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2016
07.30

情景 中編

Category: 情景(完)
つくしは鍵穴に鍵を入れることに手こずっていた。
何度も失敗するのは病気のせいだろうかと思わずにはいられない。ようやく鍵を差し込むことができ、ドアを押し開けると客室の中に入った。
テーブルにイブニングバックを置き、広い部屋の奥まで歩いていくと、ベッドの上に腰を下ろした。処方された薬を飲まなくてはいけない。つくしは何種類もの薬を取り出すとミネラルウォーターのキャップを開けた。

夕食は最高グレードのレストラン。
丸テーブルに座るのはつくしと同じ最高クラスの客室に宿泊をする人間だ。
豪華客船でのラブロマンスが有名になったアメリカ映画があったが、今夜のディナーもそれぞれがドレスアップをし、まさにあの映画のような華やかさがあった。
あの映画は最後に悲劇的な結末を迎えてしまったが、この船にはロマンスも悲劇も待ち受けているようには思えなかった。

案内されたテーブルにいたのは皆、年配の夫婦でリタイアしたその後の人生を楽しむイギリス人だった。つくしが自己紹介をしたとき、日本人の若い女性がひとりで船旅をすることに疑問を持ったようだが、理由は聞かれなかった。ただ同じ旅をする人間として、楽しく語らえればそれでよかったのかもしれない。

これから先の船旅で、夕食はいつもこのメンバーになるがそれで良かった。年配の夫婦はつくしを孫ほどの年齢に思っているのかもしれないが、その扱いに不満はない。人生を自分の倍以上の年を生きてきた人たちとの会話は気を張る必要がないほど楽しいものだと思っていた。 ただ、あなたもこの年になれば分かるわよ?と言われたとき、つくしの脳裏を過ったのは年老いた自分の姿ではなかった。

自分の体に起こっている出来事に気持ちの区切りをつけると言うことがなかなか出来ずにいたが、いざ旅が始まってみれば今まで知り合うことが出来なかった人たちとの語らいや、見知らぬ風景がつくしの心を和ませてくれていた。
大海原の上で風と太陽を感じれば今までに起こったことなどちっぽけなことの様に思えてくるのだから不思議だ。今のつくしは大航海時代に水平線の向うには何があるのかと冒険に乗り出した船乗りのような気分でいた。



イギリスを出航して最初の寄港地はニューヨークだ。この街にはひと晩停泊する。
つくしにとっては苦い思い出だけが残る街でいい思い出などひとつもなかった。
会えるはずもないと分かってはいても、どうしても道明寺に会いたくて一度だけこの街を訪れたことがある。
例え会えたとしても振り向いてくれるはずもなく、つくしのことは最初から存在しなかったかのように消されてしまっているというのに、それでも会いたいと望んだ。

待ちわびた人が今も暮らしている街を部屋のバルコニーから眺めていた。
時刻は昼を少し回った時間。遠くに見える摩天楼のどこかに道明寺がいるはずだ。
だが彼はつくしのことを忘れ、今はもう別の人生を歩んでいた。

同じ街、同じ空の下にいるのなら最後にもう一度だけ会いたい。だがそれが無理だと言うことは分かり切ったことだ。今更会ってどうするというのだろう・・もう時間がないのだから何をしても無駄だと気づいてもよさそうなのに、道明寺のことを未だに忘れることが出来ないということがいかに自分の感情が複雑なのかということを再認識しただけだったのかもしれない。

つくしは部屋の中へ戻ると下船の為の準備に取り掛かった。




司はつくしの乗った客船がニューヨークに寄港していることを知るとすぐに行動を開始した。ジェットに乗り込むと、きつく両手を握りしめていた。そうでもしなければ体が震えて仕方が無かった。
牧野があの街にいると知った今、どうしてもあの街で会いたいと思っていたからだ。
帰国した司がつくしのことを調べれば調べるほど、彼女が取った行動は以前彼が知っていたつくしの行動に似ていた。

つくしが会社を自己都合で退職したということ。マンションを売り払い帰るところが無いということ。親友のもとに届いたあまりにもそっけない手紙。唯一の家族である弟に対しての態度。人に迷惑をかけることを嫌う女は雨が降るあの日、司を残しひとりどこかへ去ってしまっていた。

あの時の態度と似ている。

何かある。そう思っていた。

そんな中、偶然知ってしまった牧野の医療記録。

それである意味自分の人生の方向性が決まったと思った。
牧野を失うわけにはいかない。
あの街には牧野を助けることが出来る医者がいる。司はいつでも手術が出来るようにと医者の手配を済ませていた。牧野を助ける為なら幾ら金を積んでも惜しくはない。
アメリカの医療は超一流だが、金もかかる。日本のように国民皆保険制度は無い。あくまでも個人と保険会社との契約だ。それもかなりの条件があり、契約をしていても適用されないことも多い。
ましてや日本人の牧野がアメリカで手術を受けるとなると、費用は莫大なものとなるはずだ。
あいつの命が助かるなら、どんなことでもするつもりだ。
司はどうしてもつくしには生きていて欲しかった。


司の乗ったジェットが空港に着いたのが午後4時。
つくしの乗った客船が出航するのは午後5時。あと1時間しか時間がない。
車は司を乗せると客船ターミナルまでの距離を1時間もかからずに走った。
そろそろ出航時間が迫っているということもあり、大勢の乗船客が船へと戻って来ていた。
客船は乗船客以外乗り込むことが出来ないはずだが、司には司のルールがある。
それにニューヨークは彼の街だ。港湾関係者に便宜を図らせることも出来るのだろう。
いざとなれば出航時刻を遅らせることも可能だ。



司がつくしを見つけたのは、船がもう間もなく出航しようかという時間だった。

「まき・・の・・」
息せき切って走ってきた男は、はあはあと呼吸を繰り返しながらつくしの前に来ると彼女の両肩を掴んだ。
「す、すぐに船を下りろ」

つくしはいきなり自分の前に現れた男に動揺していた。
何年ぶりかに会ったという男はつくしの名前を呼んでいた。

「た、頼むから・・船を・・下りてくれ・・」
息が上がっていた。

つくしは意味が分からなかった。
いきなり目の前に現れた道明寺に下船しろと言われ、はい。わかりましたと言うほどお人よしではない。第一、この男はつくしのことは忘れ去っているはずだ。
そんな状況でなぜ自分の名前が呼ばれたのか困惑していた。

「まきの・・俺・・」
「あの・・どうして・・」

二人の言葉が重なると重い沈黙が流れていた。
司はひと呼吸おくと、言葉を継いだ。

「なんで黙ってた?」
「な・・なんのこと?」

まったく意味が分からなかった。黙るもなにも、もう何年も会っていない男に対して、ましてや自分のことを忘れた男はいったい何を言っているのだろう。

「おまえ、病気なんだろ?」

司の目は真剣だ。つくしの一挙手一投足を見逃すまいとしていた。
瞳の中の動揺も見逃さないぞとばかり覗き込まれていた。

「いったい・・何のこと?」

司の口から出た病気なんだろうと言う問いかけはつくしにとっては驚くべきことだ。
つくしはしらを切った。どうしてこの男が自分の病気のことを知っているのかが不思議だった。誰にも話してもいなし、医療記録が外部に漏れるなどあってはならないことだからだ。
だがこの男は知っているという。何がしかの手を使って手に入れたのか、それとも偶然知ったのか。

「今さら隠さなくても俺は全部知ってる。おまえのことで知らないことなんてない」

そう言い切っていたが、司はつくしを忘れていたという負い目がある。
離れていた間に何があったのかは知らずにいた。

「あ、あたしの何を知ってるって言うのよ・・」
つくしは小さく呟いた。
「あたしは!・・・」
言葉に詰まった。
この男は何をどこまで知っていると言うのだろうか。それにどうしてこの場所に突然現れたのか。つくしの全てを知ると言う男はいったい何がしたいと言うのだろうか。

「なんだよ?言えよ?言ってくれ」司はせっついた。
「何かいいたいことがあるんだろう?」
両肩を掴んだままつくしの顔を覗き込んでいた。

「言うことなんて何もない・・」今さら何を聞きたいというのか。

「医者にはなんて言われたんだ?」
司は先をせっつくばかりだ。
「なあ、牧野。頼むから・・」

その口ぶりから大方のことは知っていると察した。
もうすぐ船はこの街を離れる。道明寺から解放して貰えるなら真実を伝えておくことも悪くはないはずだ。

「・・・あと半年」つくしは目を伏せた。
「あたし・・あと半年なの・・」

肩を掴まれたまま下を向くと、握り合わせた自分の手をじっと見つめていた。
つくしは司の顔を見る勇気がなかった。今彼の顔を見れば自分の心の内の全てが現れていると分かっているからだ。

「まきの・・頼む。俺の目を見てくれ!」
司の声は心から心配そうだ。
「おまえ・・ちゃんと診てもらったのか?」

「診てもらった・・」小さく呟かれた声。

「医学は進歩している。手術を受ければ助かるんだろ?」

まるで懇願しているかのような問いかけは、つくしに向けられたものなのか、それとも司自身への問いかけなのか、司の言葉はどちらにも取れた。

「・・もういいのよ・・どうせあんたはあたしのことを思い出さないままだし、記憶が戻ってないあんたに話しても仕方がないでしょ」

先程からの司の口ぶりに記憶が戻ったんだと分かっていたが、つくしにしてみればもうどうでもいいことだ。

「俺の記憶は戻ったんだ!だから黙ってないできちんと話しをしてくれ!」

やはりそうだったかと納得した。

「別に黙ってるわけじゃない・・道明寺があたしのことを思い出さないのに話しても仕方がないでしょ?」

例え記憶が戻ったとしても、今のつくしには何も言うことはない。

「ちくしょう!なにを・・おまえ・・なに言ってんだ!俺の記憶は戻ってるんだ!そんなことより、これからでも手術出来るんだろ?すれば助かるんだろ?なあ、牧野っ・・」


うつむいていた顔が上を向くと司の顔を見た。

つくしは泣いていた。


「わかってない・・手術しても絶対に助かるとは言えないのよ?それに・・記憶の戻らないあんたを見ているのは辛かったからもういいの・・これから先もあたしを忘れたままなら、手術はしなくてもいいと思った。あんたの記憶にないあたしがいなくなったとしても、あんたが悲しむこともないでしょ?だからもういいのよ・・もう遅いのよ・・どうみょうじ・・いったい・・何しに来たのよ・・」

今まで何度ひとりで涙を流してきたことか。ひとりになって布団の中で涙を浮かべ、嗚咽をこらえたことが何度あったことか。
泣いてどうなるものではないと分かってはいるが、涙は枯れることなく湧いて出て来た。
どうしてこのタイミングでこの男が自分の前に現れたのか・・

どうして・・

記憶が戻らなければあたしのことなんてずっと知らずにいてくれたのに・・
例えすれ違ってもわからなかったあの時のように・・
それなのに今になってあたしの前に現れるなんて・・
あたしになんか会いに来る必要なんて・・ないはずだ。




違う・・


もっと前に道明寺の記憶が戻ってくれていたら・・・
もっと前に道明寺が会いに来てくれたら・・・
あたしは自分自身でなんとかしようとしたかもしれない。

でも、もう無理だ。手遅れだ。

「いい加減にしろ!女が腐ったような泣き方するんじゃねぇよ」
司が鼻先で笑った。
「いったい何をしに来たかだと?そんなもん分かり切ったことじゃねーか。好きな女を迎えに来たんだ。それがわりぃいことか?それに何ぐずぐず考えてるんだ?おまえ本気で泣きたくなるようなことをしてやろうか?俺がついてるんだ絶対に治してやる。世界で一番の医者がこの街にいるんだ。すぐに手術が出来るように今も病院で待ってるんだぞ?」

司の顔には何が何でもつくしに手術を受けさせるという決意があった。

「おまえまさか、手術するのが怖いって言うんじゃねぇよな?」
彼の言葉はつくしの考えを読んだかのようだ。司は穏やかに話しを継いだ。
「なあ、牧野。頼む・・手術を受けてくれ・・なあ・・俺のために・・クソッ!おまえはそんな臆病な女なんかじゃねぇだろ?」

臆病な女・・
そうなのかもしれない。

「臆病かもしれない・・い、今のあたしはあんたの言うとおり、臆病な女かもしれない。もうこれ以上生きて・・」

つくしが言いかけた言葉は彼女を抱きしめた司の胸元でかき消されてしまっていた。
しっかりと抱きしめられ、司の温かさを体で感じている。
それに覚えのあるこの匂い。胸を満たすこの匂いは17歳の頃から変わらない道明寺の匂いだ。
体が震えているのは、はたしてどちらの方なのか。抱きしめられて目を閉じれば、思い出すのはあの頃の情景。記憶の中に残されているのは笑い合っていた二人の姿。
それは決して忘れることがなかったつくしの知っていた司の姿。

自分を忘れ去ってしまった男は本当にもういないのだろうか?
この手を彼の背中に回してもいいのだろうか?

触れ合いたいと願ってやまなかったはずの司の体は、つくしを抱きしめて・・・震えていた。

あのとき、何も起きなければ今日まではどんな日々をおくることが出来たのだろうか。
二人がいる船の上は否応なしにあの事件を思い出させてしまうが、記憶の中の情景は今ではもうあの日のことを消し去っていた。

つくしは司の背中に恐る恐る手を回した。
その瞬間、司が力強くつくしを抱きしめた。
「手術・・受けるよな?」
何も言わないつくしに聞いた。

つくしは司を見上げると小さく頷いた。
「あ、あたし・・」
望んだ答えが聞けた司の行動は早かった。
「よし。いますぐ船を下りて病院に行く」

「え?で、でも・・あ、あたしの荷物とか・・あのね、あたしの全財産はあの部屋に残っているものしかないの・・」

つくしは思い出に残るようなものは何一つ持ってはいないが、ひとつだけ手元に残しているものがある。それは司に貰ったネックレス。あれだけは処分することがなく残していた。

「大丈夫だ。心配するな。おまえの荷物はすぐに船から下ろす」
司はつくしを抱きしめたままで離そうとはしなかった。
以前より細くなった体が震えるのを感じていたからだ。
「牧野?」
「ふ、不安なの・・もし・・手術が成功しなかったら・・」
つくしは小さな声で呟いていた。

それは紛れもない本当の気持だ。脳の手術は高いリスクを伴うと聞いていた。
もしどこかの神経を傷つければ何らかの障害が残る可能性だってある。
それに当然だが開いてみなければ分からないはずだ。


「絶対に成功する。俺が言うんだから間違いない」
司は微笑んでみせたが急に真顔になった。
「それに最悪の状態になったとしても俺はおまえを離さないし、諦めない。ぜってぇに俺がおまえを助けてやる」
次に司の顔に浮かんだのは不適な笑みだ。
「いいか?俺たちは運命には逆らえねぇ。例えおまえが地獄へ逃げようが天国へ行こうがどこまでも追いかけてって俺の傍へ連れ戻してやるよ。おまえのいない人生なんて考えてねぇからな」

この出会いも運命なのか。

どこまでも追いかけていく・・・

それは遠い昔に聞いた言葉。



道明寺と会ったら・・記憶が戻った道明寺と会ったら言いたいことはいっぱいあったはずなのに言葉が出なかった。
だがこのとき抱きしめられた温もりは、きっと忘れることはないはずだ。


例え何が起ころうとこの腕の中にいれば守ってもらえるような、そんな気がしていた。








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コメント
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dot 2016.07.30 10:41 | 編集
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dot 2016.07.30 23:58 | 編集
LOVEつこし様
どうも拍手ボタンの不具合があるようです。
記事によっては全く反応が無しという状況です(笑)
こちらのお話に胸をキュッと掴まれたとのこと。
そう言って頂けて胸をホッと撫で下ろしました。
拍手コメント有難うございました^^


アカシアdot 2016.07.31 00:12 | 編集
m様
短編で展開が早いです(笑)少し悲しい始まりでしたが最後はご期待を裏切らないお話だといいのですが・・と思っています。
拍手コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.07.31 00:18 | 編集
corky様
おはようございます^^
何しろ3話完結ですので展開は早いです。
大丈夫です。坊ちゃんがついていますのでご安心下さい(*^^)v
坊ちゃんが不幸になることだけは避けて通りたい!と心掛けております。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.07.31 00:22 | 編集
マ**チ様
夜更かし同盟です!(≧▽≦)
土曜だからいいと思います。さすがに平日毎日これでは体が持ちませんので気をつけるようにしています。
はい。明日で終わりのこちらのお話。短編ですので話しは早いですがお楽しみ頂けるといいのですが・・
二人の新しい門出は船旅で・・いいですねぇ~。そんな話しも書いてみたいです。
日付変更前を目指す!(笑)私もその頃には休みたいです。
明日はこちらのお話ですので御曹司坊ちゃんお休みです!夏季休暇中かもしれません(笑)
マ**チ様もよいお休みをお過ごしくださいませ^^
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.07.31 00:31 | 編集
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dot 2016.07.31 00:42 | 編集
さと**ん様
少し悲し始まりのお話ですので、読んでいてご気分が・・という方もと思い前編に注釈をつけさせて頂きました。
会いたいと望んだ司がつくしの前に現れたとき、つくしの命はあと半年です。
自暴自棄になっているつくしを説得して生きる勇気を与えることが出来た。このことは司にとって大きな意味があると思います。
過去に自分が自暴自棄になっていた高校時代、つくしによって気づかされた色々なことがあったはずです。
そんなことが頭の中を過っていたと思います。
さと**ん様も大変な思いをされているのですね。くれぐれもお体をご自愛下さいね!アカシアもゴホゴホ(笑)色々です。
つくしちゃんの腫瘍を取り除く名医に思い浮かんだのはやはりF島先生です(笑)ああいった素晴らしい先生がいるということは患者様にとっての希望の光だと信じています。
決して二人を不幸にはしません。ご安心下さい。何しろ司には幸せになって頂かないといけませんので。
拍手ですよね?びっくりしています。プレッシャーです(笑)
色々と頑張りましょう!←これは自分に言い聞かせています(笑)
コメント有難うございました^^

アカシアdot 2016.07.31 02:26 | 編集
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