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2016
12.24

Against All Odds 中編

世界中の誰よりも一番幸せになって欲しい。
毎年この季節になると、そんな思いを込め祈りを捧げていた。
あたしが出来ることは、ただ祈ることだけ。
ただひたすら、あの人が幸せに過ごせますようにと。

この場所に膝をつき、目を閉じ、祈りを捧げる。
そうすることで、日々の中で味わった喜びや悲しみの全てをあの人に伝えることが出来るのではないか。そう思っていた。


__道明寺、元気にしてる?

あんたの噂は色々聞くけど、大変だね?

でも仕事は順調そうだし、元気でよかった。

あたしも元気にしてるよ。



かつて愛し合った人がいた。
だが、今その人はここにいない。
例え全てを投げ出していたとしても、手に入らない人だった。
失った恋人は彼女の事を忘れてしまったが、つくしは自分を忘れた恋人のことを、忘れたことはなかった。どんな境遇にいようと、忘れられなかったということだ。


この街に暮らして6年が経つ。その間、何度か彼を見かけたことがある。
街の雑踏に紛れた女が彼を見ることが出来たのは、セレブリティの集うパーティー会場となったホテルエントランス。多くの有名人が集まるパーティー。誰が来るのかと入口で待つ人間たちがいるが、つくしもその中にいた。
ひと目でいいから会いたい。そう思って足を運んだ。
だが、彼の目につくしの姿は映らなかった。黒く冷たい瞳は誰の姿も映し出すことなく、ただカメラのレンズのように、目の前のモノを認識しているだけだった。

忘れられた恋人。
そんな言葉が繰り返し使われたこともあったが、もう随分と昔の話だ。今ではもう誰も彼女のことなど口にしなくなっていた。そんな女は恋人の親友たちとも縁を切っていた。
つくしは人に頼ることが苦手な女だ。小さい頃からなんでも自分で決めなければならない環境で育ったこともあり、自分ひとりでなんとかしようとする癖がついていた。だから、ひとりでいる方が楽だった。


いつもこの季節になると教会へと足を運ぶ。
この場所ならあの人の魂がある様な気がするからだ。あの時、失われてしまった彼の心がここにある。そんな気がしていた。
神様はあの時の道明寺の心を預かってくれている。だから、いつかその心を彼に返してくれるはずだ。それがいつになるかわからないが、それでもいい。5年だろうと、10年だろうと、あの人があの頃の心を取り戻してくれるなら。そして、神様が早くあの人に心を返してくれますようにと祈る。あたしにはそれくらいしか出来ないとわかっている。

思い出に形を与えることは出来ない。
いつまでも色褪せることがない思い出は、あたしの心の中にあればいい。
かつて二人が恋人同士として過ごした短い時間が確かにあった。

だが、あれからつくしの前には沈黙の時間しかなかった。
そんなとき、沈黙にむかって涙を流すことがあった。涙がひっそりと頬を流れて落ちる。幾千もの長い夜もひとりで過ごしてきた。涙を呑んで暮らす日々が何日も続いたことがあった。そんな日々が暫く続くと、やがて時の経過と共に思い出も少しずつ変わっていったのかもしれない。


時の流れは誰にも平等に訪れる。
そして人生は限られている。
人生の中に巻き起こった嵐とも言える恋。
それはひとときの一瞬とも言える時間だったのかもしれない。
余りにも短すぎた恋だった。
だが、彼を知り、愛することが出来た。
そして、もう誰も他の人を愛することは出来ないと知った。


離婚が成立したのは5年前。
つくしは年の離れた大学教授だった男と離婚した。
結婚したのは6年前。
たった1年の短い結婚生活だった。

相手は初婚で50代の男性。紹介され、請われ、形だけの結婚。それは始めから告げられていたことで、それならとつくしも了承した。夫婦となったが一緒に暮らしたことはない。まさに名前だけの結婚。連絡があるのは、夫婦として行事に参加しなければならない時だけで、あくまでも他人だった。

形だけの結婚を承諾したには理由がある。
それは結婚相手が、この街の大学で教鞭をとることになったと聞いたからだ。
不純な動機だとわかっていたが、道明寺が暮らすこの街に住む事が出来るならと承諾した。
恐らくその頃のあたしは、孤独感にうちひしがれていたのかもしれない。誰の心にもふっと忍び寄る哀しみと寂しさ、そして孤独に。だが、だからと言って結婚相手と一緒に暮らしたいとは思わなかった。

孤独感にうちひしがれる。
どうしてあの頃、そんなことを感じてしまったのか。それは、彼が、道明寺の婚約の話が出たからだ。誰かと婚約する。そして結婚する。あの頃、そんな話があったはずだ。その季節もちょうど今と同じ冬だった。だが、道明寺は結婚しなかった。理由は知らないが結果として彼は結婚しなかった。記憶を無くした男は相変わらず他人を受け付けることをしないようだ。

結局、あたしは1年も経たずに離婚した。
大学教授という立場がどんな立場か理解出来ないが、独身でいることよりも、結婚しているということが重要だったのかもしれない。だがどうして自分が選らばれたのかわからなかった。他人から結婚した理由を聞かれたとき、なんと答えたのか、もう覚えていなかった。
なにしろ、何の関係もない名ばかりの夫だったのだから。

人は一生に一度恋をするとは限らない。
何度も恋をして、自分に相応しい人を探し続ける人もいる。
だが、どうやらそれはあたしには当てはまらないようだ。

あたしの恋はあの時の一度だけでもう恋は出来ない。
だから求めに応じ、形だけの結婚を受け入れてしまったが、それすら無理だということがすぐにわかった。自分の気持ちに嘘はつけない。妥協なんてするべきじゃない。かつて優柔不断と言われた女だったが、別れを決めるのは早かった。

例え道明寺があたしのことを思い出さなくても、二人で一緒に生きることが出来なくても、あの人を愛し続ける。

道明寺以外愛せない。

あいつ以外に愛されたくなんてない。

あたしの心の中には、まだ道明寺への愛がある。
涙とともに去った日々も、今はもう過去だ。
また今日から、この祈りを捧げた日があたしにとって新たな一年のスタートだ。
どれほど二人の関係が離れていようと構わない。
あの頃だってそうだったはずだ。二人の周りにあったのは悪意と偏見と嫉妬。
だがそれすらバネにした。

もし、誰かに恋をしたことがあるか、と聞かれれば自信を持って言える。
一生に一度の恋をしたと言える。
そしてそれが最後の恋だと。

二人の思い出は少ない。だからどんな些細なことも、痛みを伴うことになった出来事も、全てが懐かしい思い出となって心の中にある。激しい雨に打たれることもあったが、二人が経験した雨のような雨はまだ経験したことがない。

ただ、あの日だけは思い出にしたくない。

あの日を思い出すたびに、離婚後一人旅で訪れた国の街を思い出す。


ローマにあるバチカン市国。
イタリアの中にあっても独立したひとつの国家として認められている世界最小の国家。
言わずと知れたキリスト教、カトリック教会の総本山であるサン・ピエトロ寺院がある。
大聖堂のなか、そこに聖母マリアに抱かれるイエス・キリストの姿を見ることが出来る。

死んで十字架から降ろされた息子であるキリストを抱く聖母マリア。
ひとりの女が息絶えた男を腕に抱く姿がある。聖母マリアの悲しみは、愛する者を永遠に失った悲しみの顔。もう二度と彼女の腕に抱かれた男が甦ることがないと伝えている。

十字架から降ろされた、キリストを抱くマリアの姿を描いた絵画や彫刻は、イタリア語でピエタと呼び、意味は慈悲、哀れみだ。多くの芸術家たちが作成して来たその姿。
なかでも、ミケランジェロが2年の歳月をかけ作り上げた大理石の薄衣を纏った二人の姿は、他を圧倒する。それは時を超越して、神話となった二人の姿。
この寺院を訪れた者全てが必ず見るといわれる彫刻は、静かな佇まいを持ってそこにある。

肉体が衰えるような劣情を抱いたことがない聖母マリアの姿は、自然の摂理に逆らっていると言われている。それは、聖母マリアは息子であるイエス・キリストの姿よりも若い姿をしていると言われているからだ。そのため、このマリアは不滅の純潔の象徴とも言われている。

つくしは以前その場所を訪れたとき、足をとめ、その彫刻の前で心に痛みを覚えた。
あのとき、血を流して倒れた道明寺と、聖母マリアの腕に抱かれた男の姿が重なって見えた。彼女の手の届かない場所へと旅立った男を胸に抱き、哀しみに暮れる女性。その女性に自分を重ねていた。

そして、原罪なく妊娠した女性と同じ、まだ誰のものにもなったことのない自らを重ねていた。

つくしの時間はあの日で止まってしまったようだ。
愛したひとりの男性を思ったまま。
だから、他の男性を愛することは出来ない。



扉が開かれ、背後で誰かが入って来たことがわかった。
外の光りがつくしの足元まで差し込んで来たが、扉はすぐに閉じられた。
次に祈りを捧げる人が待っている。その人のためにこの場所を明け渡さなければ。
つくしは立ち上って振り向いた。入口にいるのが男性だと気づいたが、光の届かないその場所で顔を見ることは出来なかった。だが背が高い男性がコート姿でその場に立っていることはわかった。

しかし、その場所から動こうとしない男性につくしは不安を覚えた。
だがここは小さな教会とはいえ、祈りの場所であり、神の家だ。
この場所で何かが起こるとは考えもしなかったが、それでも暗がりに立つ男性に、どこか不安が過り、呼吸が速まった。


そのとき、聞えるか、聞こえないかのような微かな呟き。


まきの_


と呼ばれたような気がした。

呟きだったのか、囁きだったのか。
どちらにしても、つくしの耳には確かにそう聞こえていた。






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コメント
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dot 2016.12.24 05:16 | 編集
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dot 2016.12.24 12:54 | 編集
す*ら様
つくしが見た「ピエタ」像。
聖母マリアに抱かれたイエスに司を重ね、マリアの姿に自分を重ねた。
それは、愛する人がその腕の中からいなくなったことへの悲しみを重ねた。
そう思いたいです。あのマリアはキリストよりも若いという説があり、永遠の乙女を表しているのでは?と言われています。
実物を見たことがありますが、言葉を失う神々しさがありました。
女性は皆母性愛を持っているはず・・あの楓さんでさえ、そういった場面がありましたので(笑)
クリスマスが休日に当たることは、本当に稀ですね?
す*ら様も素敵なお休みをお過ごしくださいませ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.24 23:18 | 編集
H* 様
また泣かせてしまい、申し訳ございません(低頭)
そちらは大変な雪ですね!
二人、問題なく幸せにしてあげたいですねぇ。
やはり二人は一緒でなければと、思っております。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.24 23:24 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
明日はクリスマス。奇跡の一日となります。
ほんの少しのすれ違いの二人です(笑)
地獄の冬休み・・(笑)
手の掛かる年齢のお子様がいらっしゃると色々と大変かとお察し致します。
母様、なんと素晴らしい! お嬢様方、そうだったんですね?
サンタさんからのプレゼントを心待ちにする。可愛いですねぇ。
明日、目覚めればきっと素敵なプレゼントが届いていることでしょう!
サンタクロース、今夜大忙しですね?(笑)
ご家族の皆様と素敵な休日が過ごせますように・・^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.24 23:37 | 編集
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