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2017
06.12

Collector 73

Category: Collector(完)
敗北感を味わう。
そんな言葉は貴にとっては認め難いことだ。
その言葉を夫婦の実態がない妻から聞かされたこと自体、貴にとって屈辱と感じた。
だが向けられたどこか力のこもった楓の目が貴を黙らせた。その目は自分によく似ていると言われる司の目が、妻である楓の目となって自分を見つめているように感じられた。

「あの娘を、牧野つくしを認めろというのか!」

今は完全に司の側に立った楓に対し、貴は怒りを隠さなかった。

「そうよ。あなたもいい加減に認めたらどう?いつまでもこの状態がいいとは言えないでしょう。・・・家族の中での揉め事はもうこれ以上必要ないわ」

躊躇しながらも言った家族という言葉。楓は今までその言葉が口をつくことはなかった。
だが貴と司の間に起きたことは、家族の揉め事とは言えず戦争状態だと言ってもいいほどのことだ。

「おまえの口から家族という言葉を聞くとは思わなかったが、おまえも年を取ったということか?」

嘲るような口調は、楓の心を読んだように言った。
貴はバーカウンターまで行くと、古くからの習慣でいつものように用意されていたウィスキーをグラスに注いだ。医者には薄くして飲めと言われているスコッチウィスキーを貴はストレートで口にした。そうすれば、まるでこの苛立ちが収まるとでも言うように一気に煽っていた。


楓はいつも完璧な姿でいる夫が動揺しているのではないかと感じていた。
それは妻である自分の言葉がそうさせたと思った。互いに年老いたのだ。司という二人の血を別けた子供が一人の女性によって人としての生き方を模索し始めたのだ。過去がどうであれ、二人を認めることがあの子の幸せのためだと何故理解しようとしないのか。
親子関係を修復できないまま人生を終える。それがどれだけ哀しいことか。
背中を向けている夫の表情を窺えないことがもどかしい。

「あなた。司は、あなたに似て頑固なところがあるわ。だから今まで彼女のことが、牧野つくしのことが忘れられなかったのよ。会えもしない女性のことを10年も思ったあの子の気持ちを考えたとき、私はもうこれ以上あの子の想いを邪魔することは出来ないと思ったわ。それに私たちがあの子に与えるべきなのは、憎しみではないはずよ」

貴は背を向けたまま何も答えなかった。
そしてそのままの姿でグラスを口に運んでいた。

人の意見を聞くことのない夫は、妻である楓の意見すら聞こうとはしなかった。それでも楓は、夫の心を動かそうとしていた。そして自分を拒むかのようなその背中に声をかけた。

「あなた_」

だがその瞬間、貴は短い呻き声を上げ、膝から崩れ落ちるように倒れ、手にしていたグラスが床に落ち砕け散った。

「あなた!」

楓は貴の傍に駆け寄った。そして跪くと身体に手をかけ呼びかけた。
だが倒れた身体は痙攣することもなく全く動かず、息をしているかどうかも分からない状態だ。それでも楓は必死で呼びかけた。

「あなた!あなた!」
やはり反応がない。楓はもう一度呼びかけた。
「あなたしっかりして!!」
やがて薄く開けられた貴の目が楓を捉えた。
「か、かえで・・医者を・・」

貴は苦しげに言葉を吐き、ネクタイを外そうとしているのか片手を襟元へとやった。
そして忌々しげにネクタイの結び目を解こうとしているが、手に力が入らないのか、添えられているだけで解けはしなかった。

「分かったわ。すぐに_」

楓は人を呼ぼうと立ち上がろうとした。
だが立ち上がらなかった。身体が動かなかった。何故か跪いたまま立ち上がることが出来ず、その場から動けなかった。

「か、かえで・・」

道明寺HDの前会長である男の声は掠れていた。
だがその姿はいつも通り完璧な姿。オーダーメイドのダークスーツを身に纏い、ハンドメイドのイタリア製の靴を履いた男は、優れた企業経営者として国から名誉を賜わったばかりだ。だがネクタイがだらしなく緩んでいる。道明寺貴たる人間にだらしない姿など似合わない。楓は貴の緩んだネクタイを締め直した。

「大丈夫よ・・大丈夫だから・・」

口をついた大丈夫の言葉。
その言葉を呪文のように繰り返し言い続けていた。楓は自分でも一体なにが大丈夫なのか。その言葉は楓自身を励ましている言葉なのかもしれなかったが、それはこれから自分が行おうとしていることに対してなのか。もしそうだとしても、そのことに対し迷ってはいけないはずだ。

「かえで・・誰か・・呼んで来い・・」

だが楓は立ち上らなかった。代わりに夫の頭を膝の上に乗せ、片手で貴の手を握りしめ、乱れた髪を整えるように撫でつけた。完璧な男の乱れた髪は許されないはずだから。夫のプライドのため、全ては完璧でなければならないはずだ。

「あなた・・最期まで私がついているから・・傷つけたりしないから、大丈夫よ。・・私にはそんなことは出来ないから・・」

楓は苦しそうに呼吸をする貴の顔をじっと見つめ、励ますように言った。そして一度瞼を閉じ、それからゆっくりと開いた。それはまるでひとつの物語を読み終えたあと、全てを理解したといった表情。その瞬間、貴は妻の明確な意図を理解した。

「頼む・・医者を・・」

「しーっ。大丈夫よ、あなた・・最期まで一緒にいるから安心して」

だらしなく、無様な姿は夫には似合わない。そして今この瞬間が夫にとって悪夢だとすれば、その瞬間を長引かせたくはない。

楓は結婚してまだ間もない頃のことが頭を過った。
道明寺という名門の旧家に嫁いだ女として、義務と責任を負わなければならなかったことを。娘が産まれ、その後息子を産んだことで義務も責任も果たしたが、それ以来、夫婦ではなくなっていた。そして子供の教育を他人に任せ、ビジネスに邁進した自らの姿が見えた。

「医者を・・」

「大丈夫よ。司のことは心配しなくても大丈夫だから。あの子は道明寺の家を守ってくれるわ・・だから心配しないで、あなた。あの子は・・あなたの息子であるあの子はこれから先は幸せになるわ」

楓は、貴の顔が絶望の翳りに覆われたのを見た。

人は年を取ると様々なものが見えてくる。それは誰もが口にすることだ。楓も今まで見えなかった何かが見えるようになっていた。それは自分の夫である貴だ。他人を愛せないこともだが、自分さえ愛せない可哀想な人。それが道明寺貴という人物だ。

この結婚が幸か不幸かなど考えることなく、ここまで来た。仲良く手を繋いだ思い出すらない。だが自分達はそれが結婚の在り方だと教えられていた。高貴な血を持つもの同士、決められた結婚をすることが宿命だと、運命なのだと。だがその結婚は、もう間もなく穏やかな終焉を迎えるはずだ。傍にいても遠くに感じる人もいれば、遠くにいても近くに感じる人もいる。自分達夫婦は、例え近くにいたとしても互いの存在は遠かった。だからせめて最期だけは近くにいたい。

「あなた、今度会うときは互いにもっと自由でいたいわね」

楓は自分に言い聞かせるように言った。
たとえ決められた結婚だったとしても、二人とも我が身を苛んだり憐れんだりする人間ではなかった。だが少しくらいの自由は欲しかった。子供を自分の手で育て人生を楽しみたかった。財閥のためではなく、自分達で決めた人生を歩きたかった。過ぎ去った時間は多いが、共に過ごした時間は殆どなく少なかった。それでも最期は同じ墓に入るつもりでいた。


楓は身体を硬くし、夫の表情を見つめていた。
やがて貴の苦しげな息が止った。
そして貴の目は楓を見つめたまま動かなくなった。

「さようなら・・あなた」

楓は、そっと囁きかけ、もう随分と長い間触れたことがなかった貴の唇に唇を重ねた。
大した苦痛なく逝ったのだと思う。その顔は穏やかに感じられたからだ。
涙がポツリと貴の頬に落ちた。
愛していたかどうかに関係なく、涙が自然と溢れてくるのは、人として当然のこと。
楓はその涙を指先で拭い、抱えていた夫の頭をそっと床に下ろした。

そして立ち上ると部屋の扉を開け、大きな声で人を呼んだ。


「誰か!!医者を呼んで来なさい!旦那様が倒れたわ!」





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コメント
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dot 2017.06.12 05:15 | 編集
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dot 2017.06.12 07:24 | 編集
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dot 2017.06.12 10:38 | 編集
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dot 2017.06.12 14:48 | 編集
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dot 2017.06.12 17:14 | 編集
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dot 2017.06.13 01:06 | 編集
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dot 2017.06.13 15:32 | 編集
す**様
>この展開は圧巻!
司パパの末路はこうなりましたが、楓さんの決断は何を意味したのか。
それは二者択一を迫られたとき、母として子供の幸せを願った結果ではないかと思います。
コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.06.13 21:25 | 編集
ふぁい***んママ様
おはようございます^^
読み逃げOKですからお気になさらないで下さい。
>楓さんは想像を上回る人・・
母は母、妻は妻。そのどちらも窺うことが出来たような気がします。
子供の幸せを願いました。その結果、彼女の取った行動は御覧の通りとなりました。
その時の気持ちを考えると、楓さんも辛い選択をしたと思います。
全ては司の為。母は夫より我が子を選びました。
楓さんにも心穏やかな日々が訪れるといいのですが、彼女の背負った十字架は重いと思われます。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:30 | 編集
じ**こ様
おはようございます^^
そうですねぇ、サスペンスかもしれません(笑)
夫の納得を得るのは無理と知ったとき、楓さんはこのような道を選びました。
全ては司の為。我が子のためなら母はどんなことでもする。鉄の女も母でした。
>とても面白い
ありがとうとざいます。内容的にはシリアス展開ですので重いですが、最後までお付き合い頂けると嬉しいです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:34 | 編集
H*様
おはようございます^^
まさか!楓さんが!!←驚きますよね?
楓さん、母としての決断でした。
母は子供の幸せのためなら、どんなことも厭わないようです。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:37 | 編集
み**ゃん様
おはようございます^^
>貴は絶対認めない・・
はい。最後まで認めませんでした。
そんななか、まさかの楓さんの行動でした。
>すごいです・・
楓さん凄いですね?
そして「大丈夫よ・・」この言葉は自分自身に言い聞かせていた方が大きかったような気がします。
これから自分が犯す罪に対しての不安があったと思います。
>楓さんは夫婦としてより、親子としての自分を選んだ。
はい。まさに仰る通りです。子供は血の繋がりがあり、母にとっては自分の命に代えても守りたいはずです。
そして、最後は楓さんなりの愛を持って夫を送り出しました。
まさかの展開でしたか?そしてやっと終わりが見えて来ました!
続き頑張ります!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:41 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
衝撃の回でしたか?
貴さん、倒れました。そしてその時の楓さんは、夫を助けようとしましたが、止めました。
色々なことが頭の中を駆け巡った瞬間だったと思います。そして楓さんの取った行動は・・・。
その時、彼女が何を考えたか。そうですねぇ・・夫を説得できないと感じた彼女は、息子の幸せのため、夫より司を選びました。
子供を想う母の気持ちは、父親には分かりません。(恐らくですが・・)
貴さん、残念ながら逝ってしまわれました。
楓さんの選択は、墓場まで持って行くつもりだと思います。
そして、同じお墓に入ったとき、夫に謝るのではないでしょうか。
母は鉄の女です。恐いですね・・(^^;
この件について楓さんは沈黙を通すのではないでしょうか。
そして仮に娘と息子がその事実を知ったとしても、二人は何も言わないはずです。
全ては過ぎたこと・・・。言葉はなくとも分かるものですね?親子ですから・・。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:52 | 編集
さと**ん様
普段感情を出すことのない楓の心の内は、母であることを選びました。
>財閥は大きくなったけれど、決して幸せでなかった楓の人生。
子供を育てることも、親として子供の傍にいてやることも出来なかった楓の人生です。
だからこそ、司の過去10年の現状を知った上で、これ以上息子の不幸を見ていることは、母として耐えられなくなったと思います。
どんなに息子が荒んだ生活を送ろうと、母は息子のためならどんな事でも出来る。
楓さんもそんな母でした。命がけで産んだ我が子のためなら鬼にもなれます。
それでも、夫については、心のどこかに愛を持っていたはずです。それが最後の口づけとなりました。
しかし、自分の守るものは子供達・・そう感じた楓でした。
貴は楓の腕の中で逝きました。それが楓の最後の愛・・だったような気がします。
息子と夫の争う姿は見たくはないと思います。貴は最後に何を思ったのか・・
どうでしょうねぇ・・60代の男性は何を思ったのでしょうか・・。
夫と一緒のお墓に入るのは、え?さと**ん様ノーですか?(笑)
とりあえず、貴は消えました。 え?ゴルゴ?(笑)どうしたんでしょうね?
貴がいないのでわかりません!(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 21:59 | 編集
イ**マ様
司くんの婚約宣言に心打たれたと思ったら、道明寺夫妻の衝撃の展開!!
驚きましたよね(^^;
>楓さんのこれまでの仕打ちも水に流せる・・
そうですよね?楓さんの決断は衝撃的でした。
母は我が子のためなら、どんなことでも出来るはずです。
そしてあの楓さんだから、あんなことも出来る・・そう思います。
やはり楓さんは恐ろしい人かもしれません|д゚)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 22:03 | 編集
マ**チ様
こんばんは^^
衝撃的だった・・。まさか!楓さんが!!
誰にも言えない罪を背負った楓さんです。これは我が子に対する愛でしょうか・・。
はい。間違いなく愛ですね。夫と息子が争うのは見たくないでしょうし、過去10年を知る楓さんは、もうこれ以上息子が道を外れることを望みませんでした。
そして、楓さん。貴さんに最期のお別れをしました。
決められた結婚とはいえ、楓さんも若い頃は、少しは夢があったはずです。
しかし、心が通じる夫婦ではありませんでした。
二人とも可哀想な人生でしたね?事業は成功しても、淋しい人生を送っていたことでしょう。
司パパは最後まで気持ちが変わりませんでした。仕方がないですね。
そして最期は楓さんの腕の中で旅立たれました。もうこれ以上争いはない。
楓さんはそのことを胸にこれから誰にも言えない罪を背負って生きることでしょう。
あの方ならそれも出来る。母は子供のためなら罪を恐れません。
最後は妻の腕の中で逝くにマ**チ様から良しを頂き、アカシアも楓さんも良かったと胸を撫で下ろしています(笑)

栄養ドリンク(笑)気休めにしかなりませんが、それでも飲めば元気になったような気がします(笑)
ええ。本当に気休めです(笑)
バリバリ夜更かし(笑)←やはり死語でしょうか?
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 22:21 | 編集
つく**さ様
はじめまして^^
こちらこそ、お読みいただき有難うございます。
そして圧巻のご感想を有難うございます。
こんなシリアス展開ですが、最後までよろしくお願いします。
拍手コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.06.13 22:26 | 編集
ロ*様
はじめまして^^
楓様。やはり怖い人でしたか?
母は子供のためなら何でも出来ます。
夫を見殺しにした。・・そうですねぇ・・この楓さんの選択はどうだったんでしょうか。
彼女の心の中は果たしてどうだったのかということになります。
ビジネスに於いては非情な人ですが、それでも若い頃は夫に愛情もあったはずです。そして最後はその愛を持って、彼女なりの愛情を表現したのかもしれません。
でもやはり怖い人ですね?(笑)恐るべし、楓様です。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.13 22:33 | 編集
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dot 2017.06.13 22:39 | 編集
pi**mix様
心の声。ありがとうございます。
貴さん逝きました。
状況は書いてある通りなのですが、貴さんの状況については続きがありますので、続きを是非お読み下さいませ。
火曜サスペンス劇場になる(笑)そうですね、楓さんはそうかもしれません。
そして登場人物全員がグルだったら・・。それは火曜サスペンスではなく、アガサ・クリスティーで行きましょう!(笑)
もしくは刑事コロンボで。
実は楓さんがお酒に毒を盛った!!そんな話もいいかもしれませんね(笑)
脳内妄想の翼を広げていただき、有難うございます^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.06.14 00:13 | 編集
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