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2016
12.16

エンドロールはあなたと 32

翌朝、随分と身体が楽になったと感じ、目を覚ました。
いったい何時間眠ったのかと思ったが、どうやら体内時計は元に戻ったようだ。ベッドから起き上がった身体は少しだるさを感じるが、出勤することに迷いはなかった。

キッチンのテーブルに目をやると、そこにはメープルから配達された容器があった。
道明寺司が手配してくれた食事。肉をひと口食べ、おいしいと思った。もちろん他のものもおいしいと感じた。いつもと同じひとりで食べる食事だが、彼の気遣いとやさしさが胸にしみた。

俺たちの出会いは運命だなんて言う男は信じられないと思っていた。
誰にでもそんなことを言う男も多いからだ。

つくしは深呼吸をした。
風邪のウィルスは去ったが、別のウィルスに感染してしまった。全身の細胞がそのウィルスに感染したおかげで、今までにない動きをしているように感じられる。そのうえ、今まで使ったことのない細胞までも動き出したような気がする。

何しろつくしにはそのウィルスに対する免疫がない。適齢期をとっくに過ぎ、仕事に邁進しすぎたせいと言えば聞こえはいいが、女という生物としては世間からは失格とも言われていた状況だっただけに、この細胞のざわめきをどうすればいいのかわからない。

だがあの男を、道明寺司を好きになったと親友たちが知れば、喜んでくれることに間違いないだろう。育ちのいい親友たち。もしかすると、口をぽかんと開けて嘘だと驚くかもしれない。それに間違いなく一人は背中をバンバン叩いて喜んでくれるはずだ。

どうしてあの男を?
出勤の準備をしながら考えたが、答えは見つからなかった。人を好きになる理由なんて、考えても見つからないのかもしれない。それに人は簡単には本音と向き合うことは出来ない。
好きになったからと言って、その思いを簡単に伝えることが出来るとは思えない。
あの男とあたしは立場が違う。少なくとも今はクライアントと担当者だ。それ以外のことは考えない方がいいかもしれない。

つくしは職場へ向かった。
あたしだって33歳のいい大人だ。自分の態度に責任を持つことの出来る年齢だ。仕事は仕事。私生活は私生活。公私混同は良くない。だから黒い瞳に、完璧に整った顔の男を前に理性を失うわけにはいかない。何しろこれからあの男との仕事が待っている。
細胞のざわめきには、この際少し待ってもらうしかない。


「牧野主任!お帰りなさい!あっちはどうでした?」

久しぶりに出社したつくしはデスクにつくと、カリフォルニアから持ち帰ったワインに関する資料を広げていた。そこへ近寄って来たのは後輩社員の紺野。

「ただいま。色々ゴメンね。急な出張で迷惑をかけたわよね?」

実際急な出張で、いくつかのスケジュールの変更を余儀なくされたが、日本での仕事はすべて紺野に任せていた。いくつか指示が欲しいとメールで連絡があったが、どうやら問題になるような事はなかったようだ。

「いいえ。何も問題なんて起こりませんでしたし、大丈夫ですよ。僕だって伊達に主任の下で鍛えられていませんからね!」

まるでつくしが紺野をしごいて来たかのような口振りだがそれは勿論冗談だ。

「そう。良かった。何しろ急だったから出発前はバタバタしちゃってごめんね。あ、そうそう、紺野君。これお土産。チョコレートなんだけどみんなで食べて?」

足元に置いた紙袋の中から、長方形の箱を取り出し紺野に渡たす。どこの国へ出張しても、職場への土産として定番なのはチョコレートだ。誰もが好きで間違いがないからだ。
紺野は受け取ると礼を言い、箱を自分のデスクの上へと置くと言った。

「ねえ、主任?」
「なに?あたしのいない間、やっぱり何か問題でもあった?」

持ち帰った資料の中から、広告の原案に盛り込めるものがないかと考えていた。
CM広告はターゲットの年齢層が上がったことにより、当初考えていた案よりも大人向けの案がいいかと考え始めていた。

「僕は牧野主任の私生活に口を挟むつもりはありませんが、道明寺支社長との出張はどうだったんですか?」
突然切り出された言葉にぎょっとしたつくしは紺野の方へ振り向いた。
「どうって何がどうなのよ?」
紺野は出発前から道明寺司とつくしの仲を妙な態度で気にしていた。
「だって地球上で一番かっこいい男性と一週間も一緒だったんですよ?何もないなんてことはないでしょ?」
どうやら紺野の中では、道明寺司は地球上で一番かっこいい男になったようだ。

「ねえ。主任?僕は別に生意気なことを言うつもりはありませんが、主任が道明寺支社長と何かあってもいいと思っていますから。で、どうだったんですか?道明寺支社長から何かアプローチでもあったんですか?ねえ?教えて下さいよ?道明寺支社長のプライベートジェットでの旅ですよね?いいなぁ」

うっとりとした口調で言う紺野。
まるでグリグリと肘でつくしの脇腹でも突いて来そうだ。

「な、なにもないわよ!あ、あるわけないじゃない!ど、どうして何かあるなんて思うのよ?」

つい強い口調になったつくし。
何をバカなことを言っているのかと、顔の前で否定するように手を振った。

「主任。なにそんなに慌ててるんですか?まさか!!これから毎晩一緒にいようなんて言われたんじゃないですよね?」
紺野の目は疑り深そうに細められた。
「もしそうなら_」

内緒話でもするかのように、つくしへと屈みこむような姿勢をとる。
つくしはそんな紺野に慌てて言った。

「な、なに言ってるのよ!そんなことあるわけないじゃない!これから毎晩一緒だなんて_」

つくしはその瞬間、頭の中に道明寺司の身体のことを考えていた。
コートを着せられ、後ろから抱きしめられ、男の吐息を間近に感じた。その体の熱を感じ_
いや、それよりも風邪で寝込んでいたつくしの身体に寄り添っていた裸の胸_

「主任?牧野主任?」
「えっ?な、なに?」

つくしは慌てて妄想を振り払った。

「まったく、また妄想ですか?いいですか主任。出会ったばかりでも本気になる恋は世の中にいくらでもあるんです。まあ、主任のことですから恋とか愛とかいきなり言われても困るかもしれませんが、知り合ってからの長さなんて関係ないんです。恋の花はいきなり咲くんですから!いつまでも球根でいたら根腐れしますからね?人生一度しかないんですから、ぱっと花を咲かせて下さいね!」





***






つくしは自分を𠮟りつけ、背筋をしゃんと伸ばし、仕事に取り掛かっていた。

それにしても心の準備が出来ていないうちに、道明寺司と顔を合わすことになるとは思いもしなかった。もっともいつまでたっても準備が出来るなんてことはないだろうけど、なんとか道明寺の視線を受け止めていた。

会議室に入って来た男を見た途端、自分の中の未知なる細胞が動き出したのが感じられた。
いつもながらビシッと決めた極上のスーツ姿の男。いつにも増してゴージャスだと感じられ、気もそぞろになりそうなところを、なんとか会議に集中しようとした。

「牧野主任。身体は大丈夫なのか?」

あれやこれやと世話をしてくれた男は、相変らず優しい。周りの目など全く気にしていないのか、身体は大丈夫なんて聞き方をすれば周りの人間が誤解することを知っているのか、知らないのか。もし知っているならわざと周りの人間に聞かせているということになる。

広告内容再検討会議でのひと言に、つくしの顔は突然真っ赤になっていた。
うろたえたつくしは、会議テーブルの上におかれたコーヒーカップに手を伸ばした途端、カップをひっくりかえしてしまった。

「主任!大丈夫ですか!」
隣の席にいた紺野が声をあげた。
「ご、ごめんなさ・・いえ、申し訳ございません!」

つくしは慌てて立ち上がり、上着のポケットからハンカチを取り出すと、テーブルの上を流れ始めた液体の流れを食い止めようとする。だが、ハンカチ一枚で茶色い流れが止められるはずもなく、流れはどんどん広がり、やがて反対側に座る道明寺司の前まで広がっていく。紺野も慌ててハンカチを差し出したが、やはり流れは止められない。それでもつくしは必死になっていた。

次の瞬間、つくしは後ろから手を掴まれていた。視線に入ったのは、白いワイシャツの袖口とホワイトゴールドのカフスに男らしい大きな手。

「牧野。止めろ。おまえ手を火傷したんじゃねぇのか?」

ひっくりかえしたコーヒーは、淹れ立てで湯気が立っていた。
確かにそのコーヒーを利き手に浴びた。だが火傷したかと言われればわからない。
今は自分の事を考えるより、テーブルに置かれていた資料の方に気が向いていたからだ。
汚すわけにはいかないと必死だった。

「そんなに慌てるな。それよりもおまえの手の方が心配だ。今すぐ冷やした方がいい」

今のつくしは自分の手よりも、男の目を見ていた。
瞬きも出来ず、視線を絡ませたまま、文字通り見つめ合っていると言った方がいいだろう。

「ほら、行くぞ」
と言って手首を掴まれた。
「ど、どこに行くんです?」
「どこって手を冷やしに行くに決まってるだろ?」

しどろもどろの女に司はイラついていた。熱いコーヒーを浴びた手の親指の付け根は赤くなっている。早く冷たい水で冷やしてやりたいという思いがあった。

「ま、牧野主任?」
という紺野の声に、つくしは我に返った。
「こ、紺野君、あのね・・」
言いかけたつくしの話に司が割り込んだ。
「おいおまえ。紺野か?会議の続きはおまえが進行しろ。牧野がいなくても出来るんだろ?俺はこれからこいつの手当がある」
「あ、あの、道明寺さん・・じゃなくて道明寺支社長、大丈夫ですから、ご心配いただかなくても、あの_」
「牧野、おまえちょっと黙ってくれ」
つくしが何か言おうとしたところに、司は再び口を挟むと言った。

「好きな女の心配をして何が悪い?」

低い声に甘い艶を加えて言い、つくしの身体を抱き上げた。





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コメント
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dot 2016.12.16 16:07 | 編集
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dot 2016.12.17 00:08 | 編集
司×**OVE様
こんにちは^^
紺野君。待ち構えていたようですね?
紺野君。女子力が高いようですね(笑)
道明寺支社長から迫られたでしょ?なんて聞くところが素晴らしく勘がいい男の子です。
牧野主任、顔にすぐ出るので、紺野君からしても解りやすい人なんでしょうね?(笑)
司、すぐに抱きたがるようです。NY帰りの男はスキンシップが大好きなんです(笑)
会議中に好きな女発言!しかも紺野君の前で!恥ずかしいということは、ないんでしょうか(笑)
ええ。NY帰りの男に恥ずかしいだなんて言葉は無いようです。
ますます紺野君の追求が激しくなりそうです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.17 00:35 | 編集
マ**チ様
こんばんは^^
つくしは自分の気持ちに気づきましたが、それすらわかっている司。
しかも、紺野君の目の前で「好きな女」発言。それも会議中です(笑)
他の社員の皆さん、どうしていたんでしょうねぇ?(笑)
紺野君がコーヒーをこぼしても、司は助けに行きません(笑)紺野君「きー悔しいー」とハンカチを咥えて下さい。
ハンカチから滴る冷めたコーヒー(笑)絞って下さいね。
西田さん、今回は同行していません。あくまでもプライベートのような視察旅行。「けっ!西田なんていらねぇーよ!」
何かあれば、現地法人の人間が対応したはずです(笑)
西田さんにお土産・・眼鏡拭き!そうですよね、西田さんは何がいいんでしょう?
再び医務室に運ばれるつくし。今後紺野君の追求が激しくなりそうです(笑)
今週も無事乗り切りました。ありがとうございます!
マ**チ様もよい週末をお過ごし下さいませ^^
年の瀬が近づいて参りました。早いですねぇ。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.12.17 00:46 | 編集
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