていても何も言わなかったことでしょう(笑)
ちょっと御曹司が入ってた!(≧▽≦)そうなんですよね。どうしても御曹司が憑依したがるんですね?
そして朝のコーヒーにクロワッサンをつけえたつくし。
さて、司の反応は?でも明日は・・・。
今日もお忙しい一日だったんですね?
お疲れさまでした!日曜日はお休み出来るといいですね?
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
スカートのファスナーの上げ忘れ(笑)他人事ではありません!
ついうっかり・・なんてことにならないように気を付けたいと思います(笑)
そして司は、今まで女性の身なりなんて気にしていなかったと思いますが、気にしてるんですね?
興味がない女なら、ファスナーが開いていても何も言わなかったことでしょう(笑)
ちょっと御曹司が入ってた!(≧▽≦)そうなんですよね。どうしても御曹司が憑依したがるんですね?
そして朝のコーヒーにクロワッサンをつけえたつくし。
さて、司の反応は?でも明日は・・・。
今日もお忙しい一日だったんですね?
お疲れさまでした!日曜日はお休み出来るといいですね?
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.11.25 23:44 | 編集

H*様
おはようございます^^
クロワッサン。司はつくしの行動にどんな態度を取るのか。
そうですよね~。余計なことをするな!と言われるかもしれません。
そして先に恋におちるのはどちらか。
司のような気もするのですが、どうなんでしょうねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
おはようございます^^
クロワッサン。司はつくしの行動にどんな態度を取るのか。
そうですよね~。余計なことをするな!と言われるかもしれません。
そして先に恋におちるのはどちらか。
司のような気もするのですが、どうなんでしょうねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2017.11.25 23:49 | 編集
