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2017
03.06

時の指先 5

言えない言葉があるとすれば、それはいったい何なのか。
おまえが好きだという言葉を心の中で何度も反芻するが口に出すことは出来なかった。

二人が出会ったとき、ひと目見て好きになった訳ではない。
嫌な男と嫌な女から始まった二人の出会い。
そんな二人がいつしか恋に落ちていた。
どの段階で相手を好きになったか。どんな恋愛にも始まりはある。
それなら二人の恋愛の萌芽はいつだったのか。
一瞬の胸のときめき、疼きといったものがあったはずだ。

嫌な男だった司の方が惚れた。
それなのに、忘れてしまったのは惚れた男の方だというのだから、それは司にとって負い目のようなものである。だが、今の自分は昔の自分とは違う。年齢を積み重ね、人としての経験も積んだ。だからこそ、こうして牧野に触れ合う機会を得た以上、無茶はしたくはない。

恋する人間はよく口にする。互いにひと目惚れだったと。
だが、恋に落ちるまで、相手を好きになるまでには、相手に対する感情のうねりがあったはずだ。それが例え短い間だったとしても。
そして今、こうして30代半ばの二人が再会すれば、それは20代の若者とは違った考え方をするのが当然だ。それぞれに暮らしてきた生活があり、人生があったのだから。
だが、相手は恋人だった男に忘れられ、捨てられた女。そしてその女は男を忘れた。
そんな女性に罪の意識を感じるのは当然なのかもしれない。だからこうして彼女の前でどこか戸惑い遠慮をする自分がいた。


怜悧な男と呼ばれ、世間に対し冷静不遜なほほ笑みを向ける男が、たった一人の女性に手をこまねいていることが信じられないと思うかもしれない。だがこれは紛れもない事実だ。彼女を愛しているから、嫌われたくないから、傍にいたいから何も出来ないのかもしれない。






ホテルに土日祝日は関係ない。
24時間、365日稼働しているのが当然の業界。
年が明け、カレンダーは新しい年の最初の一枚へと変わっていた。
彼女の誕生日は最後の一枚のカレンダーと共に過ぎてしまったが、本当は祝ってやりたかった。18年間祝うことが出来なかった分、思いっきり華やかに祝いたい。そんな思いが頭に浮んだとしても、今の司は牧野つくしの誕生日を祝うことは出来ないのが実情だ。

だが本当は胸に詰まっているつくしという名を口に出し呼びたかった。

ホテルのフロントから始めた仕事も、宿泊課の課長としてのキャリアを積み、仕事に相応しい雰囲気を纏った女性。いい年を重ねつつあるように感じた。司は自分の知らないつくしの18年はどんな年だったのかと思った。あきらから今までひとりだったと聞かされてはいたが、それでも誕生日を祝ってくれた人間はいたのかもしれない。


今の二人の関係は見知らぬ他人から始まって上司と部下となっていた。

30代には見えないところもある牧野は、抑制の取れた態度で女性管理職として、てきぱきと仕事をこなしていた。一般的に昔の恋人と一緒に仕事をすることが、嫌だという人間は多いはずだ。だが司にとって牧野つくしは昔の恋人などではない。今でも好きな女性は、彼の中では恋人だ。18年前のほんの短い付き合いだったとしても、司にとってあの時間は短くも長く感じられていた。そして再びこうして同じ時間を過ごすことが出来るようになった。そうしたいが為の口実をもうけて足しげくホテルを訪れるようになったのだから。

大人になった牧野つくしと一緒に仕事をする。思えばそんなことを考えたことなどなかった。だがあの頃、傲慢で身勝手に生きてきた男は彼女と出会って変わっていた。だから、思い出してあの頃と変わった男を見て欲しい。

だが現実と過去の間に流れた時は、彼女の記憶から司のことを奪い去っていた。
司も彼女の記憶が無かったころ、別の何かが頭の中を占領したことがあったはずだ。頭の片隅にある仄暗い記憶の中から彼女のことを思い出すまで、意識的に別の何かに占領させていたかもしれない。

もし、牧野が記憶を取り戻したとすれば、二人の関係はどうなるのか?
あきらが言ったように、もう愛せないと言われたらどうすればいいのか。
友人でも構わないとはいったが、あれは嘘だ。恋人であった事実を封印し、ただの友人になど戻れるはずがない。



やがてこうして一緒に仕事をしていれば、これまでと違った親しみを覚えたのだろうか。
今では幾分堅苦しさも取れ、控えめだが笑みが浮かぶようになっていた。
ある日、珈琲を飲みながら聞いて来たことがあった。

「・・あの・・副社長は、先日わたしに似ている人とまだ会えないと仰いましたが、まだお探しなんでしょうか?それとももうお会いになれたんでしょうか?」

気付いているだろうか。
その上目遣いが俺を悩ませたことを。
長い黒髪と黒い大きな瞳。そして心を惹き付ける笑顔を見るたび胸の高鳴りが抑えられなかったことを。その笑顔が未来永劫自分に向けられると信じていた頃があった。

「いや。まだ会えないから今も探してる。」

「そうですか。・・探してどうするおつもりですか?」

司は少し考えたが、自分の思いを伝えるいい機会だと思ったので言った。
たとえ、彼女がそれは自分に向けられたことだと分からないとしても。

「彼女が、幸せかどうか確かめたい。当時、わたしはその女性に酷いことをした。だから謝りたいと思ってる。だがもう18年も前の話だ。彼女がそのことを覚えているかどうか・・」

司は18年間眠り続けていた記憶から、思い出されたことをつくしに伝えることにした。

「18年前彼女が教えてくれたことがある。その頃のわたしは、何でも金で買えると思っていた。物は勿論そうだが、人の心も身体もだ。そんなわたしに人の心は金では買えないことを教えてくれたのが彼女だった。」

その言葉は彼女が言った言葉で一番印象深かった言葉だ。
例え金がいくらあろうと、人の心は買えないということを。あのとき、それまで金があれば何でも望み通りに出来ると考えていた男は返す言葉がなかった。それに、それまで司に面と向かって何かいう人間などいなかった。

「それに、彼女と出会ったことで17歳のどうしようもない男は自分が向き合う相手を教えてもらった。彼女と出会ったことで自分が取るべき態度を教えられた。彼女のためならどんなことでもしようと思った。・・彼女が望むことならどんなことでも。」

司はつくしの様子を見ながら言葉を継いだ。

「だが、最後に会ったとき、酷い言葉を言ってしまった。本当に酷いことを言ってしまったと後悔してる。だからそのことを謝りたいと思ってる。いや。謝りたいと思ってるじゃない。謝らなければならない。」

司は誰に理解を求めると言った風ではないが、その言葉はまさにつくしに向かって言った言葉だ。そして浮かべた表情は恐らく彼の人生のうち、何度と見ることが出来ない表情のはずだ。目の前にいる女性に向かって、永遠にいなくなって欲しくない相手に対して向けた微笑みとも言える表情。過分とも言える好意を寄せていると言える男の表情。

「・・そうですか。でもその方は許してくれるはずです。」
彼女は少し間をおいてから、そう言い出した。
「副社長がそうお考えならきっとその思いは伝わるはずです。」


彼女は自分の善意を信じる女性で、だから他人の善意を信じることが出来る女性だった。
相手があやまれば許すことが出来る。そんな少女。
そして自分の信じていることは貫く。そんな態度が時に眩しく感じられたことがあった。
それなら、俺があやまれば、どんなことでも許してもらえるのだろうか。

覚えていなくてもいい。
おまえが、俺が探している女性だとわからなくてもいい。
ただ、気づいて欲しい。今の俺はおまえと同じ独身で、恋人のいない孤独な男だということを。今の牧野に恋人がいるかどうかを調べせたが、いなかった。
そんなことを調べたと知れば怒るだろうが、どうしても知りたかった。

昔、二人は恋人同士だった。
その事実は変わらないものとしてある。決して風化などさせるつもりはない。
過去のものとして語り継ぐものにはしたくない。
だが牧野が過去を知らないというのなら、過去の恋愛関係を葬り去り、新しい関係を築けばいい。過去を意識の下深くに眠らせておきたいというのなら、それでも構わない。
今の二人の打ち解け具合が、上司と部下の範囲というなら、それを前進させればいいはずだ。
二人で過ごせるなら、それでいい。





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コメント
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dot 2017.03.06 06:15 | 編集
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dot 2017.03.06 12:21 | 編集
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dot 2017.03.06 13:25 | 編集
悠*様
いつもご感想をお寄せいただき、有難うございます。
いつもの短編より回数がありますが、深くはないですよ(笑)
大人の二人が何を考えているのか・・
そんなお話しです。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.06 22:43 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
会話の中に自分の記憶が戻ったことを折込みながら話す司。
そうですねぇ・・。今のつくしちゃんはどうなんでしょう・・記憶が戻っているか、そうでないのか・・。
二人の微妙な会話から色々読み取っていただき、ありがとうございます。
5話まで行きましたが、あと少しです。
もう少しだけおつき合い下さい^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.06 22:52 | 編集
さと**ん様
司。過去を振り返りながらの今ですね。
過去があるから大きく出れない。
でも、彼はつくしのことは諦めるつもりはありません。
きっと行動してくれるはずです!
頑張れ司!←応援ありがとうございます。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.06 22:55 | 編集
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