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2017
10.16

もうひとつの橋 26

薄く曇った空の下、司は雄一の葬儀に参列するため金沢を訪れた。
車窓から見える景色は立春を過ぎているとはいえ、春の光りを感じるとは言えず、斎場へ向かう道の両側にある街路樹は、昨夜降った雪を薄っすらと積もらせていた。
だが雪はやがて水となり大地に染み込み、春の息吹を芽吹かせるための命の水となる。
そして陽の光りが当たれば、水蒸気となって消えていく。雄一も、風の音と空の色を感じ、そして空気の匂いと共に白い煙となり天に昇っていこうとしていた。


開式時刻にはまだ随分と時間があった。だが待つのは構わなかった。それに彼女と、つくしと話がしたかった。
二日前、雄一が亡くなったと連絡を受けたとき、彼女がどんな気持ちで雄一の死を受け止めたのか考えた。
人の死に際し、かける言葉が見つからないといった言葉がよく使われるが、まさにそうだと感じていた。
そして、声の重さだけでは判断がつかない事もあり、言葉を選んでいた。

大変だったな。
そんなありふれた言葉をかけることが憚られた。
だがあのとき司は、大丈夫か、と言葉をかけたが、それもありふれた言葉であり、それが果たして適切だったかと言われれば、分からなかった。
もともと物事を突き詰めて考える女が、友人とはいえ結婚し、2年一緒に暮らした人間の死に向き合おうとしているとき、かける言葉を迷うのは当然だと思う。





斎場に着くには早いと思われていたが、仕事柄といったこともあるのか、すでに多くの弔問客が訪れており、喪服を着た係りの人間が彼らの乗ってきた車を誘導していた。

そんな中、車を降りた司の視線の先に、喪服を着たつくしの横顔が見えた。
雄一が亡くなる前に妻の座を去った彼女。そんな女が前の夫の葬儀に来ることを世間は不可思議なことだと捉えるだろう。まともに考えれば、どう見てもおかしいと思考を巡らせ考えるはずだ。

だが彼女は気にしてはいない。自分の揺るぎない信念、意思といったものを確立した女は、周りの目を気にすることはない。
そしてその女が、今となっては未亡人となった女性と一緒にいることを、弔問客はやはり不可思議なことだと思うはずだ。だが世間が何を思ったところで、彼らに物事の本質を知って欲しいとは思わないのだから、それでも構わないといった表情を彼女はしている。
それに、世間はそんな些細なことをいつまでも気にしているとは思えないからだ。
世の中は常に変化の波に襲われ、古い記憶はあっと言う間に薄れていくのが世の常だ。
とは言っても、亡くなった身近な人間のことを簡単に忘れることはない。むしろ、何年経とうが思い出は残るものであり、時に懐かしさを感じれば、遺影を前に話かけるといったことをするのが人間だ。





「・・牧野・・」

司は、俯いているつくしの傍まで行き声をかけた。

「・・道明寺・・あの、忙しい中ありがとう・・仕事の方、大丈夫なの?」

雄一と結婚した時点で、彼の死を覚悟していたからなのか、顔をあげた彼女の頬に涙の跡は見えない。そして人の死に直面し、重い口調になっているが、その言葉の中には、司を気遣った思いが感じられた。

「心配するな。仕事はどうにでもなる。・・けど雄一と会えるのは今日が最後だ。連絡をもらってからどんなことをしても来るつもりでいた」

司は連絡を受けてから、今日のスケジュールをすべてキャンセルし、雄一の葬儀に参列するつもりでいた。

「ありがとう・・・雄一さんも喜んでいると思うわ・・」




祭壇に飾られた雄一の写真は笑っていた。
それは癌が再発する前に撮られた写真。生きいきとした表情で若々しさが感じられた。
だがいつ再発してもおかしくないと覚悟を決めていたはずだ。そしてその頃から「時」の大切さを実感し、生きることを前向きに考えたはずだ。だが病は雄一から時を奪った。そしていつか来るその日まで共に過ごしてくれる人間が牧野つくしだった。

彼女は自分を必要としてくれる人を求めていた。
もし雄一と知り合わなければ、きっと他に自分を必要としてくれる人間を見つけ、その人間の心を癒そうとしながらも、自分も癒されたいと依存したはずだ。
だがその根本にあったのは、司が彼女を忘れた事がそうさせた。
だから、彼女の心を彷徨わせたのは、自分だと理解しているからこそ、雄一と彼女の関係を認めていた。

だが思い出してみても、実に奇妙な繋がりだと感じていた。
牧野つくしが結婚していた相手の葬儀に行くこともだが、あの頃、雄一が訪ねて来ることを考えもしなかった。そしてその男と気が合うとは思いもしなかった。
だが、今考えてみれば、見えない誰かの手があったのではないかと思う。
だからこそ、雄一が昔の恋人とよりを戻したのと同じように、自分たち二人の絆がまた結ばれようとしていた。

そして、雄一に感謝していた。
だから、感謝の言葉を述べるため、金沢まで足を運んだ。
だが、これから先のことが気になっていた。別の女性が妻となり、雄一が亡くなった今、葬儀についてもだが、その後の一切についての権限は妻にある。ましてや妻は弁護士だとすれば、そういった事に長けているのは間違いなく、彼女が何かする必要はないはずだ。
そんな思いもあり、今後のことを聞いた。



「・・お前・・これから先どうするんだ?」

そう言ってから司は、にこやかにほほ笑む雄一の遺影からつくしへと視線を移した。
離婚してからも以前と同じマンションに住んで欲しいと言われ、暮らしているようだが、いずれそのマンションも処分することになるだろう。
登記簿を見たが、二人が暮らしていたマンションは、雄一が現金で買ったのだろう。抵当権は設定されておらず、名義は雄一だ。
相続する権利は妻にあり、いずれつくしは出て行くことになる。だが、どの段階でそうなるのか気になっていた。
だからまだこの街に残りたいと言うのなら、別の住まいを用意してやるつもりでいた。


「うん・・もう少しこの街にいようと思う。・・・すぐにこの街を離れようって気にはなれなくて・・」

「・・そうか」

やはりそうだろうと思っていたが、司の思いは当たっていた。
だがそれは落胆した思いではない。
彼女なら、そうするだろうと思っていたからだ。
何故なら、簡単に気持ちの切り替えが出来る女ではないからだ。

「・・あたし、あんたに雄一さんが亡くなるまでは彼の傍にいたいって話をしたけど、彼とあたしは離婚して、彼はそれから結婚した。だから彼の傍には奥様がいてあたしは必要ないって思った・・だけど、亡くなるまでは近くで見守らせて欲しいって頼んだ・・。本当の夫婦じゃなかったけど、あたしと彼は・・とても近い友人だった。でも最後は兄と妹になったけどね。・・だから今は兄だった人の傍を直ぐに離れることは出来そうにない・・」

司を見上げ話すその姿は、かつて見たことがある表情だが、その瞳に浮かんでいるのは、ひとりの大人の女性として、自分の決めたことは最後までやり通すといった思いが感じられた。

「あたしね。あんたが初めて金沢まで会いに来てくれたとき、本当に嬉しかった。やっとあたしの事を思い出してくれたんだって。だから、今のあんたならあたしのことを分かってくれると思ってる」

私のことを思い出したなら、私の気持ちも分るでしょ?そう言っていると感じた。
そして、その言葉を言われれば、思い出すのは、いなくなった彼女を必死で探した冬の日。
必ずあんたの元へ戻ってくるからといった夜だ。

「・・最初は戸惑ったけど本当に嬉しかった。あたしね、あんたに忘れられてから本当に辛かった。あんたといたあの頃、短い時間だったけど、本当に幸せだって感じた。高校生の分際で人を幸せにしてあげたいって思ったのはあんたが初めてだった」

彼女の口から語られ始めた言葉は、司が初めて聞く言葉。
他のどんな女から聞かされる称賛の言葉より価値のある言葉。
言葉が形を持つなら、箱に入れ、大切に仕舞っておきたいと思う言葉だ。
そして、その言葉を発する表情が愛おしいと感じられた。

「・・あたしね、道明寺にあげられなかった思いを雄一さんに受け取ってもらってたと思う。誰も自分を求めてない、求められてないって思うと辛かったから・・・だからその寂しさを彼は受け取ってくれた・・。でもね、雄一さんにも本当は別の一面があった・・亡くなる少し前、彼女に自分の思いをもっと早く伝えていたらって後悔してた。その時言われたの。言いたいことがあれば、はっきり言うんだよって・・」

二人は、17年振りに顔を合わせたが、今の彼女の表情は、バスを追いかけたあの時と同じ、目にうっすらと涙を浮かべていた。
しかし、その表情に深い意味はないはずだ。何故なら今日は雄一の葬儀であり、誰に憚ることなく哀しみの態度を見せていい場所だ。
だが、司の顔に浮かんでいるのは、微かな期待といったものだ。
けれど、それが何を期待しているのかと言われれば、まだ分からなかったが、どこか懐かしいような、切ないような気持にさせられていた。
それは、10代の少年が切なさ一杯に見つめていた少女の口から語られる言葉なら、どんな言葉でも聞きたいと願った頃のようだ。
それでも、雄一に関する全てのことが終るまで、彼女の心の全てが自分に向けられるとは考えてはいなかった。そしてそれは、仕方がない話だと自分自身納得していた。
だが今は、昔の恋を忘れたまま過ごした17年が本当に許される瞬間のような気がしていた。


「・・だから道明寺・・四十九日が終ったら・・納骨が済んだら迎えに来て・・あたし、決めたから・・東京に戻るって・・だから迎えに来て」





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コメント
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dot 2017.10.16 07:25 | 編集
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dot 2017.10.16 12:15 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
雄一さんと最期のお別れ。二人ともお別れを言うことが出来ました。
こうしてつくしが気持ちを司に向けることが出来たのは、雄一さんのお陰ですからねぇ。
そして、司にしてみれば、彼が後押ししてくれたといった認識がありますから当然でしょうねぇ。

2回目、見に行ったのですね?いかがでしたか?
別視点から見ることが出来たのでしょうか?
それともやはり・・・だったのでしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.16 23:26 | 編集
さと**ん様
雄一さん。長く生きることは出来ませんでしたが、最期まで前向きに生きた、いえ生きることを決めた人でした。
そんな彼の魂は、天に昇る時も、そのことを楽しんでいたのかもしれませんね。
今のつくしは、自分の信念で動いている。だからこそ、離婚した妻だとしても、最期まで一緒にいるから、と葬儀にも出ました。
タイトル講座(笑)
タイトルの意味ですね?え~、さと**ん様が書かれていたことは、概ねその通りだと思います^^
人生に「橋」はいくつもありますからねぇ。ひとつ渡れば次の橋・・といった具合に人生には、越えなければならない「川」が沢山現れますから(笑)しかし、どの橋を渡るかは、あなた次第、といったところですね?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.16 23:39 | 編集
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