二人に声をかけてきたのは、赤ん坊を抱いた若い女性。
ちょっとお願いがあります。といってつくしに子供を抱いて欲しいと言った。
見ず知らずの人間に、我が子を抱かせる母親がいることに耳を疑ったが、いったいどういったことなのか。すると、その女性はビーチへ財布を忘れたから取りに行くといい、その間この子を見て欲しいと言った。そして、あなたなら信じられるからお願いと言い、すぐ戻ってくるからと、赤ん坊をつくしへ押し付け慌ててビーチへ走って行った。
それはまさにあっと言う間の出来事で断る暇もなかった。
「あの!!ちょっと!!待って!!」
と呼んだところで振り返りもせず、すぐ目の前の白い砂浜へ駆けて行く姿を見送るしかない。そしてつくしの腕の中にいるのは、生後間もないと思われる赤ん坊。
肌が白く、まだ産毛の髪は黄金色で、瞳は目の前に広がる海のような色をしていた。
母親の腕から見ず知らずの人間の腕に抱かれ、いったい自分が誰の腕の中にいるのかと訝しげな顔をする赤ん坊は、それでも泣き出すこともなく、ひたすらつくしの顔を見つめていた。それは、初めて見る東洋人に戸惑っているのか、それとも珍しいものでも見たといった顔なのか。まだ小さく頼りない幼子は、自らが置かれた状況を理解出来ないまま、つくしの腕に収まっていた。
「道明寺お願い。あの人を呼んで来て!こ、こんなの困るわ!」
その声は本当にどうしたらいいのかと慌てていた。
だがそれは困惑といった感情ではなく、動揺に近いものが感じられた。そして腕の中の赤ん坊に、今まで見た事のない生物が突然現れたといった表情を向けていた。
「そんなに慌てんな。預かってやれ。それにすぐそこにいるんだ」
確かに目の前の砂浜はすぐそこで、赤ん坊の母親は目的の物を見つけたのか、こちらへ戻ってこようとしていた。
「それにあの女、かなりの焦りようだったぞ?まあ財布を無くしたとなれば慌てるのは当然だな」
と、司はさして気にもせず、呑気な声だ。
「・・そういう問題じゃないでしょ?いきなり他人に赤ん坊を預けるなんてどうかしてるわよ?・・それにもしあたしがこの子を連れていなくなったらどうするつもりなのよ?」
それは、生命を誕生させることが出来る同じ女性として、いとも簡単に我が子を見ず知らずの人間に渡してしまった母親を責める言葉だ。
「あの女、おまえなら信じられるって言ったが、確かにおまえの言うことは正しい。我が子を簡単に赤の他人に渡すような女は母親としてどうかと思うが、見ず知らずの人間を信じられるなんていうところは、おまえと似てんじゃねぇの?」
つくしはかつて人間性善説を信じる女だと言われていた。
騙されても、裏切られても、人を信じる心は強かった。それは司には無いもので、彼はそんな彼女のことを常に心配していた。
「けど、母親はすぐそこにいるんだ。心配するな。それにしてもこいつは随分とチビだな」
司はそう言うと、つくしから赤ん坊と取り上げた。そしてどこか慣れた手つきで胸の中に抱いていた。
「まだ生まれて間もないようだが、このチビはあの母親似か?」
そう思えるのは、姉である椿の子供が幼い頃を思い出していたからだ。
姉の椿は結婚してロスに住んでいるが、司には甥と姪が一人ずついた。そして兄にあたる甥は姉椿に似たはっきりとした性格で、叔父である司にも似たところがあり、大学を卒業後、道明寺HDに入社していた。
そんな甥は、外見が似ていることもあり、甥ではなく息子ではないか、隠し子ではないかと疑われたこともあった。
そしてもしそれが本当なら、彼が若い頃付き合っていた女性との間の子供ではないか?
そんな話が囁かれたこともあった。そうなると、今の結婚相手との間に子供が出来なくてもいいのではないか?そんな噂話が流れたこともあった。
赤ん坊をつくしに預けた母親は、すぐそこまで戻って来ていた。そして我が子を認めると二人に向かって手を振った。
やがて戻って来た母親は二人に礼を言い、赤ん坊を受け取るとビーチを後にした。
赤ん坊を見ては駄目。
つくしは自分に言い聞かせた。
だが赤ん坊は母親に抱きかかえられ、二人の視界からは去って行った。
つくしは、母親の姿を見送る司の口元がほころんだのを見たが、そんな司と目を合わせることが出来なかった。その代わり白い砂浜の向うに広がるエメラルドグリーンの海を見つめた。
つくしは心が痛んだ。
二人は別れて9年になるが、二人の間にはひとつの命が創造されていた。
それは二人の赤ん坊。
赤ん坊が腕の中に押し付けられたとき、身体が硬くなり、一瞬息が出来なくなった。
そして抱いているだけで精一杯だった。
司がつくしの腕の中から赤ん坊を取り上げ、慣れた手つきで胸の中に抱き、あやす姿を見るのが辛かった。あのとき、彼の腕に抱かれていたのが、二人の間に授かった赤ん坊だと思ったからだ。
そして母親が赤ん坊を抱き、去って行く姿を見る司の顔を見たとき、胸が痛んだ。
「どうした?赤ん坊を抱いて緊張したのか?」
司の言葉にはっとすると、視線を彼に戻す。
「え?そんなことないわ」
「おまえの弟の所は子供がいるのか?」
「・・うん。男の子と女の子がいるわ」
つくしにとっての甥と姪は、両親亡き後、家族の賑やかさを取り戻してくれたかけがえのない存在。
「そうか!ねーちゃんとこと同じだな。甥は今年、うちの会社に入社した。ねーちゃんに似てしっかりした男だ。将来はうちの社の一翼を担うことは間違いないはずだ」
司は自分に似ていると言われる甥が可愛かった。
姉の教育のおかげか、幼い頃からしっかりした子供だった。そして姉の口癖のひとつが、『あんたたちの叔父さんの若い頃は手が付けられなくて大変だったのよ?でもね、あたしの教育のおかげで今の叔父さんがいるの』そんなことを子供に言う姉は、今でも司のことを何かと気にかけてくれていた。
「・・なあ、牧野。俺たちの間にも子供が欲しいと思わねぇか?」
それは、司の望みであり、そうなるためには結婚を望んでいた。
本来なら13年前に二人は結婚していたはずだ。だが過去を悔やんだところで変わる未来はない。それならばこれから自分達の手で未来を作ればいい。そのために、この休暇を用意した。この旅は、彼女が自分を好きだと認めさせ、結婚をし、NYで一緒に暮らして欲しいと告げることを目的としていた。
「それともおまえは子供が苦手か?」
「・・そんなことないわ。好きよ」
突然司の口から出た子供が欲しいと思わないか。
その言葉につくしは顔をそむけ、再び視線を海へと向けた。
結婚したら子供は沢山欲しい。そんな話をしたことがあった。
あれは、いったいいつの話だったのか。そうだ、あれは二人の結婚が許されたときだ。
遠い昔のことだが、あの頃を思い出し胸が熱くなった。そして彼自身も同じようにあの頃を思い出していると感じた。
今二人は同じ時を心に描いているはずだ。
二人が共に生きる未来を描いていたあの頃を。
だが二人が結婚することはなかった。
そして9年前、二人の関係を終えた後、妊娠に気付いた。

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それはまさにあっと言う間の出来事で断る暇もなかった。
「あの!!ちょっと!!待って!!」
と呼んだところで振り返りもせず、すぐ目の前の白い砂浜へ駆けて行く姿を見送るしかない。そしてつくしの腕の中にいるのは、生後間もないと思われる赤ん坊。
肌が白く、まだ産毛の髪は黄金色で、瞳は目の前に広がる海のような色をしていた。
母親の腕から見ず知らずの人間の腕に抱かれ、いったい自分が誰の腕の中にいるのかと訝しげな顔をする赤ん坊は、それでも泣き出すこともなく、ひたすらつくしの顔を見つめていた。それは、初めて見る東洋人に戸惑っているのか、それとも珍しいものでも見たといった顔なのか。まだ小さく頼りない幼子は、自らが置かれた状況を理解出来ないまま、つくしの腕に収まっていた。
「道明寺お願い。あの人を呼んで来て!こ、こんなの困るわ!」
その声は本当にどうしたらいいのかと慌てていた。
だがそれは困惑といった感情ではなく、動揺に近いものが感じられた。そして腕の中の赤ん坊に、今まで見た事のない生物が突然現れたといった表情を向けていた。
「そんなに慌てんな。預かってやれ。それにすぐそこにいるんだ」
確かに目の前の砂浜はすぐそこで、赤ん坊の母親は目的の物を見つけたのか、こちらへ戻ってこようとしていた。
「それにあの女、かなりの焦りようだったぞ?まあ財布を無くしたとなれば慌てるのは当然だな」
と、司はさして気にもせず、呑気な声だ。
「・・そういう問題じゃないでしょ?いきなり他人に赤ん坊を預けるなんてどうかしてるわよ?・・それにもしあたしがこの子を連れていなくなったらどうするつもりなのよ?」
それは、生命を誕生させることが出来る同じ女性として、いとも簡単に我が子を見ず知らずの人間に渡してしまった母親を責める言葉だ。
「あの女、おまえなら信じられるって言ったが、確かにおまえの言うことは正しい。我が子を簡単に赤の他人に渡すような女は母親としてどうかと思うが、見ず知らずの人間を信じられるなんていうところは、おまえと似てんじゃねぇの?」
つくしはかつて人間性善説を信じる女だと言われていた。
騙されても、裏切られても、人を信じる心は強かった。それは司には無いもので、彼はそんな彼女のことを常に心配していた。
「けど、母親はすぐそこにいるんだ。心配するな。それにしてもこいつは随分とチビだな」
司はそう言うと、つくしから赤ん坊と取り上げた。そしてどこか慣れた手つきで胸の中に抱いていた。
「まだ生まれて間もないようだが、このチビはあの母親似か?」
そう思えるのは、姉である椿の子供が幼い頃を思い出していたからだ。
姉の椿は結婚してロスに住んでいるが、司には甥と姪が一人ずついた。そして兄にあたる甥は姉椿に似たはっきりとした性格で、叔父である司にも似たところがあり、大学を卒業後、道明寺HDに入社していた。
そんな甥は、外見が似ていることもあり、甥ではなく息子ではないか、隠し子ではないかと疑われたこともあった。
そしてもしそれが本当なら、彼が若い頃付き合っていた女性との間の子供ではないか?
そんな話が囁かれたこともあった。そうなると、今の結婚相手との間に子供が出来なくてもいいのではないか?そんな噂話が流れたこともあった。
赤ん坊をつくしに預けた母親は、すぐそこまで戻って来ていた。そして我が子を認めると二人に向かって手を振った。
やがて戻って来た母親は二人に礼を言い、赤ん坊を受け取るとビーチを後にした。
赤ん坊を見ては駄目。
つくしは自分に言い聞かせた。
だが赤ん坊は母親に抱きかかえられ、二人の視界からは去って行った。
つくしは、母親の姿を見送る司の口元がほころんだのを見たが、そんな司と目を合わせることが出来なかった。その代わり白い砂浜の向うに広がるエメラルドグリーンの海を見つめた。
つくしは心が痛んだ。
二人は別れて9年になるが、二人の間にはひとつの命が創造されていた。
それは二人の赤ん坊。
赤ん坊が腕の中に押し付けられたとき、身体が硬くなり、一瞬息が出来なくなった。
そして抱いているだけで精一杯だった。
司がつくしの腕の中から赤ん坊を取り上げ、慣れた手つきで胸の中に抱き、あやす姿を見るのが辛かった。あのとき、彼の腕に抱かれていたのが、二人の間に授かった赤ん坊だと思ったからだ。
そして母親が赤ん坊を抱き、去って行く姿を見る司の顔を見たとき、胸が痛んだ。
「どうした?赤ん坊を抱いて緊張したのか?」
司の言葉にはっとすると、視線を彼に戻す。
「え?そんなことないわ」
「おまえの弟の所は子供がいるのか?」
「・・うん。男の子と女の子がいるわ」
つくしにとっての甥と姪は、両親亡き後、家族の賑やかさを取り戻してくれたかけがえのない存在。
「そうか!ねーちゃんとこと同じだな。甥は今年、うちの会社に入社した。ねーちゃんに似てしっかりした男だ。将来はうちの社の一翼を担うことは間違いないはずだ」
司は自分に似ていると言われる甥が可愛かった。
姉の教育のおかげか、幼い頃からしっかりした子供だった。そして姉の口癖のひとつが、『あんたたちの叔父さんの若い頃は手が付けられなくて大変だったのよ?でもね、あたしの教育のおかげで今の叔父さんがいるの』そんなことを子供に言う姉は、今でも司のことを何かと気にかけてくれていた。
「・・なあ、牧野。俺たちの間にも子供が欲しいと思わねぇか?」
それは、司の望みであり、そうなるためには結婚を望んでいた。
本来なら13年前に二人は結婚していたはずだ。だが過去を悔やんだところで変わる未来はない。それならばこれから自分達の手で未来を作ればいい。そのために、この休暇を用意した。この旅は、彼女が自分を好きだと認めさせ、結婚をし、NYで一緒に暮らして欲しいと告げることを目的としていた。
「それともおまえは子供が苦手か?」
「・・そんなことないわ。好きよ」
突然司の口から出た子供が欲しいと思わないか。
その言葉につくしは顔をそむけ、再び視線を海へと向けた。
結婚したら子供は沢山欲しい。そんな話をしたことがあった。
あれは、いったいいつの話だったのか。そうだ、あれは二人の結婚が許されたときだ。
遠い昔のことだが、あの頃を思い出し胸が熱くなった。そして彼自身も同じようにあの頃を思い出していると感じた。
今二人は同じ時を心に描いているはずだ。
二人が共に生きる未来を描いていたあの頃を。
だが二人が結婚することはなかった。
そして9年前、二人の関係を終えた後、妊娠に気付いた。

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コメント
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司×**OVE様
おはようございます^^
・・子供はですねぇ・・
『赤ん坊を見ては駄目。』『つくしは心が痛んだ。』
この文言を読み解いて頂ければ・・と思います。
つくしの口が重かった理由もこの文言でご理解いただけるかなぁ。と思っています。
あまり多くは語れませんが、次回をお読み頂ければ・・と思います。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
・・子供はですねぇ・・
『赤ん坊を見ては駄目。』『つくしは心が痛んだ。』
この文言を読み解いて頂ければ・・と思います。
つくしの口が重かった理由もこの文言でご理解いただけるかなぁ。と思っています。
あまり多くは語れませんが、次回をお読み頂ければ・・と思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.10 22:46 | 編集

さと**ん様
時々見せる表情は・・そうです。
その通りです。
そして司はまったく気付いていません。
乗り越えなければならない時間と、そして強めなければならない二人の絆。
司に頑張って頂きたいと思います^^
コメント有難うございました^^
時々見せる表情は・・そうです。
その通りです。
そして司はまったく気付いていません。
乗り越えなければならない時間と、そして強めなければならない二人の絆。
司に頑張って頂きたいと思います^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.10 22:52 | 編集

pi**mix様
そうです。司は別れてからはつくしの過去を調べませんでしたので、知りません。
つくしが口が重かった理由はそういったことがあったからです。
赤ん坊を抱っこして過去へと引き戻されましたが、司は知りませんのでああいった態度です。
>司と一緒に心に残しておけば・・
そうなんです。一緒に分かち合って欲しい・・そう思います。
そして明日はBBQ!
そこで司のひと言がずばりですね!司なら言いそうです!(笑)
そしてpi**mix様もそう思う!(笑)アカシアも同じです(笑)
大人になると子供の頃には見えなかった色々が見えて来る。
そして知らなくてもいいことまで知ってしまい、知らなきゃよかったと後悔することも(笑)
暦の上では秋ですが、残暑が厳しいです。野外活動、お気をつけて下さいね^^
コメント有難うございました^^
そうです。司は別れてからはつくしの過去を調べませんでしたので、知りません。
つくしが口が重かった理由はそういったことがあったからです。
赤ん坊を抱っこして過去へと引き戻されましたが、司は知りませんのでああいった態度です。
>司と一緒に心に残しておけば・・
そうなんです。一緒に分かち合って欲しい・・そう思います。
そして明日はBBQ!
そこで司のひと言がずばりですね!司なら言いそうです!(笑)
そしてpi**mix様もそう思う!(笑)アカシアも同じです(笑)
大人になると子供の頃には見えなかった色々が見えて来る。
そして知らなくてもいいことまで知ってしまい、知らなきゃよかったと後悔することも(笑)
暦の上では秋ですが、残暑が厳しいです。野外活動、お気をつけて下さいね^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.08.10 23:08 | 編集
