2年前に建て替わったビルのフロアにつくしはいた。
そこは、道明寺ホールディングス株式会社日本支社。
彼女は食品事業部、飲料本部、飲料第二部、コーヒー三課に勤務していた。
長い名前だが、大きな会社は細かな部署割りがされているのが当然で、略して『食飲第二部コーヒー三』と言われており、社内便として使用される定形外封筒に貼られた宛名表には、簡素化されたその名称が書かれ、そしてその下に『牧野様』と書かれていた。
つくしは、その名前の通りコーヒーに関係する仕事をしていた。
それは、コーヒー豆の輸入を取り扱う部署にいるということだ。
入社して暫くは、所属部署のよく分からない名前に慣れるのが大変だった。
そして社内の事業部は多方面に渡るのだから、直接的に関係ないとしても、交わされる会話に略した部署名を言われ、それはどこ?と疑問に思うことが多かった。
だが、慣れてみれば、
『食品事業部、飲料本部、飲料第二部、コーヒー三課、牧野』と長ったらしい名前を封筒に書く手間が省ける便利さはある。
そして、今朝もミーティングから戻ってみれば、社内便が配達されており、机の上には、つくし宛にいくつかの封筒が置かれていた。
無駄な紙を無くそうと電子化が叫ばれている世の中とは言え、何でもかんでもペーパーレスに出来るはずもなく、まだ紙を使うことが多い。
そのため、書類が封筒に入れられ、社内便として送られて来ることは珍しいことではない。
そして、つくしは紙に出して読む方が頭に入ることが多い。だから、読書をするのもタブレットではなく紙の本だ。
つくしは、椅子に腰かけ手にした封筒を開けようとしていた。
「つくし!お土産どうもありがとう。あのチョコレートとても美味しかったわ。で、どうだったのベトナムは?」
ミーティングから戻って来たつくしに声をかけて来たのは、同期入社の原田久美子と言い、同じ食品事業部の人間だが、つくしが飲料第二部コーヒー三課に対し、彼女は飲料第一部茶類課の人間で紅茶の担当と言われる部署にいる。
「え?うん。無事終わったわよ?」
つくしは、1週間ベトナムへ出張していた。
それは、コーヒーの生産量がブラジルに次ぎ世界第二位となった国へ現地視察としての訪問だった。
「そう。お疲れ様。でも大変だったわね?聞いたわよ?帰りの飛行機で席が無いって言われたらしいわね?海外でそんな目に合うなんて!冗談じゃないわよね?でも予定通り無事帰って来たのよね?さすがつくし!なんとか席を用意させたんでしょ?」
それは3日前、ベトナムの空港で起きた事件だった。
ハノイを出発する航空機にチェックインをしようとしたところ、チケットは手元にあるのに、予約がされてないと言われ揉めた。
「うん。だって最終便の飛行機よ?真夜中の出発よ?その飛行機に乗れなかったら空港で夜を明かすことになるのよ?それにわざわざしなくてもいいリコンファーム(予約再確認)までしたのよ?それなのに席がないなんて酷いと思うでしょ?」
ハノイの空港は、道明寺HDと関係の深い日本の大手ゼネコンT建設が建設したとてもきれいな空港だが、そこのベンチで一夜を明かそうとは思わない。
そして、過去に予約した航空機に乗れなかった経験を持つつくしは、信頼を置いていいはずの社内手配の航空券であるにも関わらず、今では殆ど必要のないリコンファームが癖になっていた。
「まあねぇ。何に対しても言えることだけど、人間がすることだからミスがないとは言えないでしょ?ごく稀にそういったことがあるのよね?でもそれが海外。しかも女ひとりの出張じゃあ心細いところもあるけど、さすが牧野主任だわ!で、なんとか食い下がった訳ね?」
航空機は新幹線とは違い、席がないからといって立って帰りますとは言えない。
そして丁度観光シーズンと言われる季節。ハイシーズンと言われる時に次の便に席があるはずもなく、どうしてもその便で帰りたい思いがあり、必死で食い下がった。
だが下手をすれば、迷惑な客として空港警備員に連行される恐れもあった。
「うん・・まあね。おかげで帰りは搭乗直前でキャンセルになったビジネスクラスで帰ってこれたんだけどね。でも疲れたわよ。帰りの飛行機の中じゃ涎垂らして寝てたかもしれないわ」
「ははは!まさか!いい年した女が大口開けて寝てるなんてことないでしょ?ビジネスクラスだから機内食もよかったはずだし、座席もゆったりしているからのんびり出来たでしょ?」
「うん。でもね、ホント疲れてたから殆ど寝てたの。だってギリギリまで乗れるか乗れないか分からなかったんだから精神的に疲れたわよ?」
「なるほどねぇ・・。これがプライベートジェット持ちの人間なら違うんだろうけど、所詮我々はしがない会社員だもの仕方がないわよ?でもうちの副社長みたいに雲の上の人間なら違うんだろうねぇ。だって副社長はジェットセッターだもんねぇ・・。とにかくお疲れ様!まあ、あたし達は今日も一日地上で頑張るしかないわね?じゃあね、つくし!」
原田久美子は、にこやかに笑い、自分の部署に戻っていった。
久美子が言ったうちの副社長とは道明寺司のことだ。
そして自家用機を使って世界を飛び回る人間をジェットセッターと言うが、まさにその通りだ。
2年前このビルが建て替わったと同時にNYから帰国した道明寺財閥の後継者。
社内に於ける副社長は、女性社員たちの間では雲の上の存在。
だが、昼の社員食堂に行けば、必ずどこかのグループの間で話題に上る存在。
仕事の能力は高く、外見もいい。そしてその家柄も申し分がない。
だから女性社員の間では憧れの存在なのだが、つくしは全く意識したことがない。
何故なら、視野の片隅にも入らないのだから、意識しようがないからだ。
それに同じ社内の中にいたとしても、すれ違ったことさえない。つまり2年同じビルで仕事をしているが、本人を見たことがない。
だがそれは道明寺司という人物が、下々の社員が使用するエレベーターを使うこが無いといったこともある。それに日本支社のトップと口を利くような立場にいる人間は限られており、間違ってもつくしが彼のような人物と接点を持つことになるとは思えないからだ。
それに、仕事は別として共通の話題があるとは思えない。
それでも、後で知ったのだが、つくしがベトナムにいた頃、副社長である道明寺司もベトナムにいたということを。
そして副社長について女性社員の間にある噂を知っている。
それは、副社長は笑わないということ。
だが、神々のフロアと呼ばれる最上階にいる男が笑うかどうかなど、つくしには関係が無い話しだ。彼はつくしに給料を支払ってくれる人以外の何者でもない。
努力して入った道明寺という会社で、自分が頑張った分だけの給料を支払ってくれる人物だ。そうだ。それだけの人物であり、それ以外の何者でもない。
つくしは、都内の公立高校を卒業し、やはり都内の国立大学をアルバイトと奨学金で学び卒業した。そして就職するなら道明寺だと決めていた。だが、念のため花沢物産と美作商事も受けた。
それは、自分の可能性を試したい。グローバルな環境で仕事がしたかったからだ。
そしてその夢は叶い、道明寺に入社し、年に何度かは海外出張もひとりでこなせるようになり主任に昇進した。
そんなつくしの人生は今のところ順調だ。
だがそれは異性関係を除いてのことだが。今のつくしに恋人はいない。けれど、別にそれでもいいと思っていた。恋人は欲しいからといって目の前に現れることはないのだから。
だがそんなつくしは、同期入社の久美子に言わせれば淡泊すぎるらしい。
だが、いったい何が淡泊なのか?
それは、恐らく久美子が紹介してきた男性に対する態度がそう思わせたのだろう。
『つくしもそろそろ新しい彼氏を見つけなさい!それにね、つくしはあっさりし過ぎなのよ!だから彼が他の女に走るのよ!』
つくしは、久美子から話しかけられた事により、開こうとしてそのままになっていた封筒を開け、中の書類を取り出した。

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長い名前だが、大きな会社は細かな部署割りがされているのが当然で、略して『食飲第二部コーヒー三』と言われており、社内便として使用される定形外封筒に貼られた宛名表には、簡素化されたその名称が書かれ、そしてその下に『牧野様』と書かれていた。
つくしは、その名前の通りコーヒーに関係する仕事をしていた。
それは、コーヒー豆の輸入を取り扱う部署にいるということだ。
入社して暫くは、所属部署のよく分からない名前に慣れるのが大変だった。
そして社内の事業部は多方面に渡るのだから、直接的に関係ないとしても、交わされる会話に略した部署名を言われ、それはどこ?と疑問に思うことが多かった。
だが、慣れてみれば、
『食品事業部、飲料本部、飲料第二部、コーヒー三課、牧野』と長ったらしい名前を封筒に書く手間が省ける便利さはある。
そして、今朝もミーティングから戻ってみれば、社内便が配達されており、机の上には、つくし宛にいくつかの封筒が置かれていた。
無駄な紙を無くそうと電子化が叫ばれている世の中とは言え、何でもかんでもペーパーレスに出来るはずもなく、まだ紙を使うことが多い。
そのため、書類が封筒に入れられ、社内便として送られて来ることは珍しいことではない。
そして、つくしは紙に出して読む方が頭に入ることが多い。だから、読書をするのもタブレットではなく紙の本だ。
つくしは、椅子に腰かけ手にした封筒を開けようとしていた。
「つくし!お土産どうもありがとう。あのチョコレートとても美味しかったわ。で、どうだったのベトナムは?」
ミーティングから戻って来たつくしに声をかけて来たのは、同期入社の原田久美子と言い、同じ食品事業部の人間だが、つくしが飲料第二部コーヒー三課に対し、彼女は飲料第一部茶類課の人間で紅茶の担当と言われる部署にいる。
「え?うん。無事終わったわよ?」
つくしは、1週間ベトナムへ出張していた。
それは、コーヒーの生産量がブラジルに次ぎ世界第二位となった国へ現地視察としての訪問だった。
「そう。お疲れ様。でも大変だったわね?聞いたわよ?帰りの飛行機で席が無いって言われたらしいわね?海外でそんな目に合うなんて!冗談じゃないわよね?でも予定通り無事帰って来たのよね?さすがつくし!なんとか席を用意させたんでしょ?」
それは3日前、ベトナムの空港で起きた事件だった。
ハノイを出発する航空機にチェックインをしようとしたところ、チケットは手元にあるのに、予約がされてないと言われ揉めた。
「うん。だって最終便の飛行機よ?真夜中の出発よ?その飛行機に乗れなかったら空港で夜を明かすことになるのよ?それにわざわざしなくてもいいリコンファーム(予約再確認)までしたのよ?それなのに席がないなんて酷いと思うでしょ?」
ハノイの空港は、道明寺HDと関係の深い日本の大手ゼネコンT建設が建設したとてもきれいな空港だが、そこのベンチで一夜を明かそうとは思わない。
そして、過去に予約した航空機に乗れなかった経験を持つつくしは、信頼を置いていいはずの社内手配の航空券であるにも関わらず、今では殆ど必要のないリコンファームが癖になっていた。
「まあねぇ。何に対しても言えることだけど、人間がすることだからミスがないとは言えないでしょ?ごく稀にそういったことがあるのよね?でもそれが海外。しかも女ひとりの出張じゃあ心細いところもあるけど、さすが牧野主任だわ!で、なんとか食い下がった訳ね?」
航空機は新幹線とは違い、席がないからといって立って帰りますとは言えない。
そして丁度観光シーズンと言われる季節。ハイシーズンと言われる時に次の便に席があるはずもなく、どうしてもその便で帰りたい思いがあり、必死で食い下がった。
だが下手をすれば、迷惑な客として空港警備員に連行される恐れもあった。
「うん・・まあね。おかげで帰りは搭乗直前でキャンセルになったビジネスクラスで帰ってこれたんだけどね。でも疲れたわよ。帰りの飛行機の中じゃ涎垂らして寝てたかもしれないわ」
「ははは!まさか!いい年した女が大口開けて寝てるなんてことないでしょ?ビジネスクラスだから機内食もよかったはずだし、座席もゆったりしているからのんびり出来たでしょ?」
「うん。でもね、ホント疲れてたから殆ど寝てたの。だってギリギリまで乗れるか乗れないか分からなかったんだから精神的に疲れたわよ?」
「なるほどねぇ・・。これがプライベートジェット持ちの人間なら違うんだろうけど、所詮我々はしがない会社員だもの仕方がないわよ?でもうちの副社長みたいに雲の上の人間なら違うんだろうねぇ。だって副社長はジェットセッターだもんねぇ・・。とにかくお疲れ様!まあ、あたし達は今日も一日地上で頑張るしかないわね?じゃあね、つくし!」
原田久美子は、にこやかに笑い、自分の部署に戻っていった。
久美子が言ったうちの副社長とは道明寺司のことだ。
そして自家用機を使って世界を飛び回る人間をジェットセッターと言うが、まさにその通りだ。
2年前このビルが建て替わったと同時にNYから帰国した道明寺財閥の後継者。
社内に於ける副社長は、女性社員たちの間では雲の上の存在。
だが、昼の社員食堂に行けば、必ずどこかのグループの間で話題に上る存在。
仕事の能力は高く、外見もいい。そしてその家柄も申し分がない。
だから女性社員の間では憧れの存在なのだが、つくしは全く意識したことがない。
何故なら、視野の片隅にも入らないのだから、意識しようがないからだ。
それに同じ社内の中にいたとしても、すれ違ったことさえない。つまり2年同じビルで仕事をしているが、本人を見たことがない。
だがそれは道明寺司という人物が、下々の社員が使用するエレベーターを使うこが無いといったこともある。それに日本支社のトップと口を利くような立場にいる人間は限られており、間違ってもつくしが彼のような人物と接点を持つことになるとは思えないからだ。
それに、仕事は別として共通の話題があるとは思えない。
それでも、後で知ったのだが、つくしがベトナムにいた頃、副社長である道明寺司もベトナムにいたということを。
そして副社長について女性社員の間にある噂を知っている。
それは、副社長は笑わないということ。
だが、神々のフロアと呼ばれる最上階にいる男が笑うかどうかなど、つくしには関係が無い話しだ。彼はつくしに給料を支払ってくれる人以外の何者でもない。
努力して入った道明寺という会社で、自分が頑張った分だけの給料を支払ってくれる人物だ。そうだ。それだけの人物であり、それ以外の何者でもない。
つくしは、都内の公立高校を卒業し、やはり都内の国立大学をアルバイトと奨学金で学び卒業した。そして就職するなら道明寺だと決めていた。だが、念のため花沢物産と美作商事も受けた。
それは、自分の可能性を試したい。グローバルな環境で仕事がしたかったからだ。
そしてその夢は叶い、道明寺に入社し、年に何度かは海外出張もひとりでこなせるようになり主任に昇進した。
そんなつくしの人生は今のところ順調だ。
だがそれは異性関係を除いてのことだが。今のつくしに恋人はいない。けれど、別にそれでもいいと思っていた。恋人は欲しいからといって目の前に現れることはないのだから。
だがそんなつくしは、同期入社の久美子に言わせれば淡泊すぎるらしい。
だが、いったい何が淡泊なのか?
それは、恐らく久美子が紹介してきた男性に対する態度がそう思わせたのだろう。
『つくしもそろそろ新しい彼氏を見つけなさい!それにね、つくしはあっさりし過ぎなのよ!だから彼が他の女に走るのよ!』
つくしは、久美子から話しかけられた事により、開こうとしてそのままになっていた封筒を開け、中の書類を取り出した。

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Comment:2
コメント
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司×**OVE様
おはようございます^^
なんとも長い部署名ですね(笑)慣れるまでは大変です。
そして二人が出会ったのはベトナム出張の時なのか。
司はつくしのような女性を思い浮べているようですね?
さて、つくしはどうなんでしょう。
運命の歯車(笑)噛み合うことを祈りましょう。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
なんとも長い部署名ですね(笑)慣れるまでは大変です。
そして二人が出会ったのはベトナム出張の時なのか。
司はつくしのような女性を思い浮べているようですね?
さて、つくしはどうなんでしょう。
運命の歯車(笑)噛み合うことを祈りましょう。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.11.10 22:30 | 編集
