世間では道明寺司のことを危険な略奪者と思っているかもしれないが、実際その通りだ。
だから今では彼を怒らすことは、どんな企業にとっても得策ではない。
そんな男が母親の楓から告げられたのは、司とつくしの結婚を期に経営トップの座を譲るという言葉だ。
最高経営責任者の地位を息子に譲るといった世襲が良しとされるかと言えば、いずれそうなることは、彼が道明寺HDの経営を立て直した時から暗黙の了解があったのだから、取締役会で反対の意見が出ることもなく了承されていた。
だがそれは、司の両肩に今以上に大きな責任が掛かることになるのだが、彼が本当に欲しかった人が傍にいてくれるなら、どんなことでも成し遂げてみせるといった想いがあった。
カリブ海から戻ったつくしは、帰国するまでマンハッタンにある司のペントハウスに滞在することになった。
司は10日間の休暇のうち3日を残し、職務に戻ったが、後ろ髪を引かれる思いだと言われ、いい子で待ってろと言って抱きしめキスをした。
いい年をして子供呼ばわりするのは止めてと言ったが、男にとっていい子は愛する人のことだと言われれば、頬を染め黙るしかなかった。
つくしは、楓と再会してから妙に心が落ち着いていた。
それは、ほっとしているといった気持ちの表れだが、つくしにはしなければならないことが残されていた。
叔母に紹介された見合い相手に断りを入れる。
この旅から戻ればきちんとした返事をすると約束をしていたが、それが断りだとしても、見合いという形を取る限り、言われた方は黙って受け入れるしかないのだから深く気にする必要はないはずだ。
だが、考え方にもよるが、見合い相手だからこそ、短い間とはいえ結婚を前提に交際していたようなものだ。そんな相手を出来るだけ傷つけることなく、断わる方法はないかと考えてしまうのがつくしだ。だがまさか昔の恋人に再会し、その人と結婚することになったと言えるはずもなく、気持ち的にしっくりこないと言ってしまうのが一番いいような気がしていた。
「つくし!あたし本当に嬉しいわ!あんたと司がまた一緒に、それも結婚することに決めたなんて!いい?天変地異が起こったとしても絶対にあいつから離れちゃダメよ!」
NYに戻ったと滋に連絡を取り、ランチをすることになったのだが、事の顛末を報告すると、元来感情表現がはっきりとした彼女が喜ぶ様子は、まるで我が事のようで、感涙にむせぶと言ってもいいほどの喜びようだ。大袈裟と言えばそうなのだが、それが滋の性格なのだから今更だ。
「あ、でもあいつのことだからそんな心配はないか。むしろ離れろって言ってもしがみついて来るのは司の方かもね?それにしてもあんた達ってもしかしたら南の島とか船旅とかって昔を踏襲するわけじゃないけど、そのシュチュエーションに燃えるんじゃない?」
滋はいつもと同じ陽気な口調で話しながら、ナイフとフォークを動かしていた。
そしてグラスを口元へと運び、ワインをひと口飲んだ。
「ねえ?ところで例のお見合い相手。日本に帰ったら断るんでしょ?相手の人、二つ上の建築設計士だっけ?つくしの帰国を首を長くして待ってるんだろうけど、フラれちゃうんだよね?なんだか可哀想な気もするわ。だって期待してると思うわよ、その人。でもつくしの運命の人じゃないからフラれても仕方ないのよね?」
「うん...相手の人には申し訳ないけど、断わるわ」
運命の人じゃない。
運命は変えられない、一度決められたことに対し忠実だとも言うが、そうでない場合もある。それは運命のいたずらと呼ばれるものだが、司とつくしの13年間は、運命のいたずらだった。
そして滋の言葉につくしは、胸に痛みを覚えていた。
首を長くして待っている、可哀想といった言葉もそうだが、間に立った叔母夫婦にも申し訳ない思いがしていた。こんなことならNYへ来る前に断っておけばよかったと思ったが、あの頃、まさか司と再び愛し合うようになるとは考えてもいなかった。
「ねえ、あたし彼氏と別れたところで今フリーだからさ、なんならあたしがその人引き受けようか?」
と言って滋は冗談交じりなのか笑っていたが、滋という女性は恋愛に関し、はっきりとした意見を持っていて、一瞬もしかすると本気なのではないかと思わされたが、つくしの困惑気味の表情に冗談だから!と言って笑っていた。
それにしても、つくしがNYに到着した時、まだ別れていなかったはずだと思い聞いた。
「滋さんやっぱり別れたの?」
「うん、そうなの。でもね、あたしもこれから本物の運命の人を探すことが出来るってことで王子様を探すつもりよ!」
と、言うなり店内にいる男たちの品定めを始めた。
滋はどんな大変なことがあっても、すぐ立ち直ることが出来ると言われていた。
それは、たとえ大型ダンプカーにはねられたとしても、直ぐに立ち直ってみせるわと言う位だ。その立ち直りの早さは、滋だから出来るのであって、つくしにはとてもではないが、真似が出来るといったものではなかった。
「ねえ見てつくし!あの人どう思う?あの人よ、ほら、一番向うのテーブルにいる人!こっち見てる人!同じアジア人だと思うけど、日本人かな?あたしね、年下でも構わないの。あたしよりも精神年齢が上の人なら全然問題ないわ」
そして海外での暮らしが長い彼女は自分がジロジロと見られたら、見返してやるわといった思考の持ち主で全く怯む様子はない。その態度は日本有数の資産家のお嬢様といった態度ではないかもしれないが、そんなことを気にするような彼女ではない。そしてバイタリティーに富んだ姿は高校生の頃から変わりはない。だがそんな滋の行動力のおかげで、つくしは司と再会し、共に気持ちを確かめ合うことが出来たのだ。だから滋には感謝の言葉しかない。
「あのね、滋さん。今回のこと、色々ありがとう」
「やだ、そんなのあたり前でしょ?あんた達、運命の恋人同士なんだから!今更そんな御礼なんて言わないでよ!あたしとつくしは親友なんだからそんなのあたり前でしょ?それにあんた達をくっつけることがあたしのライフワークみたいなものだったんだからね?それに_」
「あのね、滋さん聞いて欲しいの」
滋が話しを続けようとしたが、つくしの言葉が遮った。
そして滋は、つくしが真剣な表情をしていることに気付くと口を閉ざした。
「滋さん、あたしね、司と...道明寺と別れた後でお腹に赤ちゃんがいることが分かったの」
つくしは一旦言葉を切り、それから落ち着いた声で言葉を継いだ。
「でも産まれなかった。流産したの。ごめんね、滋さん、色々と心配してもらっていたのに、どうしても言えなかったの。もちろん道明寺も知らなかった。でも今回の旅行で話したの。一人で産んで育てようと思ってたって。それから_」
滋はテーブルの上に置かれていたつくしの手を取り、何を言うでもなく、その手を優しく握った。そしてつくしの顔を暫くじっと見つめ、それから口を開いた。
「いいよ。つくし。話さなくてもいいのよ。女同士だもん。あんたの気持ちは分かるから。
それにあたしに話さなかったことが悪いとは思わないで。いくら親友でも話したくないこともある...それはお互い様でしょ?話したくなければ話す必要はないし、どうしても聞いて欲しかったら話せばいい。無理に話せって言ったところで、気持ちの整理が出来ない状態で話しなんかしても、自分が苦しいだけだもの。でも司と会って話しをして気持ちの整理が出来たんでしょ?それならそれでいいじゃない。それに司のことだから、赤ちゃんのこと、一緒に哀しんでくれたんでしょ?あいつ、絶対泣いたはず。そうでしょ?」
滋は哀しい顔をしているつくしに向かってにっこりとしたが、すくに真面目な顔に戻り、心配そうな目でつくしを見つめた。
つくしは滋が心を痛めてくれたことを理解すると口を開いた。
「うん。一緒に泣いてくれた。あたしがひとりで病院にいたことも、赤ちゃんが失われてしまったことも哀しんでくれたわ」
「そっか、二人で哀しみを乗り越えることをしたのね?それならもう大丈夫よね?二人が赤ちゃんのことを一緒に哀しめたのなら、赤ちゃんもパパとママが哀しんでくれたって喜んでるはずよ?つくし。あんたたち結婚するんだからまた赤ちゃんが出来るわよ。ね?そうでしょ?」
つくしは頷きで滋の質問に答えを返した。
「そう。それならもう泣く必要なんてないじゃない。あんたにはこれから先、ずっと司が傍にいてくれるんだから何も心配することなんてないのよ、つくし?」
哀しい顔をしたままのつくしに、かける言葉は限られているはずだが、滋は難しい言葉を選ぶことなく、ごく簡単な言葉だったが、長い間持って行き場のない哀しみを抱えていたつくしにすれば、その言葉だけで十分だった。
「滋とのランチは楽しかったか?」
滋と別れたあと、つくしはペントハウスへ戻り、司の帰りを待っていた。
今夜はおまえの料理が食べたいと言われ、用意されていた材料で日本食を作っていた。
凝った料理は作れないし、腕前も昔と変わらないわよ、と言って司に言わせれば庶民が食べるような食事となったが、懐かしい味だな、美味いじゃないかこれ、と言いながら箸を運ぶ姿は昔と同じで、たとえそれが舌の肥えた男の世辞だとしても、つくしは嬉しかった。
「うん。それから色々ありがとうって言ってきた」
「あいつには世話になったからな」
司も次に滋に会えば、やはり同じような言葉を口にしているはずだ。
「...あのね、それから赤ちゃんのことも話したの」
司の箸の動きが止った。
つくしは躊躇いがちに口にしたが、果たして滋に話しをしても良かったのかといった想いに囚われた。司は二人の心だけに秘めておきたかったのではないか。滋に話す必要は無いと思っているのではないだろうか。
「...そうか。おまえが話したかったんなら話せばいい。あいつはおまえの事ならどんなことでもしてやりてぇって思ってる女だ。それに男の俺と違って女同士分かり合える部分もあるだろ?話せたことで少しでも気持ちが楽になれたならそれでいいんじゃねぇか?」
そのとおりだった。今まで滋に言わなかった、言えずにいたが話したことで、哀しみを分かち合ってくれた人が出来たことに、心の中が少し軽くなったような気がしていた。
「それで?帰国したら見合い相手に断りを入れて来るんだろうな?」
今の二人は同じ気持ちでいるのだから、見合い相手に嫉妬をする必要などないのだが、つくしが見合いをしたこと自体が気に入らないといった態度が感じられた。だが、その口調は嫉妬にしては優し過ぎ、眼差しから感じられるのは、おまえは俺を愛してるんだろ、といったニュアンスであり、その度合いは司の男としての自信が現れていた。
「勿論よ!」
つくしは目一杯力を込め言った。
二人が紆余曲折を経てやっと一緒になれる日が来たのだ。
最後のけじめを着けて来るのは、つくしの方となったが、見合い相手にははっきりと断りの意思を伝えると決めていた。そしてけじめを着けた後、勤務先へ退職願いを書き、定められた時間を過ごし、渡米すると決めていた。
司は、そんなつくしの意思を知っているはずだが、つくしは自分を見る司の不安そうな目を見逃しはしなかった。
それは遠い昔、まだ高校生の頃、あたしを信じて待っていて欲しい。と言ったつくしに向けられた表情と同じだ。
あの頃、二人の間には渡れない橋があると言われていた。その橋の向う側の世界、つまり司の世界とつくしの世界は決して交わることのない世界だと言われていた。
だが正反対な者ほど惹かれ合うというなら、それは二人のことだったのかもしれない。
子供のから贅沢に育った男と、赤貧な生活を送っていた女の立場の違い。オーダーメイドのタキシードを着こなし、パーティーに参加するような少年と、日々の暮らしを懸命に生きる少女。
だが二人は渡れないと言われた橋を渡り、乗り越え、互いの手を取った。そしてあの時、戻って来ねぇんじゃねぇかと思ったと言われ、力いっぱい抱きしめられていた。
「あたしを信じて待っていて」
「つくし、必ず戻って来いよ?」
司は、つくしの真剣な表情にあの時と同じ言葉を返していた。
そして、つくしの言葉にあん時と同じだな、と苦笑した男は、二人の間に在った渡れないと言われていた橋を渡った日のことを思い出していた。
「今のは冗談だ。おまえが戻って来ねぇなんて思ってねぇよ。気を付けて行って来い。俺はここで待ってる」
その声の響きは、言葉そのものと同じくらいつくしが他の男に心を奪われることはないといった確信が込められていたが、静かで落ち着いた言い方だ。
そしてそれは、彼女の言葉を信じているといった想いが感じられ、かつて二人の間にあった純粋な恋といったものを感じさせた。
だがそれは二人にしか分からないことだ。
司がつくしに惹かれたのも、つくしが司を好きになったのも他の誰かに分かってもらう必要などない。そして恋というものは、そういったものだ。
そして今も二人の間には、他人には分からない二人だけの情熱が確かに存在していた。

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そんな男が母親の楓から告げられたのは、司とつくしの結婚を期に経営トップの座を譲るという言葉だ。
最高経営責任者の地位を息子に譲るといった世襲が良しとされるかと言えば、いずれそうなることは、彼が道明寺HDの経営を立て直した時から暗黙の了解があったのだから、取締役会で反対の意見が出ることもなく了承されていた。
だがそれは、司の両肩に今以上に大きな責任が掛かることになるのだが、彼が本当に欲しかった人が傍にいてくれるなら、どんなことでも成し遂げてみせるといった想いがあった。
カリブ海から戻ったつくしは、帰国するまでマンハッタンにある司のペントハウスに滞在することになった。
司は10日間の休暇のうち3日を残し、職務に戻ったが、後ろ髪を引かれる思いだと言われ、いい子で待ってろと言って抱きしめキスをした。
いい年をして子供呼ばわりするのは止めてと言ったが、男にとっていい子は愛する人のことだと言われれば、頬を染め黙るしかなかった。
つくしは、楓と再会してから妙に心が落ち着いていた。
それは、ほっとしているといった気持ちの表れだが、つくしにはしなければならないことが残されていた。
叔母に紹介された見合い相手に断りを入れる。
この旅から戻ればきちんとした返事をすると約束をしていたが、それが断りだとしても、見合いという形を取る限り、言われた方は黙って受け入れるしかないのだから深く気にする必要はないはずだ。
だが、考え方にもよるが、見合い相手だからこそ、短い間とはいえ結婚を前提に交際していたようなものだ。そんな相手を出来るだけ傷つけることなく、断わる方法はないかと考えてしまうのがつくしだ。だがまさか昔の恋人に再会し、その人と結婚することになったと言えるはずもなく、気持ち的にしっくりこないと言ってしまうのが一番いいような気がしていた。
「つくし!あたし本当に嬉しいわ!あんたと司がまた一緒に、それも結婚することに決めたなんて!いい?天変地異が起こったとしても絶対にあいつから離れちゃダメよ!」
NYに戻ったと滋に連絡を取り、ランチをすることになったのだが、事の顛末を報告すると、元来感情表現がはっきりとした彼女が喜ぶ様子は、まるで我が事のようで、感涙にむせぶと言ってもいいほどの喜びようだ。大袈裟と言えばそうなのだが、それが滋の性格なのだから今更だ。
「あ、でもあいつのことだからそんな心配はないか。むしろ離れろって言ってもしがみついて来るのは司の方かもね?それにしてもあんた達ってもしかしたら南の島とか船旅とかって昔を踏襲するわけじゃないけど、そのシュチュエーションに燃えるんじゃない?」
滋はいつもと同じ陽気な口調で話しながら、ナイフとフォークを動かしていた。
そしてグラスを口元へと運び、ワインをひと口飲んだ。
「ねえ?ところで例のお見合い相手。日本に帰ったら断るんでしょ?相手の人、二つ上の建築設計士だっけ?つくしの帰国を首を長くして待ってるんだろうけど、フラれちゃうんだよね?なんだか可哀想な気もするわ。だって期待してると思うわよ、その人。でもつくしの運命の人じゃないからフラれても仕方ないのよね?」
「うん...相手の人には申し訳ないけど、断わるわ」
運命の人じゃない。
運命は変えられない、一度決められたことに対し忠実だとも言うが、そうでない場合もある。それは運命のいたずらと呼ばれるものだが、司とつくしの13年間は、運命のいたずらだった。
そして滋の言葉につくしは、胸に痛みを覚えていた。
首を長くして待っている、可哀想といった言葉もそうだが、間に立った叔母夫婦にも申し訳ない思いがしていた。こんなことならNYへ来る前に断っておけばよかったと思ったが、あの頃、まさか司と再び愛し合うようになるとは考えてもいなかった。
「ねえ、あたし彼氏と別れたところで今フリーだからさ、なんならあたしがその人引き受けようか?」
と言って滋は冗談交じりなのか笑っていたが、滋という女性は恋愛に関し、はっきりとした意見を持っていて、一瞬もしかすると本気なのではないかと思わされたが、つくしの困惑気味の表情に冗談だから!と言って笑っていた。
それにしても、つくしがNYに到着した時、まだ別れていなかったはずだと思い聞いた。
「滋さんやっぱり別れたの?」
「うん、そうなの。でもね、あたしもこれから本物の運命の人を探すことが出来るってことで王子様を探すつもりよ!」
と、言うなり店内にいる男たちの品定めを始めた。
滋はどんな大変なことがあっても、すぐ立ち直ることが出来ると言われていた。
それは、たとえ大型ダンプカーにはねられたとしても、直ぐに立ち直ってみせるわと言う位だ。その立ち直りの早さは、滋だから出来るのであって、つくしにはとてもではないが、真似が出来るといったものではなかった。
「ねえ見てつくし!あの人どう思う?あの人よ、ほら、一番向うのテーブルにいる人!こっち見てる人!同じアジア人だと思うけど、日本人かな?あたしね、年下でも構わないの。あたしよりも精神年齢が上の人なら全然問題ないわ」
そして海外での暮らしが長い彼女は自分がジロジロと見られたら、見返してやるわといった思考の持ち主で全く怯む様子はない。その態度は日本有数の資産家のお嬢様といった態度ではないかもしれないが、そんなことを気にするような彼女ではない。そしてバイタリティーに富んだ姿は高校生の頃から変わりはない。だがそんな滋の行動力のおかげで、つくしは司と再会し、共に気持ちを確かめ合うことが出来たのだ。だから滋には感謝の言葉しかない。
「あのね、滋さん。今回のこと、色々ありがとう」
「やだ、そんなのあたり前でしょ?あんた達、運命の恋人同士なんだから!今更そんな御礼なんて言わないでよ!あたしとつくしは親友なんだからそんなのあたり前でしょ?それにあんた達をくっつけることがあたしのライフワークみたいなものだったんだからね?それに_」
「あのね、滋さん聞いて欲しいの」
滋が話しを続けようとしたが、つくしの言葉が遮った。
そして滋は、つくしが真剣な表情をしていることに気付くと口を閉ざした。
「滋さん、あたしね、司と...道明寺と別れた後でお腹に赤ちゃんがいることが分かったの」
つくしは一旦言葉を切り、それから落ち着いた声で言葉を継いだ。
「でも産まれなかった。流産したの。ごめんね、滋さん、色々と心配してもらっていたのに、どうしても言えなかったの。もちろん道明寺も知らなかった。でも今回の旅行で話したの。一人で産んで育てようと思ってたって。それから_」
滋はテーブルの上に置かれていたつくしの手を取り、何を言うでもなく、その手を優しく握った。そしてつくしの顔を暫くじっと見つめ、それから口を開いた。
「いいよ。つくし。話さなくてもいいのよ。女同士だもん。あんたの気持ちは分かるから。
それにあたしに話さなかったことが悪いとは思わないで。いくら親友でも話したくないこともある...それはお互い様でしょ?話したくなければ話す必要はないし、どうしても聞いて欲しかったら話せばいい。無理に話せって言ったところで、気持ちの整理が出来ない状態で話しなんかしても、自分が苦しいだけだもの。でも司と会って話しをして気持ちの整理が出来たんでしょ?それならそれでいいじゃない。それに司のことだから、赤ちゃんのこと、一緒に哀しんでくれたんでしょ?あいつ、絶対泣いたはず。そうでしょ?」
滋は哀しい顔をしているつくしに向かってにっこりとしたが、すくに真面目な顔に戻り、心配そうな目でつくしを見つめた。
つくしは滋が心を痛めてくれたことを理解すると口を開いた。
「うん。一緒に泣いてくれた。あたしがひとりで病院にいたことも、赤ちゃんが失われてしまったことも哀しんでくれたわ」
「そっか、二人で哀しみを乗り越えることをしたのね?それならもう大丈夫よね?二人が赤ちゃんのことを一緒に哀しめたのなら、赤ちゃんもパパとママが哀しんでくれたって喜んでるはずよ?つくし。あんたたち結婚するんだからまた赤ちゃんが出来るわよ。ね?そうでしょ?」
つくしは頷きで滋の質問に答えを返した。
「そう。それならもう泣く必要なんてないじゃない。あんたにはこれから先、ずっと司が傍にいてくれるんだから何も心配することなんてないのよ、つくし?」
哀しい顔をしたままのつくしに、かける言葉は限られているはずだが、滋は難しい言葉を選ぶことなく、ごく簡単な言葉だったが、長い間持って行き場のない哀しみを抱えていたつくしにすれば、その言葉だけで十分だった。
「滋とのランチは楽しかったか?」
滋と別れたあと、つくしはペントハウスへ戻り、司の帰りを待っていた。
今夜はおまえの料理が食べたいと言われ、用意されていた材料で日本食を作っていた。
凝った料理は作れないし、腕前も昔と変わらないわよ、と言って司に言わせれば庶民が食べるような食事となったが、懐かしい味だな、美味いじゃないかこれ、と言いながら箸を運ぶ姿は昔と同じで、たとえそれが舌の肥えた男の世辞だとしても、つくしは嬉しかった。
「うん。それから色々ありがとうって言ってきた」
「あいつには世話になったからな」
司も次に滋に会えば、やはり同じような言葉を口にしているはずだ。
「...あのね、それから赤ちゃんのことも話したの」
司の箸の動きが止った。
つくしは躊躇いがちに口にしたが、果たして滋に話しをしても良かったのかといった想いに囚われた。司は二人の心だけに秘めておきたかったのではないか。滋に話す必要は無いと思っているのではないだろうか。
「...そうか。おまえが話したかったんなら話せばいい。あいつはおまえの事ならどんなことでもしてやりてぇって思ってる女だ。それに男の俺と違って女同士分かり合える部分もあるだろ?話せたことで少しでも気持ちが楽になれたならそれでいいんじゃねぇか?」
そのとおりだった。今まで滋に言わなかった、言えずにいたが話したことで、哀しみを分かち合ってくれた人が出来たことに、心の中が少し軽くなったような気がしていた。
「それで?帰国したら見合い相手に断りを入れて来るんだろうな?」
今の二人は同じ気持ちでいるのだから、見合い相手に嫉妬をする必要などないのだが、つくしが見合いをしたこと自体が気に入らないといった態度が感じられた。だが、その口調は嫉妬にしては優し過ぎ、眼差しから感じられるのは、おまえは俺を愛してるんだろ、といったニュアンスであり、その度合いは司の男としての自信が現れていた。
「勿論よ!」
つくしは目一杯力を込め言った。
二人が紆余曲折を経てやっと一緒になれる日が来たのだ。
最後のけじめを着けて来るのは、つくしの方となったが、見合い相手にははっきりと断りの意思を伝えると決めていた。そしてけじめを着けた後、勤務先へ退職願いを書き、定められた時間を過ごし、渡米すると決めていた。
司は、そんなつくしの意思を知っているはずだが、つくしは自分を見る司の不安そうな目を見逃しはしなかった。
それは遠い昔、まだ高校生の頃、あたしを信じて待っていて欲しい。と言ったつくしに向けられた表情と同じだ。
あの頃、二人の間には渡れない橋があると言われていた。その橋の向う側の世界、つまり司の世界とつくしの世界は決して交わることのない世界だと言われていた。
だが正反対な者ほど惹かれ合うというなら、それは二人のことだったのかもしれない。
子供のから贅沢に育った男と、赤貧な生活を送っていた女の立場の違い。オーダーメイドのタキシードを着こなし、パーティーに参加するような少年と、日々の暮らしを懸命に生きる少女。
だが二人は渡れないと言われた橋を渡り、乗り越え、互いの手を取った。そしてあの時、戻って来ねぇんじゃねぇかと思ったと言われ、力いっぱい抱きしめられていた。
「あたしを信じて待っていて」
「つくし、必ず戻って来いよ?」
司は、つくしの真剣な表情にあの時と同じ言葉を返していた。
そして、つくしの言葉にあん時と同じだな、と苦笑した男は、二人の間に在った渡れないと言われていた橋を渡った日のことを思い出していた。
「今のは冗談だ。おまえが戻って来ねぇなんて思ってねぇよ。気を付けて行って来い。俺はここで待ってる」
その声の響きは、言葉そのものと同じくらいつくしが他の男に心を奪われることはないといった確信が込められていたが、静かで落ち着いた言い方だ。
そしてそれは、彼女の言葉を信じているといった想いが感じられ、かつて二人の間にあった純粋な恋といったものを感じさせた。
だがそれは二人にしか分からないことだ。
司がつくしに惹かれたのも、つくしが司を好きになったのも他の誰かに分かってもらう必要などない。そして恋というものは、そういったものだ。
そして今も二人の間には、他人には分からない二人だけの情熱が確かに存在していた。

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司×**OVE様
おはようございます^^
滋さんに赤ちゃんの話をしました。話すことが出来たのも、司に話すことが出来たからでしょうねぇ。
心の中の思いをひとつずつ、口にしていったようです。誰かに聞いてもらう事も大切ですからねぇ。
え?(笑)滋さんに嫉妬ですか?確かに司のことも、つくしのこともよくご存じですね(笑)
そうです。つくし、お見合い相手に断りを入れるという仕事が残っています。
「必ず戻って来いよ」この言葉は本音ではありますが、司にとっては意味のある言葉のようです。
え?波乱の予感?(笑)どうなんでしょうねぇ(笑)
お嬢様方、なんと、まだ宿題が終っていなかった!
あ、でもその程度なら問題ないのではないでしょうか?
しかしお母様は朝から脱力だったんですね?(≧▽≦)
これで、本当の平常運転ですね?朝からお疲れさまでした。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
滋さんに赤ちゃんの話をしました。話すことが出来たのも、司に話すことが出来たからでしょうねぇ。
心の中の思いをひとつずつ、口にしていったようです。誰かに聞いてもらう事も大切ですからねぇ。
え?(笑)滋さんに嫉妬ですか?確かに司のことも、つくしのこともよくご存じですね(笑)
そうです。つくし、お見合い相手に断りを入れるという仕事が残っています。
「必ず戻って来いよ」この言葉は本音ではありますが、司にとっては意味のある言葉のようです。
え?波乱の予感?(笑)どうなんでしょうねぇ(笑)
お嬢様方、なんと、まだ宿題が終っていなかった!
あ、でもその程度なら問題ないのではないでしょうか?
しかしお母様は朝から脱力だったんですね?(≧▽≦)
これで、本当の平常運転ですね?朝からお疲れさまでした。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.28 22:09 | 編集

み**ゃん様
おはようございます^^
二人は結婚を決めました。
>生まれなかった命がわだかまりになっていた・・
そうなんです。司の子供を産んであげられなかったことがつくしの心の傷でした。
その哀しみを司と一緒に乗り越え、そして再び楓さんの許しも得ました。
トップの座を譲るのは、二人を信頼している証ですね?^^
この親子も若い頃は色々とありましたが、今の楓さんは、つくしのことは認めています。
心から欲しかったつくしを伴侶に得る司は、楓さんの期待を裏切ることはないでしょう。
司はNYでつくしの帰りを待つと言いましたが、その言葉は司にとっては大きな意味があるようです。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
二人は結婚を決めました。
>生まれなかった命がわだかまりになっていた・・
そうなんです。司の子供を産んであげられなかったことがつくしの心の傷でした。
その哀しみを司と一緒に乗り越え、そして再び楓さんの許しも得ました。
トップの座を譲るのは、二人を信頼している証ですね?^^
この親子も若い頃は色々とありましたが、今の楓さんは、つくしのことは認めています。
心から欲しかったつくしを伴侶に得る司は、楓さんの期待を裏切ることはないでしょう。
司はNYでつくしの帰りを待つと言いましたが、その言葉は司にとっては大きな意味があるようです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.28 22:21 | 編集

椿**さん☆様
こんにちは^^お久しぶりです。
つくしちゃんは司と別れ、赤ちゃんを失い、その後両親も相次いで亡くなりました。
それでも、彼女は頑張って生きていました。
この物語は女性にとってはデリケートな部分もあるお話ですが、愛はいつもそこにあります。
そして司は果たせなかった約束を果たそうとしています。
後はつくしちゃんがお見合い相手にきちんと断りを入れてくれることを待つだけではないでしょうか。
新たな小さい光りを二人の元へ・・
司に頑張って頂きましょう!^^
コメント有難うございました^^
こんにちは^^お久しぶりです。
つくしちゃんは司と別れ、赤ちゃんを失い、その後両親も相次いで亡くなりました。
それでも、彼女は頑張って生きていました。
この物語は女性にとってはデリケートな部分もあるお話ですが、愛はいつもそこにあります。
そして司は果たせなかった約束を果たそうとしています。
後はつくしちゃんがお見合い相手にきちんと断りを入れてくれることを待つだけではないでしょうか。
新たな小さい光りを二人の元へ・・
司に頑張って頂きましょう!^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.28 22:37 | 編集
