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2017
08.05

時の撚り糸 15

アメリカのパラダイスと言われるこの場所は、朝から好天に恵まれていた。
だが日中は雨が激しく降る時間帯があると聞かされた。カリブ海諸国の気候は熱帯から亜熱帯の海洋性気候で、1日の気温差が小さく1年中温暖な気候ではあるが、雨季と乾季に別れ、5月から10月までが雨季と言われている。しかし雨季と言っても、今の所雨が降る気配は感じられなかった。


シンプルな花柄のコットンのワンピースを着たつくしは、クロワッサンを半分に割り、口に運んだ。このワンピースもクローゼットに用意されていたものだ。高校生の頃、無理矢理南の島へ連れて行かれたことがあった。あの時、シャネルへ連れていかれ、ポップな感じにしてくれと分不相応な格好をさせられたことがあった。遠い昔の話だが、何故かそんなことが懐かしく、脳裏をよぎった。


朝食はテラスでお召し上がりください、と言われ案内されたのは、昨夜熊が出たのかと思ったダイニングルームのテラス。周囲には、ブーゲンビリアやハイビスカス、プルメリアといったつくしでも分かるものから、名前も知らない南国特有の花々が美しさを競い合うように咲いていた。だが、ただ単に咲いているといった状態ではない。明らかに人の手が加えられ、整えられた状態だということが分かる。それは、無造作に見えるが計算された美しさといったものだ。

過去に司と旅に出たとき、やはり道明寺家の別荘を利用したことがあったが、年に一度来るか来ないかといった場所でさえ管理の手が行き届いていた。それがごく当たり前なのが彼らの世界だ。つくしも司と付き合っていた当時、その当り前さを目の当たりにしたことがある。そして、いつ主が訪れてもいいように管理されているからこその別荘だと言われたことを思い出していた。


別荘の目の前は光り輝く海だが、敷地内には楕円形の大きなプールがある。
昨日、ホッキョクグマのため氷を浮かべやるか、と言ったプールが今目の前に広がるこれかと思った。もし、ホッキョクグマが見たいと言えば、本当に連れて来る事ができるのが彼だ。

そして、つくしがたったひと言いえば、どんなことでも叶えてやるというのが司という男だ。だから迂闊に口にすることは出来なかった。思えば、つくしがひと言口にしたばかりに、翌日、狭い部屋を埋め尽くすほど花が届けられたことがあった。それはもう随分と遠い昔のことだが、おまえが望むならどんなことでも叶えてやる。それがあの当時の彼の口癖だった。

だが叶えて欲しくても叶えられなかったこともある。
それは、二人が一緒に過ごすことが出来なかった年月。
それだけは、どんなに心の中で願ったとしても叶わなかった。
そして、二人が会った最後の日が鮮明に思い出され、思わず目を閉じた。





「牧野様。コーヒーのおかわりはいかがですか?」

「あ、ありがとうございます。いただきます」

つくしは目を開くと、テーブルの傍らに立つ男性を見た。
声をかけて来たのは、普段NYの邸で仕えているという日本人男性。恐らく50代後半。
そして秘書ではなく、執事と呼ばれる立場にいる人間だということは、態度から感じられた。男性はつくし達が着く2日前にこの場所に来たと言っていた。だがこの別荘に滞在しているといった訳ではなく、別の場所に滞在し、通いだと言った。
つまりこの別荘には夜間、使用人はいないということだ。

「牧野様。大変申し訳ございません。旦那様はNYから緊急の電話がかかってまいりまして、やはりご朝食はご一緒出来そうにないとおっしゃっていらっしゃいます」

「・・そうですか。道明寺・・副社長はお忙しそうですね?」

「はい。旦那様はいつもお忙しい方ですから。ですが、こうしてお休みを取られることも必要です。やはり人間には息抜きも必要ですから。それでは、何か御用がございましたらそちらのベルでお呼び下さい」

クラシカルなゴールドのディナーベルが、テーブルの上に置かれているのを見れば、まるで植民地時代に戻ったような気にさせられ、ちょっとやりすぎのような気もした。
だがつくしの感覚からすればそうだとしても、司にしてみれば違うはずだ。
物事の捉え方といったものは、生まれ育った環境に左右されるのだから、彼にとっては気に留めるようなことではないのだろう。

つくしは、スクランブルに調理された卵をフォークで掬い口に運んだ。
朝一番、どんな顔で会えばいいのかと思ったが、とりあえず食事の間は顔を合わせることはないようだと息を吐いた。


『俺たちを取り巻く環境は複雑か?』

昨日夕食のとき言われた言葉。
確かに複雑とは言えないはずだ。
かつて二人の間にあった複雑だったと言われた環境も今はもうない。
見合いにしてもそうだ。見合いといったものは、条件を提示し、打算と計算の上に成り立つものであり、割り切った態度でひとこと断ればいいだけの話だ。それが本来の見合いのシステムなのだから。だが彼はしきりに見合いのことを気にしていた。まるで見合いをしてしまったら、結婚をしなければいけないとでも思っているように。
それは高校生の頃に行われた滋との見合いが、結婚を前提としたものだったことに由来しているのだろう。
司が生まれ育った社会では、ごく当たり前だった政略結婚。だが彼はその結婚を壊し、つくしとの未来を選んだ。
しかし、二人は結ばれなかった。


『俺ともう一度恋をしてくれ』

分け合いたかった時間を再び分け合おう。
そう言っているように感じられた。
滋から二人とも道に迷っていたと言われた9年という歳月。その歳月は失われた30代と重なるものがあった。20代後半で司と別れたつくしは、両親が亡くなったこともあったが、37歳のこの年まで積極的に何かしようといった気になれなかった。それは心のどこかで司のことを思っていたからだ。
だから司からこの9年間のことを教えて欲しいと言われても、両親のこと以外話すようなことはなかった。そして、この9年間人生の楽しみを求めなかったことが、寂しい人間だと思われたとしても、それは事実で否定できなかった。


つくしはゆっくりと食事をしながら考えていたが、テーブルに影ができ、目の前に人の気配を感じ、顔を上げた。

「昨日はよく眠れたか?」

司はつくしの目を真っ直ぐに見据えた。

「え?うん。よく眠れた・・」

つくしは突然現れた男にびっくりした。
淡いピンクのポロシャツにベージュのコットンパンツに身を包んだ姿は、たった今、厄介だと思われる仕事の電話を済ませた男のようには見えず、まるでどこかのブランドが提案する夏のバカンススタイルのモデルのように見えた。

司はフォークにスクランブルエッグを乗せ、固まったつくしの姿に微笑んだ。

「そうか。しかし、おまえは朝からでも相変わらずよく食うな。まあ、食ってる時が一番幸せなんてことがあったが、やっぱり今でもそうか。昨日もよく食ってたもんな」

確かに昨夜のディナーは完食した。
だがそれは朝食を済ませてから何も口にしていなかったからだ、とつくしは思っている。

「あのね、今あたしが食べてるのは普通の量よ?」

思わず語気が強まった。

「ああ分かってる。そんなにムキになって言うな」

と、司は笑いを含んだ声で答えた。
そして、つくしが食べ物のことになると、相変わらずムキになるところがおかしかった。

「・・道明寺は・・これから食事?」

「いいや。俺はさっき仕事しながらコーヒー飲んだからいい」

つくしは、高校生の頃から司が朝食を食べる習慣がなかったことを思い出していた。

「それでもたまには食う事もあるぞ?ブレックファーストミーティングの時くらいだがな」

NYではよくある朝食と取りながらの社内会議。
健康を考えたメニューも多く、白身卵、ほうれん草、柑橘系サラダといった組み合わせのものから、ベーコンや卵料理、ソーセージ、マッシュルームやトマトなどが付くフルバージョンのイングリッシュブレックファーストの時もあった。

「・・ちゃんと食べなきゃ身体に悪いわよ?」

「それならおまえが食わせてくれ」

司がつくしの部屋へ泊っていった時は、彼女の作る朝食を食べていた。それはご飯に味噌汁、卵焼き、焼き魚といった日本人なら誰もが知る典型的な和定食から、洋食の時もあれば、パンケーキが出されることもあった。
だが最後の日だけは食べることはなかった。別れる二人が最後の食卓を囲むことほど悲しいことはないからだ。そして、それは高校生の頃、二人で鍋を囲んだ時を思い出させるからだ。
あの時の別れを踏襲するなどしたくはなかったからだ。

「食わせてくれって・・た、頼めばいいじゃない。ほらそこにベルがあるんだから呼べば_ちょっと!それあたしの_」

司はつくしの皿からソーセージを摘まみ上げ、口に放りこんだ。
そして咀嚼するとニッと笑った。

「おまえ、ソーセージひとつぐれぇで騒ぐなって。それにその卵料理食べんのか?それとも俺に食べさせてくれんのか?」

つくしの右手に握られたフォークにはスクランブルエッグが乗ったままだ。
彼女はそれを慌てて口に入れた。

「それより、メシ食ったら出掛けるぞ」

「で、出かけるって・・」

「おまえこの島に何しに来たと思ってんだ?休暇だろうが。バカンスだぞ。まあ、おまえがここから出たくねぇって言うなら、一日中ベッドで過ごしてもいいぜ?」

司を見るつくしの黒い瞳には、動揺が感じられた。
元恋人で身体の関係があった相手に今更何を動揺する必要があるのか。
それでも何故かつくしは動揺していた。

「冗談だ。いくら俺がおまえに飢えてるからってガキじゃねぇんだ。襲ったりしねぇよ。いいから行くぞ?それともまだメシ食うのか?おまえなぁ、もう若くねぇんだからそんなに食ってるとその脂肪、そのまんま身体につくぞ?」

つくしの皿に乗ったベーコンの切れ端は、フォークに刺され、彼女の口に消えた。

「うるさいわね。そんなこと言うならあんただってそうでしょ?」

「俺は昔と変わんねぇな。体脂肪率なんて20代前半と変わんねぇし、腹だって割れてるしな。なんならここで見せてやろうか?」

と、司はシャツの裾を掴むと脱ごうとした。

「ちょっと、いいからっ!脱がなくていいから!」

つくしは、何故自分が元恋人の裸を見ることに、こんなに動揺しなければならないのか分からなかった。そしてさっきから交わしている発言にしてもそうだが、昨日おまえのペースでいいからと言った男は、自らのペースにつくしを引きずり込もうとしているように感じられた。それだけに、つくしは自分が熱くなりすぎていることに気付くと、司から視線を反らした。すると、そのことに不満がある男は少しムッとした低い声で言う。

「何だよ?おまえは恋人の裸を見るのが嫌なんか?」

つくしは司のペースに巻き込まれまいと、彼の言葉を無視することにした。
そのとき、温かな大きな手が両側から頬を包み込み、つくしの顔を上向かせた。
そして、視線を合わせた。

「俺は元恋人でいるつもりはないって言ったよな?俺は今でもおまえの恋人でいるつもりだ。それから言っておくが、俺に反論するのは構わねぇ。言いたいことは言えばいい。だけどな、俺を無視することはしないでくれ」

つくしが司の瞳に見たのは、渇望。
その刹那、司に唇を塞がれていた。





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コメント
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dot 2017.08.05 08:15 | 編集
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dot 2017.08.05 09:12 | 編集
H*様
おはようございます^^
つくし!お金はあるよ~(≧▽≦)
確かに司はお金持ちですからねぇ。
つくし、昔の恋人ですが、元鞘に戻って下さい!^^
そして司にはもっと頑張ってもらいましょう!
拍手コメント有難うございました^^ 
アカシアdot 2017.08.05 22:55 | 編集
司×**OVE様
おはようございます^^
司、つくしのペースでいいと言った舌の根の乾かぬ内の行動(笑)
「待てねぇよ!」ってことでしょうか?何しろ10日間しかありませんから(笑)
早く二人で恋愛したいんでしょうねぇ(笑)

ご近所。そうなんですか?大変そうですね?
音漏れ♪いいですね!(笑)あ、でも明日もですよね?
さすがにそれだけの人数がひとつの場所に集まるとなると、渋滞も発生することでしょうねぇ。
今日は終わりましたが、二日間もあるとお住まいの皆さんは大変だと思います。
さて、明日は御曹司・・でもどうなんでしょうか(笑)
ちょっといつもと違いますよ(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.08.05 23:10 | 編集
とん**コーン様
チューしちゃった(≧▽≦)
はい。今のところ寝室は別々です!
これから一緒の寝室になるためには、司の努力が必要です^^
大人の魅力でぜひ・・(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.08.05 23:14 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2017.08.05 23:24 | 編集
マ**チ様
こんばんは^^
本当に司はズルいですよね?(笑)
ちゃっかり唇を奪うし、自称恋人(笑)
そうです。つくしのペースでといいながらのこの暴走(笑)油断させておいて・・といった感じでしょうか?(笑)
茶飲み友達で終わるわけにはいきませんからねぇ^^

そして、椿さん‼
そうだったんですね?(゚Д゚)ノ椿さん、司以上にダークです‼
発想が素晴らしいです。しかし姉と弟、どちらも好きな人に対する思いが深すぎます(笑)
猟奇的な姉と弟ですね?お話、本当に楽しかったです。有難うございます!
あ、早い時間ですね?(笑)アカシア、今夜は土曜ですので、少々夜更かしです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.08.05 23:57 | 編集
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