司は教会の扉を引いた。
空気はひんやりとしている。そして静かだ。
大きな教会によくある荘厳な雰囲気とは違い、そこはこじんまりとした教会。小さな教会の中に灯された明かりは、蝋燭の淡いオレンジ色のともしびだけ。ゆらゆらと揺れることなく、ぼんやりとした明かりでその場を照らしていた。薄暗く、くすんだ石の床、そして視線の先には磔にされた男の姿がある。
この家の主であるイエス・キリスト。
司は視線をまっすぐ前に向けていた。
もし奇跡が起こるなら、天からの贈り物があるとすれば、こんな場所ではない。神はもっと華やかな場所が好きなのではないか。彼は単純にそう思っていた。それはまさに祈りなど捧げたことのない男、信仰心がない男が考えることだ。
イエス・キリストと呼ばれる神の家へと足を踏み入れる。
そのこと自体が実に滑稽だと彼自身思う。だがどうしても、この場所へ足を踏み入れるべきだと感じていた。しかし彼は懺悔を聞いてくれる司祭を探しているわけではない。ここはある意味、孤独に生きることを選んだ男には似合いの場所なのかもしれない。心を壁で囲い、誰も寄せ付けないようにして来た男にとって。
イエスも孤独な男だったと聞く。
だが、イエスは言った。
「あなたは一人ではない」と。
決して人は一人ではない、孤独ではないと。
孤独でいることと、一人でいることは違うというが、何が違っているというのか。人は一人でいることから逃げようとする。そして一人でいることを嫌う。だが司は一人でいることを求めた。一人でいることを孤独とは思わなかった。むしろ物事を深く考えることが出来ると思った。
教会の薄暗さに目が慣れるまで、司はその場所に立ち尽くしていた。
やがてその暗さに目が慣れると、司の口から声にならぬ声が漏れた。
神よ_
信じられないという思いで佇む男。
神の名など口にしたことがない男の口から漏れた主の名。
たとえそれが幻影だったとしても、夢だとしても、そこに彼女がいた。この場所に足を踏み入れ、周囲を一瞥したが、他に人がいることに気づかずにいた。まるで背景に溶け込むかのような黒色のコートを着た女。青白い顔に相変わらず大きく黒い瞳が印象的な女。彼を見据えるその瞳は、大きな衝撃を受けたように見開かれている。
だが_
あの長い髪はどうした?
俺が当時知っていた少女はどこにいった?
あの頃輝いていた少女は・・・。
暗がりの中でもわかる、すこし痩せたような女。
沈黙の中であったが、どこか、なにか表情が現れはしないか。そう思って目を凝らしたが、何も見つからなかった。
かつて喉が渇いた人間が、水を求めるのと同じように彼は彼女を求めた。
欲しくて欲しくてたまらなかった女性が今、目の前にいる。
だが心臓の動きが、一瞬だが動きを止めてしまったかのようになり、身体が動かなくなった。満足に息をつくことが出来ない。
手を伸ばせばすぐそこにあの時の少女がいるというのに、脚が動かない。
ふたりは長いことお互いを見つめ合っていた。
いつも笑顔だった顔はそこにない。
あの明るさを奪ったのは誰なんだ?
それは恐らく自分だ。
決して自負があるわけではないが、彼はそう考えた。
いや、心のどこかでそう思った。
両手は抱きしめたい人を求め差し出そうとするが、震えていた。
まるで全身に震えが憑りついたように、心の奥底から湧き上がる思いが彼の身体を震わせた。目に涙が沁みるのがわかったが、涙は頬を伝うことはない。なぜなら瞬きをしたくないからだ。目を閉じた瞬間、目の前の女が消えてしまわないかと思った。
二度と会えない、会うべきではない女性、会ってはいけない。
そんな女性に会えた。それが頭の片隅で幻ではないとわかっているが、心の中の己はそれを信じていない。目で見る光景と心が感じる想いは違う。脳が、目が、ひとつになって彼の前に立つ女性を映し出しているというのに、心が追いついていかない。
足を踏み出せば、抱きしめることが出来るはずだ。
手を伸ばせば、触れることが出来るはずだ。
その髪に。
その頬に。
そして、その唇に。
触れたい。
だが、牧野は結婚している。
司が彼女の行方を調べたとき、彼女は牧野ではなかった。
だがどうしても抱きしめたい。
許されないことだとわかっていても彼女を抱きしめたい。
おまえは今幸せなのか?
想像の世界ではそう聞いたことがある。
頭の中で何度かそんな言葉が過ったことがあったはずだ。
そのとき、もし願いが叶うならと、どこか心の中で祈ったかもしれない。
会いたいと。
長い沈黙が支配する教会のなか、口を開いたのはどちらなのか?
薄暗い明かりしかないこの場所で、女の口が動き、聞き取れぬ言葉をつぶやいた。
道明寺、と。
司は確かにその声を聞いた。
自分の名を呼ぶ声はあの当時と変わらない優しい声。途端、彫像のように動けなかった身体が、命が吹き込まれたかのように、動き出す。
それまでは、まるでその場所から動いてはいけないと見えない力が働いていたが、彼女が彼の名前をつぶやいた途端、まるで呪縛が解けたように足が前へ出た。
彼女の温かい体温を感じたい。
その腕で抱きしめてもらいたい。
そのとき、薄暗い教会のなか、二人の上から一筋の光が差し込んだ。
雲の隙間を縫い、教会のステンドグラスから漏れる光の筋。
それはまさに神の国から彼らのもとへ下ろされた光の梯子。
雲の切れ間から差す梯子のような光。
それは、まさに 『 天使の梯子 』 と呼ばれる光。
旧約聖書に由来するが、天から地上を差す光を使い、天使が上り下りしている姿を見たという記述に由来していた。
その梯子が今、二人に向かって降ろされた。
暗がりに差し込む一筋の光。
司は60階の執務室から見た一筋の光はこの光だったのではないかと思った。
あのとき見た一筋の光が差し込んだ場所は、この教会だったと今、わかった。
それは司だけに示された神の啓示。
神の遣わした天使が、この場所を司にお示しになられた。
そして、今日がその時だと。
話したいことは山ほどある。だが今は何も話したくはない。
ただ、会いたかった人に会えた。それだけの思いで抱き合いたいだけだ。
今はただそれだけでいい。何もかも忘れて二人だけの世界で抱き合いたい。
もし、涙を流すなら一人になってからと、幼い頃一人で過ごす広大な邸の中で覚えた。
決してひと前で涙は流さないとそう決めた。
だが_
まきの・・
会いたかった!
頬が冷たく、何かで濡れているのが感じられた。
司はつくしをきつく抱きしめた。
ずっとこうしたかったはずだ。
心の中にはこうすることを望んだことがあったはずだ。
記憶が戻ってから、すぐにでも彼女の傍に行って抱きしめたかった。
「あたしを覚えてる?」
と、言った女。
「覚えてない」
と、言った男。
だがすぐに言った。
牧野、牧野、牧野、と。
バリトンの太さと有無を言わさぬ力強さが、愛しい人の名を耳元で囁いていた。
やがて少しして、落ち着ついたところで、女は言った。
「長い旅をして来たのね?」
決して責めるような言葉は口にしない女。
「ああ。長すぎたが会いたかった」
優しく抱くと低い声を耳元で囁く。
一番言いたかった言葉は会いたかった。
何度でも言える。
スッと細めた目は愛おしそうに腕の中に閉じ込めた女を見た。
「こんなふうにおまえを抱くことが出来るなんて思わなかった」
まるで欠けていた何かが手元に戻ったようだ。
会いに行こうと思えばいつでも会いにいける距離にいた。同じ街にいたが、会いに行くことが出来ずにいた。彼女がいない世界など想像できなかったはずだというのに、彼はこの街で15年、ひとり生きてきた。そして彼女も沢山の思いを抱え生きていた。司が記憶を回復し、彼女の行方を調べたとき、結婚してこの街にいた。だが、それから後、1年足らずで離婚したと聞かされた。司の目は彼女の左手へ動いた。結婚指輪はしていなかった。
同じ街で、ほんのわずかな距離にいながら、互いのことを知らずにいた。
司が記憶を回復したタイミングと、つくしが離婚したタイミングのずれは、たった1年だけだった。
不釣り合いだと言われた二人。
一枚の板の上に立つとすれば、つり合いがとれるはずもなく、片方はいつも沈んでいた。
だから二人が知り合ったのは、まさに偶然。神の悪戯か、気まぐれか。
そして離れ離れになった二人。
だがそんな二人がまたこうして同じ場所に立っている。
あの当時と同じで不釣り合いなままかもしれない。
だがそれでもいい。気持ちはあの頃と同じで変わってない。
偶然立ち寄っただけのこの教会。
神は二人を再び引き合わせた。
長い間、触れ合うことのなかった恋人同士がこうして再び神の家で会う事が出来た。
人はそれを運命というはずだ。
偶然という運命によって出会った若い頃の二人。
そして再び偶然によって引き合わされた今の二人。
だが、これは必然だと思いたい。
神の意志が働いたとしか言えない出会い。
大都会の片隅にある古い教会のなか。
目を閉じればあの頃が、若かった二人が甦るはずだ。
道明寺、と。呼ばれ、
牧野、と。呼んだ。
そう呼び合えた頃のあの日の二人の姿が。
今からでも決して遅くない。
はじまりはいつもある。
そう、物語のはじまりは。
今日、この場所からはじめればいい。
長い旅をしてきた二人。
それは、それぞれ別の道を別の列車で移動したようなもの。だがその軌道は今、再び交わった。幾つかの駅を通過し、そして止まり、別の列車に乗り換える。そんなこともあったかもしれない互いの人生。だがどの列車も乗客はただひとり。彼も彼女も乗った列車の乗客は自分だけ。ひとりだけだった。互いに孤独の旅だったはずだ。だがここがターミナル、終着駅だ。
ニューヨークにある神の家と呼ばれる教会。
二人の人生の再スタートには相応しいはずだ。
ひとりぼっちで生きる人生は長い。
だが二人でいれば、長い道のりも短く感じるはずだ。
例えどんな環境にいようと、二人が一緒なら。
司は言った。
これからのおまえの人生は俺に預けてくれないか?
人生はどこかで帳尻があうようになっているという。
いい事が長く続かないのと同じで、悪いことも長く続かない。
それなら俺たち二人は残りの人生を幸せに過ごせば、辻褄があう。
だってそうだろ?
今まで二人が過ごせなかった幸せな時間をこれから過ごせばいい。
神は二人が一緒に過ごせなかった幸せをこれから与えてくれるはずだ。
それが二人の人生のあるべき方向のはずだ。
過去を遡ることはしなくていい。
これからは未来だけを見て進めばいい。
二人の間に流れた長い時間はもう終わった。
司はつくしの両手を取ると、見下ろした。
そして言った。
「もう決して、この手は離さない」
*Against All Odds~困難を乗り越えて~ < 完 >
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この家の主であるイエス・キリスト。
司は視線をまっすぐ前に向けていた。
もし奇跡が起こるなら、天からの贈り物があるとすれば、こんな場所ではない。神はもっと華やかな場所が好きなのではないか。彼は単純にそう思っていた。それはまさに祈りなど捧げたことのない男、信仰心がない男が考えることだ。
イエス・キリストと呼ばれる神の家へと足を踏み入れる。
そのこと自体が実に滑稽だと彼自身思う。だがどうしても、この場所へ足を踏み入れるべきだと感じていた。しかし彼は懺悔を聞いてくれる司祭を探しているわけではない。ここはある意味、孤独に生きることを選んだ男には似合いの場所なのかもしれない。心を壁で囲い、誰も寄せ付けないようにして来た男にとって。
イエスも孤独な男だったと聞く。
だが、イエスは言った。
「あなたは一人ではない」と。
決して人は一人ではない、孤独ではないと。
孤独でいることと、一人でいることは違うというが、何が違っているというのか。人は一人でいることから逃げようとする。そして一人でいることを嫌う。だが司は一人でいることを求めた。一人でいることを孤独とは思わなかった。むしろ物事を深く考えることが出来ると思った。
教会の薄暗さに目が慣れるまで、司はその場所に立ち尽くしていた。
やがてその暗さに目が慣れると、司の口から声にならぬ声が漏れた。
神よ_
信じられないという思いで佇む男。
神の名など口にしたことがない男の口から漏れた主の名。
たとえそれが幻影だったとしても、夢だとしても、そこに彼女がいた。この場所に足を踏み入れ、周囲を一瞥したが、他に人がいることに気づかずにいた。まるで背景に溶け込むかのような黒色のコートを着た女。青白い顔に相変わらず大きく黒い瞳が印象的な女。彼を見据えるその瞳は、大きな衝撃を受けたように見開かれている。
だが_
あの長い髪はどうした?
俺が当時知っていた少女はどこにいった?
あの頃輝いていた少女は・・・。
暗がりの中でもわかる、すこし痩せたような女。
沈黙の中であったが、どこか、なにか表情が現れはしないか。そう思って目を凝らしたが、何も見つからなかった。
かつて喉が渇いた人間が、水を求めるのと同じように彼は彼女を求めた。
欲しくて欲しくてたまらなかった女性が今、目の前にいる。
だが心臓の動きが、一瞬だが動きを止めてしまったかのようになり、身体が動かなくなった。満足に息をつくことが出来ない。
手を伸ばせばすぐそこにあの時の少女がいるというのに、脚が動かない。
ふたりは長いことお互いを見つめ合っていた。
いつも笑顔だった顔はそこにない。
あの明るさを奪ったのは誰なんだ?
それは恐らく自分だ。
決して自負があるわけではないが、彼はそう考えた。
いや、心のどこかでそう思った。
両手は抱きしめたい人を求め差し出そうとするが、震えていた。
まるで全身に震えが憑りついたように、心の奥底から湧き上がる思いが彼の身体を震わせた。目に涙が沁みるのがわかったが、涙は頬を伝うことはない。なぜなら瞬きをしたくないからだ。目を閉じた瞬間、目の前の女が消えてしまわないかと思った。
二度と会えない、会うべきではない女性、会ってはいけない。
そんな女性に会えた。それが頭の片隅で幻ではないとわかっているが、心の中の己はそれを信じていない。目で見る光景と心が感じる想いは違う。脳が、目が、ひとつになって彼の前に立つ女性を映し出しているというのに、心が追いついていかない。
足を踏み出せば、抱きしめることが出来るはずだ。
手を伸ばせば、触れることが出来るはずだ。
その髪に。
その頬に。
そして、その唇に。
触れたい。
だが、牧野は結婚している。
司が彼女の行方を調べたとき、彼女は牧野ではなかった。
だがどうしても抱きしめたい。
許されないことだとわかっていても彼女を抱きしめたい。
おまえは今幸せなのか?
想像の世界ではそう聞いたことがある。
頭の中で何度かそんな言葉が過ったことがあったはずだ。
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会いたいと。
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薄暗い明かりしかないこの場所で、女の口が動き、聞き取れぬ言葉をつぶやいた。
道明寺、と。
司は確かにその声を聞いた。
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それまでは、まるでその場所から動いてはいけないと見えない力が働いていたが、彼女が彼の名前をつぶやいた途端、まるで呪縛が解けたように足が前へ出た。
彼女の温かい体温を感じたい。
その腕で抱きしめてもらいたい。
そのとき、薄暗い教会のなか、二人の上から一筋の光が差し込んだ。
雲の隙間を縫い、教会のステンドグラスから漏れる光の筋。
それはまさに神の国から彼らのもとへ下ろされた光の梯子。
雲の切れ間から差す梯子のような光。
それは、まさに 『 天使の梯子 』 と呼ばれる光。
旧約聖書に由来するが、天から地上を差す光を使い、天使が上り下りしている姿を見たという記述に由来していた。
その梯子が今、二人に向かって降ろされた。
暗がりに差し込む一筋の光。
司は60階の執務室から見た一筋の光はこの光だったのではないかと思った。
あのとき見た一筋の光が差し込んだ場所は、この教会だったと今、わかった。
それは司だけに示された神の啓示。
神の遣わした天使が、この場所を司にお示しになられた。
そして、今日がその時だと。
話したいことは山ほどある。だが今は何も話したくはない。
ただ、会いたかった人に会えた。それだけの思いで抱き合いたいだけだ。
今はただそれだけでいい。何もかも忘れて二人だけの世界で抱き合いたい。
もし、涙を流すなら一人になってからと、幼い頃一人で過ごす広大な邸の中で覚えた。
決してひと前で涙は流さないとそう決めた。
だが_
まきの・・
会いたかった!
頬が冷たく、何かで濡れているのが感じられた。
司はつくしをきつく抱きしめた。
ずっとこうしたかったはずだ。
心の中にはこうすることを望んだことがあったはずだ。
記憶が戻ってから、すぐにでも彼女の傍に行って抱きしめたかった。
「あたしを覚えてる?」
と、言った女。
「覚えてない」
と、言った男。
だがすぐに言った。
牧野、牧野、牧野、と。
バリトンの太さと有無を言わさぬ力強さが、愛しい人の名を耳元で囁いていた。
やがて少しして、落ち着ついたところで、女は言った。
「長い旅をして来たのね?」
決して責めるような言葉は口にしない女。
「ああ。長すぎたが会いたかった」
優しく抱くと低い声を耳元で囁く。
一番言いたかった言葉は会いたかった。
何度でも言える。
スッと細めた目は愛おしそうに腕の中に閉じ込めた女を見た。
「こんなふうにおまえを抱くことが出来るなんて思わなかった」
まるで欠けていた何かが手元に戻ったようだ。
会いに行こうと思えばいつでも会いにいける距離にいた。同じ街にいたが、会いに行くことが出来ずにいた。彼女がいない世界など想像できなかったはずだというのに、彼はこの街で15年、ひとり生きてきた。そして彼女も沢山の思いを抱え生きていた。司が記憶を回復し、彼女の行方を調べたとき、結婚してこの街にいた。だが、それから後、1年足らずで離婚したと聞かされた。司の目は彼女の左手へ動いた。結婚指輪はしていなかった。
同じ街で、ほんのわずかな距離にいながら、互いのことを知らずにいた。
司が記憶を回復したタイミングと、つくしが離婚したタイミングのずれは、たった1年だけだった。
不釣り合いだと言われた二人。
一枚の板の上に立つとすれば、つり合いがとれるはずもなく、片方はいつも沈んでいた。
だから二人が知り合ったのは、まさに偶然。神の悪戯か、気まぐれか。
そして離れ離れになった二人。
だがそんな二人がまたこうして同じ場所に立っている。
あの当時と同じで不釣り合いなままかもしれない。
だがそれでもいい。気持ちはあの頃と同じで変わってない。
偶然立ち寄っただけのこの教会。
神は二人を再び引き合わせた。
長い間、触れ合うことのなかった恋人同士がこうして再び神の家で会う事が出来た。
人はそれを運命というはずだ。
偶然という運命によって出会った若い頃の二人。
そして再び偶然によって引き合わされた今の二人。
だが、これは必然だと思いたい。
神の意志が働いたとしか言えない出会い。
大都会の片隅にある古い教会のなか。
目を閉じればあの頃が、若かった二人が甦るはずだ。
道明寺、と。呼ばれ、
牧野、と。呼んだ。
そう呼び合えた頃のあの日の二人の姿が。
今からでも決して遅くない。
はじまりはいつもある。
そう、物語のはじまりは。
今日、この場所からはじめればいい。
長い旅をしてきた二人。
それは、それぞれ別の道を別の列車で移動したようなもの。だがその軌道は今、再び交わった。幾つかの駅を通過し、そして止まり、別の列車に乗り換える。そんなこともあったかもしれない互いの人生。だがどの列車も乗客はただひとり。彼も彼女も乗った列車の乗客は自分だけ。ひとりだけだった。互いに孤独の旅だったはずだ。だがここがターミナル、終着駅だ。
ニューヨークにある神の家と呼ばれる教会。
二人の人生の再スタートには相応しいはずだ。
ひとりぼっちで生きる人生は長い。
だが二人でいれば、長い道のりも短く感じるはずだ。
例えどんな環境にいようと、二人が一緒なら。
司は言った。
これからのおまえの人生は俺に預けてくれないか?
人生はどこかで帳尻があうようになっているという。
いい事が長く続かないのと同じで、悪いことも長く続かない。
それなら俺たち二人は残りの人生を幸せに過ごせば、辻褄があう。
だってそうだろ?
今まで二人が過ごせなかった幸せな時間をこれから過ごせばいい。
神は二人が一緒に過ごせなかった幸せをこれから与えてくれるはずだ。
それが二人の人生のあるべき方向のはずだ。
過去を遡ることはしなくていい。
これからは未来だけを見て進めばいい。
二人の間に流れた長い時間はもう終わった。
司はつくしの両手を取ると、見下ろした。
そして言った。
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司×**OVE様
こんにちは^^
長い旅をして、二人の道が交わる場所は教会でした。
何もない人生はありませんから、お互いに色々とあったと思います。
そんな二人には、これからじっくりと話し合って頂きましょう。
そうですよね・・拙宅の短編ってどうしていつも切ない始まりになるのでしょう・・(笑)
そうなんですか!短編を読み返して頂いている・・なんだか申し訳ないです。
本当は加筆修正したいところが沢山あるんですが、時間が取れず・・・。
サンタさんからのプレゼント、喜んでくれて良かったですね^^
有馬記念・・キタ*ンは残念ながらでしたねぇ。ツカサブラックは・・(笑)
年末にかけてまだまだ賑やかそうですね?師走ですので、皆さん忙しそうに見えます。
気ぜわしい時ですが、ご体調など崩されませんようにお過ごし下さいませ。
いつもお読み頂きありがとうございます(低頭)
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
長い旅をして、二人の道が交わる場所は教会でした。
何もない人生はありませんから、お互いに色々とあったと思います。
そんな二人には、これからじっくりと話し合って頂きましょう。
そうですよね・・拙宅の短編ってどうしていつも切ない始まりになるのでしょう・・(笑)
そうなんですか!短編を読み返して頂いている・・なんだか申し訳ないです。
本当は加筆修正したいところが沢山あるんですが、時間が取れず・・・。
サンタさんからのプレゼント、喜んでくれて良かったですね^^
有馬記念・・キタ*ンは残念ながらでしたねぇ。ツカサブラックは・・(笑)
年末にかけてまだまだ賑やかそうですね?師走ですので、皆さん忙しそうに見えます。
気ぜわしい時ですが、ご体調など崩されませんようにお過ごし下さいませ。
いつもお読み頂きありがとうございます(低頭)
コメント有難うございました^^
アカシア
2016.12.26 00:52 | 編集

悠*様
こんにちは^^
クリスマスに相応しいと感じて頂けて大変嬉しいです。
拙宅の司は、原作よりも随分と大人に変化した司になっていると思います。
それは単なる好みでして・・(笑)
そんな司でも理想だと言って頂けるんですね!
ありがとうございます^^
つかつく万歳 ← 同じくです^^大人の坊っちゃん、いい男だと思います。
そんな彼に会いたいと願うアカシアです。
コメント有難うございました^^
こんにちは^^
クリスマスに相応しいと感じて頂けて大変嬉しいです。
拙宅の司は、原作よりも随分と大人に変化した司になっていると思います。
それは単なる好みでして・・(笑)
そんな司でも理想だと言って頂けるんですね!
ありがとうございます^^
つかつく万歳 ← 同じくです^^大人の坊っちゃん、いい男だと思います。
そんな彼に会いたいと願うアカシアです。
コメント有難うございました^^
アカシア
2016.12.26 01:03 | 編集
