2017
09.30

もうひとつの橋 14

残酷な神様の悪戯。

そんな言葉で表された道明寺司の一番守りたいと思っていた人を忘れてしまった17年。
その女性の結婚に打ちひしがれている男に言ってやる前向きな言葉はないか。
総二郎は、そんな思いから桜子の口からゆっくりと漏れ始めた言葉に耳を傾けていた。



「そんなに難しく考える必要はありません。ごく単純な理由です」

女が結婚を考える単純な理由として一番に思い浮かぶのは妊娠だ。
司は、子供はいないといったが、それは間違いだったということか?

「おい・・・まさか、牧野に子供が出来たとか・・そういったことか?」

総二郎は思いをそのまま口にした。

「いいえ。それはありません。雄一さんは癌を患ってます。癌治療は放射線治療や抗がん剤の副作用で生殖機能がダメージを受けます。だから子供を持つことは難しいんです。それにもし子供が欲しいなら、治療を始める前に精子を凍結保存することになるはずです。でも先輩が篠田さんと出会った頃には、転移が確認されていた状況で抗がん剤を服用していましたから、そうしたくても出来ない状況でした」

自分の考えは間違っていた。
総二郎は、桜子の言葉に考えを改めなくてはならないのかといった思いにさせられていた。
牧野つくしは、本当に司のことを忘れ去ることを決め、他の男との間に子供を欲したのだと。

「牧野は・・その男との子供が欲しかったけど、諦めたってことか?」

「西門さん、子供の話は仮定ですから。まず初めに言っておきますが先輩が篠田さんと結婚したのは、愛しているからではありません。道明寺さんの時のように激しい恋に堕ちたわけではないんです。・・・それに恋にのめり込んでいたわけでもありません。どちらにしても、あの先輩ですから初めの頃は雄一さんに対する感情は曖昧でした」

それなら総二郎も分ると思った。
恋愛に奥手だった牧野つくしに、司のことを好きなのか、嫌いなのかと聞いたとき、自分でもよくわからないと言っていたことがあった。
だが愛してもない、恋に堕ちたわけでもない。そして曖昧な気持ちのまま結婚をするというのは一体どういった意味なのか。


「人は恋をすれば、陶酔感に見舞われますよね?まあ西門さんのお付き合いの場合、本気じゃないんですからそんなものを感じることは無いと思いますけどね。それと同じで牧野先輩が篠田さんから交際を申し込まれて付き合い始めても、そんなものは全くと言っていいほど無かったと思います」

本気じゃないから陶酔感もない。
恋に酔いしれることもなく付き合い結婚した。
それなら一体何のために結婚したのか?
そのことがひたすら頭に浮かんでいた。

「三条。おまえの言い方じゃあ牧野には愛だの恋だのは無かったってことだろ?じゃあなんで篠田雄一と結婚したんだよ?ただの弁理士だろ?それともアレか財産に目が眩んだとかか?篠田家は金沢の資産家で大地主だとか言うなよ?」

加賀百万石の城下町と言われる金沢には大名の末裔がいるが、そういった家系の人間ならそれも考えられる。だが、牧野つくしが相手の財産に左右される女ではないことは知っている。何しろ、道明寺財閥という世界的な財閥の後継者である男の後ろに見える全てを否定した女だ。

「それは違います。それに先輩がお金に目が眩むような人間だと思いますか?篠田家は土地や財産には恵まれたご家庭ですけど、派手な家ではありません。
次男の雄一さんは弁理士ですけどお兄様も弁理士で篠田特許事務所の所長です。それからお父様は検事から弁護士になられた方です。それにお父様のお父様、つまり雄一さんのおじい様も弁護士、それにお父様のご兄弟も検事や弁護士がいらっしゃいます。要するに法律に詳しい堅い家系ですから」

それは、まさに法曹一家といったところだ。
日本は法治国家であり、政治は法によって支配されている。だが、その法を自分の思い通りに動かすことが出来る男を総二郎は知っていた。

「ああ、分かった。それでどうして牧野はその男と結婚することにしたんだ?」

一番肝心なことが知りたいと総二郎は先を促した。

「自己肯定です。自分を肯定したかったんです」

「・・自己肯定?」

「そうです。先輩が男性と真剣に付き合ったのは、道明寺さんが初めてです。でもその恋はある日突然終わりました。終わりにしようなんて言葉もなく、恋にケジメなんてありませんでした。西門さんもご存知だと思いますけど、道明寺さんに忘れられて、どうして自分だけが忘れられたのか、怒ってましたよね?でもその後は、動揺したかと思えば泣いていました。気持ちの浮き沈みが激しくなったんです。だって自分自身の存在が好きだった人に否定されたんですよ?おまけに道明寺さんの元には泥棒猫がくっついていましたから。それって女にとってかなり辛い状況です」

泥棒猫と呼ばれた女は、直ぐにいなくなったが、それから間もなく男のNYでの生活が始まっていた。

「西門さん、自分を否定されることがどんなに辛いことか分かりますか?わたしも否定されたから分るんです。皮肉なことですけど先輩と同じ人に否定されましたから」

そう言った女は、だから痛みが分かるのだと話しを継ぐ。

「人から否定された人間は・・特に好きな人から否定された人間は自信が持てなくなります。
それは親の愛情にも言えるはずです。自分を一番守ってくれ、大切にしてくれる親から否定された子供はどうなりますか?」

親から否定された子供。
司という男は、親から否定された子供ではない。だが親がいて欲しい年齢の頃、傍にいることはなく愛されずに育った。そして司という子供の人格は否定され、心の中で求めるものは、全て否定された。

自分が存在する意味は財閥の後継のためであり、存在することだけを求められていた。
積極的に何かに取り組むといったことなどなく、何かに興味を示すこともなかった。
そんな男が興味を示し、やがて唯一無二の女性として求めた牧野つくし。それなのに、その存在を忘れ去った。
求められるだけ、求められ、ある日突然ゴミのように捨てられた女。


「親から否定された子供は萎縮して失敗を恐れます。失敗を恐れるようになると物事を前向きに捉えることが出来なくなります。ですが道明寺さんの場合それは当てはまりません。萎縮するどころかむしろ凶暴性を増した方ですから・・。でも牧野先輩は好きだった人から否定されて自信を失ったんです。あの先輩が物事を前向きに捉えられなくなったんですよ?自分に自信が持てなくなったんですよ?本当にそんな時があったんです。心が・・心が折れちゃったんです」

哀しみを押し殺したような静かな口調で淡々と語る桜子の言葉は、総二郎の胸に応えていた。
いつも物事を前向きに考えていた女の心が折れる。
確かに、どんなに強いと言われる人間でも、そういったことはある。
そして支えてくれる人間がいなければ、益々自分に自信が持てなくなる。
そんな状況に陥った牧野つくしを支えて来たのが、桜子だとすれば、語られる言葉の重みを受け止めなければならない人間は、17年の時を遡らなければならないはずだ。
もっとも、その人間は、記憶を取り戻した瞬間から過去の扉を開き、瞼の底から現れた情景に心を痛めていた。

「忘れられてから暫くは・・牧野先輩を良く知らない人には分からなかったと思いますが、そんな状況が続いていました。でもある絵本と出会ったことでまた前向きに物事が考えられるようになったんです。たった一言、たった一つの言葉で人間って変わるじゃないですか。
先輩はそんな言葉を見つけたんです。自分だけの言葉を。だから先輩は短い言葉と絵でも人に感動を与えることが出来る絵本の仕事に就いたんです。それからです。自分自身の存在を肯定することをしたんです。自分の失いかけていた長所も短所も含めて自分自信を積極的に認めるようになったんです」

「ある絵本ってのを描いた作家ってのが金沢にいた絵本作家か?」

「ええ。そうです。その人のお陰で先輩は立ち直りました。だからその人に恩返しがしたかったんです。身寄りのないその人の最期を看取ったのも恩返しです。それに先輩は絵本作家の方に育ててもらった。成長させてもらったっていう思いがあって誰かの力になりたいと思ったんです」

「それが篠田雄一か?」

「ええ。先輩のご主人です。出会いはご主人の方から声をかけたそうです。初め先輩は、そんなご主人に不信感を抱いたそうです。でも雄一さんという方は、花沢さんみたいな人らしいですよ?よく言ってたじゃないですか・・魂の片割れとか・・。だから気が合ったんでしょうね。友達としての付き合いが始まりました。
西門さんは男女の間に友情が存在することが信じられないかもしれませんが、二人の間に恋愛感情はありません。本当にあの二人はただの友人です。世間はそうは思わないと思いますけど、本当にそうなんですよ?」

パリで暮らすビー玉の目をした王子だと言われていた類。
確かに牧野つくしとは魂の片割れといったことが言われ、二人の間には友情が育っていった。

「とは言っても人の心の奥深い部分は分かりませんけどね。それに先輩も女ですから・・・。
でももし仮に先輩が雄一さんのことを好きだったとしても、雄一さんには好きな人がいましたから。ですが身体に癌細胞が取り付いることがわかって自分には未来がないからと別れを告げたそうです」

そこで桜子は、何かを思い出したように、ふっ、と笑った。
そして乾いた喉を潤そうとグラスを手に取り口へ運んだ。

「あの二人は、男と女じゃないんですよ。本当に。ボランティアっていったら変ですけど、そんな感じです。それに正式な夫婦だったら何かあったとき、色々と出来るじゃないですか。だから結婚したんです。・・雄一さんは延命治療を求めていません。でもお兄様はそうではなかったと聞いています。でももし何かあった時は配偶者である先輩の決断が優先されますから」

配偶者である彼女がいれば、親兄弟よりも、配偶者の意見が尊重される。
だから法律で結ばれる関係を選んだ。

「牧野先輩が金沢で結婚したのは、人助けがしたいって言ったら可笑しいかもしれませんが、簡単に言えばそう言うことです・・。でもそれって精神的にはかなり辛い人助けですよね?でも人は誰かに必要とされることで生きている嬉しさを味わうんです。だから先輩は雄一さんに最期まで寄り添ってあげるつもりです。あの人らしいじゃないですか・・自分を犠牲にして・・犠牲じゃないですね。先輩はそう思ってませんから。とにかく、自分より相手のことを考えるなんて、ほんと、牧野つくしらしいと思いませんか?」

呆れたようであり、どこか納得したようなその言葉に、総二郎も心の中で頷いていた。
そして、桜子が口にする言葉の端々に伺えた、牧野つくしと彼女の夫である篠田雄一の姿は、友人以外の何ものでも無いといったもので、戸籍上は夫婦だが本当の夫婦ではないと確信を持った。




「それにしても、あんな道明寺さんを目にするとは思いませんでした」

それは決してひと前では見せることのない男の憂いた姿を見たということだ。

「でも仕方がないですね。遅かったんです。思い出すのが・・・。西門さん、もし道明寺さんが先輩のことを思うなら、あと少しだけ・・17年も忘れていたんですから、その時間を考えたらあと少しくらい我慢出来るんじゃないですか?」





総二郎もそこまで話しを聞けば、牧野つくしがどんな人生を歩んできたのか、分かったような気がしていた。
そして桜子が言ったあと少しくらい我慢出来るんじゃないですか。
その言葉が意味するのは、篠田雄一の近い未来は決まっているのだと暗に告げていることを理解した。












「・・・聞いたか?」

一見してカウンターだけの店だと思われていた鮨屋。
だが総二郎が腰かけた席の背後には、襖で仕切られた和室が一つだけあった。

コトリとも音がしなかったその部屋。
その襖が開けられ、中にいた男が答えた。


「・・ああ。・・聞いた」





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コメント
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dot 2017.09.30 08:17 | 編集
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dot 2017.09.30 08:26 | 編集
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dot 2017.09.30 13:24 | 編集
pi**mix様
こんばんは^^
桜子はずっとつくしの傍にいました。彼女は本当に先輩が大好きなんですね?
そして何があっても先輩の味方です。でも結婚には賛成しなかったと思います。しかし先輩が決めたことですから、変わらず見守ってくれているようです。
ちょっと小悪魔ですが、つくしに対しては純粋です。
やはり自分の味方になってくれたのは、彼女だけでしたから・・・。
桜子のお話が長くなってしまいました(笑)
そして、「聞いてたか」そうです、彼です。居たんです(笑)
総二郎は分かりにくい策略家(笑)今回の勝負、総二郎の勝ちですね?(笑)
はい。その場の話の内容次第では、幼馴染みの淡い初恋に区切りをつけさせようとしたのかもしれません。
お話の受け止め方は色々です。主観、想像OKですからね!
朝晩冷えて来るようになりました。体調管理に気を付けたいと思います。
コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.10.01 01:27 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
つくしの傍にいた桜子は、色々なことを見て来たと思います。
司に忘れられ、自分に自信を失い、心が折れ、絵本と出会い言葉に力を貰い、絵本作家の最期を看取り・・
そして友情関係を法的な関係として結んだ雄一の存在。
色々と語る内容に重みが感じられると思います。
さて、ここまで知った司はどうするのでしょう。
桜子は勘がいいから、司がいることに気付いていたのか?そうかもしれません(笑)

そして、お疲れ様でした。
お天気で何よりでしたが、大変お疲れだと思います。
日曜日、ゆっくりとお休み出来るといいですね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.01 01:35 | 編集
み**ゃん様
こんにちは^^
司に忘れ去られ、自信を失ってしまったつくし。
自分のいた場所に他の女がいて、愛する男からは酷い言葉を投げつけられれば、どんな女性も傷つきます。
司は、その時のつくしのことを思うと、いたたまれないことでしょう。
そして、つくしと雄一は「夫婦」ではない。愛し合ってはいない。
そのことを知った司は、どんな気持ちだったんでしょうねぇ。
さて、司は自分の気持ちは伝えてはいますが、この先、雄一のこともあります。
まず、彼が考えるのは誰の気持ちなのか。といったところかもしれませんね?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.01 01:44 | 編集
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dot 2017.10.01 02:15 | 編集
さと**ん様
襖で仕切られた和室から出て来た男。
静かに二人の会話を聞いていた司。
くしゃみが出なくてよかったです!(笑)
でも勘の働く桜子は気付いていたかもしれません。
策士桜子。でも総二郎もなかなかやりますね?
頑張れ、二人!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.10.01 21:27 | 編集
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