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2017
11.17

恋におちる確率 8

来月から秘書課に異動。
その来月という言い方は、ある意味誤解を与えることがある。
なぜなら月初めに言われるのと、月末に言われるとでは大きな差があるからだ。
事実、つくしが来月からと告げられた時点で今月の営業日はあと四日しかなく、業務の引継ぎであっという間に時は過ぎ、気付けば明日から最上階、神々のフロアと呼ばれる55階での勤務を控えていた。

それにしても、こんな短期間でこの時期に異動があること自体が前代未聞のはずだ。
しかし、どんなことにでも異例や特例といったことがあるのが当然であり、つくしの異動も異例の中のひとつだと思えば、よくある話しといった言葉で片づけられても不思議ではない。

それでも何故、食品事業部の人間が秘書課に異動になるのか?
異動の希望など過去にも出した覚えはないし、望んでもない。だから何故?どうして?
の言葉が大きな疑問符付きで頭の中に渦巻くのは当然だ。

休憩室でコーヒーを飲んでいたところ、同僚から思わぬ知らせを聞き、慌てて席に戻り、メールを開き、送られてきた人事通達の内容に我が目を疑った。
大きな目をさらに見開き、画面を凝視し、その文字を追ったが、

『食品事業部、飲料本部、飲料第二部、コーヒー三課
主任、牧野つくし
11月1日付けで秘書課異動を命ずる。』

と、確かに書かれていた。







「あの、部長。でもどうして私が秘書課に異動なんですか?」

つくしは部長席まで駆け寄った。
だが何度聞いたところで、その真相が明らかになる訳もなく、食品事業部部長もコーヒー三課の課長も、上からの指示があればその指示に従うしかないのだから、答えは「指示があったから」としか答えようがない。そして明確な理由が明らかに出来ない彼らは、咳払いや口ごもるしか出来なかった。

だが、同期の原田久美子は違った。

「ちょっとつくし。もしかしてあんた道明寺副社長に見初められたとかじゃないの?だって社内の噂によると嫌いなもののひとつが女性秘書だっていう副社長の傍に行くことが出来るなんて尋常じゃないわよ?」

尋常じゃない。
言葉を変えれば異常ということだ。確かに異常だとつくしも思った。
そして絶対に言えるのは、見初められてのではない。これだけは確かだ。

「ねえ、つくしは今まで道明寺副社長と会ったことがあるの?もしかして何か接点があってつくしの人間性が認められた結果だとか?」

「まさか!接点なんてないわよ!・・どうしてあたしがあの男と・・・じゃない副社長と接点があるのよ?」

久美子にはあの日起きた事を話してないが、接点は数日前の副社長室での出来事だ。
だから突然の人事異動に思い当たるとすれば、つくしが最低呼ばわりしたことを根に持ち、何かしようと企んでいるのではないかということだ。

これはもしかすると、秘書室という名の窓際に追いやられ、仕事もさせてもらえず、身の置き所がない状態へ追い込み、自ら退職を申し出るように仕向けようとしているのではないか。そんな思いが過る。

「そうよね・・社員食堂にさえ来たことがない副社長がつくしの行きつけのラーメン屋に来ることもないだろうし、逆につくしが高級レストランで食事をするなんてこともないから接点なんて探しようがないし本当に不思議よね?でもね、今社内の女性社員の話題はどうしてつくしが秘書課に異動になったかって話で持ち切りよ?だって感じるでしょ?この空気。あたし達の周りだけ違うでしょ?」

確かにそうだ。
社員食堂の中、つくし達の周りだけ何故か人がいない。
そして遠目に二人を見る女性たちの姿があるが、その視線は絶対何かあったのだという懐疑的な視線。
そんな視線にさらされ、背中や首の後ろがむずむずとし、豚肉の生姜焼きを口に運ぶ箸が重く感じられた。

だがそのとき、向かいに座る久美子は、手にしていた箸を置き、身の乗り出すようにして箸を持つつくしの手を両手でガシッと掴み、真剣な眼差しで言った。

「ねえ、つくし。よく聞いて。これをきっかけにいっそのこと副社長と恋におちてみるってのはどう?つくしは彼氏がいないひとり者。副社長も噂によれば今は多分ひとり。妙齢な年ごろの男と女が傍にいて互いが惹かれ合うってことがあるじゃない?ほら、ロマンス小説とかでよくあるじゃない?アレよ、アレ。深夜遅くまで二人だけで仕事をしていい雰囲気になる副社長と秘書のロマンス!・・・牧野くん、随分と遅くなってしまって申し訳ない。だが、ちょうどいい機会だし話しておきたいことがある。私は君のことが前から気になっていた。だから秘書に抜擢したんだ。牧野くん、君は私のことをどう考えている?私は真剣だ。だから君も・・・キャーあたし、イケないこと想像しちゃうわ!」

久美子の思い描いているロマンスは、大富豪の社長に見初められた平凡な女性秘書が、華やかな世界へ足を踏み出す。恐らくそんな物語なのだろう。
そんな久美子の手は、興奮のあまりつくしの手を上下に揺らすのだから、箸先の生姜焼きのタレが飛び散りそうになることを懸念し、つくしは自分の手を引き抜こうするが、久美子はしっかりとつくしの手を握り離そうとはしない。だがつくしはなんとか手を解こうとする。

「・・ねえ、久美子。・・あの男・・じゃない道明寺副社長は女の秘書が嫌いって話しでしょ?それなのにどうしてあたしが秘書課にって思うけど、秘書室勤務になったからって副社長付になる訳じゃないでしょ?」

そうだ。秘書課に異動になったからといって副社長付になるとは限らない。
だから、久美子の話しが明後日の方向へと向かう前につくしは否定した。
だが相変わらず手は離してもらえない。

「何言ってるのよ!専務や常務にはお局クラスの秘書がいるんだし、副社長付になるに決まってるじゃない。いい?副社長には秘書の鏡、懐刀って呼ばれる秘書がいるけど、その人はNY時代から仕えている人で副社長の子供の頃を知る西田秘書。でもやっぱりひとりじゃ忙しいんじゃない?副社長のスケジュールの管理は西田秘書だろうけど、ほら、年齢の事もあるじゃない?西田秘書もそれなりの年だしさ、病気で休んだりとかもするだろうし・・・とにかく秘書室の事情で誰か有能な人材をってことになったんじゃない?もうこれはなんだかロマンスの香りがプンプンするわ!大人の愛が燃えるのよ!」

だがつくしには、とても秘書室の事情とは思えなかった。
そして久美子がロマンスの香りがするなら、つくしには陰謀の匂いではないが、きな臭ささが感じられた。

「ねえ、つくし!副社長のあの引き締まったしなやかな身体に抱きしめられたいと思うでしょ?動きのひとつひとつがセクシーなんだもの!もうつくしの事が羨ましくて仕方がないわ!」

じゃああたしと代わって!
と、口に出してみたい気がしたが、そんな言葉を呟けば、手を挙げる女性が大勢いるはずだ。
そして、つくしのその言葉は風に乗って社内中を駆け巡り、副社長の傍にいたくないと思う牧野つくしはおかしな女だといった噂が広まることだろう。そして今は、どうしてつくしが秘書課に異動になるのかが多くの臆測を呼んでいるというのに、それ以上に臆測を与える原因となる言動は控えなければといった思いがある。だから口に出すことはしなかった。
そして、今はあの男のことより、目の前にある豚肉の生姜焼き定食の続きを食べたい思いがあり、なんとか手を離してもらおうとしたが、やっと久美子の手が離れた。
そして話題が変わったことにホッと胸を撫で下ろす。

「ねえ、つくし。ところであんた昨日若い男の子と食事に行ったって言うけど、誰よそれ?まさか恋人が出来たなんてことないわよね?」

「違うわよ。ちょっと仕事で色々とあってその関係よ。だいたいあたしよりも一回りも若い男の子に興味なんてないわよ。ランチミーティングっていったら変だけど、その延長みたいなものだから」

「その人お客さんなの?」

「・・うん。突然異動することになったからって連絡したら、じゃあお昼でもって言われてね・・」

得意先の人間とのランチミーティングといったものは、よくある話しであり、久美子の手前、そういうことにした。
だが相手はあの若い社員だ。

インフラ事業部の太田から電話がかかって来たのは、人事通達が届いた日の夕方だった。
そしてその通達を見た太田は、突然つくしが秘書課に異動になることを、ただ事ではないと感じたのだろう。それは、自分のせいで副社長に反論したため、この人事異動が行われたのではないか、そう思ったことは間違いない。

だからやはり自分が悪かったのだと。
迷惑をかけたのだといった思いが募り、太田はお詫びの印といっては何ですが、と食事に誘ったということだ。だがつくしは断った。もう済んだことだから気にしなくていいからと。
しかし太田はどうしてもお願いします。と言い引き下がらず執拗だった。
この点は、ある意味線が細いと感じられていた太田正樹も、営業としての資質はあると言えるのかもしれない。それなら、とつくしの提案で行きつけの中華料理店でランチをご馳走してもらった。
注文したのは、酢豚定食。杏仁豆腐のデザートを付けてもらい1200円といつものランチより豪華だった。


「へえ~。あんた昔から若い男の子には人気があったもんね?でもさ、一回り年下でもつくしは若く見えるから、傍から見たら年齢差があるようには見えないかもね?で、どこに行ったの?」

「どこって、中華料理よ?」

「まさか!あんたの行きつけのラーメン屋?」

「あのね、あそこはラーメン屋じゃなくてちゃんとした中華料理店なのよ?あの店の酢豚とチャーハンは絶品なんだから!」

つくしは、入社以来その中華料理店の大ファンだ。
そこは、道明寺ビルから少し離れた場所にある昔ながらの庶民的な中華料理店。
昼間は近くの会社のサラリーマンで賑わいを見せる店であり、つくしは酢豚定食もチャーハンもラーメンも、とにかくどのメニューも大好きだ。

「はいはい。つくしは男よりも食い気の方が優先なのよね?まあいいわ。でもこれからは秘書室勤務になるんだから、そんなラーメン屋・・じゃなくて中華料理店に気軽に足を運ぶなんて時間もなくなるだろうし、その店でご馳走してもらえて良かったわね?」

つくしは、久美子の話を聞きながら途中になっていた豚肉の生姜焼きを口に運び大きく頷く。

「とにかく、つくしは明日から55階の秘書室勤務になるんだから、頑張ってね。何しろあのフロアには神様がいるんだからね?」

そうだ。
会社員にとって副社長をはじめとする役員は偉い。
だから55階は神々のフロアと呼ばれる。
そしてつくしは、あの日のあの男の発言は冗談だったのか、本気で言ったのか分からないが、どちらにしても彼女にとって嫌な男となった道明寺司のいるフロアで明日から働く。
だからもうこうなったら腹を括り、覚悟を決めるしかない。
だがいったい何の覚悟を決めるというのか?


「・・それと・・・もしかするとロマンスの神様もいるかもね?」

と、久美子は言ったがロマンスの神様は・・・いないと思う。











ロマンスの神様・・・

そう言えば確かそんな歌があった。
だがその歌によれば、土曜日に遊園地に行って1年たったらハネムーンだなんて言うのだから、もし55階にロマンスの神様がいるとすれば、道明寺司と遊園地に行けば1年後には結婚していることになる。
だがそれはない。絶対にない。
あの男と遊園地に行くことなんて絶対にないと断言出来る。
だから雑草を自負する女は、踏みつけられたとしても立ち上がってみせるといった覚悟を持ち、明日からの業務に備え気合いを入れた。





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コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2017.11.17 07:15 | 編集
ふ*******マ様
久美子さんとラインダンスを踊りたい!(笑)
そしてつくしは来月からの異動とはいえ、あと4営業日しかなかったんですねぇ(笑)
さて、55階にロマンスの神様がいらっしゃるといいのですが、どうでしょうねぇ(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.18 20:48 | 編集
司*****E様
おはようございます^^
久美子さん大興奮ですね?
何しろ相手は道明寺副社長ですからねぇ(笑)
しかし、久美子さん妄想癖があったんですね?(笑)
そんな同期の久美子の舞い上がりを必死に阻止しようとするつくし。
さて、秘書課勤務はどうなるんでしょう。
「ロマンスの神様」流行りましたねぇ。あの高音域は難しいですね?
続きの曲があるんですね?今度聞いてみたいと思います。
そしてあの曲のように1年後に結婚しているとすれば、凄いロマンスの神様がいたということですね?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.18 20:55 | 編集
ま**ん様
秘書課勤務が始まるつくし。
さて、あの司を相手にどうなるのでしょう?(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.18 20:57 | 編集
H*様
そうなんです。
秘書室という名の窓際かもしれません!
そして久美子さんのキャラはつくしの同期に相応しいでしょうか?
生姜焼き定食の攻防はなんとかつくしが勝ちました(笑)
さて秘書課勤務となるつくし。あの司相手に頑張ってくれると思います。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.18 21:05 | 編集
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