2017
03.19

あの日、あの時 1

「お待ち合わせですか?」

そう聞かれ、男はなんと答えればいいのかわからなかった。
そして仕方なく答えた言葉は、深い声質のゆったりとした口調で返された。

「相手が来るかどうかわからない。」と。


席に着いた男は背が高く、滅多にお目にかかれないほどの美貌に威圧感が漂い、ひと目見て高級だと分かるスーツに身を包んでいた。危険な雰囲気を感じさせる男であるが、育ちの良さは付け焼き刃では身に付かないという言葉の通り、その男には持って生まれた品の良さが感じられた。

金のカフスが付いたシャツの袖口から、薄い金の腕時計を覗かせ、カウンターに軽く腕を乗せた姿は、富と権力を持つ男の何気ない仕草に見え、それだけで絵になる姿だ。
そんな男は時計を気にしながらも、背後にある入口を決して振り返ることはなかった。
そして黙って煙草に火をつけた。


結局その日、相手は現れなかった。
それから毎日同じ時間になると、ホテルのバーカウンターに一人座り、バーボンのオン・ザ・ロックを口に運ぶ。二杯目を頼み、三杯目を頼むと、バーテンダーはもうそれ以上おかわりが注文されることはないと知っていた。なぜなら男は三杯目を最後にいつも帰って行くからだ。

待ち人が現れることがないと分かった男の三杯目のグラスの中は、氷が溶けだしておらず、そのままの形で残っていた。つまり、三杯目はストレートでひと息にあけるのと同じということだ。そんな男に適量といったものは無いのか、酔うことは決してなかった。

そして午前0時にはその場所を去っていた。



一週間が過ぎても、男はバーに通っていた。
そして、時が来るのを待っていた。
だがいったい何の時を待っているというのか。
口の中に苦いものを覚え、その度バーボンで洗い流すことをしているが、その苦さは、あの日の自分の決断だったのかもしれなかった。





第三世界と呼ばれる発展途上国のひとつの国より資産を持つと言われている男がいる。
彼の両親は息子が自分たちの選んだ家の娘と結婚することを望んでいた。
そして事業の拡大と、その事業を継続させるための子孫を作ることを要求していた。
それは生まれたとき決められた宿命とも言える要求で、本人の意見や同意を求められることはなく、既に決められたこととして受け入れろと言われていた。

結婚に恋や愛は必要ないと一蹴し、もし相手が美人だ、聡明だとしても、それは結婚の必要条件とは見なされはしなかった。どちらにしても、彼自身も美人だと言われる女でも恋になど落ちたことはなく、それ以前に人を愛したこともない。
人を愛する。それは家族の中で姉を除き、感じたことなどない感情だった。

そんな男が生まれてはじめて恋に落ちたのは、平凡な女。
彼の容貌にも財産にも興味がないと言ったただ一人の女。
どこにでもいる、ありふれた女子高校生だった。

当時、特権階級意識の強かった男は、その女性が発した痛烈な言葉が胸に突き刺さっていた。
それは世の中の全ては金次第だと思っていた男にとって理解出来ないことだった。

そんな男は彼女のことに興味を持ち、付き纏うようになった。やがて彼女のことを少しだけ理解出来るようになると、打ち解けた会話が交わされるようになり、二人の関係は緩やかだが彼が望む方へと進んで行くように思えた。だが人生は生まれた時から決められており、自由に過ごしているように思えても、見えない鎖とも言えるものが足枷のように嵌められているのは分かっていた。そしてその鎖を断ち切り、前へと進むことが許されるはずもなく、敷かれたレールの上を歩かなければならなかったこの8年があった。

目を閉じると古傷が疼き出すことがある。
あれは丁度8年前、好きだった女との別れを決めたときだ。
NYで大学に通うかたわら家業である道明寺HDの後継者としての人生をスタートし、母親である社長と交わした約束の4年が終り、さらに2年が過ぎたとき、過酷な現実を突きつけられた。

その現実とは道明寺財閥にとって厳しいもので、病に伏していた父親が前年に亡くなり、その後アメリカで新規参入した事業で発生した損失額が莫大なものとなり、負債が資産を上回る債務超過に陥ることになっていた。そんな中、社長である母親は海外事業におけるリスクの軽視といった責任を問われ辞任。そして財閥は解体の危機に陥った。
そのとき両肩にのしかかる重い責任を実感しないわけにはいかなかった。
日本を代表する一流企業の解体、そして倒産の危機に晒され、生き残るためには犠牲が必要だった。
そしてその犠牲は彼の結婚といった形で補われた。


自分のただひとつの愛が去ったのは、自分がそう決断したからだ。
だが自分なりの結論を出しつつも、彼女のことを忘れることは出来なかった。
最後に交わされた会話を今でも思い出すことが出来る。
あの日、NYへトンボ帰りとも言えるタイムスケジュールで東京へ降り立ち、このバーで待ち合わせをした。共に大人になった二人が酒を飲む機会は少なかったが、それでもワインの一杯くらいは付き合ってくれた。

「じゃあ、元気でね。・・お酒、飲み過ぎないでね。・・身体に気を付けて。」

たったそれだけの言葉で別れた二人がいた。

そして逃げるように背を向けていた。


愚かさと共に失って気付く事がある。
あの選択は間違っていたのかもしれなかった。
あの頃からずっと心は彼女のものだった。
彼女の前では、美しいと言われる女を100人集めたところで太刀打ち出来ない程の何かがあった。表面上のことではなく、彼女を好きになったのは、その精神から来るものだった。

彼女と出会った当時、全ての女に対し捻くれたものを持っていた。女など低俗で頭が悪く、醜くく汚い生き物だと思っていた。あの頃、酷く歪んだ人生を歩んでいると本心では分かっていても、周りの人間は、悪辣な態度を取る男を咎めることはなく、むしろどんなことでも受け入れていた。そんな中、正面切って見返す女が珍しく、他人に対しいかなる感情も抱いたことのない男がその女に惹かれていた。

どこが好きなのかと聞かれてもわからなかった。ただ毎日どんどん惹かれていくのだから理由などありはしない。自分がどうかしてしまったとのではないかと自問自答したこともあったが、理由が見つかるはずもなく、ただ彼女が好きだった。

あのとき、暗闇の中から足を踏み出すことが出来たのは、彼女の手を取ることが出来たからだ。今まで生きてきた中で、あれほど幸せを感じたことなどなく、自分の気持ちを隠すことなどしなかった。
そして、終生愛すると誓った人だったが、その人と過ごすことは出来なかった。

だが思い詰める時間が必要なように、誰にだって時間は必要だ。
そんな時間がやがて人生の転機となるようにと、与えられた時間の全てを仕事に費やした。
断固たる決意のもと、事業を立て直すため、彼女の姿や声を意識の外に押し出し、目標とすることを達成させることに邁進した。今まで他人任せであった少額の契約も詳細にチェックし、最終的な許可を与えるのは自らの責任として行っていた。社内にいる敵対勢力は、所詮親の七光りと、丁重このうえないビジネス用語で進言して来る者もいた。決定に厳しい目を光らせる輩もいた。だが、業績が上向いてくると、手腕を認めない訳には行かなくなっていた。やがて両肩にのしかかっていた重い責任の上に、称賛を積み上げることが出来た。
そして、上場廃止寸前だった道明寺HDの株価を以前の水準まで戻し、いやそれ以上に押し上げ、最終的に会社の全体的な支配権を取り戻すことに成功した。


結婚相手の女性は、あなたに憧れていたと言ったが、夫婦としての生活は無く、明らかに失敗と言える結婚。だがそれでもこの8年間過ごさなければならなかったのは、相手の家の財力が必要だっただけだ。だがそれももう終わりだと、離婚の申し立てをする丁度そのとき、邸に帰りついたところで一台の車が駐車されていることに気付いた。
いつもなら街中のペントハウスに泊まるのだが、その日は邸へと車を走らせていた。

その車が誰の車であるか分かっていた。それは妻となった女の恋人の車だ。明かりの灯らない邸の中、何が行われているか想像することは簡単だ。邸の中に入ることなく、車に引き返したところで、これで離婚に関し自分にとっての好条件が整ったと笑いを堪える己がいた。
もともと愛などない相手だ。誰と寝ようが関係なかったが、これでケリをつけることが出来たと、抑えていた笑いを堪えることを止めた。

離婚調停はNYで最高の離婚専門弁護士の手によって行われたが、相手に選択の余地がないほどの条件付けとなった。そして名目上の妻だった女との離婚が成立した。





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応援有難うございます。こちらのお話しは、短編です。
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コメント
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dot 2017.03.19 05:16 | 編集
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dot 2017.03.19 06:17 | 編集
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dot 2017.03.19 08:26 | 編集
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dot 2017.03.19 10:57 | 編集
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dot 2017.03.19 12:13 | 編集
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dot 2017.03.19 18:22 | 編集
悠*様
『金持ちの御曹司』そろそろ読みたいですか?
只今コメディ脳が働かずシリアス傾向が強いようです。
少々お待ち下さいませ^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.19 23:08 | 編集
チ**ム様
こちら短編なので短い連載です。
つくしちゃんと別れ大人になった司くん。
待ち人は現れませんでした。勿論待ち人は彼女です。
そうでしたか。ご卒業おめでとうございます^^。立派にご成長されたご子息様にお母様もホッと一安心ですね?
そしてこれから色々と楽しみですね!
春の変化・・体調の変化でしょうか(笑)季節の変わり目は色々とあります(笑)
司くんとつくしちゃんは千変万化ですね(笑)本当に二人は色々な人生を経験してますねぇ(笑)
ただ、二人には幸せな人生を送ってもらいたいと思っています。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.19 23:21 | 編集
H*様
おはようございます。
>情景が目に浮かんで不思議な気分・・
二人の別れの場面。辛いですが、これから司は彼女を探し、会いに行くはずです。再び二人の愛が甦りますように。
拍手コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.03.19 23:28 | 編集
Hap**ending様
はい。こちらのお話しも短編です。
一気に読んで頂きありがとうございます^^
別れてしまった二人の今後・・さて、司はどうするのでしょうねぇ(笑)
もちろん彼女のところへ行くはずです。
続きは司の行動力に期待しましょう。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.19 23:37 | 編集
とん**コーン様
待ってて下さったんですね!
嬉しいお言葉、有難うございます(低頭)
ただ、ご期待にお応え出来るかどうか・・。
はい。今回も短編です。
司、離婚が成立しました。
愛を再びその手に出来るのか、これから頑張って頂きましょう(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.19 23:43 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
はい、短編です。只今短編モードです(笑)
司の政略結婚で離れた二人です。8年間の不毛な結婚を経て、離婚が成立した司。
あとはつくしちゃんをその手に・・となるはずです。
愛を再び取り戻して欲しいと思っています。
「あの日、あの時」そうですね、「if」もしも・・という考え方も出来ますね。
あの日、あの時、こうだったら・・。この二人には過去にもそんな場面が沢山あったと思います。
短編です。いつもながら展開は早いと思います。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.19 23:53 | 編集
さと**ん様
タイトルを褒めていただき、有難うございます^^
今回は8年です。前回18年でしたので短いです(笑)
まだ若い二人です。と言っても30代です。
バーのカウンターでバーボンを3杯飲む司。
3杯目はひと息に飲む。味はどうでもいいんです。
来ない人を待った最後の一杯はどんな気持ちだったのでしょう。
足枷の鎖を断ち切ることはしませんでした。
大人になった男は自分の立場と責任を知っています。
苦渋の決断だと思いますが、その決断をしたからには、努力したようです。
二人の人生が再び交差しますように。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.20 00:03 | 編集
サ*ラ様
こんばんは^^
新連載は短編です。そして短編は何故かシリアスになるんです(笑)
司の離婚が成立しこれからですが、なにしろ短編です。
展開は早いです。そして再び結ばれる二人です。
会社の犠牲になった二人ですが、司の心にはつくしに対する熱い思いがあると思います。
頑張れ、坊っちゃん!!
コメント有難うございました^^

アカシアdot 2017.03.20 00:09 | 編集
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