愛という言葉を口にすることが恥ずかしかった少女は、大人になる過程で否応なく学んだことがある。人を本気で好きになるということは、どれだけ苦しいかということを。
それは彼から教わった。あの山荘で交わされた言葉や眼差しは、憎しみに満ちたものから、やがて愛に変わったが、再会し、間もない頃の男の目は途方もなく暗く、なんの感情も交錯することがなかった。
それは相手がどれだけ傷つこうと構わないといった目だった。
男のプライドが云々では片がつかない、憎しみ以上の哀しみを感じさせる目だと気付いたとき、自分が傷付けてしまった男の心の傷の深さを知った。
あの雨の日に無神経な言葉で愛する人を傷つけた自分が許せなかったが、頭の中に刻んだ記憶を過去のものに出来たとき、彼の純粋な思いをあの頃よりもずっと貴重なものとして受け取った。そしてあの頃ひたむきだった男のその態度は、これから先もずっと頭の中に刻みつけられるはずだ。
もう10代の少女ではない。20代も後半だ。
そしてあきらかに今までの人生とのへだたりを感じ始めていた。
今までもしっかりと目を開いて歩いて来た。
前を向いて。
そしてこれからも人生は続いて行く。
二人の人生が。
だからこそ、目の前にあることに向かい合いたいと感じていた。
道明寺楓から会いたいと言われたが、断る理由は見当たらない。
彼らの常識と違う女だと言われてもいい。再び笑われたとしてもいい。過去に何度も冷笑のまとにされて来た。それならただ立ち尽くして時が過ぎるのを待っていることがいいとは言えないはずだ。話しが通じる相手ではないとしても、向うから会いたいと言ってきたのだ。
つくしは是非会って話をしたいと思った。
再会して傷付いた心は許し合えることを二人とも知った。
そして、二人が会うことがなければ、これから会う人物にも出会うことはなかったはずだ。
もし、その人とも分かり合えるなら、それを願わずにはいられなかった。
都心のランドマーク的存在とも言えるホテルメープル。
財閥のホテルの中では、NYのホテルと同じ旗艦店の一つと言われているこの場所に足を踏み入れるのは初めてだ。
高級ホテルとして名を馳せるメープルは、宿泊する客層も他のホテルとは違っていた。世界各国のVIPは勿論、お忍びで訪れるお金持ちもよく利用すると言われていた。それは客のプライバシーを完璧に守ると言われていることにあった。
そのため政治家の利用が多いと聞いたことがあるが、それが財閥と政治家との間になんらかの関係があるとすれば、USBメモリの存在する意味が分かるような気がした。
正面入り口前に静かに滑り込んだリムジンが止った途端、すぐに制服姿のドアマンが優雅にドアを開け、つくしを丁寧に出迎えてくれた。そして、その場に立つひとりの男性がつくしに挨拶をした。
「ようこそお越し下さいました。牧野様」
楓の秘書と名乗った男性は、丁寧にお辞儀をし、どうぞこちらへと案内をした。
つくしは大きく息を吸って吐き出した。
これから嵐の真っただ中に飛び込んで行く。そんな気持ちでいた。それでも出来るだけ自然に振る舞おう。そう思うがやはり鉄の女に会うのは緊張した。
贅を尽くしたロビーを横切り、プライベートと書かれた扉を抜け、上層階直通のエレベーターに乗った。上昇する箱の中は、秘書とつくしと彼女の警護にあたる人間だけが乗っていた。
ロビーを横切る短い間、周りに目をやる余裕はなかったが、それでもこのホテルの高級感を感じることは出来た。
落ち着いた照明のなか、流れる空気は静かで大声で話す客などおらず、このホテルが経営者の本質が反映されているのだとすれば、ラグジュアリーでありエレガントな雰囲気は道明寺楓そのものだということだ。
最上階への扉は短い音と共に開くと、目の前に長い廊下が続き、その最奥にある部屋が道明寺楓の執務する社長室だと案内された。
社長は直ぐに参りますので、お掛けになって少しお待ち下さい。
秘書はそう言うと、扉を閉め出て行った。
メープルの社長室は執務デスクの他にあると言えば、応接セットだけだ。
そんな場所に通されれば、座る場所はその応接セットなのだろうが、座ることが躊躇われた。
道明寺楓は居丈高な女性だ。そんな女性に見下ろされることは今更だが、座って待つより立って待つことを選んでいた。
何もない執務室は、普段この部屋が使われていないことを物語っていた。
道明寺楓も普段はNYで暮らしているのだから当然のこと。あの当時も日本にいることは殆どといっていいほどなく、海外で忙しくしていた人だった。そんな女性はあの頃、ひとり息子の交際相手を排除するといった使命感に囚われていた。それだけに、今回のこの面会の意味はいったいなんなのか。だがどんな意味があろうと、つくしの心は決まっていた。
突然扉が開き、10年振りに会う人がつくしの前に姿を現した。
「お久しぶりね、牧野さん。どうぞおかけになって頂戴」
だがつくしは、楓が腰を下ろすまで座らなかった。それは社会人としての当然のマナーではあるが、この女性の前で座ると、なぜか教師に叱られている子供のように感じてしまいそうだと思った。
あの頃と変わらぬ体型を保ち、顔立ちもやはりあの頃と同じままで余計な肉などついておらず、息子と同じで貴族的な横顔の女性はどこにでもいるありふれた女性ではない。あの頃と同じで目立つ女性だ。そしてビジネスは非情なもの。親子であろうとビジネスはビジネスだといった考え方をする女性。
そんな女性が息子が不幸になるのは忍びないなどといった発言をするのだろうか。
確かに道明寺から聞かされた言葉は、にわかには信じ難い思いがある。目の前にいる女性は、どう見ても母親というより、ビジネスウーマンとしての生き方を選び生きていたあの頃と同じ女性にしか見えなかった。
だがあれから年を取り、過去の愛憎をすべて帳消しにしたいといった心理に陥ったのだろうか。
しかしこの女性がデスクの前で鬱々と考えるとはとても思えなかった。
楓が腰を下ろすと、つくしはテーブルを挟んだソファの向かい側に座ったが、緊張して身を固くしていた。
かつて目の前に座る女性の口から出た言葉は、非難と攻撃だけだったのだから。
「牧野さん。珈琲を用意させたわ。どうぞ召し上がって。飲みながらゆっくり話しがしたいわ」
今、この部屋の中に漂う香りは、毎朝部屋中に満ちている香りと同じ香りがした。
それは母親が飲む珈琲も、息子が飲む珈琲と同じ種類だということだ。
今では飽きることのないこの香りがつくしは好きになっていた。
そしてこれから交わされる会話が、この珈琲と同じで好ましいことだといいのだが。そう思わずにはいられなかった。

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それは彼から教わった。あの山荘で交わされた言葉や眼差しは、憎しみに満ちたものから、やがて愛に変わったが、再会し、間もない頃の男の目は途方もなく暗く、なんの感情も交錯することがなかった。
それは相手がどれだけ傷つこうと構わないといった目だった。
男のプライドが云々では片がつかない、憎しみ以上の哀しみを感じさせる目だと気付いたとき、自分が傷付けてしまった男の心の傷の深さを知った。
あの雨の日に無神経な言葉で愛する人を傷つけた自分が許せなかったが、頭の中に刻んだ記憶を過去のものに出来たとき、彼の純粋な思いをあの頃よりもずっと貴重なものとして受け取った。そしてあの頃ひたむきだった男のその態度は、これから先もずっと頭の中に刻みつけられるはずだ。
もう10代の少女ではない。20代も後半だ。
そしてあきらかに今までの人生とのへだたりを感じ始めていた。
今までもしっかりと目を開いて歩いて来た。
前を向いて。
そしてこれからも人生は続いて行く。
二人の人生が。
だからこそ、目の前にあることに向かい合いたいと感じていた。
道明寺楓から会いたいと言われたが、断る理由は見当たらない。
彼らの常識と違う女だと言われてもいい。再び笑われたとしてもいい。過去に何度も冷笑のまとにされて来た。それならただ立ち尽くして時が過ぎるのを待っていることがいいとは言えないはずだ。話しが通じる相手ではないとしても、向うから会いたいと言ってきたのだ。
つくしは是非会って話をしたいと思った。
再会して傷付いた心は許し合えることを二人とも知った。
そして、二人が会うことがなければ、これから会う人物にも出会うことはなかったはずだ。
もし、その人とも分かり合えるなら、それを願わずにはいられなかった。
都心のランドマーク的存在とも言えるホテルメープル。
財閥のホテルの中では、NYのホテルと同じ旗艦店の一つと言われているこの場所に足を踏み入れるのは初めてだ。
高級ホテルとして名を馳せるメープルは、宿泊する客層も他のホテルとは違っていた。世界各国のVIPは勿論、お忍びで訪れるお金持ちもよく利用すると言われていた。それは客のプライバシーを完璧に守ると言われていることにあった。
そのため政治家の利用が多いと聞いたことがあるが、それが財閥と政治家との間になんらかの関係があるとすれば、USBメモリの存在する意味が分かるような気がした。
正面入り口前に静かに滑り込んだリムジンが止った途端、すぐに制服姿のドアマンが優雅にドアを開け、つくしを丁寧に出迎えてくれた。そして、その場に立つひとりの男性がつくしに挨拶をした。
「ようこそお越し下さいました。牧野様」
楓の秘書と名乗った男性は、丁寧にお辞儀をし、どうぞこちらへと案内をした。
つくしは大きく息を吸って吐き出した。
これから嵐の真っただ中に飛び込んで行く。そんな気持ちでいた。それでも出来るだけ自然に振る舞おう。そう思うがやはり鉄の女に会うのは緊張した。
贅を尽くしたロビーを横切り、プライベートと書かれた扉を抜け、上層階直通のエレベーターに乗った。上昇する箱の中は、秘書とつくしと彼女の警護にあたる人間だけが乗っていた。
ロビーを横切る短い間、周りに目をやる余裕はなかったが、それでもこのホテルの高級感を感じることは出来た。
落ち着いた照明のなか、流れる空気は静かで大声で話す客などおらず、このホテルが経営者の本質が反映されているのだとすれば、ラグジュアリーでありエレガントな雰囲気は道明寺楓そのものだということだ。
最上階への扉は短い音と共に開くと、目の前に長い廊下が続き、その最奥にある部屋が道明寺楓の執務する社長室だと案内された。
社長は直ぐに参りますので、お掛けになって少しお待ち下さい。
秘書はそう言うと、扉を閉め出て行った。
メープルの社長室は執務デスクの他にあると言えば、応接セットだけだ。
そんな場所に通されれば、座る場所はその応接セットなのだろうが、座ることが躊躇われた。
道明寺楓は居丈高な女性だ。そんな女性に見下ろされることは今更だが、座って待つより立って待つことを選んでいた。
何もない執務室は、普段この部屋が使われていないことを物語っていた。
道明寺楓も普段はNYで暮らしているのだから当然のこと。あの当時も日本にいることは殆どといっていいほどなく、海外で忙しくしていた人だった。そんな女性はあの頃、ひとり息子の交際相手を排除するといった使命感に囚われていた。それだけに、今回のこの面会の意味はいったいなんなのか。だがどんな意味があろうと、つくしの心は決まっていた。
突然扉が開き、10年振りに会う人がつくしの前に姿を現した。
「お久しぶりね、牧野さん。どうぞおかけになって頂戴」
だがつくしは、楓が腰を下ろすまで座らなかった。それは社会人としての当然のマナーではあるが、この女性の前で座ると、なぜか教師に叱られている子供のように感じてしまいそうだと思った。
あの頃と変わらぬ体型を保ち、顔立ちもやはりあの頃と同じままで余計な肉などついておらず、息子と同じで貴族的な横顔の女性はどこにでもいるありふれた女性ではない。あの頃と同じで目立つ女性だ。そしてビジネスは非情なもの。親子であろうとビジネスはビジネスだといった考え方をする女性。
そんな女性が息子が不幸になるのは忍びないなどといった発言をするのだろうか。
確かに道明寺から聞かされた言葉は、にわかには信じ難い思いがある。目の前にいる女性は、どう見ても母親というより、ビジネスウーマンとしての生き方を選び生きていたあの頃と同じ女性にしか見えなかった。
だがあれから年を取り、過去の愛憎をすべて帳消しにしたいといった心理に陥ったのだろうか。
しかしこの女性がデスクの前で鬱々と考えるとはとても思えなかった。
楓が腰を下ろすと、つくしはテーブルを挟んだソファの向かい側に座ったが、緊張して身を固くしていた。
かつて目の前に座る女性の口から出た言葉は、非難と攻撃だけだったのだから。
「牧野さん。珈琲を用意させたわ。どうぞ召し上がって。飲みながらゆっくり話しがしたいわ」
今、この部屋の中に漂う香りは、毎朝部屋中に満ちている香りと同じ香りがした。
それは母親が飲む珈琲も、息子が飲む珈琲と同じ種類だということだ。
今では飽きることのないこの香りがつくしは好きになっていた。
そしてこれから交わされる会話が、この珈琲と同じで好ましいことだといいのだが。そう思わずにはいられなかった。

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コメント
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司×**OVE様
おはようございます^^
遂に楓さんとご対面。
さて、楓さん、何を話すのでしょうか・・・・
二人とも大人になりました。そして揺るぎない愛を手に入れました。
そんなつくしちゃんを応援してあげて下さいね^^
おおっ!既に御覧になられたのですね?
アカシアもその映像を見るチャンスが訪れそうです^^
坊っちゃん大人になられましたね?彼らも皆大人になり、成熟してきましたね?
ドラマの頃とはまた違った大人の彼。久々にドラマも見たくなりました。
そして成長した司とつくしを妄想してみたいと思います。
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
遂に楓さんとご対面。
さて、楓さん、何を話すのでしょうか・・・・
二人とも大人になりました。そして揺るぎない愛を手に入れました。
そんなつくしちゃんを応援してあげて下さいね^^
おおっ!既に御覧になられたのですね?
アカシアもその映像を見るチャンスが訪れそうです^^
坊っちゃん大人になられましたね?彼らも皆大人になり、成熟してきましたね?
ドラマの頃とはまた違った大人の彼。久々にドラマも見たくなりました。
そして成長した司とつくしを妄想してみたいと思います。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.31 22:32 | 編集

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pi**mix様
つくしちゃん会いに行きました。お供は誰もいません。警護の人間だけです。
メープルはまさに彼女にとっての鬼ヶ島ですね?
でも好きな人の母親なんです、楓さんは。楓さんがお腹を痛めて坊っちゃんを産んだんです。
母は母であること止めた・・そんな時もありましたが、やはり母です。
つくしちゃんは逃げません。御招待。受けて立ちました!(笑)
つくしちゃん、珈琲を口にする余裕があったのでしょうか。
>一か八か飲んでみよう!
ブルマンを呑むつくしちゃん。お味は如何だったんでしょうね?(笑)
コメント有難うございました^^
つくしちゃん会いに行きました。お供は誰もいません。警護の人間だけです。
メープルはまさに彼女にとっての鬼ヶ島ですね?
でも好きな人の母親なんです、楓さんは。楓さんがお腹を痛めて坊っちゃんを産んだんです。
母は母であること止めた・・そんな時もありましたが、やはり母です。
つくしちゃんは逃げません。御招待。受けて立ちました!(笑)
つくしちゃん、珈琲を口にする余裕があったのでしょうか。
>一か八か飲んでみよう!
ブルマンを呑むつくしちゃん。お味は如何だったんでしょうね?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.06.01 21:29 | 編集

マ**チ様
こんばんは^^
楓さんとご対面です。
そんなとき、司は執務室で動物園の熊のようにウロウロしている・・(笑)
御曹司並に落ち着かない司でしょうか(笑)
そうです。でもここは母を信じて下さい。あなたを産んだ母です。
ニャー(笑)粘って勝ち取ったんですね!
そして飼い主は愛を注ぎまくっているのに、時折引っ掻かれる(笑)
つれないニャーですね?元の飼い主の仕返し・・いえ、それはニャーの仕返しかもしれません。
「拉致された!返してニャー!」と・・。
6月初日。睡魔に襲われているアカシアです。
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
楓さんとご対面です。
そんなとき、司は執務室で動物園の熊のようにウロウロしている・・(笑)
御曹司並に落ち着かない司でしょうか(笑)
そうです。でもここは母を信じて下さい。あなたを産んだ母です。
ニャー(笑)粘って勝ち取ったんですね!
そして飼い主は愛を注ぎまくっているのに、時折引っ掻かれる(笑)
つれないニャーですね?元の飼い主の仕返し・・いえ、それはニャーの仕返しかもしれません。
「拉致された!返してニャー!」と・・。
6月初日。睡魔に襲われているアカシアです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.06.01 21:45 | 編集
