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2017
10.14

もうひとつの橋 25

冬の日本海、鰤(ぶり)が取れる頃に発生する雷を“鰤起し”と言うが、金沢の街が冬の稲妻に揺れる季節、雄一は静かに旅立った。
それは年が明け、兼六園の雪吊りが朝日に映える2月半ばの寒い日。
だが、病室から眺める景色に雪はなく、冷えた空気が窓に触れた掌から伝わるだけだった。



余命一年と言われたが、思いのほか早い別れとなった。
生前つくしに離婚してくれと言った雄一は、その願いが叶えられると、さっそく弁護士の女性との婚姻届けを提出した。だから雄一が亡くなったとき、つくしは妻ではなかった。

だが、自分で自分のことが出来なくなったら入院するよ、と言って入院した雄一は、やはり妻となった女性の手を煩わすことはなく、そのまま入院生活を続けることを選択した。それでも、年末年始の少しの間、病院からつくしと暮らしたマンションに戻ることを望んだ。

しかしつくしは、雄一と離婚したのだから、マンションを出ると言った。
だがもし迷惑でなければ、彼と約束した最期まで傍にいるからの言葉を守らせてくれないかと言った。
すると、その言葉に雄一も妻となった女性も、つくしにマンションを出て行くことなく暮らすように言った。
なぜなら妻となった女性は、病院のすぐ近くにマンションを借り、住み始めていたからだ。
そして、雄一の妻となった女性は、私のことは気にしないで下さい。むしろ、今まで彼の支えになってくれたことを感謝しなければなりませんと言い、逆につくしの立場を気遣った。



病院から一時帰宅の許可をもらいマンションに戻った雄一は、自分の部屋に置かれた難しそうな本を妻となった女性に渡し、

「これ、覚えてる?大学生の時、君に借りた本。ずっと借りっぱなしだった」

と言って笑った。だが妻は、

「あら、懐かしい。この本、どこへ行ったのかと思っていたらあなたが持っていたのね?でも貸した覚えはなかったけど?」

と笑い微笑みを絶やさなかった。そして、つくしもまた同じだった。


三人でテーブルを囲み、食事をしたが、そこには元妻と今の妻が一緒に食事をするといった傍から見れば奇妙な光景があったかもしれない。けれど、二人の女性はそれがおかしな事だとは思わなかった。元妻であるつくしは雄一の友人であり、本当の妻ではないことを分かっているからだ。

いつか晴れた日に三人で川沿いを散歩したいね。
そんな言葉が雄一の口から漏れたが、実際には無理だということを、そこにいる三人は知っている。
だがそのときつくしは、以前絵本作家が彼女に残した川の風景が描かれた絵を雄一の病室に飾ることを思い付いた。
金沢市内を流れる女川と呼ばれる浅野川の風景が描かれた絵を。
雄一もその川の風景が好きだと言った。何故なら雄一にとっては、幼い頃から慣れ親しんだ風景であり、いつまでも見ていたい景色でもあるからだ。



雄一は、病院に戻ると、壁に飾られた絵を見ながらつくしに言った。

「人生は川の流れのようだと言われるけど、愛も川だと思う。
川は油断すると溺れるし、全てを呑み込んでしまう。それに流れの激しい場所にいけば傷つけられる。それでも川は人間が生きていく上で必要だ。川の流れが街を作り、人の生活を生み出しているからね」

その時の雄一は、遠い昔経験した愛について語っていた。
それは、思い出と記憶の中にある景色とでもいうのだろう。

「愛も同じだ。愛が人を作り出し、動かしている。
だから、愛がなければ人は生きていても哀しいみだけを抱えることになる。
だから人は誰かの傍にいて友情でもいいから愛を感じていたいんだと思う。
・・・僕とつくしとの関係がまさにそうだったよね。
だけど、僕がこんな風に愛を語ることが相応しいかと言われたら、僕は彼女の愛を知らずに傷つけた。だからこんな風に偉そうなことは言えないけど、つくしが道明寺さんとの関係を新しく始めようと思っていると聞いてホッとした。そうじゃなかったら僕だけが幸せを味わうことが君には申し訳ないからね。・・・最後になって説教臭いことを言うけど、これは僕の最期の言葉だと思って聞いて欲しい」

雄一は、そこで一旦言葉を切り、今までとは打って変わって真面目な顔になり、力を込めて言った。

「いいかい。言いたいことを我慢しちゃダメだ。これから道明寺さんとやり直すなら言いたいことは言うんだよ。
君は心の中に溜め込む癖がある。だけどそれはよくない。だから、話したいことがあれば、あまり考え過ぎないうちに話すんだ。男女の仲が悪くなるのは、コミュニケーション不足が一番だって言われてる。だからどんなことでもいいから話をしてみること。それが君と道明寺さんが再スタートするにあたって一番重要なことだ」

そこから先、語られたのは、つくしに対しての言葉だけではなかった。
呟くように漏れる言葉は、自分自身にも向けられた言葉だった。

「・・金沢の冬は東京とは違って寒いけど、雪の下には新しい芽が顔を覗かせてる。
どんなに凍えそうに寒くても植物は新しい芽を出そうとする。ツクシも春になれば芽が出る植物だろ?だから春になったら元気に活動して欲しい。
いいか、つくし。生きている意味を思い出して他人のために生きるんじゃなくて、これからは自分のために生きてくれ。
・・春はもうすぐだ。僕もその春を見たかったな。でも僕は意気地なしだったよ。もっと早く彼女に打ち明けていればよかったと今になって後悔してる。そうすればもっと長く彼女と一緒にいることが出来たはずだ」


つくしは、雄一が後悔している、の言葉を口にするのを初めて耳にした。
病気でも前を向いて歩くことをして来た人だった。
けれど、雄一の瞳には、確かに後悔と哀しみが感じられた。
そしてつくしと生活をしていた頃、彼は寂しさを埋もれさせていたのだと気付いた。
それでも、雄一と過ごした最後の時間は、いつもの雄一以上に饒舌であり、まるで兄が妹を心配するような口ぶりだった。

いつの間にか、友人から妹へと変わっている。その変化がいつだったかと言えば、雄一が恋人と結婚した時だろう。最後の最期で自分が心から望んだことを叶えた。つくしにはそう感じられた。

そして雄一は、その日から一週間後、夜の静寂(しじま)と沈黙の後、妻とつくしと雄一の兄夫婦に看取られこの世に別れを告げた。享年37歳の若さだった。











つくしから司に電話がかかってきたのは、その日の昼だった。
それは彼女が気を遣い、昼休みと言われる時間を選んだからだろう。
雄一の最期を看取るからと言われた時、いつかこの日が来ることは分かっていたが、その電話を取ったとき、僅かな沈黙と落ち着いた静かな『もしもし』の声にすべてを理解した。

篠田雄一とは長い付き合いの友人関係ではない。
それに会った回数も知れている。だが、牧野つくしを通し知った雄一は、ひと言で言えば“いい人間”だった。

今の司に襲ってくる感情といったものがあるとすれば、それはいったい何なのか。
喜怒哀楽で示せと言われても、どの言葉も不適切だと感じていた。
つまり、表現するなら、哀しみとは違う残念だといった感情になる。それは無念だったろうといった感情になる。もっと生きたかったはずだと。
だが、つくしの哀しみだけは、共有することが出来た。愛する人が哀しければ、自分も哀しいといった感情があるのは、男として真っ当なものではないか。



「・・そうか。・・大丈夫か?」

『・・・うん・・奥様が気丈な方だから・・』

だが、司の耳に届くつくしの声は言葉とは逆だと感じた。
たとえ雄一の未来が分っていたとしても、ひとつ屋根の下で暮らした男性の死を受け止めることは辛い。ましてや、互いに相互依存といった関係にいたという二人。
だが雄一は、最期は愛した女性に手を握られ逝った。
本来なら悲しむべきなのだろう。けれど、司が心の中に感じたのは、良かったな、雄一。といった気持ちがあった。

そして、雄一から言われたひとつの言葉を思い出していた。

『これからはあなたが彼女を大切にして下さい』




司は電話を切ると秘書を呼び、二日後の予定の変更と、デスクに積まれた書類を片付けることに専念した。





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コメント
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dot 2017.10.14 09:08 | 編集
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dot 2017.10.14 11:29 | 編集
H*様
雄一さんは愛する人に見送られ旅立ちましたが、最後は本当に好きな人が傍にいてくれたことが、心の支えとなり、安らぎとなったことでしょう。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.15 06:10 | 編集
司×**OVE様
雄一さん。最後は天国へ旅立ちましたが、本当に愛した女性が傍にいてくれたことで、心からの安らぎを得ていたことでしょう。
最後は兄のような気持でいた雄一。
天国でも見守ってくれることでしょう。
そして、つくしから連絡を受けた司は、葬儀に向かう準備を始めたようです。
つくしちゃんも気持ちの整理もあるでしょう。
司も待つと言ったんですから、彼女の気持ちの整理がつくまで、待ってくれるのではないかと思います。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.15 06:17 | 編集
さと**ん様
雄一さん、旅立たれましたが、最期は友人から兄のような存在に変わったようです。
そして、自分の分まで幸せになって欲しいといった思いを込めて話をしたようです。
『言葉』は大切。伝えることは大切だよ。と言った雄一。
やはり昔、自分が妻となった女性には言えなかったことが後悔としてあったようですね。
つくしは、雄一の思いを受け取りましたので、これからは自分の思いを躊躇うことなく司に伝えられるといいですね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.15 06:28 | 編集
ゆ*様
独白と説明が多くなるのは、アカシアの作風だとお考えいただければと思います。
拍手コメント有難うございました。
アカシアdot 2017.10.15 06:35 | 編集
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