二人っきりになった部屋は、空調が止ったように感じられたが、どちらかが動けばその空気はまた再び動き出すはずだ。
黙ったまま見つめ合う二人は、何を言えばいいのか迷っていた。
思えば二人がこんな風に見つめ合ったことがあっただろうか。
躊躇いながら言葉を選ぶような顔で、手を伸ばせば触れる場所にいるが、それでも簡単に手を伸ばすことが出来ない特別な空間。
そうだ。
こうなることは本当なら特別なことだったはずだ。
相手の身体を強引に奪うといった行為ではなく、大人になった二人には出会いの方法が他にあったはずだ。
だがNYで暮らしていた男は、自分の行為が当然だと思っていた。決められたレールの上を走る男は目に映るものが全てで、知らないことなどないと奢っていた。
求めていた愛が与えられなかった男の心は、10年間で崩れていく一方で、魂は地の底へ落ちた。そんな男は、今はただ身に覚えのある行為に、自分の方から口を開くのが躊躇われていた。
だが今夜はどうしても彼女の腕に抱かれ眠りたい。
それが性的な欲求なのか、心が求めるものなのか。
ただ抱きしめてもらいたいと思う反面欲しくてたまらないと思うのは、身勝手な思いなのだろうか。
だが何を考えたとしても、魂と身体が欲しがるのは目の前にいる女性だ。
17歳の高校生が恋をした。
聞えてくる声とその姿に恋をした。それが愛であり、目に見えない何かを求めていた男には憧れの存在だった。
屈折した思いとも言える言葉しか口にしなかった男の求めた女性は、他人に迷惑をかけないよう、目立たないよう学生生活を送る少女だった。
そんな少女を果たせぬ恋だと、叶わぬ恋だと思わず追いかけていたあの頃。それは短い夢だと言われれば、そうなのかもしれなかった。
そしてその夢のような世界に別れを告げ、別の世界で生きてきた。だがずっと憧れていた彼女がやっと傍に、これからはずっと傍にいてくれる。
過去に二人の間に起きたひとつひとつに気持ちを傾ける。
そこに見えたのは、コロコロと笑う笑顔の少女。
長い髪をなびかせ駆け抜ける姿を捕まえようと、駆け出したこともあった。
だがいつも捕まえることは出来なかった。
逃げ足が速く、気づけばいつも置いてけぼりを食っていた。だが振り返って向けられた笑顔を忘れることはなかった。眩しかった。暗闇に住む男にとってあの笑顔はどんな人工的な光りよりも眩しかった。心も身体も奪われた瞬間というのは、あの瞬間だった。そしてその時から始まった恋は今、目の前にある。
あの頃、司にだけ向けられていた輝いた笑顔が、今は大人の表情だとしても、瞼に浮かぶのはあの日。雨の日の別れの数時間前に過ごした風景。
透き通るような、それでいて眩しく感じられたあの日の風景。
きらきらと光る青春のひとコマとも言える若かったあの日。
その日々が今、彼の目の前に浮かんでいた。
あの日が帰らない幻の風景だとしても_。
「・・あの・・道明寺・・」
戸惑いながら先に口を開いたのは彼女の方だ。
その声の微かな変化も感じとれる自分がどれだけ彼女を愛しているか。
滑稽なほどだが、それが二人の距離が近づいたしるしだと分かっている。
何か言いたいのは感じた。
それなら彼女が喋る言葉を、聞き漏らすことがないよう、一言一句記憶の手帳に書き記したい気持ちがある。だがもしその唇から零れる言葉に迷いや否定があるなら言わないで欲しい。
「・・聞いて欲しいの・・」
どこか迷っているように語りかけてきた言葉が怖かった。
男と女が繰り返してきた行為が今は怖いと思えた。
彼女に出会うまでのそれは所詮欲にまみれた行為。意味をなさないただの交接。
だが今は違う。
彼女が欲しいが、苦痛しか与えてこなかった行為を歓びへと変えることが出来るのか?
それが怖かった。司にとってセックスは相手に快楽を与える行為ではなかったからだ。
ただ男の生理を満たすたけの行為だったからだ。
だが今は彼女のために何が出来るかを考えていた。
男として彼女を愛することが出来るかどうかと_。
世界的企業トップが、ゆらゆらと揺れる不安定な場所に立ち、身の置き所がないといった姿で考えを巡らす姿は、人間性が欠如していると言われた男にしては、さぞ滑稽だろう。
「・・ああ。どうした?気分が悪いのか?それなら横になるか?」
肉体の欲望を抑え、思わず唾を呑んだ司の喉仏が上下し、二人の視線は絡まり合った。
だがつくしは首を横に振った。
そして迷いながらも口を開いた。
「・・あたしね・・子供が・・産めないかもしれないの・・」
唐突に語り始めたその言葉。
司は一瞬何を話し始めたかと思ったが、つくしの顔は真剣だ。
そしてその表情は何かを決心していた。
「こんな話、してもいいのかわからないんだけど、話しておきたいの。・・いつだったか・・あたしに子供を産ませて道明寺の家を継がせるなんてこと言ってたでしょ?」
確かに言った。
それは自分元から離さない、逃がさないため。道明寺の家に縛り付けるための手段として子供を産ませると言った。
そしてつくしを嫌悪していた両親への復讐といった意味を込め、彼女に子供を産ませ、その子供を道明寺の跡継ぎにしてやると言った。
「・・あたし・・卵巣が片方無いの」
束の間の沈黙が流れ、司を見つめる目は真剣だった。
男である司でも分かる生殖機能についての話。
ゆっくりと語られるのは、言葉を選んでいるからだ。
「就職してから会社の健康診断で再検査の指示が出て、それで検査してもらったら片方の卵巣に腫瘍が出来ててね・・摘出しなきゃならなくなったの」
健康診断で要検査の指示が出たとき何かの間違いだと思った。
だが検査の結果、左側の卵巣に直径5センチの腫瘍が見つかり、手術で左側の卵巣を全摘出した。
そして手術後暫く、治療薬の副作用もあり体調が優れないこともあったが今はもう問題ない。だが、年に一度の検診は欠かしたことはない。
「先生は片方摘出しても妊娠しづらくなることはないけど、ハンディはあるって言われたの。それから片方に腫瘍が出来るともう片方にも再発する可能性があるって_」
立ち上った司はテーブルを回り、椅子に座ったまま見上げるつくしの腕を掴み、立ち上がらせた。彼の大きな手は、つくしの手を掴むと掌にキスをした。そして身体を抱きしめ、彼女の首の横に顔を埋め、コーヒーの混じった息で優しく囁いた。
「・・あれは、あの時の俺は・・おまえが欲しくて仕方が無かった。離したくなかった。・・逃がさねぇつもりで言った。だから子供を産ませて道明寺の家に、俺の傍に縛りつけてやるつもりだった・・」
彼女に対して後悔しなければならない言葉は沢山あると今更ながら気づく。
復讐だと言いながら、彼女が欲しくて欲しくて、誰にも触れさせない、渡さないと監禁した。
だが、それはかつて胸の中に抱きしめていた小さなウサギのぬいぐるみがそうであったと同じ。彼女の存在が、かけがえのないものだと心の中では気づいていたはずだ。にもかかわらず、気持ちも言葉も不要と、身体だけを貪る獣がいた。
「・・道明寺・・だからね・・あたしは・・。そんなあたしでも道明寺の傍にいてもいい?」
何を言いたいのか。だが言わんとすることは理解出来る。
子供が出来ないかもしれない女だが、それでも一緒にいてもいいか。そう言いたいのだ。
「俺はおまえに子供が出来ようが出来まいが関係ねぇよ・・」
本当に関係なかった。
彼女が傍にいてくれるならそれで良かった。
暗闇にいた自分を陽の光りの元へ連れ出してくれた、たった一人の人。
出会ったのは運命で必然のこと。
穢れきって堕落を楽しみ、地の底に堕ちた男が、やっと触れることが許された神聖なるもの。それが彼女だ。
「おまえは何もしなくていい。何も持ってなくてもいい。ただ俺の傍にいてくれたらそれでいい」
それはちっぽけな望み。
愛する人が傍にいてくれたら、それでいい。
だがそう言ったあと、司は慌てて言葉を継いだ。
「・・いや・・傍にいるだけじゃ駄目だな・・やっぱ・・」
その言葉に抱きしめていたつくしの身体がビクンと動く。
「おい、誤解すんじゃねぇぞ?」
と、司は慌てて否定し、彼女の肩に埋めていた顔を上げ、つくしを見た。
「・・俺はおまえに傍にいて欲しい。それは・・これから毎日俺と同じベッドで目覚めるってことだ」
同じベッドで目覚めること。
それは同じ夜を過ごすこと。
毎晩同じ夜を共に過ごしたい。彼の目はそう伝えていた。
「・・・道明寺・・」
見る見るうちに黒い大きな瞳が潤み、やがて大きな涙の粒がポタリと落ちた。
遠い昔雨に濡れた夜、あの日も同じような涙を流したはずだ。
そして今流れる涙が、司の目には『いいわ』と言っているように思えた。
「あたしも・・そのつもりだった。一緒に朝を迎えられたらと思っていた。でもあたしは・・」
唇を震わせながらの言葉。それは決して自分が何かした訳ではないが、病気になったことを悔やんでいる表情だ。
「くだらねぇこと言うな。おまえの身体がどうだろが関係ねぇ。おまえは子供を産む機械じゃねぇだろ?」
その言葉は司自身にも言えた。父親から自分の遺伝子を受け継ぐ子供を作れと言われ、おまえの存在意義は次の世代の子供を残すことだとはっきり言われた。
「・・言っとくが俺は執念深い。それに一度自分のものになったものは決して離さねぇ執着心の強い男だ。何しろ10年前に振られた女を未だに愛してる男だ。そんな男が一度好きになった女を手放すわけねぇだろうが」
それでもいいのか?司はそう言っていた。
そしてその問いかけに黙って頷き返し、司の胸に額を押し付けたつくしの姿があった。
司は『バカかおまえは?俺がどんだけおまえを愛してるか分かってねぇな』と、口にし、つくしの身体を抱きしめた。優しく、力強く。だが決して乱暴ではなく『愛してる』だけを繰り返しながら髪の毛を優しく撫でていた。
そんな司に『ありがとう・・』そう呟いたつくし。
胸板の上、押し付けられた顔は丁度心臓の真上。
触れた彼女の熱に、まだ何も知らなかった少年時代と同じように胸は早鐘を打っていた。
あの日、本当ならこうして抱きしめたかった。
雨に濡れた互いの身体に腕を回し、行かないでくれ。愛してるの言葉を唇に乗せたかった。
だが今、まさにあの日の思いが叶おうとしていた。
司はつくしの身体を抱き上げ、唇を重ねた。そして離してはまた重ねていた。
ただそれを繰り返す男。
言葉がなくても、互いの心の中は、それで充分見えていた。
抱いていいかとも、いいわとも言わなくても、重ね合わせた唇に、愛の言葉は乗せられていた。

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思えば二人がこんな風に見つめ合ったことがあっただろうか。
躊躇いながら言葉を選ぶような顔で、手を伸ばせば触れる場所にいるが、それでも簡単に手を伸ばすことが出来ない特別な空間。
そうだ。
こうなることは本当なら特別なことだったはずだ。
相手の身体を強引に奪うといった行為ではなく、大人になった二人には出会いの方法が他にあったはずだ。
だがNYで暮らしていた男は、自分の行為が当然だと思っていた。決められたレールの上を走る男は目に映るものが全てで、知らないことなどないと奢っていた。
求めていた愛が与えられなかった男の心は、10年間で崩れていく一方で、魂は地の底へ落ちた。そんな男は、今はただ身に覚えのある行為に、自分の方から口を開くのが躊躇われていた。
だが今夜はどうしても彼女の腕に抱かれ眠りたい。
それが性的な欲求なのか、心が求めるものなのか。
ただ抱きしめてもらいたいと思う反面欲しくてたまらないと思うのは、身勝手な思いなのだろうか。
だが何を考えたとしても、魂と身体が欲しがるのは目の前にいる女性だ。
17歳の高校生が恋をした。
聞えてくる声とその姿に恋をした。それが愛であり、目に見えない何かを求めていた男には憧れの存在だった。
屈折した思いとも言える言葉しか口にしなかった男の求めた女性は、他人に迷惑をかけないよう、目立たないよう学生生活を送る少女だった。
そんな少女を果たせぬ恋だと、叶わぬ恋だと思わず追いかけていたあの頃。それは短い夢だと言われれば、そうなのかもしれなかった。
そしてその夢のような世界に別れを告げ、別の世界で生きてきた。だがずっと憧れていた彼女がやっと傍に、これからはずっと傍にいてくれる。
過去に二人の間に起きたひとつひとつに気持ちを傾ける。
そこに見えたのは、コロコロと笑う笑顔の少女。
長い髪をなびかせ駆け抜ける姿を捕まえようと、駆け出したこともあった。
だがいつも捕まえることは出来なかった。
逃げ足が速く、気づけばいつも置いてけぼりを食っていた。だが振り返って向けられた笑顔を忘れることはなかった。眩しかった。暗闇に住む男にとってあの笑顔はどんな人工的な光りよりも眩しかった。心も身体も奪われた瞬間というのは、あの瞬間だった。そしてその時から始まった恋は今、目の前にある。
あの頃、司にだけ向けられていた輝いた笑顔が、今は大人の表情だとしても、瞼に浮かぶのはあの日。雨の日の別れの数時間前に過ごした風景。
透き通るような、それでいて眩しく感じられたあの日の風景。
きらきらと光る青春のひとコマとも言える若かったあの日。
その日々が今、彼の目の前に浮かんでいた。
あの日が帰らない幻の風景だとしても_。
「・・あの・・道明寺・・」
戸惑いながら先に口を開いたのは彼女の方だ。
その声の微かな変化も感じとれる自分がどれだけ彼女を愛しているか。
滑稽なほどだが、それが二人の距離が近づいたしるしだと分かっている。
何か言いたいのは感じた。
それなら彼女が喋る言葉を、聞き漏らすことがないよう、一言一句記憶の手帳に書き記したい気持ちがある。だがもしその唇から零れる言葉に迷いや否定があるなら言わないで欲しい。
「・・聞いて欲しいの・・」
どこか迷っているように語りかけてきた言葉が怖かった。
男と女が繰り返してきた行為が今は怖いと思えた。
彼女に出会うまでのそれは所詮欲にまみれた行為。意味をなさないただの交接。
だが今は違う。
彼女が欲しいが、苦痛しか与えてこなかった行為を歓びへと変えることが出来るのか?
それが怖かった。司にとってセックスは相手に快楽を与える行為ではなかったからだ。
ただ男の生理を満たすたけの行為だったからだ。
だが今は彼女のために何が出来るかを考えていた。
男として彼女を愛することが出来るかどうかと_。
世界的企業トップが、ゆらゆらと揺れる不安定な場所に立ち、身の置き所がないといった姿で考えを巡らす姿は、人間性が欠如していると言われた男にしては、さぞ滑稽だろう。
「・・ああ。どうした?気分が悪いのか?それなら横になるか?」
肉体の欲望を抑え、思わず唾を呑んだ司の喉仏が上下し、二人の視線は絡まり合った。
だがつくしは首を横に振った。
そして迷いながらも口を開いた。
「・・あたしね・・子供が・・産めないかもしれないの・・」
唐突に語り始めたその言葉。
司は一瞬何を話し始めたかと思ったが、つくしの顔は真剣だ。
そしてその表情は何かを決心していた。
「こんな話、してもいいのかわからないんだけど、話しておきたいの。・・いつだったか・・あたしに子供を産ませて道明寺の家を継がせるなんてこと言ってたでしょ?」
確かに言った。
それは自分元から離さない、逃がさないため。道明寺の家に縛り付けるための手段として子供を産ませると言った。
そしてつくしを嫌悪していた両親への復讐といった意味を込め、彼女に子供を産ませ、その子供を道明寺の跡継ぎにしてやると言った。
「・・あたし・・卵巣が片方無いの」
束の間の沈黙が流れ、司を見つめる目は真剣だった。
男である司でも分かる生殖機能についての話。
ゆっくりと語られるのは、言葉を選んでいるからだ。
「就職してから会社の健康診断で再検査の指示が出て、それで検査してもらったら片方の卵巣に腫瘍が出来ててね・・摘出しなきゃならなくなったの」
健康診断で要検査の指示が出たとき何かの間違いだと思った。
だが検査の結果、左側の卵巣に直径5センチの腫瘍が見つかり、手術で左側の卵巣を全摘出した。
そして手術後暫く、治療薬の副作用もあり体調が優れないこともあったが今はもう問題ない。だが、年に一度の検診は欠かしたことはない。
「先生は片方摘出しても妊娠しづらくなることはないけど、ハンディはあるって言われたの。それから片方に腫瘍が出来るともう片方にも再発する可能性があるって_」
立ち上った司はテーブルを回り、椅子に座ったまま見上げるつくしの腕を掴み、立ち上がらせた。彼の大きな手は、つくしの手を掴むと掌にキスをした。そして身体を抱きしめ、彼女の首の横に顔を埋め、コーヒーの混じった息で優しく囁いた。
「・・あれは、あの時の俺は・・おまえが欲しくて仕方が無かった。離したくなかった。・・逃がさねぇつもりで言った。だから子供を産ませて道明寺の家に、俺の傍に縛りつけてやるつもりだった・・」
彼女に対して後悔しなければならない言葉は沢山あると今更ながら気づく。
復讐だと言いながら、彼女が欲しくて欲しくて、誰にも触れさせない、渡さないと監禁した。
だが、それはかつて胸の中に抱きしめていた小さなウサギのぬいぐるみがそうであったと同じ。彼女の存在が、かけがえのないものだと心の中では気づいていたはずだ。にもかかわらず、気持ちも言葉も不要と、身体だけを貪る獣がいた。
「・・道明寺・・だからね・・あたしは・・。そんなあたしでも道明寺の傍にいてもいい?」
何を言いたいのか。だが言わんとすることは理解出来る。
子供が出来ないかもしれない女だが、それでも一緒にいてもいいか。そう言いたいのだ。
「俺はおまえに子供が出来ようが出来まいが関係ねぇよ・・」
本当に関係なかった。
彼女が傍にいてくれるならそれで良かった。
暗闇にいた自分を陽の光りの元へ連れ出してくれた、たった一人の人。
出会ったのは運命で必然のこと。
穢れきって堕落を楽しみ、地の底に堕ちた男が、やっと触れることが許された神聖なるもの。それが彼女だ。
「おまえは何もしなくていい。何も持ってなくてもいい。ただ俺の傍にいてくれたらそれでいい」
それはちっぽけな望み。
愛する人が傍にいてくれたら、それでいい。
だがそう言ったあと、司は慌てて言葉を継いだ。
「・・いや・・傍にいるだけじゃ駄目だな・・やっぱ・・」
その言葉に抱きしめていたつくしの身体がビクンと動く。
「おい、誤解すんじゃねぇぞ?」
と、司は慌てて否定し、彼女の肩に埋めていた顔を上げ、つくしを見た。
「・・俺はおまえに傍にいて欲しい。それは・・これから毎日俺と同じベッドで目覚めるってことだ」
同じベッドで目覚めること。
それは同じ夜を過ごすこと。
毎晩同じ夜を共に過ごしたい。彼の目はそう伝えていた。
「・・・道明寺・・」
見る見るうちに黒い大きな瞳が潤み、やがて大きな涙の粒がポタリと落ちた。
遠い昔雨に濡れた夜、あの日も同じような涙を流したはずだ。
そして今流れる涙が、司の目には『いいわ』と言っているように思えた。
「あたしも・・そのつもりだった。一緒に朝を迎えられたらと思っていた。でもあたしは・・」
唇を震わせながらの言葉。それは決して自分が何かした訳ではないが、病気になったことを悔やんでいる表情だ。
「くだらねぇこと言うな。おまえの身体がどうだろが関係ねぇ。おまえは子供を産む機械じゃねぇだろ?」
その言葉は司自身にも言えた。父親から自分の遺伝子を受け継ぐ子供を作れと言われ、おまえの存在意義は次の世代の子供を残すことだとはっきり言われた。
「・・言っとくが俺は執念深い。それに一度自分のものになったものは決して離さねぇ執着心の強い男だ。何しろ10年前に振られた女を未だに愛してる男だ。そんな男が一度好きになった女を手放すわけねぇだろうが」
それでもいいのか?司はそう言っていた。
そしてその問いかけに黙って頷き返し、司の胸に額を押し付けたつくしの姿があった。
司は『バカかおまえは?俺がどんだけおまえを愛してるか分かってねぇな』と、口にし、つくしの身体を抱きしめた。優しく、力強く。だが決して乱暴ではなく『愛してる』だけを繰り返しながら髪の毛を優しく撫でていた。
そんな司に『ありがとう・・』そう呟いたつくし。
胸板の上、押し付けられた顔は丁度心臓の真上。
触れた彼女の熱に、まだ何も知らなかった少年時代と同じように胸は早鐘を打っていた。
あの日、本当ならこうして抱きしめたかった。
雨に濡れた互いの身体に腕を回し、行かないでくれ。愛してるの言葉を唇に乗せたかった。
だが今、まさにあの日の思いが叶おうとしていた。
司はつくしの身体を抱き上げ、唇を重ねた。そして離してはまた重ねていた。
ただそれを繰り返す男。
言葉がなくても、互いの心の中は、それで充分見えていた。
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とん**コーン様
そうなんです。
つくしちゃんがなかなか妊娠しなかったのは、そういった理由があったのです。
つくしちゃん、辛かったと思います。
それを知った坊っちゃん。
是非とも幸せにしてあげて下さい!!
コメント有難うございました^^
そうなんです。
つくしちゃんがなかなか妊娠しなかったのは、そういった理由があったのです。
つくしちゃん、辛かったと思います。
それを知った坊っちゃん。
是非とも幸せにしてあげて下さい!!
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.21 22:29 | 編集

司×**OVE様
こんにちは^^
つくしちゃん、なかなか妊娠しなかったのは、そういった理由がありました。
今の司くんは、そんなことを気にしてはいません。
ただやはり、女性としては、好きな男性の子供が欲しいと思うでしょう。
そして家族を作ってあげることが出来ないかもしれない・・そう思うと苦しでしょうねぇ。
そうですね、二人には沢山の奇跡が起きていますから、また奇跡が起きることを祈りましょう。
生命を生み出すことが出来るのは、女性だけですが、とてもデリケートです。
司×**OVE様お話し有難うございました。つくしちゃんもきっと大丈夫です。
そして司くんなら、心を砕いてくれるはずです。彼の愛は一途で執念深いですからねぇ(笑)
何か起こりそう(笑)そうですね、どうなんでしょうねぇ(笑)←やはり意味深です(笑)
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
つくしちゃん、なかなか妊娠しなかったのは、そういった理由がありました。
今の司くんは、そんなことを気にしてはいません。
ただやはり、女性としては、好きな男性の子供が欲しいと思うでしょう。
そして家族を作ってあげることが出来ないかもしれない・・そう思うと苦しでしょうねぇ。
そうですね、二人には沢山の奇跡が起きていますから、また奇跡が起きることを祈りましょう。
生命を生み出すことが出来るのは、女性だけですが、とてもデリケートです。
司×**OVE様お話し有難うございました。つくしちゃんもきっと大丈夫です。
そして司くんなら、心を砕いてくれるはずです。彼の愛は一途で執念深いですからねぇ(笑)
何か起こりそう(笑)そうですね、どうなんでしょうねぇ(笑)←やはり意味深です(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.21 22:58 | 編集

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す*ら様
こんにちは^^
拝見いたしました!
>ちょっとひねた司・・(笑)
斜に構えた大人の彼。そんな姿も素敵ですね?
何に対してひねたんでしょうねぇ(笑)
つくしちゃんからデートをキャンセルされたんでしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
拝見いたしました!
>ちょっとひねた司・・(笑)
斜に構えた大人の彼。そんな姿も素敵ですね?
何に対してひねたんでしょうねぇ(笑)
つくしちゃんからデートをキャンセルされたんでしょうか?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.21 23:19 | 編集

pi**mix様
こんばんは^^
えーっと・・ご期待を裏切ってしまいまして・・(笑)
やっと心が一つになったんですから、本当の意味で身体も一つに・・と思うのは当然です(笑)
大人のイチャイチャ(笑)
二人は二人が一緒ならそれでいいんです。
しかし、今後を期待されている!!(笑)
そして坊っちゃんもご褒美が欲しいと思っている(笑)
>坊っちゃん結構しつこい男・・・いつぶりになるか数えてる←(≧▽≦)
確かにもう随分と御無沙汰でしたね?(笑)
続き、書きましたので、坊っちゃんがどのように思われているのか、聞いてやって下さいませ^^
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
えーっと・・ご期待を裏切ってしまいまして・・(笑)
やっと心が一つになったんですから、本当の意味で身体も一つに・・と思うのは当然です(笑)
大人のイチャイチャ(笑)
二人は二人が一緒ならそれでいいんです。
しかし、今後を期待されている!!(笑)
そして坊っちゃんもご褒美が欲しいと思っている(笑)
>坊っちゃん結構しつこい男・・・いつぶりになるか数えてる←(≧▽≦)
確かにもう随分と御無沙汰でしたね?(笑)
続き、書きましたので、坊っちゃんがどのように思われているのか、聞いてやって下さいませ^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.21 23:46 | 編集

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マ**チ様
こんばんは^^
つくしの事情は女性にとってとても切ない事情です。
そうです。子供は結婚の副産物。二人が愛し合っているかどうかが、一番重要です。
司の愛には一点の曇りもありません。それだけは、誓って言えます。
そしてつくしもそうです。
宇多田ヒカルさんもそうでしたね?ですからつくしも望みは充分あります。
マ**チ様に言われた司!(笑)早速宣言通りの行動を起こしたようです!
タマさんのお節介、実行されました(笑)
最近、夜更かし同盟から脱落気味のアカシアです(笑)
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
つくしの事情は女性にとってとても切ない事情です。
そうです。子供は結婚の副産物。二人が愛し合っているかどうかが、一番重要です。
司の愛には一点の曇りもありません。それだけは、誓って言えます。
そしてつくしもそうです。
宇多田ヒカルさんもそうでしたね?ですからつくしも望みは充分あります。
マ**チ様に言われた司!(笑)早速宣言通りの行動を起こしたようです!
タマさんのお節介、実行されました(笑)
最近、夜更かし同盟から脱落気味のアカシアです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2017.05.22 22:50 | 編集
