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2017
11.13

恋におちる確率 6

司は執務室の扉を開けた。
室内は黒を基調に整えられ、静かで、一面ガラス張りの向うは明るい陽射しに照らされているが、彼について来た女の顔は、外の明るさとは対照的であり、気難しいとまでは言わないが、眉間に皺が寄っていた。そして足音さえしないが、ドスドスと音を立て歩いたとしても、おかしくはない雰囲気があった。






司は執務デスクの椅子に腰を下ろし、書類を目の前に置き、デスクの向うに立つ女を見た。
彼に向かって言われる言葉の中に、カリスマ性があるといった言葉があるが、それが一番感じられるのは、仕事に取り組む姿だと言われていた。
実際こうして重厚なデスクを前に相手を見つめる姿は凄みがあり、威圧感を与えると言われていた。
そして彼は、その威圧感を女に与えようとしていた。


「それで?説明とやらを聞かせてもらおうか。お前は食品事業部の人間だと言ったが、名前は?それにどうしてこの書類を持っている?」

女が手にしていた書類というのは、経費と呼ばれる項目の数字がやたらと大きかったことに疑問が生じたため、責任者である事業部長を呼び確認させたが、単なる数字の打ち間違えだということが判明した。そして訂正された書類の提出を待っていたところだ。

「私は食品事業部、飲料本部、食料第二部、コーヒー三課の牧野と申します」

廊下で息巻いた女は、息を整え長ったらしい部署名を言い、それから名前を名乗ったが、表情には先程まで感じていたとげとげしさとは別の感情が浮かんでいた。

それは、男の態度に気圧されたのか、それともこの部屋の持つ雰囲気に気後れしたのか。
そして誰にでも言えることだが、一度口から出た言葉は回収が効かないことと同じで、自分の勤める会社の経営者に対し、強気な態度をとったことへの後悔もあるはずだ。
そんな思いから、次に発せられた言葉は、どこか遠慮が感じられた。

「私がその書類を持っていたのは、実はその_」

と、言いかけたところで、ノックの音がした。
そして入れと言う低い声に、秘書が足音も立てず部屋に入ってきた。

「失礼いたします。インフラ事業部の太田と名乗る人物が副社長にお会いしたいと申しておりますがいかがいたしましょう」

「太田?誰だそいつは?」

「はい。彼は牧野さんがお持ちの書類の件について話しがしたいと申しております。それからお調べ致しましたが、本物かどうかを別にして牧野と言う女性社員は確かに食品事業部にいらっしゃいます」

その言葉に女がムッとしたような顔になったのは言うまでもないが、自分の存在が認められたことは大きいようだった。その証拠に小さく息を吐いた様子が見て取れたが、それは安堵を示していた。

「それで?その太田はこの女の書類について話しがしたいってことだが、理由は言ったか?」

「はい。先ほど秘書室を訪ねて来たところで、牧野さんの行方を聞かれました。その後わたくしが、牧野さんは持参された書類と共に副社長室へお入りになりましたとお伝えしましたところ、本来彼が持ってくるべきであった書類が牧野さんの手にあるということが分かりました。そして何故食品事業部の人間である牧野さんが、インフラ事業部の書類をお持ちだったかということを話し始めたのですが、太田が言うには誤って牧野さんに送ってしまったそうです」

「誤送付か?」

「はい。幸い社内だけのことです」

「分かった。太田を通せ」







失礼致しますと言って部屋の入口で深々と頭を下げたのは、肩書も何もない若い男だった。
そしてその男を見つめるのは、司の鋭い視線。
それに対し、司の視線を受け止める若い男は、副社長に糾弾されることを予想しているのかオドオドとしていた。

「お前が太田か?」

「・・はい。インフラ事業部海外事業本部の太田正樹と申します。あの・・秘書の方には申し上げたのですが、副社長に提出する書類を間違って食品事業部宛に送ってしまって・・」

小声の歯切れ悪さのような喋りになるのは、自分の仕事のミスを副社長の前で告白しなければならなくなった為だ。
そしてそれは、自分のせいで全く関係のないつくしを巻き込んでしまった事への申し訳ないといった思いも込められている。

「どうしてこんな事になったのか理由を聞かせてもらおうか」

厳しい目を向けられた太田はつっかえつっかえ口を開く。
そして額に浮かんでいるのは汗と緊張感だ。

「・・・はい。牧野さんに送る予定だった書類といったものはありません。でも何故牧野さんの所へ書類が送られてしまったのか。それはたまたまそこに社内便の封筒があったからです。そこにたまたま牧野さんの名前が書かれていたからに過ぎません」

「意味がわかんねぇな。そこに牧野の名前があったってどういう意味だ?」

副社長の強い出方の前に若い太田は顔が真っ青になった。
そして緊張が一気に高まったのか、直立不動で立つ身体の横に沿わせている手が震えているのが見えた。
そこでつくしは太田が口を開く前に口を開いた。
何故なら太田正樹は、もはや副社長相手にきちんと業務の説明が出来るとは思えなかったからだ。

「あの副社長、社内便の封筒は定形外封筒が使われるんです。その表に宛名表を貼って使っています。それは何行にもなっていて上の行を消して、下に書いていくシステムなんです。恐らく太田くんの言いたいことは、彼の手元に最後の宛名が私宛になった封筒があって、これは想像ですが、彼は何故か差出人だけを自分に書き直した時点で、別の事に気を取られたのでしょう。そしてその封筒に、間違って書類を入れたということではないでしょうか?忙しいと注意力が散漫になります。でもこれは言い訳にしかすぎません。それに彼がミスしたのは確認を怠ったためとしか言いようがありません。でも今後は気を付けると思います。そうでしょ?太田くん?」

何故かつくしは、初めて会った太田正樹のフォローに回っていた。
それは、副社長の前で青ざめ震えている彼が気の毒になったからだ。
そしてそれが、つくしの悪い癖と言えばそうなのだろう。
黙っていればいいものの、全く知らない相手に同情ではないが、見るに見かね口を挟んでいた。
そして、話し終えたつくしは、太田の顔に視線を移し、そして再び副社長である男の顔に視線を移した。
すると男の目はつくしの目をとらえた。
彼女は、その目に、自分の話の内容が理解されたのだと、冷静な目で司を見ていたが、司はそんな女に探るような眼差しを向け言った。

「お前たちはどういった関係だ?」

「はあ?」

思いもしなかった言葉に思わず出た突拍子もない声。

「だからどういった関係だ?」

「ど、どういった関係も何もありません。私は今、初めて彼に会いました。今の今まで顔も知らなかった相手ですよ?変なことを言わないで下さい」

いきなり訳の分からないことを言われ、それも仕事には全く関係の無いことを言われ意味が分からないが静かに反論した。

「そうか。それにしてはやけにこの男を庇うな。廊下でもそうだったが、さっさと本当のことを言えばよかったものを、何を躊躇ってた?それにもしこの男がここに現れなかったらお前は事業部が違うこの男の為に犠牲になるつもりだったのか?」

「あの、それはどういう意味ですか?何が犠牲ですか?」

静かな反論は、徐々にうねりが現れ始めた。

「お前はこの男が好きなんだろ?だからこの男を庇った。どうしようもないミスをするような男だが、女の中にはそういった男が好きな物好きもいるらしいからな。・・そうか、お前はこの男のミスを庇って俺に何か差し出すつもりでいたのか?」

男が女に向かってそういった言い方をするのは、身体を担保や口止めとして差し出すつもりかと言った意味だ。

「な、なによそれ・・冗談じゃないわよ!どうして私がこの人の為にそんなことしなきゃならないのよ!私言いましたよね?私は今の今までこの人に会ったことさえないんですよ?それにどう見たって10歳以上離れているはずです!私にそんな趣味はありません!」

「そうか?自分よりも随分と若い男が好きな女もいるがお前は違うか?」

「ええ!違います!」


つくしは、廊下では言い過ぎたと、穏やかに話をしようと思ったが、まさか自分の会社の副社長にセクハラ発言と取れる言葉を言われるとは思いもしなかった。
副社長の嫌いなものは仕事の出来ない社員、意思決定の遅い人間、女性秘書、そして無意味な笑顔と言うが、実は女性蔑視発言をするような男だったのだ。
そして、どんなにハンサムだろうと、どんなにお金持ちだろうと、女性社員の憧れの的と言われる男の本性をここに見た、といった感じだ。
もう今となっては、目の前の男に対し険悪な眼差しを向ける以外他の目を向けることなど出来なかった。

「行くわよ!太田くん!こんな・・男が副社長だなんて、道明寺なんて将来潰れちゃうわね!」

今では二人のやり取りをオロオロと見守る太田は、つくしの発言に戸惑いを隠せない状態だ。

「あの、でも僕は副社長に説明する義務が_」

「何が副社長よ!こんな人最低よ!」

そして、部屋に入る時はドスドスと音を立てなかったが、出で行く時は、大地を踏みしめるではないが、ヒールの音を響かせ出て行った。

だが行くわよ、と言われた太田は、困った犬のような顔でどうしたらいいものかと司の顔を見た。すると、司は
「太田、お前ももういい。行け」
と犬のように命令し、太田はお辞儀をすると、静に扉を閉めた。

そしてそのとき、扉の外にいたつくしには、高笑いをする男の声が聞こえ、わざと足音高く廊下を歩いた。そしてエレベーターのボタンを叩きながら、
「なによ!あの男!頭がおかしいんじゃない!」
とずばり口にした。














「いいんですか?あんなに怒らせて。かなり怒ってましたが?」

「ああ。いいんだ。俺はあれくらい威勢のいい女が見たかった。あの時、必死になってたあの女の姿が印象的だったからな。なあ西田。あの女どう思う?面白そうだろ?」

「ええ。確かに今まで司様の周りにはいなかったタイプの女性ですね?」

西田の言う通り、今まであんな女は司の周りにはいなかった。
そして面白い。と司は思った。女相手の会話が奇妙なほど可笑しく感じられた。
何故なら、初めこそ礼儀正しく接しようとする態度が見受けられたが、そのうち心の中の声ではないが、あんた何様だと思ってるのよ、といった思いが見え隠れし始めた。
そうだ。声に出されなくとも、廊下で振り返った態度にその思いを感じることが出来た。
そして交わした会話の最後にはそれに近い言葉を口にした。

今まで司にそんな態度を取る女はいなかった。
だがあの女は違う。相手が誰であっても、怯まないといった態度を取る。
それが例え自分の雇い主だとしても同じのようだ。
そして、つつけばつつくだけ、まるで針を纏った河豚のようにその感情が膨らんでいく様子が笑えた。そして司にここまで息巻く女は初めてだった。

だが実は女には見覚えがあった。
つい最近出張したベトナムの空港で、航空会社のカウンター係員に必死に何かを訴える女がいたが、それが彼女だ。
何かあったのだろうとは思ったが、今のご時世でのその行動は、好ましからぬ人物として下手をすれば連行されてもおかしくはない。
そんなある意味勇敢な行動を取る女の姿に、何故か視線が向いた。そしてその姿を横目に、ロビーを横切った。

そして、廊下に出た途端、西田の向う、エレベーターの前、廊下の端に立つその女の視線を捉えたとき、思わず笑みが零れそうになっていた。確率で言えば、再び会うことはないと思われた女性がそこにいたからだ。

あの時の服装はラフだったが、あの時の女だとすぐに気付いた。
その背の高さ。決してスタイルがいいという訳ではない身体の細さ。
そしてどこにでもある髪型。

あの時は遠目だったこともあり、年齢は分からなかったが、こうして近くで見れば20代後半、もしくは30代前半だと推測出来た。大きな黒い瞳に怒りを湛え、睨みつけ、自分が正しいと信じることは貫く姿勢がなんとも言えず小気味よい。
そしてある意味女の勇気ある行動は、退屈だった日常の生活に何らかの変化をもたらすような気がしていた。

だが手にしていた書類に対しての懸念が残ったのは確かだ。全く関係のない部署の、それも承認を要するような書類を手にした社員がいるということが、社内の業務態勢はどうなっているのかと思わずにはいられなかったからだ。
だが、その問題はもういい。
それよりも、今はもっと面白い問題を見つけたのだから。



「しかし、ああいった発言を繰り返されますと、セクハラで訴えられる恐れがありますので程々でお願い致します」

セクハラと思われて当然の発言もわざとしたが、それは彼女との会話を楽しむためだ。

「ああ。分かってる。それよりも西田。あの女の下の名前は?」

「はい。つくし様です。牧野つくし様。34歳、独身でございます」






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コメント
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dot 2017.11.13 08:09 | 編集
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dot 2017.11.13 10:35 | 編集
ふ******ママ様
今でも、こういう男が居るんですよね(笑)
そうですねぇ。つくしには印象付けることは出来たと思いますが、果たしてこの方法で良かったのか疑問が残ります。
つくしはかなり息巻いています。鼻の穴、大きく広げていることでしょう(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.15 21:11 | 編集
司****VE様
おはようございます^^
司は空港で見かけたつくしを覚えていました。
インパクトがあったのでしょう。
セクハラ発言をする司。しかし、それはわざとで、どうやらつくしに興味はあるようですが、恋ではないですね?(笑)
恋に落ちても、あの発言は撤回するどころか、自分の都合のいい解釈へと捻じ曲げそうな気がします。
さあ、つくしのこれからはどうなるのでしょうか。
今の二人が恋におちる確率は・・1%あるのでしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.15 21:14 | 編集
と****ーン様
元気なつくし。それを見て楽しむ男。
さて、この二人の恋におちる確率は?
司は興味がありますが、つくしは全く無しです。
この二人は大丈夫でしょうか?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.11.15 21:17 | 編集
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