仕事上で会うどんな人間を前にしても緊張したことがない男が緊張する。
そんな彼の姿を見れば誰もが驚くはずだ。しかし、司の表情に緊張の色が浮かぶことはない。
それは勿論言葉使いも、態度もだが、長年ビジネスで培われたひと前での態度はそう簡単に崩れるものではない。
だが、今の彼の言葉には緊張が感じられた。
「話がしたいんだがいいか?」
どんな話しでも本人の口から語られる事実ほど重いものはない。
それが自分の聞きたい話しではなくても、聞かなければならないこともある。
実際知っていたとはいえ、本人の口から結婚した事実を改めて聞かされ心が痛みを感じていた。
それでも、会うと決めたとき、彼女の口から語られる言葉を決して遮ることなく、全てを記憶の手帳の中に記していくと決めた。
あの時、彼女を忘れてしまったばかりに失ってしまった17年分の想いが補えるとは思えないが、その一端でもいいから彼女のことが知りたかった。
だからこの機会を逃したくない。
司はそういった思いから再び聞いた。
「時間を貰えないか?」
つくしは後ろを振り返り、総二郎との写真撮影会となった庭に目をやった。
そしてそこにいるはずの同僚の姿を探し、彼女の姿を認めると再び司に視線を向けた。
「あたし、一緒に来た人がいるの。だから_」
「ああ。知ってる」
「・・そう。この講演会って偶然じゃないってことね?」
この場所に司が現れたことを偶然と片付けられるほどつくしは馬鹿ではない。
道明寺司の一日は値千金であり、北陸の小さな街に彼のような立場の男が訪れる意味といったものがあるなら教えて欲しいくらいだ。
だがそんな男が自分に会いに来ていることは分かっている。想定はしていた。
それに力のある男が名刺を人に預け、連絡を待つだけといったことをするはずがないと初めから分かっていた。そして、その目的が何であれ、いつか本人が目の前に現れることも分かっていた。
だが、もう二度と会うことはないと思っていた男から久し振りと言われたが、久し振りだといった言葉は返さなかった。
だから既に知っている事実を伝えた。
牧野つくしは結婚したと。昔とは違うのだと。
「お前の独り言は相変らずだな」
つくしは、自分が独り言を呟いていたことを司の言葉から知ったが構わないと思った。
逆に聞く手間が省けたくらいだと。
だが確実に感じていた。
錆び付き、回ることなく放置されていた古い水車の歯車が回転を始めたことを。
「この講演会が偶然かどうかって話しだが、もちろん偶然じゃねぇ。それに俺は回りくどいことを言うのは嫌いだ。だからはっきり言う。俺はお前に会いたかったからこの街へ来た」
つくしの心のざわめきを知らない司だが、彼にしてみれば、彼女とはまた別の思いがあった。
堕とした記憶を拾い上げたとき、今も彼女への変わらない愛があることを知った。
だから牧野つくしが結婚していたとしても、言わずに後悔するくらいなら自分の気持ちを伝えることにした。
「記憶が戻った俺はお前に会いたいと思った。・・けど直ぐにお前に会いに来なかったのは情けねぇ話だがお前のことを17年も忘れていた男がどの面下げてのこのこと会いに行ける?若い頃なら気にも留めなかったことも、この年になると気になるってのも妙な話だが・・そういうことだ。・・まあ、俺も成長したってことだろうな」
自嘲ぎみに笑ったがそれは事実であり、そのことを隠すつもりはない。
17年間司の思考の中に存在しなかった女に会いに行くことは、決して簡単なことではないということだ。だがそれは、彼女を忘れ去った男の勝手な思いだと言われれば、それまでのことだ。
「・・だから桜子に名刺を?」
戸惑いが感じられる言葉だが真っ直ぐな視線を受け止めた司は、はっきりとした言葉を返した。
「ああ。あいつだけがいつまでもお前のことを気にしてた。俺がお前のことを忘れても、しつこくお前のことを俺に伝えようとしたのはあいつだけだ」
そのことはつくしも知っていた。そしてそんな桜子に言ったことがある。
もういいからと。
あの時感じた嵐も、過ぎ去ってしまえば吹き過ぎた風のようなもので、飛んでいってしまったものは今更取り戻すことなど出来ないのだと。
大きな嵐を乗り越えようとした二人に吹いた風は吹き返すことはなく、数年に一度起こると言われる偏西風の蛇行のように、二人の人生を思いもしなかった場所へと運んでいったのだと。
10代の恋なんて長い人生の中の短いひとときであり、終わってみれば記憶に残らないことだってあるでしょ?と。
それでも桜子はつくしの恋を簡単に諦めきれないと言った。
なぜ、そこまでするのかと聞いたことがあった。
すると桜子は、
『先輩の恋はあたしの恋でもあるんです。あたしが道明寺さんに対して抱いていた恋は上手く言えませんけど恋であって恋ではなかったんです。でも先輩の恋はあたしとは違う種類の恋なんです。あの道明寺さんが本気で人を好きになるなんて、誰も考えたことがなかったことなんですよ?先輩に恋をした道明寺さんは、あたしが好きだった道明寺さんとは別の人でした・・・・。でもあの道明寺さんが先輩のために変わろうとしていた。それがあたしは嬉しかった。人として男として成長する道明寺さんが・・好きでした。でもそれは先輩が相手だからなんです。・・・先輩。あたしはお二人が好きなんです。それに二人の間には見えない糸で結ばれた愛の重さが感じられるんです。だからいつか必ず道明寺さんは先輩のことを思い出しますから』
それはひとりの男性を思うがため、自分の姿形を変えることに躊躇いを感じなかった女性が持つ恋に対する確固たる思い。
つくしには分からないが、桜子には桜子の強い思いがある。
それを感じた瞬間だった。
そして今、嵐ではなく、小さなつむじ風が、くるくると渦を巻き近づいてくるのが見えた。
今はまだ小さな風の塊が。
「昔の三条は俺が聞きたいとは思わなかったお前の話をする為わざわざNYまで来たこともあった。・・けど帰国してあいつの店に行ったとき、お前のことは何も教えてはくれなかった。おまえがどこに住んでいるのか。何をしているのか。・・結婚していることも」
まるで結婚の事実を司の耳に入れたくないように感じられた三条桜子の態度。
だが、その理由が今なら分かる。司はつくしを忘れたが、自分は懸命に牧野つくしのことを伝え続けた。それなのに司は思い出す努力もせず、月日が流れ、ある日突然現れた彼に、牧野つくしは他の男と結婚していますとは言えなかったということを。
それとも自分の口よりも、司自身、自ら調べてショックを受ければいいとでも思ったのか。
それが遠い昔の司に対しての三条の復讐だとすれば、ダメージを与える方法として実に効果的ではあるが、そうではないと司も分っていた。ただ、三条自身が自分の口から告げたくはなかったということだと理解していた。
そして司は、夫という言葉を口にすることが出来ずにいた。
それは、牧野つくしには、自分ではない男が夫として存在していることを認めたくないといった気持ちがあるからだ。そして湧き上がる嫉妬の気持ちを簡単には抑えることが出来ないからだ。
妻であれ、夫であれ、その呼び名には固い絆が感じられ、法的にも認められた関係であり、情緒的な関わりが存在するからだ。
自分ではない他の男が彼女を抱いていると。
「・・それでどれくらいなんだ?ステージって言うのか?」
その言い方は、ある病に関わりがある人間なら理解出来る言葉だ。
司は、つくしの夫の癌の進行度合いはどれくらいかと訊ねていた。
だがその瞬間、彼女の口元が固く引き締められた気がした。
そして口に出したあと、聞くべきではないことを口にしてしまったと感じていた。
彼女は、牧野つくしは弱い人間を守ろうとする人間だ。弱い人間を裏切ることはしない人間だ。自分の夫の病状をどんな理由を持って調べたのかと思うはずだ。
そして自分のことならまだしも、夫の病気のことまで調べられ、いい気はしないはずだ。
「・・そこまでは調べなかったの?」
だがその口調に嫌悪感はなく、むしろ調べられることを想定していたようで、知らなかったことに驚いていた。
「あ、ああ・・調べなかった。けど今の質問には答えなくていい。悪かった・・俺も随分と個人的なことを訊いた」
まさに病歴とは個人の生きる上での尊厳に繋がる大切なことであり、簡単に他人に話せるようなことではない。
だが本当は、それが一番聞きたかったことだ。
彼女の夫となった男の命がどうなるか知りたい。
だがそれを知ってどうするというのだ。
もし余命幾ばくも無いのだとすれば、自分はどうするつもりでいるのか。
自分のライバルの命の長さを推し量ることが、喜ばしいことだと言えないが、それでも男というのは、好きな女を自分だけのものにしたいといった独占欲は誰しもが持つものだ。
彼女がひとりになれば。
その思いがないとは言えない。
だが司は決して人の死を願うような男ではない。
何しろ人の命の大切さは彼女に教えられたのだから。
「・・東京にいた頃・・まだ結婚する前一度・・なってるの。完治したと思ったけど転移してたって・・でもまだ仕事は出来るの。そうはいっても机に座って調べものをすることが仕事だから・・」
思いもしなかった返事に司はなんと答えればいいのか言葉に詰まった。
彼女の話の中に見えたのは、砂時計の砂が限られた時を刻んでいるということだ。
砂は掴み取ろうとしても、指の間からサラサラと零れ落ちるが、それは自分の意志では食い止めようもない死に向かっている男の時間だ。
そんな男を夫に持つ彼女に何と声をかければいいのか、今の司は言葉を探していた。
そして分かってはいるが、彼女は情に弱い女性だ。
病気の夫がいるなら、見捨てるようなことは決してしない。
そんな彼女が大切だと思うのは、死の翳りを自覚している夫なのだろう。
だからこそ、ぶれることのない視線を自分に向けて来たことに司は気付いた。
司が過去に掴まえたはずの牧野つくしの心は今はもうない。
あの視線はそう言われたようなものではないか。
司は、ほんのついさっきまで、胸の奥にあった想いを伝えようとしていた。
それなのに、今では躊躇っていた。
自分の思いだけを押し付けることが愛ではないということを随分と昔に学習したはずだ。
かつて、そういった状況だったことがあったはずだ。
だが、どうしても伝えたい想いがある。
諦めたくはないが、諦めなければならないとしても伝えたかった。
今も変わらず愛していると。
「俺はお前を思い出し、もう一度お前とやり直したいと思った。だからここに来た。だがそれは男の身勝手な行動だと思ってもらってもいい。・・けど、どうしても気持ちだけは知って欲しい。・・ああ。分かってる。お前は結婚している。・・・それに病を抱えた夫がいる。
それでも俺はお前のことが好きだ。あの頃と同じだ。いや、今はあの頃以上にお前のことが好きだ」

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それは勿論言葉使いも、態度もだが、長年ビジネスで培われたひと前での態度はそう簡単に崩れるものではない。
だが、今の彼の言葉には緊張が感じられた。
「話がしたいんだがいいか?」
どんな話しでも本人の口から語られる事実ほど重いものはない。
それが自分の聞きたい話しではなくても、聞かなければならないこともある。
実際知っていたとはいえ、本人の口から結婚した事実を改めて聞かされ心が痛みを感じていた。
それでも、会うと決めたとき、彼女の口から語られる言葉を決して遮ることなく、全てを記憶の手帳の中に記していくと決めた。
あの時、彼女を忘れてしまったばかりに失ってしまった17年分の想いが補えるとは思えないが、その一端でもいいから彼女のことが知りたかった。
だからこの機会を逃したくない。
司はそういった思いから再び聞いた。
「時間を貰えないか?」
つくしは後ろを振り返り、総二郎との写真撮影会となった庭に目をやった。
そしてそこにいるはずの同僚の姿を探し、彼女の姿を認めると再び司に視線を向けた。
「あたし、一緒に来た人がいるの。だから_」
「ああ。知ってる」
「・・そう。この講演会って偶然じゃないってことね?」
この場所に司が現れたことを偶然と片付けられるほどつくしは馬鹿ではない。
道明寺司の一日は値千金であり、北陸の小さな街に彼のような立場の男が訪れる意味といったものがあるなら教えて欲しいくらいだ。
だがそんな男が自分に会いに来ていることは分かっている。想定はしていた。
それに力のある男が名刺を人に預け、連絡を待つだけといったことをするはずがないと初めから分かっていた。そして、その目的が何であれ、いつか本人が目の前に現れることも分かっていた。
だが、もう二度と会うことはないと思っていた男から久し振りと言われたが、久し振りだといった言葉は返さなかった。
だから既に知っている事実を伝えた。
牧野つくしは結婚したと。昔とは違うのだと。
「お前の独り言は相変らずだな」
つくしは、自分が独り言を呟いていたことを司の言葉から知ったが構わないと思った。
逆に聞く手間が省けたくらいだと。
だが確実に感じていた。
錆び付き、回ることなく放置されていた古い水車の歯車が回転を始めたことを。
「この講演会が偶然かどうかって話しだが、もちろん偶然じゃねぇ。それに俺は回りくどいことを言うのは嫌いだ。だからはっきり言う。俺はお前に会いたかったからこの街へ来た」
つくしの心のざわめきを知らない司だが、彼にしてみれば、彼女とはまた別の思いがあった。
堕とした記憶を拾い上げたとき、今も彼女への変わらない愛があることを知った。
だから牧野つくしが結婚していたとしても、言わずに後悔するくらいなら自分の気持ちを伝えることにした。
「記憶が戻った俺はお前に会いたいと思った。・・けど直ぐにお前に会いに来なかったのは情けねぇ話だがお前のことを17年も忘れていた男がどの面下げてのこのこと会いに行ける?若い頃なら気にも留めなかったことも、この年になると気になるってのも妙な話だが・・そういうことだ。・・まあ、俺も成長したってことだろうな」
自嘲ぎみに笑ったがそれは事実であり、そのことを隠すつもりはない。
17年間司の思考の中に存在しなかった女に会いに行くことは、決して簡単なことではないということだ。だがそれは、彼女を忘れ去った男の勝手な思いだと言われれば、それまでのことだ。
「・・だから桜子に名刺を?」
戸惑いが感じられる言葉だが真っ直ぐな視線を受け止めた司は、はっきりとした言葉を返した。
「ああ。あいつだけがいつまでもお前のことを気にしてた。俺がお前のことを忘れても、しつこくお前のことを俺に伝えようとしたのはあいつだけだ」
そのことはつくしも知っていた。そしてそんな桜子に言ったことがある。
もういいからと。
あの時感じた嵐も、過ぎ去ってしまえば吹き過ぎた風のようなもので、飛んでいってしまったものは今更取り戻すことなど出来ないのだと。
大きな嵐を乗り越えようとした二人に吹いた風は吹き返すことはなく、数年に一度起こると言われる偏西風の蛇行のように、二人の人生を思いもしなかった場所へと運んでいったのだと。
10代の恋なんて長い人生の中の短いひとときであり、終わってみれば記憶に残らないことだってあるでしょ?と。
それでも桜子はつくしの恋を簡単に諦めきれないと言った。
なぜ、そこまでするのかと聞いたことがあった。
すると桜子は、
『先輩の恋はあたしの恋でもあるんです。あたしが道明寺さんに対して抱いていた恋は上手く言えませんけど恋であって恋ではなかったんです。でも先輩の恋はあたしとは違う種類の恋なんです。あの道明寺さんが本気で人を好きになるなんて、誰も考えたことがなかったことなんですよ?先輩に恋をした道明寺さんは、あたしが好きだった道明寺さんとは別の人でした・・・・。でもあの道明寺さんが先輩のために変わろうとしていた。それがあたしは嬉しかった。人として男として成長する道明寺さんが・・好きでした。でもそれは先輩が相手だからなんです。・・・先輩。あたしはお二人が好きなんです。それに二人の間には見えない糸で結ばれた愛の重さが感じられるんです。だからいつか必ず道明寺さんは先輩のことを思い出しますから』
それはひとりの男性を思うがため、自分の姿形を変えることに躊躇いを感じなかった女性が持つ恋に対する確固たる思い。
つくしには分からないが、桜子には桜子の強い思いがある。
それを感じた瞬間だった。
そして今、嵐ではなく、小さなつむじ風が、くるくると渦を巻き近づいてくるのが見えた。
今はまだ小さな風の塊が。
「昔の三条は俺が聞きたいとは思わなかったお前の話をする為わざわざNYまで来たこともあった。・・けど帰国してあいつの店に行ったとき、お前のことは何も教えてはくれなかった。おまえがどこに住んでいるのか。何をしているのか。・・結婚していることも」
まるで結婚の事実を司の耳に入れたくないように感じられた三条桜子の態度。
だが、その理由が今なら分かる。司はつくしを忘れたが、自分は懸命に牧野つくしのことを伝え続けた。それなのに司は思い出す努力もせず、月日が流れ、ある日突然現れた彼に、牧野つくしは他の男と結婚していますとは言えなかったということを。
それとも自分の口よりも、司自身、自ら調べてショックを受ければいいとでも思ったのか。
それが遠い昔の司に対しての三条の復讐だとすれば、ダメージを与える方法として実に効果的ではあるが、そうではないと司も分っていた。ただ、三条自身が自分の口から告げたくはなかったということだと理解していた。
そして司は、夫という言葉を口にすることが出来ずにいた。
それは、牧野つくしには、自分ではない男が夫として存在していることを認めたくないといった気持ちがあるからだ。そして湧き上がる嫉妬の気持ちを簡単には抑えることが出来ないからだ。
妻であれ、夫であれ、その呼び名には固い絆が感じられ、法的にも認められた関係であり、情緒的な関わりが存在するからだ。
自分ではない他の男が彼女を抱いていると。
「・・それでどれくらいなんだ?ステージって言うのか?」
その言い方は、ある病に関わりがある人間なら理解出来る言葉だ。
司は、つくしの夫の癌の進行度合いはどれくらいかと訊ねていた。
だがその瞬間、彼女の口元が固く引き締められた気がした。
そして口に出したあと、聞くべきではないことを口にしてしまったと感じていた。
彼女は、牧野つくしは弱い人間を守ろうとする人間だ。弱い人間を裏切ることはしない人間だ。自分の夫の病状をどんな理由を持って調べたのかと思うはずだ。
そして自分のことならまだしも、夫の病気のことまで調べられ、いい気はしないはずだ。
「・・そこまでは調べなかったの?」
だがその口調に嫌悪感はなく、むしろ調べられることを想定していたようで、知らなかったことに驚いていた。
「あ、ああ・・調べなかった。けど今の質問には答えなくていい。悪かった・・俺も随分と個人的なことを訊いた」
まさに病歴とは個人の生きる上での尊厳に繋がる大切なことであり、簡単に他人に話せるようなことではない。
だが本当は、それが一番聞きたかったことだ。
彼女の夫となった男の命がどうなるか知りたい。
だがそれを知ってどうするというのだ。
もし余命幾ばくも無いのだとすれば、自分はどうするつもりでいるのか。
自分のライバルの命の長さを推し量ることが、喜ばしいことだと言えないが、それでも男というのは、好きな女を自分だけのものにしたいといった独占欲は誰しもが持つものだ。
彼女がひとりになれば。
その思いがないとは言えない。
だが司は決して人の死を願うような男ではない。
何しろ人の命の大切さは彼女に教えられたのだから。
「・・東京にいた頃・・まだ結婚する前一度・・なってるの。完治したと思ったけど転移してたって・・でもまだ仕事は出来るの。そうはいっても机に座って調べものをすることが仕事だから・・」
思いもしなかった返事に司はなんと答えればいいのか言葉に詰まった。
彼女の話の中に見えたのは、砂時計の砂が限られた時を刻んでいるということだ。
砂は掴み取ろうとしても、指の間からサラサラと零れ落ちるが、それは自分の意志では食い止めようもない死に向かっている男の時間だ。
そんな男を夫に持つ彼女に何と声をかければいいのか、今の司は言葉を探していた。
そして分かってはいるが、彼女は情に弱い女性だ。
病気の夫がいるなら、見捨てるようなことは決してしない。
そんな彼女が大切だと思うのは、死の翳りを自覚している夫なのだろう。
だからこそ、ぶれることのない視線を自分に向けて来たことに司は気付いた。
司が過去に掴まえたはずの牧野つくしの心は今はもうない。
あの視線はそう言われたようなものではないか。
司は、ほんのついさっきまで、胸の奥にあった想いを伝えようとしていた。
それなのに、今では躊躇っていた。
自分の思いだけを押し付けることが愛ではないということを随分と昔に学習したはずだ。
かつて、そういった状況だったことがあったはずだ。
だが、どうしても伝えたい想いがある。
諦めたくはないが、諦めなければならないとしても伝えたかった。
今も変わらず愛していると。
「俺はお前を思い出し、もう一度お前とやり直したいと思った。だからここに来た。だがそれは男の身勝手な行動だと思ってもらってもいい。・・けど、どうしても気持ちだけは知って欲しい。・・ああ。分かってる。お前は結婚している。・・・それに病を抱えた夫がいる。
それでも俺はお前のことが好きだ。あの頃と同じだ。いや、今はあの頃以上にお前のことが好きだ」

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司×**OVE様
おはようございます^^
17年という長い年月を経て会う愛しい人を前に緊張してます(笑)
つくしは病を抱えた夫のいる身。
それは司もよく分かっています。だから余計無茶なことは出来ないといったところでしょうか。
そして、一度決めたことは、やり抜くといった考えの持ち主であるつくし。
司はそんなつくしが好きだったはずです。でも今はその考えをどう思っているのでしょうねぇ・・。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
17年という長い年月を経て会う愛しい人を前に緊張してます(笑)
つくしは病を抱えた夫のいる身。
それは司もよく分かっています。だから余計無茶なことは出来ないといったところでしょうか。
そして、一度決めたことは、やり抜くといった考えの持ち主であるつくし。
司はそんなつくしが好きだったはずです。でも今はその考えをどう思っているのでしょうねぇ・・。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.09.26 22:10 | 編集

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pi**mix様
こんばんは^^
二人、17年振りの再会ですから、ギクシャクしていてもおかしくはありません。
そんな状況での会話。大人になり自分を隠す術も持ち合わせている二人。
桜子は今の状況をどう思っているのでしょう・・銀座は忙しそうですが、一度金沢に遊びに来ませんか?(笑)
湿り系イケメン←(笑)新しい言葉ですね?
そして、「Aアラートが鳴ってた・・」とつい言ってしまった(笑)
それにしても、遠くで暮らしていると事情が分かりずらいこともあると思います。
世界情勢は多方面に渡り変化しています。
心配されるお友達の気持ちも理解できますよね?
お友達のいらっしゃるお国の航空会社。大きな落とし物をしましたが、無事到着したようですね?
空から思わぬ落とし物がありましたが、司も堕とした記憶を拾い上げたようですので、大人として色々と頑張ってもらいたいと思います。
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
二人、17年振りの再会ですから、ギクシャクしていてもおかしくはありません。
そんな状況での会話。大人になり自分を隠す術も持ち合わせている二人。
桜子は今の状況をどう思っているのでしょう・・銀座は忙しそうですが、一度金沢に遊びに来ませんか?(笑)
湿り系イケメン←(笑)新しい言葉ですね?
そして、「Aアラートが鳴ってた・・」とつい言ってしまった(笑)
それにしても、遠くで暮らしていると事情が分かりずらいこともあると思います。
世界情勢は多方面に渡り変化しています。
心配されるお友達の気持ちも理解できますよね?
お友達のいらっしゃるお国の航空会社。大きな落とし物をしましたが、無事到着したようですね?
空から思わぬ落とし物がありましたが、司も堕とした記憶を拾い上げたようですので、大人として色々と頑張ってもらいたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.09.26 23:19 | 編集
