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2017
11.22

恋におちる確率 11

食品事業部、飲料本部、飲料第二部、コーヒー三課にいたつくし。
コーヒーの淹れ方には自信があった。それはコーヒー豆の輸入業務に携わっていた関係もあり、ペーパードリップの場合どんな淹れ方をすれば豆の旨さが引き出せるのかといったことを学んでいた。

よく言われるのは、湯の注ぎ方だが、確かにそれは大切だ。
湯を慎重に「のの字」を書くように注ぐことは有名だが、予定の抽出量に達したら、フィルターの中にある粉が窪み、湯が全て落ちる前、雑味が落ちないうちに、すぐにドリッパーを下ろすことも重要だ。そしてコーヒーは生鮮食品であり、香り高いコーヒーを最後まで楽しむなら保存方法も重要だ。

だがさすが副社長秘書ともなれば、完璧な淹れ方をマスターしていて当然だった。
西田室長の淹れ方は丁寧でありながら、無駄な動きがなく、まるで茶道の作法のような切れがあった。

「牧野さん。副社長にお出しするコーヒーのお湯の温度は90度でお願いいたします。蒸らしは30秒。そして飲まれる時は70度に落ち着くようにお出し下さい」

「わかりました。お湯が沸騰しましたら30秒ほど待てばよろしいですね?」

温度の指定があるのは、お湯の温度で香味が変わるからだ。
湯は沸騰して20秒から30秒置けば96度から90度に下がる。そして温度が高いと苦みが強く味が重めになるが、副社長の好むブルーマウンテンは、調和のとれた優しい酸味と甘みが特徴と言われるコーヒーであり、そのコーヒーに合う湯の温度は90度が適正だと言われており、どうやら副社長の好みは王道を行くようだ。

「牧野さん。あなたはコーヒー三課で色々なコーヒーについて学ばれたようですが、わたしの話を一度で理解出来ることは流石です。それからご存知かと思いますが1分以内にお出しするようにして下さい」

コーヒーは温めたカップに淹れられたとしても、時間が経てばどんどん温度が下がる。
70度で飲むとするなら1分以内に運ばなければならない。
そしてコーヒー本来の味を楽しめる時間は5分と言われており、コーヒーにうるさい人間にすれば、それ以降になればただの色の付いた湯となってしまう。
副社長である道明寺司がコーヒーにうるさい人間なら、冷めたコーヒーなど出されれば、ご機嫌斜めになるということだ。

「それからこれからの季節は部屋の室温が少し高めですので、その点を考えれば冷える速度は少し遅いですが、逆に夏場冷房が効いている場合は冷える速度は早くなりますのでより早くお出しすることがよろしいかと思われます」

1分以内ではなく、30秒以内に出せと言いかねない秘書。
だがコーヒーに拘る人間なら当たり前のことであり、別に驚くことではなかった。
そしてつくしは、西田室長に負けないだけのコーヒーを淹れる自信がある。

「よろしいですね?」

「はい」

「ではさっそくお願いいたします」










今目の前にいる人物は、自分の前に障害物などひとつもない人生を歩んできたに違いない。
つくしが秘書としての一歩を踏み出した一日目は、まず上司である副社長へ出すコーヒーを淹れることから始まったが、何か言われるのではないか。不味いといって突き返されるのではないか。そればかりを考えデスクへカップを運んだが、これはコーヒー三課にいた人間のプライドをかけ淹れたコーヒーであり、味にうるさいと言われる男の口に合うのか、確かめたい思いがあった。
だから、副社長が書類をめくる手を止め、繊細な作りのカップを持ったとき、力の強そうな大きな手に意識を集中し見ていたが、口をつける瞬間、長い睫毛を伏せ、香りを確かめる姿がまるでワインをテイスティングする姿に見え、唇にやっとわかるほどの微かな笑みが浮かんだのを見た瞬間、よし!と心の中でガッツポーズを作っていた。

だが、次の瞬間、
「・・牧野。俺の顔に何かついているか?」

と、男の視線がつくしの方へ向けられ二人の眼差しが絡み合った。
それは数秒ほどのことだが、力強い視線で男としての強さが感じられる視線。
その視線に何故か一瞬言葉を失ったが、慌てて返事をした。

「い、いえ。何もついていません」

「それなら出て行ってくれないか?それとも何か用があるのか?」

スケジュールが決まっている人間の忙しさを考えれば当たり前の言葉だが、つくしは自分が淹れたコーヒーの感想を聞きたかった。だがまさか飲んで感想を聞かせて下さいとは言えず、失礼しましたと言い部屋をあとにした。

それから30分後書類を持参すると、飲み干されたカップがそこにあることが、満足いく味であったいうことを証明していた。
何故なら、不味ければ飲まないことが分かっているからだ。
以前副社長の秘書だった女性が淹れたコーヒーは、口に合わなかったと聞いた。
そしてその時、闇よりも濃い色をした色水が、カップの中に残されていたのを古参の秘書が見ていた。

たかがコーヒー一杯。と言われるかもしれないが、自分が出したコーヒーに合格点が与えられたことが嬉しかった。
そして、そのことが新しい仕事を前向きに頑張れる。
その勇気が貰えたような気がしていた。
人は誰かに認められ、何かを認められ、自信を深めていく。
だから、新しい仕事についたその日に認められたのが、コーヒーの味だけでも嬉しいと感じられた。









「副社長。牧野様のコーヒーはいかがでしたでしょうか?」

「副社長?」

「ああ?美味かった。お前が淹れたコーヒーと同じくらいな」

デスクに向かい書類にサインをしていた男が視線を上げた先には、西田が分厚いファイルを持ち立っていたが、そのファイルをデスクの上へと置いた。

「そうでしたか。それはよろしゅうございました」

「それで・・牧野つくしは今何をしている?」

司は西田が置いたファイルを取り上げ、中を開く。
そしてそこに書かれている数字を目で追い、その書類に太田正樹の名前を見つけ口の端を上げた。

「はい。仕事は実践からで机上で覚えることはないと申しましたが、今専務秘書の野上くんに秘書としての経費の申請の方法と女性秘書としての身だしなみといったものをレクチャーさせております」

「身だしなみか?」

司は視線をファイルから西田に移し、そして話を促した。

「はい。おしゃれと身だしなみは違います。秘書としての品格に必要なのは身だしなみです。本日の牧野様のお召し物は紺のスーツに黒い靴。インナーは白。そして真っ黒な髪。見た目は清楚ですが、やはりあの服装はリクルート活動ではないのですから、30過ぎの女性には少し地味ではないかと」

だが紺色という濃い色が、額縁効果をもたらし肌の白さを引き立てたのは間違いない。
しかしリクルート活動という言葉にも一理ある。そして色はいいとしても、やはり生地や素材といったものは、ひと目で分るものがあり、仕立てについては目が肥えた人間には分かるからだ。

「それに、今後副社長の秘書として地位の高い方々との会合の場といったものにも同席して頂くことがありますので、それなりの服装といったものが必要となります。ですから野上くんには、副社長の秘書としてどのような服装が相応しいかといったことも話をさせておりますが、やはり服装の話となると、男であるわたくしが話しをするより女性同士の方が話しやすいということもありますが、説得しやすいということもあります。それに野上くんからの提案になら間違いなく従ってくれるはずです」

西田が言いたいのは、牧野つくしに秘書としての品格を持たせるための装いを揃える、ということだが、同性の先輩の存在というものが、役に立つということを司は初めて知った。

「そんなものなのか?」

「はい。男のわたくしからいきなりこれを着なさいと言わるよりは、同性の先輩社員からの言葉の方が素直に受け取ることが出来るはずです。それに理由付けがないままの状態ではあの方はいつまでも考え込んでしまう恐れがあります。人は自分自身に自信を持つためには揺るぎないなにか、というものが必要ですから」

それは確かに言える、と司は思う。
なぜ自分が司の秘書に抜擢されたのかについても、理由があり、その理由が納得できるものなら、それを即座に受け入れることが出来る。そんな女だからこそ、秘書として長いキャリアを持つ人間からの言葉には、素直に耳を傾けることが出来るということなのだろう。

「ですので、牧野様は午後から野上くんと一緒にスーツを仕立てに行っていただきます。それからパーティー等にも対応できるようにそちらのドレスも数着仕立てるように伝えております」

西田はそこで言葉を切った。
そしてため息交じりの呆れ果てたような口調で言葉を継いだ。

「・・・それにしても、わたくしの母親の具合が悪いなど、どこから思いつかれたのか・・。
母は5年前に他界しておりますので今後どのような対応をすればいいのか・・」

「何をだ?」

と言い、司はデスクの上に両肘をついた。

「ですからわたくしの母親の件です。母はもうこの世におりません。それを具合が悪く田舎の老人ホーム暮らしなどと申されるのですから、どうすればそのお話を牧野様に信じて頂けるか咄嗟に考えましたが、まさかわたくしがあのような嘘をつくとは・・」

西田は上司である司をじっと見つめた。
これまでこのような嘘をついたことがない。だが司が言った話を否定すれば、上司のニーズに応えていないことになる。それでは道明寺HDナンバー2の人物の秘書としての名折れだ。
だが当の本人は果たして秘書の気持ちを理解しているのか?

「気にするな。あの場限りで済ませた嘘だ」

どうやら気にしていないようだ。

「いいえ。あの場限りだとは考えない方がよろしいと思います。副社長はお気づきではありませんでしたか?あの方の心配そうな顔を。あの顔は心底心配している顔です。恐らく今後、何かある度わたくしの母のことを聞いてくることは間違いないでしょう。そうなるとその時の対応を考えなければいけません。それに時に新潟へ帰ったフリをしなければなりません」

「西田。お前は本当に新潟出身だったのか?」

司は西田がどこの出身か知らなかったが、まさか本当に新潟だったとは思わなかった。

「はい。西田家は新潟で日本酒の蔵元をしております。家業は兄が継いでおりわたくしは一人息子ではございません。それにしても一度ついた嘘というものは、後で取り消すとなると大変なことになることもございますので、気を付けませんと嘘を嘘で済ませることが出来なくなります」

そのとき、眉根を持ち上げ西田を見た司は、親の言うことに逆らう子供のような目をしていた。
まさにその目は、今は立派になった男が少年だった頃を知る西田にすれば、悪ガキとしか言えない目。
そしてそんな目をしていた少年は、女性に冷たく、笑わないと言われる男になっていた。
だが今は時に笑いを含んだ表情をする。
そして今はまだ秘書の女性に対し、好奇心といったものしか持ち合わせていないが、いずれその女性が本当に欲しいと思える人だと気付いたとき、彼女を手に入れるためには、どんなことでもする人間であると知っていた。






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コメント
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dot 2017.11.22 08:21 | 編集
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dot 2017.11.22 14:16 | 編集
H*様
おはようございます^^
面白いと言って頂き嬉しいです。
そうですねぇ。前作と違ってラブ要素多めのお話にしているつもりです。
これから年末にかけて忙しくなりそうですので、更新頻度が落ちることもあると思いますが、楽しんで頂けるように書きたいと思います。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.22 21:56 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
素敵な資格をお持ちですね?アカシア紅茶もよく飲みます。
さて、つくしは司を唸らせるコーヒーを淹れることが出来たはずですが、美味いという言葉は聞けませんでした(笑)
秘書と副社長といった立場でこの二人はどんな恋におちてくれるのでしょうねぇ。
西田さん(笑)嘘でした。
あの無表情な西田さんが淡々と語るのですから、本当だと信じているはずです。
そして西田さんの中では、司がつくしと恋におちることに確信があるようです。
ふたりの恋の行方は西田さん次第でしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.22 22:05 | 編集
か**り様
西田秘書の私生活を垣間見たと思ったら嘘でした!
西田さんは見事なフォローでしたが、司の嘘がバレた時どうなるんでしょうか?
恋におちる確率が上がったと思ったら下がり・・・。
恋とはそういったものかもしれません(笑)
え?司を苛めて?(笑)
スーツやドレス。経費で落ちるのか?経費にするには色々と条件がありますが、今回はどうするのでしょうか?
国会も始まりました。「総理!総理!」とつくしが道明寺内閣総理大臣を責める姿を見たいですね?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.22 22:12 | 編集
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dot 2017.11.23 18:45 | 編集
さ***ん様
今はまだ全く恋の気配がありません。
副社長の秘書になりましたが、何故か敵対心?を持つ女。
最初の出会いがネックなのでしょうか?
そしてコーヒー三課の名にかけて、コーヒーにうるさい男に自分が淹れたコーヒーの味を認めてもらいたかったようですが、出て行ってくれと追い払われてしまいました。しかし、司の口元に微かに浮かんだ笑みに勝利を確信しました!
本当に副社長を相手に勝ってどうするんでしょうね?(笑)
そしてキリマンジャロの神のニーズに応えた西田。実は新潟の蔵元の息子だったんです。
そんな西田には見えるようです。
この司が恋におちるのを!流石です西田さん(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.24 21:42 | 編集
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