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2016
07.13

大人の恋には嘘がある 44

つくしは非常階段を下りると、ワンフロア下の化粧室を見つけた。
用を済ませ、再び会場へと戻るため非常階段の入口にあたる扉を押し開いた。

扉は音もなく自らの力でゆっくりと閉じられて行くと、最後にガチャンと重々しい音がした。
明かりは非常階段という性質上なのか、通路の照明より明るく設定されており、ひと昔前の薄暗いという照明ではない。
下りて来るときは、急いでいたこともあり、あまり気に留めなかったが階段の幅は意外に広い。大勢の人間が一度に避難することになれば、これくらいの広さは必要なのだろう。

つくしは手すりに手を添えながら下りてきたが、上る時もそうしなければ、とてもではないがパーティー用のドレスとハイヒールで階段を上ることは簡単ではない。やはりエレベーターで上のフロアに戻った方がいいのだろうかと思ったが、所詮ワンフロア分だと自分に言い聞かせ階段を上り始めた。



何段か上ったとき、つくしの頭上で扉が閉じられるような音が聞え、誰かがゆっくりと階段を下りて来る靴音を耳にした。
非常階段を使うということは、この人も化粧室へと向かう人なのだろうか?通路の端近くにある化粧室だ。つくしと同じでエレベーターまで戻るのは面倒だという人なのかもしれない。
だがコツコツという音は重く硬質で、女性が履くヒールのカツカツという高い音ではない。
確か使用禁止の張り紙がされていたのは女性用だけだったはずだ。

もしかして、ホテルの従業員なのかもしれないと思ったが何故か急に不安に襲われた。
ホテルは大勢の人間がいる場所なのに、ここには人の姿は一切ない。扉ひとつを隔てただけで、まるで別の空間が広がっていた。この空間は1階から地上40階まで続いている。

靴音が突然止まった。
つくしも階段を上るのを止め、息を呑んで階段の先を見上げたが踊り場に人の姿は見えない。
正直気持ちが悪いし、不気味だと思ったが声を上げるような事態になっているわけでもなかった。このまま上ろうか、それとも引き返そうかと考えていると再び靴音がした。
もう少しで靴音の主が踊り場に姿を現すはずだ。つくしはその場から動かず靴音の持ち主が現れるのを待った。
恐らく非常階段にはつくしと靴音の持ち主しかいないはずだ。

一流と言われるホテルの中だとしても安心は出来ないということを、ニューヨークで暮らしていた経験から知っているはずだ。ホテルは誰でも自由に出入り出来る場所だ。不審者が潜んでいたとしてもおかしくはない。
エレベーターにしても男性だけしか乗っていない時はやり過ごして来たこともあった。
あの頃はハンドバッグの中には唐辛子入りスプレーを常備していたけど、日本に帰って来てからは持ち歩いてはいない。もしかして、自分は日本に帰って来て油断してしまったのかもしれない。
もしもの時に備えようとしても手元にあるのは小さなバッグだけだ。
やっぱり引き返してエレベーターを使おう。



「やあ、牧野久しぶり」

「さ、澤田さん?」

階段の踊り場に現れたのは澤田智弘だ。パーティー会場では見かけなかったが、遅れて来たのだろうか?
それにしても何故ここに彼がいるのか?たしか、まだロンドンに出張中のはずだ。
メープルで偶然会って以来、会社でも顔を合わせることがなかった。あの出来事のあと、すぐにロンドンへ向けて出張したと耳にしていた。

「今日は経団連主催のパーティーがあるって兄貴から聞いていたからね。道明寺さんが来るならきっと牧野を連れて来るだろうと思ったから丁度いいかと思ってね。さっきは兄貴と話しをしていたようだけど、俺の話しが出たんだろ?」
澤田は静かに聞いた。
「だろ?」

何が丁度いいというのだろうか?
澤田の眼差しには、はっきりとした好意の色が浮かんでいた。
つくしはあくまでも好意の色だと思いたかったが、こんなひと気のない場所に二人でいることが思い出したくない不安を呼び起こしていた。
メープルで手首を掴まれたとき、あの時の澤田の目に浮かんでいたのは、ただの好意とは思えない色だったからだ。

「さ、澤田さん・・あの・・」

つくしの片手は手すりを握りしめたままでいたが、嫌な汗が手に滲んでいた。
頭の中では、この場をどうやって切り抜けようかと考えていたが思い浮かばない。
いくら好意を寄せられても澤田のことは好きにはなれない。

「まだロンドンにいるはずの俺が東京にいるのが不思議って顔してるよね?それに今の牧野は俺に対してなんて言葉をかけようかと悩んでる」

そのとおりだ。
心が顔に表れるのは性分なのだから仕方がない。だがそこまで言われるなら言葉を選ぶ必要はないはずだ。


澤田はつくしが自分のところまで上がって来る気が無いとわかると、階段をつくしに向かって下りて来た。やがて同じ段で並ぶと、澤田は壁に背中を預けてつくしを見た。腕は胸の前で組まれていた。

「あの、あたしに何か用ですか?」

はっきりとした口調で言われ、澤田は顔を歪めた。

「何か用ですか・・・か。何だか随分と自分に自信が持てるような言い方だな。俺が牧野に用があるとすれば理由はひとつしか無いだろ?牧野に会いたかったからだよ」

つくしは何も答えない。

澤田の目が探るように細くなった。

「そうか・・」短い沈黙のあと、彼は何気なく聞いた。
「俺が日本にいない間に道明寺さんとの仲は進展した?」

二人の視線がぶつかった途端、つくしは澤田の目を見つめ返してはっきり言った。

「はい」

大人の二人にはこの言葉が何を意味しているのか分かっている。
澤田はそんなことは大して気にならないとばかりにつくしの答えを軽く受け流した。

「やっぱり俺には興味がない?俺は別に彼とつき合いながら俺とつき合ってくれても構わないって言ったよな?それに結婚するまではお互いに自由だろ?」

まるでプレイボーイ気取りの笑みが浮かんだが、澤田の考えにつくしは同調出来ない。

「あたし達、結婚を前提におつき合いしています」
真剣な瞳と共に、揺るぎのない答えが返ってきた。

「牧野は道明寺さんと真剣なんだ?当然、彼も同じ気持ちなんだろうね?」

「はい。あたし達真剣におつき合いしています」

「牧野、おまえはそもそもニューヨークであんなことになって道明寺さんを憎んでいたんじゃないのか?」

澤田は3年前の事情を知るだけに、さも、つくしの心の奥に隠していた気持ちを知っているかのように聞いて来た。

「あの、澤田さんあたしは別に道明寺を憎んでいたとか、そんなことはありません。それは澤田さんの勘違いというか、思い違いだと思います」

どうすれば澤田とはつき合うつもりは無いと分かってもらえるのか・・

「確かにニューヨークで色々とあって上手く行かなくなったのは事実です」
「ああ。彼がおまえに嘘をついてたことだよな?」
「でもあたし、わかったんです。話し合ったんです彼と。道明寺にも事情があった・・」
「同情したってことか?」
澤田はおもしろがっているようだ。

「それは違います。同情でつき合うようなことはあたしには出来ません。それじゃ相手に失礼ですから。あたしは道明寺が好きだからつき合うことにしたんです。だから道明寺とつき合っていてもいいから、ご自分ともつき合えなんて言うことが理解出来ません。澤田さんはあたしが道明寺に同情してつき合い始めたみたいに言われましたけど、あなたは・・自分に同情してつき合うような女性でもいいんですか?」

つくしは真剣な目で澤田を見つめた。

「あたしは・・澤田さんがどうして・・あたしにそんなに関心があるのかわからないんです」

「関心じゃないよ。好きだって言っただろ?」

「前にも言ったと思うけど、気づけば誰かに惹かれてたってことだってあるはずだ。牧野だって今までそう言うこともあったはずだろ?」

澤田は緊張を和らげようとするように、おどけた視線を投げかけてきたが、つくしはそれには乗らなかった。



気づけば誰かに惹かれていた・・
それはあたしが道明寺に感じていたことと同じ想いかもしれない。

「俺は気づけば牧野を好きなっていた。それに好きな女性に男がいたとしても、思うのは勝手だろ?」
思うのは勝手でも嫌だと言う相手を執拗に追いかけ回すのは、ひとつ間違えば犯罪行為にあたる。初めは好意から始まった思いがいつの間にかエスカレートしていく話しは世間ではよく耳にすることだ。

「どうしてだろうな?俺ってそんなに道明寺さんに劣ってるのか?」

いいえともはいとも言えない聞き方をされ、つくしはただ黙ったまま返事を返さなかった。




澤田は大きくため息をついた。




「わかったよ。大人の男は本気で拒否されたらそれを受け入れないわけにはいかないだろ?」
表情はどこか寂しそうだ。
「ご、ごめんなさい・・」
「本気なんだな?道明寺さんのこと」
「はい。澤田さんには本当申し訳ないんですが、あなたとはおつき合い出来ません」
「そうか・・よっぽど道明寺さんの方が魅力的ってわけだ」
澤田は短く笑った。
「ごめんなさい」
つくしは澤田の気持を慮ってあやまった。

「いいよ、そんなに何度もあやまらなくても・・そんなにあやまられたらなんだか自分が惨めになる」
「最後にひとつだけ、聞いてもいいか?」
「なんですか?」
「道明寺さんのどこがいいのか教えてくれないか?」

澤田はいったい自分のどこが悪いんだと聞きたかったのかもしれないが、司のどこにつくしを惹きつける魅力があるのか知りたかった。ルックスも家柄もそんなに劣っているとは考えられなかったからだ。

「全部です。あたし達ニューヨークでは短いつき合いしか出来なかったけど、その間に道明寺のことが好きになってたんです。どこがいいとか理由なんてありませんでした。ただ惹かれたんです。好きになるのに理由なんてなかったんです。あの時は道明寺も普通の人だと思っていました・・普通の恋だと思ってましたし・・」

つくしは何か思い出したかのように短く笑った。

「あ、後から色々知ってショックでしたけどね・・それでも一度好きになった人をそう簡単に忘れられるなんてことはないんですよね、人間って・・」

「あの、もう行ってもいいですか?あまり遅いと・・」
「ああ。彼が心配する?」
「はい。心配させたくないんです」

澤田はそのとき、つくしの顔が緩やかにほほ笑んだのを見た。
道明寺司を思ってほほ笑む顔は決して彼には向けられない表情だ。
彼はその顔に反射的に動くと、思わずつくしの腕を掴んでいた。






***






それにしても、つくしは一体どこまで行ったんだ?
このホテルの化粧室の事情は知らないが、この会場からそんなに離れた場所にあるとは思えない。あいつをひとりにするとろくなことがない、と言う事を薄々感じてはいたが、これで何度目だ?俺の恋人になったからにはもう少し自分の身の周りのことに注意を払えとは言ったが、自立心の旺盛な女は軽く受け流していた。

どうも嫌な予感がする。
こと、つくしに関しての予感は外れたことがない。
もしかして、急に具合が悪くなったということも考えられる。

「悪りぃ。俺ちょっとあいつの様子を見て来るわ」
「ああ、つくしちゃん?そう言えば遅いね?」
空気の読めない男でも気にしていたということだ。
「俺たちも行こうか?」
「そうだよ、女性用化粧室だろ?おまえがいきなり現れたら中の女はびっくりするぞ?」
双子の妹を持つ男は女性用化粧室の様子については詳しそうだ。

「いや。遠慮しとくわ。逆におまえらが目の前に現れたらその方が驚くだろ?女に騒がれるなんてのは今の俺には必要ねぇ」
「お?司よ、つくしちゃんが手に入った今となっては、他の女どもは目障り以外にないってことか?」
総二郎の言葉はまったくその通りだ。

英徳時代から名前の知られた男達はただでさえ会場にいる女達の目を惹いている。
ただ迂闊には近寄れない雰囲気はあの頃のままで、それがまた彼らの神秘性を高めていた。

司がニューヨークで生活をしていた為、ここ何年も4人が揃ってパーティーに出ている姿を見かけることはなかった。それだけに、今夜のパーティーは女達の浮かれようが目についていた。
そんな女達は司が女を連れていることについてはどうでもいい様子だった。
彼ら4人を見ているだけで満足だと言うことだろう。4人は現実の人物だが、偶像化され崇拝の対象になっているのかもしれない。



「おまえら適当にやっててくれ。俺はつくしの様子を見て来るわ」

司はそう言い残すと会場をあとにした。









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コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2016.07.13 08:30 | 編集
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dot 2016.07.13 13:55 | 編集
co**y様
おはようございます^^
雨ですねぇ。洗濯物が乾きません。生乾きは嫌な臭い元ですよね?
我が家も太陽で乾かすのが一番ですが、どうしようもない時は乾燥機です。
この澤田さん。そうですよね、ストーカー体質みたいですね。
司のつくしレーダーは如何なく発揮されております。
もうねぇ、うちの拙いお話で癒しになるなんて、有難いお言葉です。
こんなところでよければ、お茶でも飲んで行って下さいm(__)m
私も楽しみにお待ちしていますね♡カッコいい坊ちゃんに会いたいです。
は、はい。無理は禁物ですよね?ありがとうございます!
コメント有難うございました(^^)
アカシアdot 2016.07.13 23:52 | 編集
さと**ん様
大人の男なのに、どうしてその言葉に反するような行動を取るんでしょうね。
困った人です澤田さんは。諦めの悪い男に絡まれたつくし。
まあ坊っちゃんも諦めの悪い男でしたので、どっちもどっちだと思うのですが・・(笑)
誰もいないと思っていた非常階段で会いたくない人に会うっていうのも怖いですね。
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2016.07.14 00:04 | 編集
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