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2017
03.04

時の指先 3

最後まで残っていた薄い雲が太陽の前を過った。
雨が上がり、車道のアスファルトから冷たい空気が立ち昇ってくるのが感じられた。
あの日のことが脳裏に浮かんでは消えていく。
冷たい雨の中、別れを経験した二人。

『あんたのことが好きだったらこんなふうに出て行かない。』

そう言って立ち去った少女の姿が見えた。

あの雨の日に経験した別れはこの場所だった。



司の今までの人生の中で一番辛い思い出が甦った。



長い夜、耳を塞いでも聞こえる雨の音が嫌いだった。
雨の日が嫌いだった理由が今なら分かる。
潜在意識の中にあったあの日の情景。
残る記憶とそうではない記憶があるとすれば、あの記憶は一生消えることはないはずだ。
あんな記憶、本来なら消えてしまってもよかったはずだ。だが消えなかったのは牧野つくしの記憶だったからだ。大切にとっておきたい記憶だったからだ。忘れ去ることが出来なかったのはそのためだ。自分にとって特別な人だったからこそ、そんな記憶も胸の奥深く生きていた。







「牧野は、俺たちのことを覚えてない。おまえに関係する人間のことは全て忘れちまった。」

執務室にあるソファに腰を下ろしたあきらは、真剣な口調でそう言った。
司が記憶を取り戻したと告げると、あきらは直ぐ司を訪ねてきていた。

ネックレスの持ち主は誰かと聞いたとき、重い口を開き、そして牧野つくしという名前を告げたのもあきらだ。そんなあきらに『思い出した。』のひと言だけ連絡があった。
だがそのひと言は司の苦悩を感じさせた。そんなことに気付くのもあきらだからだろう。

あきらという男は、昔から仲間内で一番常識があると言われた男だ。陰の要素を感じさせない明るい性格と言われるが、細やかな心遣いが出来る男でもあった。
そんなあきらの口から語られることは本当なのかといった思いと、自分を見ても何の反応も示さなかったことを思い返せば、そうだったのかといった思いが司の中にあった。だが、どうしてそんなことになったのか。理由が知りたかった。そしてあきらの口が開かれる瞬間、司の心に緊張が走った。

「おまえが刺されたあと、あいつは健気におまえの邸に通ってたよな?でも最後の日、おまえにボールを投げつけて帰ったあとだ。まるで何かを吹っ切ったみたいになってた。とにかくあの日を境にお前の話は一切しなくなった。そのうちお前が学園に来なくなって、NYに渡るってことを耳にしても、おまえのことを口にすることはなかった。それにあいつ、俺たちを避けるようになった。暫く見かけない日が続いてたんだが、あいつ、バイトとかで忙しい女だろ?だからそうだと思ってた。・・・でも違った。」

あきらの口は重かった。

「なにが・・だ?」

司の声は緊張に掠れたが、あきらの返答まで不自然な間が挟まれた。
それは、あきらが言葉を選んでいたせいかもしれない。そして、言いにくそうに口を開いた。

「・・なあ、司。おまえのせいじゃない・・」

何が司のせいではないというのか。
あきらの口から語られるその先を知りたいが、司は自分が記憶を失っていた間にいったい何が起きたのか知るのが怖かった。

「・・あいつあの事件のあと、PTSD(心的外傷後ストレス障害)になってた。あの病気は表面上何も変わらない心の傷だ。だから周りにいる人間は誰も気づかなかった。それにあいつ我慢するの得意だろ?だから苦しい思いをしても我慢してたんだろうな。それに自分で必死に精神のバランスを取ろうとしていたはずだ。でもある日、あいつにとっては決定的な事が起きた。」

「なんだよ?決定的なことって?」

「事件だ。フラッシュバックって言えばわかるか?おまえが刺された事件とは違うが、どこかの街で通り魔殺人があったってニュースがテレビから流れてきた。結構大きな事件で騒がれてたんだが、そのときあいつ、そのニュースを見て倒れたそうだ。それで・・それから俺たちのこと、つまり司に関連する人間のことは忘れてた。・・・おまえのことも含めて。」

あきらはひと呼吸置いた。
そして目の前にいる男の顔を窺いながらゆっくりと言い聞かせるよう言った。

「いいか司。牧野がおまえを忘れたのは、おまえのせいじゃない。今のおまえが何を考えてるのか当ててやろうか?おまえ自分のせいだって-」

「もういい・・あきら。」

司はあきらの言葉を遮った。

「俺のせいじゃないっていうが、俺のせいだ。俺があいつを忘れた。そのことであいつが傷ついたことに変わりはない。きっかけは俺があいつを、牧野のことを忘れたからだ・・」

二人が正真正銘の恋人同士になると決めた島から戻ったとき起こった事件。
あのとき船から降り、互いの手を掴む直前、一瞬の隙をつくかのように二人の間を切り裂いた刃があった。

「司。・・けど、あの事件はおまえが悪いんじゃないことくらい誰でも知ってる。おまえが何かした訳じゃないし、おまえが記憶を・・あいつのことを忘れたのは誰のせいでもないはずだ。あれは・・」

不慮の事故のようなものだ、とあきらは言いかけたが口をつぐんだ。親友は決して不慮だとは考えていないと知っていたからだ。
司の財閥の強引なビジネスのやり方に恨みを持つ男の犯行だ。明らかに殺意をもった行為は、恋人達の仲を引き裂くことになったのだ。それも18年という長い時間が過ぎていた。だがあきらにしても、周りの仲間にしても何もしてやることは出来なかった。

「いいんだ、あきら。話しの本質をそらす必要はない。・・あの事件で身体に傷を負ったのは俺だが、心の傷はなかった。・・俺は忘れた・・自分にとって大切な人を忘れたってことに気付かない俺は、・・何も感じなかったんだ。身体の傷なんてのは時間が経てば治る。けど心の傷は・・そうはいかない。そうだろ?あの事件で誰が犠牲になったとすればあいつだ。牧野だろ?何しろ俺はそんな傷ついた心を抱えた牧野のことを思い出すことがなかった。」

心の傷は見えないが、身体に負う傷と変わりない。
それなのに思い出すどころか、恋人に忘れられ、心に傷を負った少女を罵倒しなじり倒していた。本当ならあのとき、差し出された手を掴み新しい一歩を踏み出すはずだった。

激しい恋だった。
17歳の時、好きになった少女は真っ直ぐな瞳で司の心の中に入り込んでいた。
司が支配人室で見たあの瞳はあの頃と変わらなかった。
どうでもいいと思っていた人生を、彼女のためなら自分のその人生をかけてもいいとまで口にした人だった。何度も好きだと叫んだ人。

今の司は自分の過去の記憶の中にある現実を受け止めようとしていた。
人は過去の記憶の中に美しい思い出として残しておきたいものがある。だが、それはごくわずかだ。そんな中で牧野つくしとの記憶は美しい思い出として残したかったはずだ。だが、司が刺され、記憶を失ったという事実は、牧野つくしにとって苦痛を呼び起こす記憶でしかないということだ。だから心に深い傷を負い、今でも苦しんでいるということか?


「なあ、あきら。俺はどうしたらいい?あいつの・・こと・・」

「司・・おまえ、どうしたらってどういう意味だ?おまえは今でも牧野のことが好きなのか?いいか。よく考えろよ?あいつのことを思い出しても好きじゃないってこともあるんだぞ?なあ、司。どうなんだ?」

あきらはゆっくりと確かめるよう聞いていた。

「俺は好きだ。あの頃と変わらない思いがある。記憶を、あいつのことを思い出した瞬間、まるで高熱が出てうなされたあとのようだった。熱が下がっても暫く動けない・・そんな状態だった。・・けどあいつのことを忘れたのはタチの悪い風邪をひいたのとは訳が違う・・3日やそこらで治る風邪とは・・」

18年を3日で治るような風邪と一緒にすることは出来ない。

「ああ。そうだ。おまえは18年もあいつのことを忘れていた。それで、司、これからどうするんだ?あいつはおまえのことは_」

あきらは言葉に詰まった。

「いいんだ。覚えてないって言うなら。それでも。俺は俺を忘れたあいつを・・そんなあいつと最初から見知らぬ他人としてでもいい。やり直したい。俺があいつのことを好きな気持ちはあの時と同じだ。」


他人の18年というのは案外早く感じるものだ。
よくある話だが、知り合いの子どもがいつの間にか大きくなっているということがある。
そんなとき、「ついこの前までこんなに小さかったのに、いつの間にこんなに大きくなって。」そんな会話が交わされることがある。

司にとっての18年は文字通り人の一生に値するほどの長さがあるはずだ。
まさに子供がいれば、成人しようかという歳月が二人の間に流れていた。
そして司のことを忘れた少女も今は立派なひとりの女性として生活していた。

彼も彼女を忘れて18年。それなら、もう一度やり直せばいいはずだ。
司も今はあの頃と違い社会的地位のある大人だ。
あの頃と同じような失敗をすることはないと断言できる。
彼女との二度目の恋だと思えばいい。二度目なら一度目よりも上手く気持ちを伝えることが出来るはずだ。17歳の頃の自分よりも、もっと上手く愛していると伝えることが出来る。


人は別れた時の相手の年齢を自分の年齢と同じように重ねて思う。
長い間会わなくても、自分がこれだけ人間として成長しているなら相手も自分と同じだけの年齢を重ねていると想像する。だが、司は17歳のときつくしを忘れた。だから離れている間の年齢を重ねようがなかった。

なんの執着もない相手を思い出すことなどないのだから。

司は目を閉じあの頃の牧野つくしを思い出そうとした。

未だに18年ぶりに自分の前に現れたあの女性があの牧野つくしだと信じられない気持ちがあった。彼の中の牧野つくしはあの当時の少女のままだったのだから。想像もしなかった今の牧野つくしの姿は大人の女性。礼儀正しく、控えめで人工的な姿の女性。それは司の周りで働く人間に対し彼が求めていた姿だ。それならなにが不満だというのか。

だが今思い出すのは、大きな瞳で自分を見上げほほ笑む姿。
そして屈託のない笑顔。それはヒマワリが自分に向かって大輪の花を咲かせているようだった。あの頃、華奢で細かったが、今の牧野つくしは女性らしい変貌を感じさせた。それは司が今までつき合って来た女性とは違う女性らしさがあった。司はそんな思いのなか、気になることがあった。どうしても聞いておきたいことがある。
閉じていた瞼を開くと、言った。

「・・あきら。ひとつ教えて欲しいことがある。あいつは、類と・・」

類が牧野つくしの傍にいるような気がしていた。
牧野が困難に陥ったとき、いつも類が傍にいて励ましていた。そんな二人の間には奇妙とも言えるような親密さがあった。あの頃、それを妬んだ自分が理不尽とも言えるような喧嘩を類に仕掛けたことが何度もあった。誇り高いと言われた男だったがプライドより嫉妬が勝っていた。

「司。あいつが、牧野が、おまえが自分を忘れたからってそんなに簡単に他の男になびく女だと思うか?あいつは、おまえのことを忘れてもそんな女じゃなかった。あいつはおまえに忘れられてからも・・ずっとひとりだったぞ。」

司は彼女の、牧野つくしの人生を探りたいと思った。
知りたいと思った。牧野の人生に再び関わりたい。
あの頃と同じあいつの大切な人間の一人になりたい。

「・・なあ。司。もしあいつが、牧野がおまえなんか愛せないって言ったらどうする?」

不意に問われたあきらの言葉。
それは司の心の深い部分にある思いを代弁していた。

「そのときは・・友人としてもいい。・・傍にいたい。」

許されるなら。





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コメント
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dot 2017.03.04 06:03 | 編集
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dot 2017.03.04 06:25 | 編集
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dot 2017.03.04 09:16 | 編集
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dot 2017.03.04 13:53 | 編集
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dot 2017.03.04 22:47 | 編集
す**様
ありがとうございます^^(低頭)
タイトルは最終話の内容にかかっている・・と思います(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.04 23:50 | 編集
悠*様
記憶喪失・・。
切ない二人になってしまうのでしょうか・・。
こちらは短編ですので結末は早いです^^
さら~っとお読み流し下さいね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.04 23:59 | 編集
H*様
そうですねぇ。あきらが言うとおり、司がつくしのことを忘れてしまったのは、誰が悪いわけでもないんです。
大人の二人に幸福を届けたいと思います。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:07 | 編集
m*様
司、悲しいですけど悲しんでる場合ではないですね。
頑張れ司!アカシアも応援したいと思います^^
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:11 | 編集
よ**様
そうですよね・・。
過去の記憶喪失の短編ではつくしが司を想っているというパターンでしたので、少し違いますよね?
えーご質問にはお答え辛い状況です。短編ですのでもう少々お待ち下さいませ^^
つくしちゃん脳腫瘍の話・・「情景」でしたね?楽しんで頂き大変嬉しいです^^
いつもお読みいただき、有難うございます^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:18 | 編集
とん**コーン様
司が切ない思いをしているようです。
応援して頂けると司も頑張ると思います^^
大人の二人の恋は成就するのでしょうか・・。
きっと大丈夫です^^
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:26 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
沢山のご質問にお答え出来ない状況ですが、短編ですので決着がつくのは早いです(笑)
大人の二人の切ない展開ですが、司、大人だからこそ大人の対応でお願いします。←何書いてるんでしょうね・・(笑)
本当に色々ご回答できず申し訳ないのですが、短編ですのでさら~っとお読み下さいね^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:33 | 編集
さと**ん様
タイトルはお話しが読み終わるころ示されています。
恐らくそのはずですが、伝わらなかったらごめんなさいです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2017.03.05 00:35 | 編集
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