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2017
09.21

もうひとつの橋 6

『記憶の断片が戻った』

そう言って連絡を受けたのは西門総二郎だ。
昔からプレイボーイだと言われ、仲間内で一番の伊達男と誉が高い男は、司からの電話に口を開くと言った。

『放蕩息子のお帰りか』

そんな言葉を吐いた男は、約1時間後の午後11時には、広大な敷地面積を擁する世田谷の道明寺邸に現れた。そしてそんな男の髪は湿り気を帯びており、シャワーを浴びて来たのが感じられ、女と過ごしていたと分かる雰囲気があった。

男は、司の執務室のソファに腰を降ろし、すらりと長い脚を組み、肘掛に右腕を乗せ、指先でテンポ良くリズムを刻んでいた。
父親が茶道西門流の家元である総二郎は、二人兄弟の次男だが、兄である祥一郎は医者となり独立したため、次の家元は総二郎だと言われていた。

俺には兄貴みたいに人の身体を治すなんてことは出来ねぇけど、茶で人の心を癒すことなら出来るはずだ。

そう言ってはいるが、彼が癒すのは、もっぱら若い女性だと言われていた。
そんな総二郎と司は、子供の頃からお坊ちゃまと呼ばれ育った人間であり、何をしても許される環境にいた。そしてそんな二人には、隠す事の出来ない品というものがあった。

しかし、二人が決定的に違うのは、司という男は、一途で潔癖と言われ、本気で愛した女性はただ一人といった男だが、総二郎は司とは真逆のタイプであり、同時に何人もの女性と付き合うことが出来る人間だ。
そんな男の口から吐き出された『放蕩息子』。
それを言うならおまえだろうが、と司に言われた総二郎は軽やかに笑っていた。
だがその笑いを浮かべた表情は直ぐに打ち消され、真面目な顔をした男がいた。




「つーか、おまえ、あれから何年だ?俺たちはお前が無くした記憶に触れることはしなかったが、いつも心の中では気にしてたんだぞ?」

「・・ああ、分かってる」

ある特定の記憶を失ってから17年。
ポツリと呟くように言われた言葉は、年月の重みを感じさせた。
1年は長いが17年という歳月はとてつもなく長い。
まだ小さかった子供が大人へと成長し、技術の進歩で言えば、17年前の物など年を取った人間と同じで過去の遺物と言われていた。

「それにしても随分と時間が流れたな。あの頃、お前に思い出せっていくら言っても思い出すことは無かったけど、今更って言うか、なんて言えばいいんだろうな・・。まさかこんなに時間が経って忘れた記憶が戻るなんて思わなかったぜ」

そう言われた司は、自分でも何故今なのかと自問するしかない。
そして、それが今で良かったのか、それとも悪かったのかと考えていた。

帰国すると直ぐに三条桜子の店を訪ね、名刺を託し、牧野つくしからの電話を待った。
今まで名刺の行方など気に留めた事などなかったが、あの名刺が三条の手に渡った途端、
17年前への旅が始まった。それはまるで自分自身が名刺となり、三条の手により牧野つくしの所へ運ばれて行く。そんな感覚に陥り、彼女が自分の名刺を見たときどんな反応を示すか見たいといった気にさせられていた。

だが、連絡がないということは、分かっていた。

あれだけ司から好きだと言い、心から求めた女性を簡単に忘れ去り、挙句の果てに罵倒し、二度と自分の前に現れるなと拒絶しておいて今更何をと思うのは当然だ。
だから足を踏み出すことが出来ずにいた。
だが、いつまでも電話がかかってくることを待つつもりは無かった。
司は、能動的に振る舞う人間であり、人から何かをされるのを待つ人間ではない。
だから調べさせた。

17年間全く気にしなかった女性の現在を調べることは、本気になれば出来ないことはないと言われる司のビジネスにしてみれば、簡単なことだ。
だが、それを三条の元を訪れる前にしなかったのは、彼の存在がいきなり牧野つくしの前に現れることを避けたかったからだ。
せめて三条を通してでも、彼の記憶が戻ったといったことが伝わればいいと思ったからだ。
何故、そう思ったのか。それは罪悪感があったからだ。
勝手に忘れておいて、記憶が戻ったからといってどの面下げて会えばいいのか。
まさに身勝手の極みであり、深い罪悪感が彼の心を緊縛した。
だがそんな後ろめたい気持ちとは逆の、やはり知りたいといった気持ちの方が強かった。


「・・で、司。記憶が戻ったってことは牧野のことだろ?だから俺を呼んだんだろ?」

「ああ。そうだ」

総二郎の問に司は答えた。

「それで?牧野はどうしてるんだ?お前のことだ。調べたんだろ?」

「あいつ・・牧野はもう牧野じゃなかった」

「牧野じゃない?なんか意味が分かんねぇな。牧野じゃねえってそれなら何だ?まさかお前と同じで記憶喪失にでもなったか?」

まさか、牧野つくしが司に自分を忘れられた腹いせに、司の記憶だけを無くした訳でもあるまい。総二郎はそんな馬鹿なことがあるかといった思いで聞いていた。

牧野つくしが司と不本意な別れをした後、周りにいた仲間たちとの距離を置いたのは、つくしの方だ。その行動を理解出来ないほど、総二郎たちは無神経ではない。本人がそう望むのなら、そして望み通りにしてやることで、気持ちの整理が出来るならと、つくしの傍に近づくことはなかった。だから今の牧野つくしがどんな状況にあるのか知らずにいた。

「いや。そうじゃねぇ」

「それならなんだ?勿体つけねぇで早く言えよ?」

先を急がす総二郎の問いかけに、司はデスクチェアに座ったまま、暫く何も言わなかった。
決して言い淀んでいるのでは無い。ただ、自分の口から出る言葉を己が聞きたくなかったからだ。

「・・あいつ、結婚してた」

「結婚?!あいつがか?」

総二郎の驚いた姿は、信じられないといった様子だが、二人の間に流れた静寂はまた別の意味を持っていた。

「・・そうか。牧野、結婚したのか・・」

重苦しい沈黙が流れ、総二郎はそこで一旦話を切った。
そして何か考えている表情になり、それからはっきりとした口調で言葉を継いだ。

「なあ、司。お前には酷なようだが、今のあいつの置かれた状況ってのは、嵐が去って静けさを取り戻した心っての?そんなんじゃねぇのか?・・・いいか司。お前は好きだ愛してるって牧野を追いかけ回したが、きれいさっぱり忘れちまった。まあ、あれはわざとじゃねぇにしても、お前はあいつの事を思い出そうといった努力ってのもしなかったはずだ。仲間の誰かが言ったところでお前は聞く耳も持たなかった。頭っからはね付けてた。そんな中で三条がしつこいくらいお前に言ってたのは俺も知ってる。それでもお前は相手にしなかったよな?」

司は三条桜子から何度も訪問を受けた。
それはNYへ行ってからも続いたが、彼の耳に届けられた牧野つくしの状況は、全く関係のない女の日常であり、関係ないと一蹴していた。

だが、ある年からそれも途絶えた。

「・・牧野は、お前に忘れられてからは勉強を励みに人生の目標を見つけようとした。まあ、お前に出会う前は、元々そんな女だったろ?だからある意味元の状況に戻ったっていやあそうだった。だけどな、女としての幸せってのには縁遠くなったんじゃねぇの?何しろお前に捨てられた女だぞ?あれだけ追い回しといての結果がアレだ。それに周りの目を考えてもみろ。お前のそんな状況を知ってるんだぞ?面と向かって何も言われなかったとしても、高校生活なんてのは、針の筵だったんじゃねぇの?・・そんな牧野の傍にいつも一緒にいたのが桜子だったけどな」

総二郎は、手櫛で髪を掻き上げ、大きく息を吐いた。

「なあ、司。あいつが結婚したってことは、女として自分の幸せを掴んだ。そう思わねぇか?本当ならお前が与えたかったんだろうけど、無理だったんだから」

本当なら司が与えようとした幸せは、他の男の手によって与えられたということ。
その事実を総二郎は淡々と言っていたが、自分と違い昔から色恋沙汰に無縁だった男の初恋を周りの仲間は応援していた。だからその恋を、当の本人が、きれいさっぱり忘れ去ってしまったことに、訳の分からない悔しさといったものが込み上げていた。


「それで、牧野つくしの相手ってのは誰だ?」

「あいつ、今は金沢に住んでる。そこで知り合った弁理士が相手だ」


司は、何故つくしがあの街に住まいを移したか。
彼が入手した報告書に書かれていた内容について話しを始めた。
小さな出版社に就職し、担当になった絵本作家が金沢に住んでいた。その作家の晩年の作品を手掛けながら、最期を看取ったこと。そしてその後に結婚する相手に出会ったといったことを。

「金沢か・・・。あの街は茶の湯が盛んな街で俺も年に何度も行くが、あの街はいい街だ。落ち着いた趣があって人間も優しい。・・それにしても相手が弁理士か。随分と堅い職業の人間と結婚したもんだな。・・それで?結婚してどれ位経ってんだ?」

「2年だ」

「2年か・・。それで子供はいるのか?」

「いや。いない」

そう言った司の口調は、胸の中にある暗がりから出されたように低く、表情に翳りが感じられた。




総二郎は思った。
自分自身はいつも自分の置かれた世界を楽しんで来た。
だが今、目の前にいる人間は、世界中のビジネスを自分の物に出来る力を持つとか、どんな女も望めば自由になるとか、どれだけ金があるとか、そういったことは一切関係ないといった目をした男だ。

まさかこの年になって馬鹿なことはしないはずだが、あの頃、熱い感情の高まりを持て余していた男の、不完全燃焼とも言える恋は、どこへ向かおうとしているのか。
総二郎の胸を、そんな思いが過っていた。





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コメント
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dot 2017.09.21 07:54 | 編集
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dot 2017.09.21 09:06 | 編集
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dot 2017.09.21 20:30 | 編集
う**ゃん様
つくし、結婚してました。
司はショックだったでしょうね。でも忘れたのは自分ですから。
しかし、地獄の果てまで追いかける坊ちゃんは、どうするんでしょう。
大人ですからねぇ。まさか相手をどうこうする、なんてことはないと信じてます(笑)
そうなると別の物語へシフトしてしまいそうですから(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.21 22:35 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
司、つくしの結婚にショックを受けたことでしょう。
しかし、忘れたのは司です。周りは努力したんですよ?
その努力を無視したのは彼ですから。
類がいたら、それはもう総二郎どころではないでしょうねぇ。
不完全燃焼の恋の決着はどうするんでしょうねぇ。
司に冷静な行動が出来るか?(笑)黒い坊ちゃんなら大丈夫でしょう(笑)
長い年月をかけ、じっくりと責める男でしたから。そこへ邪魔者が現れると極端すぎる行動に出ましたが、今回はそんなことはないと信じてます(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.21 22:42 | 編集
pi**mix様
落ち着いて下さい。大丈夫です。
総二郎に色々と言われ司は何を思う?
つくしの結婚をある意味肯定的に捉える総二郎がいましたね?
大人ですね、でも司のことをい思っていますからね。
子供はいないと即答する司。自分以外の男との間に・・と思うと嫉妬もあったでしょうね。
しかし、いないことにどこか安心する。それは縄張りを重視する動物の雄そのものですね?
今日もAアラート鳴りっぱなしでしたが、いつまでこのアラートは鳴り続けるのか。
そして鳴り止む日が来るのか・・・。
大人の事情も色々とあるようですので、聞いてあげて下さい。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.21 22:53 | 編集
ゆ*様
4年ぶりですか?お帰りなさいませ^^
そしてこのようなサイトをご訪問下さり有難うございます。
既婚者つくし。そして司は独身。
ジェットコースターのような恋をした二人のその後。
大人の二人は色々と葛藤もあると思いますが、二人の幸せを願っています。
坊ちゃんも大人になっているはずです!(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.09.21 23:30 | 編集
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