後輩二人の会話がぴたりとやんだ。
気のせいか息を呑んだような音もした。スツールに座った二人の身体が半分後ろを向き、視線の先に誰かがいることは感じられた。
つくしは後ろを振り返りたい気持ちを堪え、前を向いたままでいた。
旧約聖書の中にあるソドムとゴモラが滅ぼされるとき、決して後ろを振り返ってはならぬと言った神のお告げに背き、その光景を見たばかりに、塩の柱にされたロトの妻ではないが、振り返ればよくないことが起こりそうな気がしたからだ。
だが、両隣に座る二人は立ち上り、つくしに言った。
「牧野先輩。あ、あたしたち・・お先に失礼します。あ、明日はお休みですから、どうぞごゆっくり・・」
そそくさとつくしの傍を離れて行った代わりに、隣に腰を下ろした男は、つくしの頭に浮かんだ人物。それは、世界的大企業と呼ばれる道明寺HDの後継者であり、副社長である男。
「牧野。久しぶりだな」
つくしは、26歳で司と別れ3年が経っていた。
久しぶりも久しぶり。だがあっと言う間の3年だったことは間違いない。
司とつき合っていた当時のつくしは、店頭営業と呼ばれるハイ・カウンターで当日の航空券や鉄道の乗車券を求める来店客の相手をしていた。ハイ・カウンターは座って接客するロー・カウンターとは違い、常に立ちっぱなしで窓口に立ち、端末を叩く。そして当然だが細かい神経を使う。
時刻表を確認したにもかかわらず、発券した乗車券では、乗り継ぎが出来なかったとクレームと受けたことが一度あった。だがそれ以降は一度もない。勿論それが当然と言えば当然なのだが、社会人一年生だった頃、ミスをし、お客様に怒鳴られ、酷く落ち込んだ時もあった。
だが司と別れ法人営業へ移り、今に至っていた。忙しさと神経の使い方はあの頃とは全く違うが、それでも仕事をしていれば、イライラすることもあれば、泣きたくなることもあった。
そんなつくしは今自分の目の前に現れた男に対し、何を感じているかと言われれば、複雑な思いがある。
別れた理由。
それはこの男の浮気。
付き合い始めた当初、NYと東京の距離が気にならなかったと言えば、それは嘘だ。約束の4年をNYで過ごし、帰国すると思っていた。
しかしその願いはあっけなく覆された。だがそれは仕方のない話しだ。
道明寺財閥の跡取り息子である彼の立場といったものは、公務員や会社務めの人間とは、比べものにならないほどの重責を担っていた。名門大学を卒業し、病の床に臥す父親に代わり采配を振ることを求められ、やがてその期待に沿うだけの人間に成長すれば、高校生の頃と違う生活スタイルが生まれるのはあたり前だ。
そして、NYでの暮らしぶりは、十分過ぎるほど伝わって来た。
当然ゴシップも。初めはそんなことはない。どこかのご令嬢をエスコートし、パーティーへ出かけなければならないのも仕事のひとつだと頭では理解していた。
だが、どこかで嫉妬していた自分がいた。
彼が浮気をしていないことは、分かっている。
そんな人間ではないことは、知っている。
だが一度口をついてしまった言葉を取り消すには、遅すぎた。
頭から否定する彼の言葉を信じることが出来ず、頑なな心で彼を拒否してしまった。
それは、つくしの昔からの悪い癖だ。頑固だと言われることもそうだが、傷付くのが怖かったこともあった。そして、酷い仲違いをしたその日は、彼が久しぶりに日本へ帰国した最後の日。翌日、彼はNYへ戻り、それから会うことはなかった。
あのとき、最後に言われたのは、勝手にしろ。そのひと言だった。
あの頃のつくしには、仕事をしていく上で抱えていた空虚感といったものがあった。
毎日の業務は、自分がやりたい仕事ではないと、不満を感じ始めていた頃だった。
そういった負の感情が、愚痴を言いたい時、聞いてくれない、抱きしめて欲しい時、抱きしめてくれない。やがてそのことが淋しく感じられ、いわれのない事実を聞いた頭は、それを信じてしまっていた。
だから悪いのはつくしだ。
そして、少しでも彼を信じる心を失ってしまった自分を恥じた。
3年前別れを切り出し、それから連絡を取ることもなければ、彼から連絡もなかった。
それは、彼も別れを了承したと言うことだ。だから、もう二度と会うことはないはずだと思っていた。
司はつくしの隣でバーテンにバーボンを注文していた。
カウンターに伏せている彼女を見つけたとき、飲めない酒を飲み過ぎ、酔っぱらった状態だとすぐに気付いた。
社会人になり、付き合い程度は飲めるとしても、許容量といったものは知れていた。
そんな女の両隣にいた若い女性二人は、司に気付くと声を詰まらせたが、指先ひとつで下がらせた。
前を向き、黙ったまま何も答えない彼女に、司は再び口を開く。
「牧野。無視するな」
なかなか振り返ろうとしなかったが、結局振り向くことなく、隣に腰を下ろした男が誰だか分かった瞬間、身体を硬くしていた。そんな女はゆっくりと司の方に頭をめぐらせ、口を開いた。
「相変らず人を驚かすのが得意ね?」
「フン。悪かったな。だが俺は別におまえを驚かそうと思って帰国したわけじゃねぇ」
ただその場にいるだけで威圧感の漂う男は、冷静な口調で言った。
「じゃあいったい何の用があって帰国したのよ?」
3年前と変わらない頑なな口調。
「言っとくけど、あたしはあんたに用はないから」
司は、運ばれてきたバーボンをひと口飲み、片眉をあげ、口を開く。
「おまえ、まだ怒ってんのか?」
彼女が頑なな口調なら、司は非難するような声だ。
「3年も前のことをまだグダグダ言ってんのか?」
「な、何がグダグダよ!あたしは別に3年も前のことなんて気にしてないわよ!」
「へぇ。そうか。3年も経てばおまえも少しは大人の考えが出来ると思たが、あの頃とちっとも変ってねぇんじゃねぇの?」
司は可愛げのない口を利く女の態度を戒めたが、彼女が憮然とした態度でこちらを見ていることに微笑んだ。そして、空気に飢えた男のように、深く息を吸った。
緊迫した数秒が流れ、つくしは、口元に笑みを浮かべる司を上から見下ろしてやろうと、立ち上がった。だがそれは失敗だった。
普段あまり飲みつけないお酒を口にしたばかりに、足元がおぼつかなくなっていた。
それに、脚の長い男が丈高いスツールに腰を掛けていれば、つくしの背は、やっと男の目線と同じ位の高さにしかならず、見下ろすことなど出来なかった。
「おっと・・あぶねぇ」
司は手を差し伸べ、ぐらついたつくしの身体を支え、再びスツールに座らせた。
3年ぶりに触れた彼女の身体。不覚にもその柔らかな感触に顔がほころんでいだ。
二人が出会ってから、いくつも障害はあった。
家柄が違うと言われた二人が、そう簡単に認められるとは考えていなかった。
そんな中、母親から突き付けられた条件をクリアするための努力をし、実績を積み重ね、誰にも文句など言わせないと、4年間をNYで過ごすことを決め、日本を発つ最後の夜。
南の島のコテージで彼女を抱くチャンスを得た。それまで時間をかけ、会話を積み重ね、手を繋ぐことさえ躊躇う彼女を柔らかく抱きしめキスをする。それしか出来なかった。そんな二人に訪れたチャンスだったが、最終的に結ばれたのは、彼女がNYの司の元を訪ねて来た時だ。
それからNYと東京での遠距離恋愛は続いたが、世の中はそう簡単にはいかないことがあることを、司は早くから理解させられていた。そして彼女も社会に出て、それを実感したはずだ。
そんなとき、彼女の口から聞かされた言葉は、何かの間違いではないか。冗談ではないか。そうとしか思えなかった。
それでも、日が経てば彼女の方から連絡があると信じていた。だが一度口に出したことを、簡単に翻ることをしない頑固な性格が災いした。彼女から連絡してくることは、二度となかった。
司にしてみれば何故、彼女がくだらない三流週刊誌の記事を鵜呑みにしたのか。それが信じられなかった。それまでどんなことがあろうが、信じることなどなかったからだ。
司は3年前、つくしが別れようと言ったことで、地獄に突き落とされたように感じていた。
そしてこの3年間その地獄の中で苦しんだ。
だが丁度その頃、会社も新規事業を立ち上げ、多忙を極めていた。そのこともあり、彼女との距離を取ることを選んだ。もちろん、彼女の近況は逐一報告させていた。そして、少し頭を冷やせば、真実は見えてくるはずだと。彼女も冷静な気持ちになると踏んでいた。
だがやがて司にも、彼女の気持ちに巣食った不安といったもの。そして彼女が置かれた立場といったものを知ることになった。
どんなに強い気持ちを持っていたとしても、人は一人では生きていけない動物。
だから番(つが)うことをする。話しを聞いて欲しいとき、聞いてもらえない。傍にいて欲しいとき、傍にいない。抱きしめて欲しいとき、抱きしめてもらえない。
そんな思いが蓄積され、やがて心の底に澱(おり)となって溜まっていったということを理解した。
端的に言えば、ストレスが溜まったということだ。
しかし、そのストレスはとっくの昔に解消されたはずだ。
ただ、勇気がないのは昔から。彼女が踏み出すのを待っていれば、いつになるか分かりはしない。
だから司は帰国した。彼女に会うため。会って彼女自身に自分の気持ちに向き合わせるため。
頑固な女はそうでもしなければ、前へ進むことがないのだから。
「牧野・・。いい加減意地を張るのはやめろ」
カウンターに並ぶ二人のうち、司がつくしの方へ身体を向けているのに対し、つくしは前を向いたままだ。
「あ、あたしは別に意地なんて張ってないわ」
「馬鹿かおまえは。おまえのその態度が意地張ってるって言うんだろうが」
「あ、あたしの態度のどこが意地を張ってるって言うのよ?」
言葉に詰まるのは、緊張の表れだ。
「いつまでたっても俺に連絡しようとしねぇところだ」
「はぁ?誰が?誰に連絡するのよ!言っときますけどね?あたしと、あんたは別れたの!だから連絡するもしないもないでしょう?」
司はつくしの横顔を見ているが、その顔に移ろう表情は、不安定な天気のようにコロコロと変わる。ツンと顎を突き上げるようにしたり、前を睨んだり、急にけわしい顔になったり。
言葉が表情となって現れるのは昔からだったが、どうせならその表情を正面から見せて欲しい。だが依然として彼の方を見ようとはしない。
「・・おまえ・・いい加減にしろ。それとも酔ってんのか?」
「酔ってないわよ!」
と、まるでプライドが傷つけられたように言った女は下唇を噛む。
だが酔っていることは確実だ。そんな彼女の怒った顔も好きだと言える司は、そんなに唇を噛むなと言いたかった。そしてどうせ噛むなら自分に噛ませてくれと言いたいと笑いを堪えた。
「そうか・・酔ってねぇって?・・俺は酔ってるお前も好きだがな」
と、言って司はバーボンを口にした。
彼女が無防備なところに付け込むことはしたくはないが、想いを伝えることを先送りにするつもりはない。
「それより・・い、いったい何よ?何の用があるのよ?」
司はやっとその答えを言うタイミングを得たような気がしていた。
とりあえず言いたいことは言わせる、吐き出させることが先決で、全て吐き出したなら、口は他のことに使えるはずだと言いたい。
「用か?決まってるだろうが。おまえを取り戻しに来た」

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だが、両隣に座る二人は立ち上り、つくしに言った。
「牧野先輩。あ、あたしたち・・お先に失礼します。あ、明日はお休みですから、どうぞごゆっくり・・」
そそくさとつくしの傍を離れて行った代わりに、隣に腰を下ろした男は、つくしの頭に浮かんだ人物。それは、世界的大企業と呼ばれる道明寺HDの後継者であり、副社長である男。
「牧野。久しぶりだな」
つくしは、26歳で司と別れ3年が経っていた。
久しぶりも久しぶり。だがあっと言う間の3年だったことは間違いない。
司とつき合っていた当時のつくしは、店頭営業と呼ばれるハイ・カウンターで当日の航空券や鉄道の乗車券を求める来店客の相手をしていた。ハイ・カウンターは座って接客するロー・カウンターとは違い、常に立ちっぱなしで窓口に立ち、端末を叩く。そして当然だが細かい神経を使う。
時刻表を確認したにもかかわらず、発券した乗車券では、乗り継ぎが出来なかったとクレームと受けたことが一度あった。だがそれ以降は一度もない。勿論それが当然と言えば当然なのだが、社会人一年生だった頃、ミスをし、お客様に怒鳴られ、酷く落ち込んだ時もあった。
だが司と別れ法人営業へ移り、今に至っていた。忙しさと神経の使い方はあの頃とは全く違うが、それでも仕事をしていれば、イライラすることもあれば、泣きたくなることもあった。
そんなつくしは今自分の目の前に現れた男に対し、何を感じているかと言われれば、複雑な思いがある。
別れた理由。
それはこの男の浮気。
付き合い始めた当初、NYと東京の距離が気にならなかったと言えば、それは嘘だ。約束の4年をNYで過ごし、帰国すると思っていた。
しかしその願いはあっけなく覆された。だがそれは仕方のない話しだ。
道明寺財閥の跡取り息子である彼の立場といったものは、公務員や会社務めの人間とは、比べものにならないほどの重責を担っていた。名門大学を卒業し、病の床に臥す父親に代わり采配を振ることを求められ、やがてその期待に沿うだけの人間に成長すれば、高校生の頃と違う生活スタイルが生まれるのはあたり前だ。
そして、NYでの暮らしぶりは、十分過ぎるほど伝わって来た。
当然ゴシップも。初めはそんなことはない。どこかのご令嬢をエスコートし、パーティーへ出かけなければならないのも仕事のひとつだと頭では理解していた。
だが、どこかで嫉妬していた自分がいた。
彼が浮気をしていないことは、分かっている。
そんな人間ではないことは、知っている。
だが一度口をついてしまった言葉を取り消すには、遅すぎた。
頭から否定する彼の言葉を信じることが出来ず、頑なな心で彼を拒否してしまった。
それは、つくしの昔からの悪い癖だ。頑固だと言われることもそうだが、傷付くのが怖かったこともあった。そして、酷い仲違いをしたその日は、彼が久しぶりに日本へ帰国した最後の日。翌日、彼はNYへ戻り、それから会うことはなかった。
あのとき、最後に言われたのは、勝手にしろ。そのひと言だった。
あの頃のつくしには、仕事をしていく上で抱えていた空虚感といったものがあった。
毎日の業務は、自分がやりたい仕事ではないと、不満を感じ始めていた頃だった。
そういった負の感情が、愚痴を言いたい時、聞いてくれない、抱きしめて欲しい時、抱きしめてくれない。やがてそのことが淋しく感じられ、いわれのない事実を聞いた頭は、それを信じてしまっていた。
だから悪いのはつくしだ。
そして、少しでも彼を信じる心を失ってしまった自分を恥じた。
3年前別れを切り出し、それから連絡を取ることもなければ、彼から連絡もなかった。
それは、彼も別れを了承したと言うことだ。だから、もう二度と会うことはないはずだと思っていた。
司はつくしの隣でバーテンにバーボンを注文していた。
カウンターに伏せている彼女を見つけたとき、飲めない酒を飲み過ぎ、酔っぱらった状態だとすぐに気付いた。
社会人になり、付き合い程度は飲めるとしても、許容量といったものは知れていた。
そんな女の両隣にいた若い女性二人は、司に気付くと声を詰まらせたが、指先ひとつで下がらせた。
前を向き、黙ったまま何も答えない彼女に、司は再び口を開く。
「牧野。無視するな」
なかなか振り返ろうとしなかったが、結局振り向くことなく、隣に腰を下ろした男が誰だか分かった瞬間、身体を硬くしていた。そんな女はゆっくりと司の方に頭をめぐらせ、口を開いた。
「相変らず人を驚かすのが得意ね?」
「フン。悪かったな。だが俺は別におまえを驚かそうと思って帰国したわけじゃねぇ」
ただその場にいるだけで威圧感の漂う男は、冷静な口調で言った。
「じゃあいったい何の用があって帰国したのよ?」
3年前と変わらない頑なな口調。
「言っとくけど、あたしはあんたに用はないから」
司は、運ばれてきたバーボンをひと口飲み、片眉をあげ、口を開く。
「おまえ、まだ怒ってんのか?」
彼女が頑なな口調なら、司は非難するような声だ。
「3年も前のことをまだグダグダ言ってんのか?」
「な、何がグダグダよ!あたしは別に3年も前のことなんて気にしてないわよ!」
「へぇ。そうか。3年も経てばおまえも少しは大人の考えが出来ると思たが、あの頃とちっとも変ってねぇんじゃねぇの?」
司は可愛げのない口を利く女の態度を戒めたが、彼女が憮然とした態度でこちらを見ていることに微笑んだ。そして、空気に飢えた男のように、深く息を吸った。
緊迫した数秒が流れ、つくしは、口元に笑みを浮かべる司を上から見下ろしてやろうと、立ち上がった。だがそれは失敗だった。
普段あまり飲みつけないお酒を口にしたばかりに、足元がおぼつかなくなっていた。
それに、脚の長い男が丈高いスツールに腰を掛けていれば、つくしの背は、やっと男の目線と同じ位の高さにしかならず、見下ろすことなど出来なかった。
「おっと・・あぶねぇ」
司は手を差し伸べ、ぐらついたつくしの身体を支え、再びスツールに座らせた。
3年ぶりに触れた彼女の身体。不覚にもその柔らかな感触に顔がほころんでいだ。
二人が出会ってから、いくつも障害はあった。
家柄が違うと言われた二人が、そう簡単に認められるとは考えていなかった。
そんな中、母親から突き付けられた条件をクリアするための努力をし、実績を積み重ね、誰にも文句など言わせないと、4年間をNYで過ごすことを決め、日本を発つ最後の夜。
南の島のコテージで彼女を抱くチャンスを得た。それまで時間をかけ、会話を積み重ね、手を繋ぐことさえ躊躇う彼女を柔らかく抱きしめキスをする。それしか出来なかった。そんな二人に訪れたチャンスだったが、最終的に結ばれたのは、彼女がNYの司の元を訪ねて来た時だ。
それからNYと東京での遠距離恋愛は続いたが、世の中はそう簡単にはいかないことがあることを、司は早くから理解させられていた。そして彼女も社会に出て、それを実感したはずだ。
そんなとき、彼女の口から聞かされた言葉は、何かの間違いではないか。冗談ではないか。そうとしか思えなかった。
それでも、日が経てば彼女の方から連絡があると信じていた。だが一度口に出したことを、簡単に翻ることをしない頑固な性格が災いした。彼女から連絡してくることは、二度となかった。
司にしてみれば何故、彼女がくだらない三流週刊誌の記事を鵜呑みにしたのか。それが信じられなかった。それまでどんなことがあろうが、信じることなどなかったからだ。
司は3年前、つくしが別れようと言ったことで、地獄に突き落とされたように感じていた。
そしてこの3年間その地獄の中で苦しんだ。
だが丁度その頃、会社も新規事業を立ち上げ、多忙を極めていた。そのこともあり、彼女との距離を取ることを選んだ。もちろん、彼女の近況は逐一報告させていた。そして、少し頭を冷やせば、真実は見えてくるはずだと。彼女も冷静な気持ちになると踏んでいた。
だがやがて司にも、彼女の気持ちに巣食った不安といったもの。そして彼女が置かれた立場といったものを知ることになった。
どんなに強い気持ちを持っていたとしても、人は一人では生きていけない動物。
だから番(つが)うことをする。話しを聞いて欲しいとき、聞いてもらえない。傍にいて欲しいとき、傍にいない。抱きしめて欲しいとき、抱きしめてもらえない。
そんな思いが蓄積され、やがて心の底に澱(おり)となって溜まっていったということを理解した。
端的に言えば、ストレスが溜まったということだ。
しかし、そのストレスはとっくの昔に解消されたはずだ。
ただ、勇気がないのは昔から。彼女が踏み出すのを待っていれば、いつになるか分かりはしない。
だから司は帰国した。彼女に会うため。会って彼女自身に自分の気持ちに向き合わせるため。
頑固な女はそうでもしなければ、前へ進むことがないのだから。
「牧野・・。いい加減意地を張るのはやめろ」
カウンターに並ぶ二人のうち、司がつくしの方へ身体を向けているのに対し、つくしは前を向いたままだ。
「あ、あたしは別に意地なんて張ってないわ」
「馬鹿かおまえは。おまえのその態度が意地張ってるって言うんだろうが」
「あ、あたしの態度のどこが意地を張ってるって言うのよ?」
言葉に詰まるのは、緊張の表れだ。
「いつまでたっても俺に連絡しようとしねぇところだ」
「はぁ?誰が?誰に連絡するのよ!言っときますけどね?あたしと、あんたは別れたの!だから連絡するもしないもないでしょう?」
司はつくしの横顔を見ているが、その顔に移ろう表情は、不安定な天気のようにコロコロと変わる。ツンと顎を突き上げるようにしたり、前を睨んだり、急にけわしい顔になったり。
言葉が表情となって現れるのは昔からだったが、どうせならその表情を正面から見せて欲しい。だが依然として彼の方を見ようとはしない。
「・・おまえ・・いい加減にしろ。それとも酔ってんのか?」
「酔ってないわよ!」
と、まるでプライドが傷つけられたように言った女は下唇を噛む。
だが酔っていることは確実だ。そんな彼女の怒った顔も好きだと言える司は、そんなに唇を噛むなと言いたかった。そしてどうせ噛むなら自分に噛ませてくれと言いたいと笑いを堪えた。
「そうか・・酔ってねぇって?・・俺は酔ってるお前も好きだがな」
と、言って司はバーボンを口にした。
彼女が無防備なところに付け込むことはしたくはないが、想いを伝えることを先送りにするつもりはない。
「それより・・い、いったい何よ?何の用があるのよ?」
司はやっとその答えを言うタイミングを得たような気がしていた。
とりあえず言いたいことは言わせる、吐き出させることが先決で、全て吐き出したなら、口は他のことに使えるはずだと言いたい。
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み**ゃん様
おはようございます^^
まるで1週間前に喧嘩したような二人。
そして、み**ゃん様大当たりです!(笑)司の行動を見破りました。素晴らしいです!
はい。本当に司もよく我慢したと思います(笑)
でも、もう限界のようです(笑)
つくしの頑なな心を再びこの手に・・
そんな思いで帰国した彼に幸多からんことを祈りたいと思います。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
まるで1週間前に喧嘩したような二人。
そして、み**ゃん様大当たりです!(笑)司の行動を見破りました。素晴らしいです!
はい。本当に司もよく我慢したと思います(笑)
でも、もう限界のようです(笑)
つくしの頑なな心を再びこの手に・・
そんな思いで帰国した彼に幸多からんことを祈りたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.07.12 22:20 | 編集

司×**OVE様
おはようございます^^
つくしちゃんあっさり捕獲(笑)
司のことですから、彼女の行動は把握済みです。
そうでなければNYから帰国した意味がありません(笑)
浮気はしていません!(笑)
>長い喧嘩・・
司にとっては、まさにそうですね?(笑)
さて、彼は再び彼女の心を取り戻すことが出来るのでしょうか?
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
つくしちゃんあっさり捕獲(笑)
司のことですから、彼女の行動は把握済みです。
そうでなければNYから帰国した意味がありません(笑)
浮気はしていません!(笑)
>長い喧嘩・・
司にとっては、まさにそうですね?(笑)
さて、彼は再び彼女の心を取り戻すことが出来るのでしょうか?
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.07.12 22:32 | 編集

pi**mix様
俺様ですがどこか可愛い司(笑)
「無視すんなよ」 司を無視できるのは、恐らく地球上では、つくしだけでしょうねぇ(笑)
>女は昔の事を引き出しから引っ張り出すのが好き。
確かにそれは言えますねぇ(笑)重箱の隅に置かれたような過去も、鮮明に覚えていたりします。
男と女は感性が違うこともありますが、果たし司の思いはつくしに伝わるのでしょうか。
このお話の司は、どこかウキウキしたところがあります。
対してつくしちゃんはプリプリしているかもしれません。つくしちゃん、司の掌で遊ばれているような気もします(笑)
「ニヤ」ありがとうございます。え?行ってもいいんですか?
分かりました。司に伝えておきます(笑)
コメント有難うございました^^
俺様ですがどこか可愛い司(笑)
「無視すんなよ」 司を無視できるのは、恐らく地球上では、つくしだけでしょうねぇ(笑)
>女は昔の事を引き出しから引っ張り出すのが好き。
確かにそれは言えますねぇ(笑)重箱の隅に置かれたような過去も、鮮明に覚えていたりします。
男と女は感性が違うこともありますが、果たし司の思いはつくしに伝わるのでしょうか。
このお話の司は、どこかウキウキしたところがあります。
対してつくしちゃんはプリプリしているかもしれません。つくしちゃん、司の掌で遊ばれているような気もします(笑)
「ニヤ」ありがとうございます。え?行ってもいいんですか?
分かりました。司に伝えておきます(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.07.12 22:48 | 編集
