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2016
12.23

Against All Odds 前編

Against All Odds ~困難を乗り越えて~
Christmas Story 2016
********************





雨が大地を潤すなら、雪は何をもたらしてくれるのか。
最初に落ちて来たひとひらの雪もやがて形を変え大きな雪の粒へと変わっていく。
この地に降り始めた雪はこの世界を変えてくれるのか。
この腕に抱きしめる人がいないこの世界を。
温もりが消えてしまったこの世界を。


空から降る雪は、まるで延々と押し寄せてくる波のようだ。
白い波が空から押し寄せて来る。

決して途切れることなく。

こんな雪の中、かつて彼の手の中にあったあの小さな手の温もりが欲しい。
一度は掴んだと思ったその手を再び掴みたい。

もし、彼女が許してくれるなら。

雪雲が追い払ってしまった太陽の光を浴びたい。

暗くなってしまった空を再び照らす太陽を。









強い風に煽られたのか新聞が空を舞っていた。
それはまるで大きな羽根のある扇風機が回され、空高く押し上げようとしているように見えた。

高く、高く、空高く。

そのうち新聞も見えなくなるかもしれない。上空を流れる偏西風に乗って遠い旅に出るかもしれない。どこか遠く知らない場所へ。書かれた文字が読めない国まで旅をするかもしれない。だがそんなことが実際にあるとは思えなかった。

扇風機が掻き回した空気は渇いた冷たい風。
ひんやりとした冷たい風は街の匂いを変える。
ときおり突風となって地上のものを巻き上げる風。
夏場淀んだ空気によって悪臭を放っていた街の片隅にあるゴミ箱からも、散歩中の犬がもたらした、すえたような匂いも、冷たい風は取り去ってくれる。


そして、そこにあった誰かの思い出も一緒に。

冷たい北風を運ぶ扇風機はいつまでも回転を続けるはずだ。

この季節が終わるまで、ずっと。



地上60階の窓から見上げる空は濃いグレーの雲に覆われており、ときおり雲の隙間から陽の光りが射しこんでいる。それはまるでスポットライトのような一筋の光り。その光りはいったいどの場所を照らしているのか。その場所にあるものは何なのかと思わずにはいられないほど、ある一点を照らしている。彼は思った。その光の下には舞台があって、白いドレスを着た女が踊っているのではないか。そんな光景が頭に浮かんでいた。

雪の結晶を纏った女が。


寒さが厳しく感じられるようになり、街を歩く人々の服装も防寒仕様に変わっていた。
派手な紫色のダウンジャケットを着た若者がいたり、シックで上質なロングコートを纏った老婦人を見かけたりする。街を歩けば目にする光景は派手な装飾の店であったり、入口に銃を持つガードマンが目を光らせる高級店であったりする。一年の中で一番街が光り輝くこの季節。田舎の街ならひっそりと訪れる季節の変わり目も、この街では考えられない話しだ。

ある日、突然街にクリスマスのイルミネーションが輝き始める。

そんな中を誰もが幸せそうな顔をし、街を行き交っていた。
何か欲しいものがあるのか、それとも親しい誰かへの贈り物を探しているのか、わき目もふらず歩く人々。浮かれ騒ぐ街のなか、彼らを見ていると、自分がひとりだと感じられてしまうのは仕方がないことだろう。彼はひとりで生きることを決めたのだから。

この街は人種のるつぼ、メルティングポットと呼ばれている。
移民社会のアメリカでは、それぞれの文化が混じり合い同化する。それを象徴する言葉として有名だが最近では、混ぜても決して同化することがなく、溶け合わないという意味からサラダボウルと言われ、人種のサラダボウルと言われる方が多い。
そんな多民族国家のこの国で、彼のような東洋人は珍しくない。彼がこの街で暮らすようになって既に15年が過ぎていた。


毎年思う。
今年の冬はいったいどんな冬になるのだろうかと。
つい先日、例年より早い雪が降った。街は薄っすらとした雪景色に変わったが、その雪は間もなく顔を出した太陽によってあっという間に溶かされていた。

雪は好きだ。クチナシの花の白であり、アラバスターのような白。
女性の肌の白さの例えとして、アラバスターのような肌と形容されることがあるが、白く滑らかな肌触りは彼女のための言葉だと思った。

あの頃。
二人で永遠を語りあった。愛があれば全てのことを乗り越えられると。
互いが誰よりも大切な人だと感じていた。
だが彼らの永遠は長くは続かなかった。


司が愛した人は今この場所にいない。
今あるのは彼女の面影だけ。
そしてこの場所にいるのは抜け殻となった男。


知り合ったのは高校生の頃。
はじめは彼の周りの人間とは違う風変りな人間が、分不相応な人間が紛れ込んだと思っていた。そんなことを思う男は、あの頃自分が作った地獄に住んでいた。


学園における特権階級劇場最上段席に居た男。
彼はその場所でマリオネットたちが繰り広げる寸劇を眺めていた。
卑怯者が臆病者を苛めて楽しむ姿を。
男は眠れない夜、他人を傷つけながら街を歩く。
そんな毎日を過ごしていた。


救いようがない愚かな男がそこにいたはずだ。


イタリアの詩人ダンテ・アリギエーリが書いた「神曲」という散文詩がある。
イタリア文学最大の古典として、世界の文学界でも重きをなしている。
それは地獄、煉獄、天国の3部からなる物語でルネッサンス時代に書かれていた。

煉獄というのはキリスト教の中でもカトリックの教義だけにある。
天国と地獄の間にあって、どちらへも行くことの出来ない人間がいる場所とされている。煉獄にいる人間は苦罰を受けることによって罪を清められた後、天国へと入ることが許される。


物語は主人公のダンテが地獄から天国への道を辿る話し。
地獄にいた彼は煉獄を抜けなければ天国への階段を上ることは許されない。だが煉獄には高い山がある。その山を登ることで罪が清められていく。ダンテはその山を登りやがて天国に一番近いとされる煉獄山の山頂に立った。その場所で待っていたのはひとりの少女。その少女から差し伸べられた手を掴めば、天国へと引き上げられる。



司の人生にもそういったことがあった。

彼に差し伸べられた手。

それはまさにダンテの神曲の中に描かれた少女と同じ手だったはずだ。
物語の主人公のダンテはひとりの少女、ベアトリーチェによって天国へ引き上げられた。
男にとってその少女は女神であり、崇拝の対象だった。
ベアトリーチェとはこの物語の作者であるダンテが心惹かれた少女の名。
だが彼女は夭逝してしまい、それを知ったダンテは嘆き悲しんだと言われている。



司にも同じような少女がいた。

その少女の名前は牧野つくし。


物語の中と違って司はその手を掴むことを許されなかった。
あともう少しと手を伸ばしたが、少女の手を掴むことは出来なかった。
ある日、彼は一人の暴漢によって死の淵を彷徨うことになる。


神はその時、司を煉獄に留めることに決めたのだろう。
そしてそれまで犯した罪を償うための罰を与えたのかもしれない。司が煉獄で受けた苦罰は、少女の存在を忘れ去ってしまうことだった。彼が神の恵み、天国の喜びをあずかるためには、その苦罰が必要だったのだろう。そして、その罰は長い年月を必要としたということだ。


だが神の教えは、人が罪を犯した後に味わう苦しみは、神が罰として与えるものではなく、罪そのものがもたらすものだと説いている。
それなら司の失った記憶は彼自身の罪がそうさせたということだ。

運命は人の意思に関係なく紡がれていく。
やはりそこに働いているのは神の御意思と采配と言えるのかもしれない。

司の記憶が戻ったのは、ある寒い日。
ちょうど5年前の今日。
なにもかもが寸分の狂いもなく過ぎていく日常の朝。
記憶の想起というものは、まさにある日突然だった。

朝目覚めたとき、見える景色がいつもと違って見えた。
冬は太陽の位置が低い。
カーテンが開け放たれた窓から朝の太陽が、斜めに差し込む光が、司の目の奥に射しこんできた瞬間、涙が溢れた。それまで頭の中に痛みの塊のようなものがあったが消えて無くなっているのがわかった。
部分部分でしか理解できなかったことが、やがてひとつの形を作っていくのが感じられた。
聞えないはずの時計の秒針の音が、まるでメトロノームのように規則正しくリズムを刻むように聞こえた。一秒ごとに甦っていく過去への想い。
記憶は螺旋階段のように上へ上へと伸びていて、その階段を一段登る度にひとつ、またひとつと記憶の扉が開かれていった。

閉ざされていた過去の扉は今、彼の前で開かれた。

大きな扉が開き、過去が一気に彼の頭の中に溢れ、全世界が色を持った瞬間。


_ああ。

俺は思い出したんだ。

あの日のことを、そしてあの少女のことを。

煉獄山の頂上で掴めなかったあの少女の手。

掴みたかった。

あの手を。





地獄に落とされた死者は最後に見た光景を死後も忘れることがなく、その瞼に焼き付けるというが、もしそれが本当なら、彼の瞼に焼き付けられたのは、記憶がなくなる寸前の光景だったはずだ。だが古い記憶が浮上してくるものの、司の空白の時間は余りも長く、過去を辿るには遠すぎるほどだ。

彼の時間はどこで止まってしまったのか。
静寂のなか、時を刻む時計の針は止まることを知らない。たとえ誰かがその針を止めたとしても、また別の時計が時を刻む。時は止まることはないし、止めることも出来ない。

_誰にも。

何もなかった10年とは言えなかった。
だがなぜ、今なのか?
どうして今の季節なのか?
あのとき、そう思った。

太陽の光はいつも彼の頭上にあった。窓から差し込む光もいつもと変わらない。
だがあれはもしかすると、神の光りだったのかもしれない。

神はその日、彼をお許しになられたのだろう。



司は牧野つくしのことを思い出した。
鮮明に、はっきりと。
そして、そのとき感じた。
もう時間が経ち過ぎていると。
二人の愛はあの時点で一度終わったと。
だから記憶が戻っても会いに行くことはしなかった。

決して愛が甦らなかったわけではない。
だがもう時間が経ち過ぎている。
共に別の人生を歩んでいる。

もう終わった恋だと。
過ぎ去った恋だと。
忘れなければならない恋だと_


司は一度、牧野つくしの行方を捜した。
そのとき、彼女が同じ街に住んでいると知った。
だが、訪ねて行くことはしなかった。
会いに行くことはしなかった。

出来なかった。

彼には。



司は牧野つくしの人生に何の幸せも与えたことがなかったからだ。逆を言えば、不幸を与えたのかもしれない。彼女を忘れてしまうということで苦しめてしまった。
何度も彼に会いに来てくれた女性だというのに、追い返してしまったのだから。
そして、ついには、彼女の存在など虫けらのように見ていた。
忘却の彼方へと忘れ去ってしまった女性に記憶が戻ったからと言って会いにいけるはずがない。司も、かつて愛した女性も、すでに別の人生を歩んでいるのだから。


そして今日。5年前と同じような朝を迎えた。
低い位置から差し込む陽の光りを浴び、彼は目覚めた。
いつものようにシャワーを浴び、用意されている服を着る。
白いワイシャツにカフスを留め、黒のスーツにネクタイを絞める。
最後に薄い時計を腕にはめた。
朝食はコーヒーだけ。そして迎えの車に乗る。



この街には多くの教会がある。
彼の目に映る古い教会。
今まで毎日この教会の前を車で通り過ぎるだけだった。
だが今日は何故かこの場所に、ひとけのないこの場所に足を踏み入れたいと思った。
車を止めた男は、運転手がさしかける傘を遠ざけ、教会の扉の前に立った。


__不思議だ。


そして、この場所がなぜか特別な場所のような気がする。
まるで誰かに呼ばれているような気がした。

だが、こんな男を誰が呼ぶ?

キリスト教徒でもない男にここの神が何を語りかけてくるというのか?

愛した女を忘れ、過去を振り返ることなく、全てを捨てた男を。

だが、この世のすべての者たちに、人を愛することを伝えようと神になった男がそこにいる。
救いようもない愚かな男を救ってくれる神がいるなら、人生というパズルをもう一度やり直したいと考える男を救ってくれる神に会えるなら。




そんな思いを抱え、司は教会の扉を引いた。






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コメント
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dot 2016.12.23 07:51 | 編集
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dot 2016.12.23 09:06 | 編集
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dot 2016.12.23 11:58 | 編集
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dot 2016.12.23 12:11 | 編集
Hap***nding様
過分なお言葉、ありがとうございます。
クリスマスですので、もっとホットなお話をと思いましたが、このようなお話になりました。
シリアスです。そんな中、クリスマスにぴったりと言って頂き大変光栄です^^
司とつくしのそれぞれの想いが伝わるといいのですが・・
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.23 21:52 | 編集
み*み様
クリスマスのお話、シリアスですがお読み頂きありがとうございます。
記憶が戻っても会いに行くことが出来ない司。
そんな彼が神のお導きがあったかのように立ち寄る教会。
奇跡が起こることを祈ります。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.23 21:54 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
連休初日はいかがお過ごしでしたでしょうか?
クリスマスのお話。シリアスなお話ですが、お読み頂きありがとうございました。
アカシアの短編、いつもシリアスですね(笑)
つくしに会いに行かない司。調べましたが、会いに行きませんでした・・・。
そして、普段は入ることのない教会に足を踏み入れた司。
奇跡が起きることを祈りましょう!
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.23 22:00 | 編集
つか***ちゃん様
クリスマスにシリアスなお話です。
拙宅の短編はいつもシリアスですね(笑)
クリスマスだからのシリアスかもしれません。
奇跡を信じたい・・そんなお話になればと思いました。
司とつくしの出会いは・・ご期待に添えるかどうか・・ありきたりなお話です(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.23 22:06 | 編集
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dot 2016.12.23 23:44 | 編集
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dot 2016.12.24 00:24 | 編集
マ**チ様
こんばんは^^
クリスマスのお話ですが切なくて申し訳ないです(低頭)
拙宅の短編はどうしてこうもシリアスなのでしょう・・。
それなのにいつもお読み頂き、ありがとうございます。
NYの街を思い浮べながら・・です。真冬のNY、経験があります(笑)
クリスマスには決着がついていますので、ご安心下さい。問題はありません(笑)
三連休初日。力が入りません。・・大掃除、一番の課題はガスコンロの上の換気扇です。
有馬記念!脳内でツカサブラックをキタサンと競争させましょう!
マイクを持った司は「つくし!愛してるぞッ!」と叫ぶ!(笑)
日付は変わり、本日はイブとなりました。マ**チ様にもMerry X'mas!
コメント有難うございました^^

アカシアdot 2016.12.24 00:41 | 編集
チ**ム様
こんばんは^^
若者のクリスマス離れ?そうなんですか?でも確かにクリスマスは流行のものではないですよね?
キリスト教徒にとっては大切な日です。ですが、お子様たちにとってはもっと大切な日ですね(笑)
プレゼントをこっそりと購入して、ラッピング。
そして朝、目覚めた時には、枕元にプレゼントがある。いいですよねぇ・・。
なんだかほのぼのです。雪が降らなくてもサンタさんとトナカイさんは来ます!と証明しなければ・・母様大変です。
クリスマスなのにシリアスなお話ですが、読んで頂きありがとうございます。
司くんもきっと神様からのクリスマスプレゼントを受け取るはずです。
彼にも素敵なクリスマスが訪れますように・・
イブになりました。Merry X'mas !素敵なお休みになりますように。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.24 00:56 | 編集
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