「思いがけないところで、思いがけない人に会うなんて嬉しい驚きね、牧野さん?あなたがこんなところにいるなんて一体どういった偶然かしらね?」
黒い傘の下からつくしを見ているのは水長ジュン。その人だ。
だがいつものような派手な装いではなく、どちらかと言えば地味な格好だ。まず、この女性が黒い傘をさしていること自体が似合わない。そしてウェーブの効いた栗色の髪は、纏められ深く被った帽子の中に収められていた。
洋服はと言えば、まるで今の空の色のようなグレーを基調としたパンツスーツで、派手なイメージのある水長ジュンと思えないほどだ地味だ。そんな女性からは女優としての輝きを感じることは出来なかった。だがそんな中でも淡褐色の瞳は印象深く、何度か間近で見たことのあったつくしには忘れがたいものだ。
その瞳が冷たくつくしを見据えていた。
***
「おい。司、牧野つくしがオフィスに帰って来てねぇって?」
総二郎から連絡を受けたあきらは、司の執務室に入ってくるなり声をかけた。
「ああ。携帯も電源が入ってねぇし、あいつの会社にも戻って来てねぇ」
地方都市から上京してきた夫婦を連れマンション見学に行ったが戻って来ない。夫婦に連絡を取ればもう随分と前に牧野つくしとは別れたと言われていた。携帯電話に何度かけても繋がることはなく、ただメッセージが繰り返し流されるだけだった。
「なあ。まさかとは思うがやっぱりあの女が関係してると思うか?司、おまえなんで警護の人間を付けなかったんだよ?おまえも水長ジュンに会ったとき、なんかおかしいと思ったんだろ?」
あきらの口調は司を責めていた。
「おいあきら、落ち着け。おまえがそんなに熱くなってどうすんだよ?」
総二郎は司に詰め寄るあきらをなだめた。
「いや。俺が司とあの女を会わせることにしたんだ。だから俺にも_」
言葉を選びながら話すあきらには、自分が間違いを犯したのではないかという表情が浮かんでいた。自分が余計なことをしたばかりに、牧野つくしがいなくなったのではないかと思っていた。
「まさかとは思うが牧野つくしがおまえの女と知って裏で糸を引いてる人間がいるなんてこと_」
あきらにとってはまだ知り合って間もない女だが、司のつくしに対する深い思いを知っているだけに、責任を感じていた。
「いいんだ。あきら。俺があの女と別れるとき、はっきり始末をつけてなかったのが悪かったんだろうよ。それに裏で糸を引いてる人間がいたとすれば、そんな人間は生きてる価値はねぇな」
司は言いながらも探すべきはあの女だとわかっていた。
水長ジュンがいるところに牧野つくしもいるはずだ。そのことに何故か確信が持てた。
高慢な鼻がへし折られた女がまさかとは思ったが、こんなに早く馬脚を現すとは思わなかった。
「まあなぁ・・。相手は芸能人だしな。今までつき合ってたどっかの御令嬢とは違って世間の感覚とはズレもあるからな」
あきらの言葉はもっともだと総二郎が頷いた。
「そうだぞ、司。俺が言うのもなんだか、その道を極めようとする人間は ″傾く(かぶく)″からな。今の歌舞伎だって″傾く″から歌舞伎に変わったくらいで、他人と違ったことをすることから始まってる。芸人ってのは ″かぶき者″じゃねぇと出来ねぇからな。要は変わり者だってことだ。まあ、だからと言って常軌を逸した行為に出るなんて人間は今の芸能界に多いってわけじゃねぇと思うが」
あの女と会ったとき、司は蠅でも追い払うように追い払っていた。
そうされても当然の女だった。
だがそのツケが牧野つくしに及んだということか?
あの女は歯向かうように司に向かってきた。そして自分の舞台公演の為の金を無心しに来た。まさかとは思うが牧野つくしを誘拐して大金と引き替えにしようとしているのか。
「司。それでどうなってるんだ?牧野つくしの行方は?」
「今、探させている」
「そうか・・おまえのところの警護はサツ上がりもそうだが、自衛隊のレンジャー部隊出身も多いよな?まさに壁でもスイスイ登るような奴らだよな」
「おい、総二郎やめろよ。冗談言ってる場合か?」
あきらは仲間の中で一番現実的で常識的な男だ。楽しむ時は楽しむが、考えなければならない場面で冗談を口にすることはない。
「いや。冗談じゃねぇ。必要ならビルの壁でも登らせるつもりだ」
司は素っ気なく言ったが、真剣だった。
「しかし、あの手の女は執念深そうだな。俺もあきらもあの手の女には会ったことがねぇけど・・。司だからつき合えたんだろうよ。それにしても単なる司の金目当てだったのか?それとも体目当てだったのか?なあ、司はどっちだったと思う?」
総二郎が軽口を叩いた。
「そんなこと知るか。それにそんなことは俺にはもうどうでもいい話だ」
司は苛立ちを隠せない様子だ。
「あの女。ただじゃおかねぇことだけは確かだが_」
そのとき、デスクに置かれた司の携帯電話が鳴った。
「俺だ。」
金色のペンを掴んだ司の手は蓋を外すと目の前の紙にすらすらと何か書いていた。
「_そうか__わかった」
彼は手にしているペンをしばし弄んでいたが、デスクの上へと戻すと鋭い視線を二人に向けた。
「おい、わかったのか?牧野つくしの居場所が!」
「ああ。」
「で、どここだ?」
「都内だ。それも近い」
「なんだよ?灯台下暗しか?」
司は返事をしなかった。彼はデスクの上の電話に手を伸ばすと、立て続けにどこかに電話をかけていた。とても落ち着いた態度で問題はすでに解決したかのようだ。
一度目の電話は「俺だ。」で始まり、二度目の電話は「道明寺ですが。」で始まっていた。
「司、牧野つくしは_」
「_どうなんだ?」
あきらと総二郎の口をついた言葉は、二人でやっと意味を成すものとなるほどおぼつかなかったが、彼らの牧野つくしを心配する気持ちは充分伝わるものだ。
「あきら、総二郎。心配かけて悪かったな」
司の返事はどこか余裕を感じさせるものだが、その目には一瞬だが怒りがちらついていた。
二人の男は司が明らかに自分を制御していると感じていた。
***
「あの男、嫌でもわたしの話を聞くはずよ。だってそうしなきゃあなたの居場所がわからないんだから」
水長ジュンは意気揚々とつくしに話し始めた。
「それにしてもここは暑いわね?まあボイラー室なんだから仕方がないわよね?」
そう言ってこの部屋の蒸し暑さに納得しながらも、面白がっているように口もとに笑みを浮かべていた。
つくしが連れて来られたのは宝飾店が入るビルの地下深くだ。
このビルは地下3階まであるが、その下がどうなっているかなど、つくしでなくとも知らないはずだ。
それにしてもどうして水長ジュンがこんな場所を知っているのか?
だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。話しがしたいと言われ、女優という職業柄目立つところは困るから付いて来てと言われたのがこの場所だった。
迂闊だった。
他人を簡単に信じて痛い目にあったことは過去にもあったはずなのに、学習していない自分を叱りたくなっていた。
今、目の前にいる水長ジュンの行動は明らかにおかしいと感じていた。瞳孔が大きく開かれ、息遣いも荒く、興奮しているのが感じられた。
「あなたがこうなったのは司が悪いのよ?」
こうなったのは_?
「いったい、ど、どういう・・」
意味がわからないという表情を浮かべるつくしに水長ジュンは声を荒げた。
「どうもこうもないわ!この前司に会ったの。わたしとやり直しましょうって。そうしたらなんて言ったと思う?あの男!わたしなんか欲しくないって言ったのよ!このわたしをよ!」
水長ジュンは自分の胸と叩くと、顎を突き出すようにして話を続けた。
「なんて嫌な男!あの男が・・わたしの舞台を潰すから・・。あの男がお金さえ出してくれたら、今頃わたしの舞台は始まっていたはずなのよ?満員の観客にスポットライトを浴びて歓声を浴びるのはわたしよ?勿論カーテンコールだってあるわ・・」
言うと低く笑った。
「それなのに・・」
口元に浮かべた薄笑いが、やがて大きなほほ笑みへと変わって行くのがわかった。
「先週はまだ望みがあったのよ。あのときはまだ・・」
その言葉を理解出来ずにいるつくしに女は言葉を継いだ。
「司がお金を出してくれたら、わたしは主演女優でいられたの。でも今のわたしには立つ舞台がないわ。牧野さん、まだ意味が分からない?」
水長ジュンはつくしを睨みつけながら少しずつだが二人の距離を縮めて来た。
「先週わたしは司に会ったの。そのとき二度と舞台には立てなくしてやるって言ったわ。そして、それを実行に移したのよ、あの男は・・それもすべてあなたのせいよ?」
「ど、どうしてあたしのせいなんですか?あたしは、何もしていません!それに道明寺だって・・」
「いいえ。あの人が他人の気持ちなんて知る訳ないわ。知ろうともしないわ。わたしにはわかるの。あの男がどんなに冷たい男かってことが!」
水長ジュンの両眉は吊り上がっていた。
「教えてあげましょうか?わたしと司の関係がどんな関係だったのか!」
「そ、そんなことあたしには関係ないし、道明寺の過去がどんなだったとか、あなたとの関係がどんな関係だったかなんて聞きたく_」
「黙りなさい!いいから聞くのよ!」
舞台女優らしくよく通る大きな声が怒鳴った。
水長ジュンは怒りに我を忘れたかのようにいきり立っていた。それはまるで演技者が役にのめり込んで、トランス状態にでもなっているかのようだ。つくしは突然、恐怖を感じていた。この女性が普通じゃないように感じたからだ。
「これ以上わたしをイライラさせないでくれる?」
だが怒鳴った後の声は低く冷静だ。
「司は頭の切れる男だわ。それも凄く頭が切れる男。だからこそビジネスの世界でもあれだけの活躍が出来るのよ。だけどそんな男は他人を好きになることはないの。女に夢中になるとか__そんなことは決してない男よ。あの人の中での女の立ち位置は常に傍らで、中心になることはないわ。それはわたしにも言えたわ」
水長ジュンは一瞬黙り込み、何か考えているようだが再び話し始めた。
「でもいいのよ。ある意味でわたしもそうだから。わかる?牧野さん?わたしもあの人と同じ。つき合ってる人がいるからってその人を生活の中心に置く事はないの。だってわたしは女優よ?ひとりの男だけのものになんてなれる訳ないでしょ?」
水長ジュンは微笑むと、ちらりと腕時計を見た。
「司とわたしの異性に対する価値観は同じなのよ。だから_」
「嘘です。それは・・。道明寺はそんな人じゃありません」
つくしは彼女の言葉にしかめっ面をした女優を目の当たりにしていた。
「道明寺司はそんな人じゃありません。あたしと彼は・・まだつき合い始めたばかりですが少なくとも・・あたしに対してはそんな人じゃありません。誠実だし思いやりのある男性です」
「ふん。あなたに興味があるのも初めだけよ。自分と正反対のものに惹かれるなんてことは、誰でもあることだわ。散々遊んだ男が、結婚するなら処女だなんて考えてるようなものね?
あなた男と寝たことがあるの?少なくとも司とはまだなんでしょうけど」
「そ、そんなこと_」
「あら。どうしてわかるのか?わかるわよ。あなたの態度を見れば一目瞭然だわ。それにしてもあなたは頭がよさそうだし、男と女のことがわかっていてもよさそうな年齢なのに経験がないなんて不思議ね?」
水長ジュンは例のごとく、つくしの頭の先から爪先まで眺めまわしていた。
「司に抱かれた女なら、もっと色気があってもいいはずよ。だけど、あなたにはそれが全然感じられないわ。とにかく、結婚相手には真面目で堅実な女を求めるなんて司もその辺の男と変わらないわね」
「あ、あたし達別に結婚の約束をした訳では・・」
「うるさい!」
水長ジュンは声を荒げた。
「じゃあどうして司はあなたを連れてあのパーティーに行ったのよ?年に何度か開かれるあのパーティーに行けるのは本当に上流階級のステイタスを持つ人間だけなのよ?わたしなんて一度も連れて行ってもらえなかった!それなのに、どうしてあなたみたいな女が連れて行ってもらえるのよ!」
つくしはただ黙って水長ジュンを見つめるしかなかった。
彼女の前でひたすら道明寺司と自分をこき下ろす女性を。
「それに・・わたしにだってプライドというものがあるわ!女としても女優としても!」

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洋服はと言えば、まるで今の空の色のようなグレーを基調としたパンツスーツで、派手なイメージのある水長ジュンと思えないほどだ地味だ。そんな女性からは女優としての輝きを感じることは出来なかった。だがそんな中でも淡褐色の瞳は印象深く、何度か間近で見たことのあったつくしには忘れがたいものだ。
その瞳が冷たくつくしを見据えていた。
***
「おい。司、牧野つくしがオフィスに帰って来てねぇって?」
総二郎から連絡を受けたあきらは、司の執務室に入ってくるなり声をかけた。
「ああ。携帯も電源が入ってねぇし、あいつの会社にも戻って来てねぇ」
地方都市から上京してきた夫婦を連れマンション見学に行ったが戻って来ない。夫婦に連絡を取ればもう随分と前に牧野つくしとは別れたと言われていた。携帯電話に何度かけても繋がることはなく、ただメッセージが繰り返し流されるだけだった。
「なあ。まさかとは思うがやっぱりあの女が関係してると思うか?司、おまえなんで警護の人間を付けなかったんだよ?おまえも水長ジュンに会ったとき、なんかおかしいと思ったんだろ?」
あきらの口調は司を責めていた。
「おいあきら、落ち着け。おまえがそんなに熱くなってどうすんだよ?」
総二郎は司に詰め寄るあきらをなだめた。
「いや。俺が司とあの女を会わせることにしたんだ。だから俺にも_」
言葉を選びながら話すあきらには、自分が間違いを犯したのではないかという表情が浮かんでいた。自分が余計なことをしたばかりに、牧野つくしがいなくなったのではないかと思っていた。
「まさかとは思うが牧野つくしがおまえの女と知って裏で糸を引いてる人間がいるなんてこと_」
あきらにとってはまだ知り合って間もない女だが、司のつくしに対する深い思いを知っているだけに、責任を感じていた。
「いいんだ。あきら。俺があの女と別れるとき、はっきり始末をつけてなかったのが悪かったんだろうよ。それに裏で糸を引いてる人間がいたとすれば、そんな人間は生きてる価値はねぇな」
司は言いながらも探すべきはあの女だとわかっていた。
水長ジュンがいるところに牧野つくしもいるはずだ。そのことに何故か確信が持てた。
高慢な鼻がへし折られた女がまさかとは思ったが、こんなに早く馬脚を現すとは思わなかった。
「まあなぁ・・。相手は芸能人だしな。今までつき合ってたどっかの御令嬢とは違って世間の感覚とはズレもあるからな」
あきらの言葉はもっともだと総二郎が頷いた。
「そうだぞ、司。俺が言うのもなんだか、その道を極めようとする人間は ″傾く(かぶく)″からな。今の歌舞伎だって″傾く″から歌舞伎に変わったくらいで、他人と違ったことをすることから始まってる。芸人ってのは ″かぶき者″じゃねぇと出来ねぇからな。要は変わり者だってことだ。まあ、だからと言って常軌を逸した行為に出るなんて人間は今の芸能界に多いってわけじゃねぇと思うが」
あの女と会ったとき、司は蠅でも追い払うように追い払っていた。
そうされても当然の女だった。
だがそのツケが牧野つくしに及んだということか?
あの女は歯向かうように司に向かってきた。そして自分の舞台公演の為の金を無心しに来た。まさかとは思うが牧野つくしを誘拐して大金と引き替えにしようとしているのか。
「司。それでどうなってるんだ?牧野つくしの行方は?」
「今、探させている」
「そうか・・おまえのところの警護はサツ上がりもそうだが、自衛隊のレンジャー部隊出身も多いよな?まさに壁でもスイスイ登るような奴らだよな」
「おい、総二郎やめろよ。冗談言ってる場合か?」
あきらは仲間の中で一番現実的で常識的な男だ。楽しむ時は楽しむが、考えなければならない場面で冗談を口にすることはない。
「いや。冗談じゃねぇ。必要ならビルの壁でも登らせるつもりだ」
司は素っ気なく言ったが、真剣だった。
「しかし、あの手の女は執念深そうだな。俺もあきらもあの手の女には会ったことがねぇけど・・。司だからつき合えたんだろうよ。それにしても単なる司の金目当てだったのか?それとも体目当てだったのか?なあ、司はどっちだったと思う?」
総二郎が軽口を叩いた。
「そんなこと知るか。それにそんなことは俺にはもうどうでもいい話だ」
司は苛立ちを隠せない様子だ。
「あの女。ただじゃおかねぇことだけは確かだが_」
そのとき、デスクに置かれた司の携帯電話が鳴った。
「俺だ。」
金色のペンを掴んだ司の手は蓋を外すと目の前の紙にすらすらと何か書いていた。
「_そうか__わかった」
彼は手にしているペンをしばし弄んでいたが、デスクの上へと戻すと鋭い視線を二人に向けた。
「おい、わかったのか?牧野つくしの居場所が!」
「ああ。」
「で、どここだ?」
「都内だ。それも近い」
「なんだよ?灯台下暗しか?」
司は返事をしなかった。彼はデスクの上の電話に手を伸ばすと、立て続けにどこかに電話をかけていた。とても落ち着いた態度で問題はすでに解決したかのようだ。
一度目の電話は「俺だ。」で始まり、二度目の電話は「道明寺ですが。」で始まっていた。
「司、牧野つくしは_」
「_どうなんだ?」
あきらと総二郎の口をついた言葉は、二人でやっと意味を成すものとなるほどおぼつかなかったが、彼らの牧野つくしを心配する気持ちは充分伝わるものだ。
「あきら、総二郎。心配かけて悪かったな」
司の返事はどこか余裕を感じさせるものだが、その目には一瞬だが怒りがちらついていた。
二人の男は司が明らかに自分を制御していると感じていた。
***
「あの男、嫌でもわたしの話を聞くはずよ。だってそうしなきゃあなたの居場所がわからないんだから」
水長ジュンは意気揚々とつくしに話し始めた。
「それにしてもここは暑いわね?まあボイラー室なんだから仕方がないわよね?」
そう言ってこの部屋の蒸し暑さに納得しながらも、面白がっているように口もとに笑みを浮かべていた。
つくしが連れて来られたのは宝飾店が入るビルの地下深くだ。
このビルは地下3階まであるが、その下がどうなっているかなど、つくしでなくとも知らないはずだ。
それにしてもどうして水長ジュンがこんな場所を知っているのか?
だが、今はそんなことを気にしている場合ではなかった。話しがしたいと言われ、女優という職業柄目立つところは困るから付いて来てと言われたのがこの場所だった。
迂闊だった。
他人を簡単に信じて痛い目にあったことは過去にもあったはずなのに、学習していない自分を叱りたくなっていた。
今、目の前にいる水長ジュンの行動は明らかにおかしいと感じていた。瞳孔が大きく開かれ、息遣いも荒く、興奮しているのが感じられた。
「あなたがこうなったのは司が悪いのよ?」
こうなったのは_?
「いったい、ど、どういう・・」
意味がわからないという表情を浮かべるつくしに水長ジュンは声を荒げた。
「どうもこうもないわ!この前司に会ったの。わたしとやり直しましょうって。そうしたらなんて言ったと思う?あの男!わたしなんか欲しくないって言ったのよ!このわたしをよ!」
水長ジュンは自分の胸と叩くと、顎を突き出すようにして話を続けた。
「なんて嫌な男!あの男が・・わたしの舞台を潰すから・・。あの男がお金さえ出してくれたら、今頃わたしの舞台は始まっていたはずなのよ?満員の観客にスポットライトを浴びて歓声を浴びるのはわたしよ?勿論カーテンコールだってあるわ・・」
言うと低く笑った。
「それなのに・・」
口元に浮かべた薄笑いが、やがて大きなほほ笑みへと変わって行くのがわかった。
「先週はまだ望みがあったのよ。あのときはまだ・・」
その言葉を理解出来ずにいるつくしに女は言葉を継いだ。
「司がお金を出してくれたら、わたしは主演女優でいられたの。でも今のわたしには立つ舞台がないわ。牧野さん、まだ意味が分からない?」
水長ジュンはつくしを睨みつけながら少しずつだが二人の距離を縮めて来た。
「先週わたしは司に会ったの。そのとき二度と舞台には立てなくしてやるって言ったわ。そして、それを実行に移したのよ、あの男は・・それもすべてあなたのせいよ?」
「ど、どうしてあたしのせいなんですか?あたしは、何もしていません!それに道明寺だって・・」
「いいえ。あの人が他人の気持ちなんて知る訳ないわ。知ろうともしないわ。わたしにはわかるの。あの男がどんなに冷たい男かってことが!」
水長ジュンの両眉は吊り上がっていた。
「教えてあげましょうか?わたしと司の関係がどんな関係だったのか!」
「そ、そんなことあたしには関係ないし、道明寺の過去がどんなだったとか、あなたとの関係がどんな関係だったかなんて聞きたく_」
「黙りなさい!いいから聞くのよ!」
舞台女優らしくよく通る大きな声が怒鳴った。
水長ジュンは怒りに我を忘れたかのようにいきり立っていた。それはまるで演技者が役にのめり込んで、トランス状態にでもなっているかのようだ。つくしは突然、恐怖を感じていた。この女性が普通じゃないように感じたからだ。
「これ以上わたしをイライラさせないでくれる?」
だが怒鳴った後の声は低く冷静だ。
「司は頭の切れる男だわ。それも凄く頭が切れる男。だからこそビジネスの世界でもあれだけの活躍が出来るのよ。だけどそんな男は他人を好きになることはないの。女に夢中になるとか__そんなことは決してない男よ。あの人の中での女の立ち位置は常に傍らで、中心になることはないわ。それはわたしにも言えたわ」
水長ジュンは一瞬黙り込み、何か考えているようだが再び話し始めた。
「でもいいのよ。ある意味でわたしもそうだから。わかる?牧野さん?わたしもあの人と同じ。つき合ってる人がいるからってその人を生活の中心に置く事はないの。だってわたしは女優よ?ひとりの男だけのものになんてなれる訳ないでしょ?」
水長ジュンは微笑むと、ちらりと腕時計を見た。
「司とわたしの異性に対する価値観は同じなのよ。だから_」
「嘘です。それは・・。道明寺はそんな人じゃありません」
つくしは彼女の言葉にしかめっ面をした女優を目の当たりにしていた。
「道明寺司はそんな人じゃありません。あたしと彼は・・まだつき合い始めたばかりですが少なくとも・・あたしに対してはそんな人じゃありません。誠実だし思いやりのある男性です」
「ふん。あなたに興味があるのも初めだけよ。自分と正反対のものに惹かれるなんてことは、誰でもあることだわ。散々遊んだ男が、結婚するなら処女だなんて考えてるようなものね?
あなた男と寝たことがあるの?少なくとも司とはまだなんでしょうけど」
「そ、そんなこと_」
「あら。どうしてわかるのか?わかるわよ。あなたの態度を見れば一目瞭然だわ。それにしてもあなたは頭がよさそうだし、男と女のことがわかっていてもよさそうな年齢なのに経験がないなんて不思議ね?」
水長ジュンは例のごとく、つくしの頭の先から爪先まで眺めまわしていた。
「司に抱かれた女なら、もっと色気があってもいいはずよ。だけど、あなたにはそれが全然感じられないわ。とにかく、結婚相手には真面目で堅実な女を求めるなんて司もその辺の男と変わらないわね」
「あ、あたし達別に結婚の約束をした訳では・・」
「うるさい!」
水長ジュンは声を荒げた。
「じゃあどうして司はあなたを連れてあのパーティーに行ったのよ?年に何度か開かれるあのパーティーに行けるのは本当に上流階級のステイタスを持つ人間だけなのよ?わたしなんて一度も連れて行ってもらえなかった!それなのに、どうしてあなたみたいな女が連れて行ってもらえるのよ!」
つくしはただ黙って水長ジュンを見つめるしかなかった。
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司×**OVE様
おはようございます^^
水長ジュンと偶然出会いましたが、そこからが・・
つくしちゃん素直ですからねぇ。ついて行きました・・人を疑うことはしない子です。
プライドが傷つけられた女は怖いですね(笑)
そうなんです。司が新しくつき合い始めた女性があまりにも平凡な女性で嫉妬したのでしょう。
司を怒らせたら未来はないです。何しろ道明寺財閥の御曹司ですから(笑)
コメント有難うございました^^
おはようございます^^
水長ジュンと偶然出会いましたが、そこからが・・
つくしちゃん素直ですからねぇ。ついて行きました・・人を疑うことはしない子です。
プライドが傷つけられた女は怖いですね(笑)
そうなんです。司が新しくつき合い始めた女性があまりにも平凡な女性で嫉妬したのでしょう。
司を怒らせたら未来はないです。何しろ道明寺財閥の御曹司ですから(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2016.10.17 23:42 | 編集

サ*ラ様
こんばんは^^
そうです。別れた女にお金の援助なんてしません。
水長ジュン。どうも司に変な意味で執着しているように思います。
自分が好きなんです。そして司のようにステイタスがある男とつき合うことで、人から注目されることが好きなんですね。
自己顕示欲が強いのでしょう・・。そうですよね・・美人女優なのだから他にも素敵な殿方がいると思うのですが・・
司の躰がいいのでしょうか!!(´艸`*)
「いつか晴れた日に」の続編へのご感想もありがとうございます^^
航君、まだまだ独身でいるでしょう。女に興味はなさそうです。さずが司DNA!(笑)
でもいつか、「運命の人」に出会うはずです。楓さん、ひ孫を抱くことを楽しみにしています^^
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
そうです。別れた女にお金の援助なんてしません。
水長ジュン。どうも司に変な意味で執着しているように思います。
自分が好きなんです。そして司のようにステイタスがある男とつき合うことで、人から注目されることが好きなんですね。
自己顕示欲が強いのでしょう・・。そうですよね・・美人女優なのだから他にも素敵な殿方がいると思うのですが・・
司の躰がいいのでしょうか!!(´艸`*)
「いつか晴れた日に」の続編へのご感想もありがとうございます^^
航君、まだまだ独身でいるでしょう。女に興味はなさそうです。さずが司DNA!(笑)
でもいつか、「運命の人」に出会うはずです。楓さん、ひ孫を抱くことを楽しみにしています^^
コメント有難うございました^^
アカシア
2016.10.17 23:53 | 編集

ち*様
応援有難うございます(低頭)
つくしちゃん、頑張れ!
頑張ると思います。女優なんかに負けません!!(笑)
アカシアも頑張ってみます(笑)
拍手コメント有難うございました^^
応援有難うございます(低頭)
つくしちゃん、頑張れ!
頑張ると思います。女優なんかに負けません!!(笑)
アカシアも頑張ってみます(笑)
拍手コメント有難うございました^^
アカシア
2016.10.18 00:13 | 編集

このコメントは管理人のみ閲覧できます

マ**チ様
水長ジュンさん。まずあの方が思い浮かび、それからバーグマンに変換(笑)
そうですよね・・スウェーデンですものねぇ。浮かんでしまいますよね?
水長さん。美人さんなのですが、女の魅力をどこか間違って認識していますよね?
恐らくモテるが故、女優としてのプライドの高さもあってのことでしょう。
この事件のあと、二人の距離は縮まって来ると思います^^
月曜から午前様!不良ですね!(笑)そういえば、最近不良だなんて言葉も耳にしません・・死語?(笑)
コメント有難うございました^^
水長ジュンさん。まずあの方が思い浮かび、それからバーグマンに変換(笑)
そうですよね・・スウェーデンですものねぇ。浮かんでしまいますよね?
水長さん。美人さんなのですが、女の魅力をどこか間違って認識していますよね?
恐らくモテるが故、女優としてのプライドの高さもあってのことでしょう。
この事件のあと、二人の距離は縮まって来ると思います^^
月曜から午前様!不良ですね!(笑)そういえば、最近不良だなんて言葉も耳にしません・・死語?(笑)
コメント有難うございました^^
アカシア
2016.10.18 21:39 | 編集
