司は母親をねめつけていた。
親子の反目は今に始まったことではない。
楓は他人の前ではビジネスだという姿勢を崩したことはないし司も全く同じだ。
そんな親子の関係は、今ではもう習い事のようなものだった。
他人の前で感情を表すのは賢明でない。
それは企業家としては至極当然の感覚。
ただ、二人きりになると全く別だった。
過去には色々と確執のあった親子関係も、今では互いに感情むき出しで言いたいことを言う親子関係となっていた。それはもう習慣そのものだと言ったほうがいいのかもしれない。
血の繋がりを感じたことはなくても、やはりそこは親子だ。
血が繋がっているからこそ、言いたい放題が言え許されると言うものだ。
今までの二人は感情表現の仕方がよくわからなかった、と言うことだろう。
驚くべき事ではないが、長い間迷子になっていた親子関係はいつの頃からか互いを認めて受け入れるようになっていた。
まずは相手をありのままの存在として受け入れることから始めていた。
自分の母親はこういう人間だ。自分の子供はこういう人間だ。
そう思えば、何も相手に対して求めるものはない。人は求めて与えられなかったときが一番傷つくと言うことは、経験上学んでいた。
司も30を過ぎれば自分の親がどれだけのことをして来たのか理解も出来る。母親から学んだことはビジネスの世界は非情で容赦がなく、この世界で生き延びて行くためには例え世間から冷たい女、鉄の女だと呼ばれても仕方がないと言うことだ。
あるとき、母親に言われたことがある。
『 あなたに関心を払ってあげなくて悪かったわね 』
そんな言葉ひとつでねじ曲がってしまった親子関係が修復できるとは思わなかったが、
それでもやはり親子ということなのだろう。母親にとってはいつまでたっても息子はかわいいということだ。ひとり息子の姿を目にする機会は殆どなかったとしても、心の中にはいつも司の姿があったはずだ。
司は早くに親離れを余儀なくされたと言うことだが、母親にとっては本意ではなかったということも、今の年になれば理解も出来るようになっていた。
当時の状況では、そうせざるを得なかったことを内心では認めていた。
司の母親は会社に対して、従業員に対しての義務を果たしていたのに過ぎなかったと言うことだ。
人は幾つになろうとも、難しくない年頃なんていうものはない。
10代なら10代の、20代なら20代の、その年齢に応じた悩みというものがある。
今の司にとっての悩みはあの澤田智弘をどうやったらつくしの前から排除できるかということだ。
楓は大きくため息をつくとソファに腰を下ろした。
顔からは非難めいた色は消え、代わりに暖かみさえ感じさせるような笑みが浮かんだ。
「あなたも、もういい加減に将来を見据えたおつき合いした方がいいと思うわ」
先程までの冷たさとは打って変わったように穏やかな口調は楓の本心だ。
東京支社の視察と銘打って来たが週刊誌の記事を見て来たことには間違いがない。
「司、ここからは母親として話すわ。ここに来る途中で椿の所に寄ってきたわ。わたくしの唯一の孫は椿が生んだ子供だけよ?」
司の姉はロスでホテル王と幸せな結婚生活を送っていた。
「わたくしの孫はこれから先もあの子だけなのかしら?」
「さあ、どうでしょうね?彼女が俺と結婚してくれたら孫も増えるかもしれませんが」
「あなた、本気なの?その女性に?」
どうしようもなく荒れた少年時代を経て、今はこうして副社長として仕事をこなす息子の姿に正直安堵している。
だが、子供の頃に関心を払ってやらなかったことを今でも後悔していた。
そうした思いからか楓は埋め合わせをすることに決めている。息子の人生伴侶は息子の好きな相手を連れてくればいい。息子の人生で不足していると感じるもの。それは多分家族としての愛情だろうということは理解していた。自分が十分に与えてやることが出来なかったことは後悔していた。
「ああ。本気だ」
「そう。それでその牧野さんって方とはニューヨークで出会ったそうだけど?」
楓は問うような仕草で眉を上げた。
「3年前にうちが買収を仕掛けた会社を取り合った会社側のコンサルタントですよ、彼女は」
「ああ。あの会社の・・・・」
楓は何かを理解したように司を見た。
「牧野さんって方、優秀なんでしょうね?」
「当然だ。俺がバカな女に惚れると思いますか?」
司は机に肘をつき、指の先を組むと顎を支え母親を見た。
「とうとう本気で好きな女性が現れたってことかしら?」
「ああ。そのとおりだ」
司ははっきりと言い切った。
「会いたいわね。その牧野さんに」
「近いうちに会えるんじゃないですか?」
司はからかうような笑みを母親に向けていた。
***
近いうちに会える・・
それは自分自身へ言い聞かせた慰めの言葉だったのかもしれない。
司は一連の状況に苛立っていた。
牧野とろくに会う機会もない。
まだデートというデートさえしておらず、ましてや寝てもいない。
文字通り寝るだけ、という状況に陥ったことはあったが気分が悪くなって胸で吐かれたあの事はある意味不可抗力な出来事だ。
ちくしょう・・
それに今では澤田智弘なんて男が牧野を好きだと言い放ち、ライバル宣言までしてきた。
3年もかかってやっと牧野ときちんとした関係を築くことが出来ると考えていた矢先のあの男の出現だ。いまいましい野郎だ。
・・ったく、いらいらするし落ち着かない。
あの男、いったい何を考えるのか知らねぇが、それにしても今の俺のこのざまはなんなんだ?
牧野とデートの約束を取り付けるはずだった日曜はとっくの昔に流れてしまっていた。
毎週月曜には取引残高のレポートを持って来るとはいえ、所詮執務室の中で仕事の延長のような会話しかない。
そんないつもの月曜日だった。
司の目の前に座るつくしは応接ソファの机に前屈みで何やら書いている。
こいつから目が離せない。
言葉は悪いが何とかして早くこいつを自分のものにしたい。そんな気持ちばかりが湧き上がって来ていた。澤田という男の出現が司をそんな気持ちにさせているということだろうか?
司は向かいの席から、気持ち前に乗り出すとつくしの頭の上に自らの顔を近づけた。
爽やかなシャンプーの匂いが鼻腔に広がった。
頭をもう少し下げると、ちょうど顔の高さまで前屈みになっていた。
司の注意は嫌でもつくしの唇に注がれていた。
すぐ横には司の顔があるというのに今のつくしは書くことに集中しているのか気づいていない。
仕事は常に一生懸命がこいつのモットーか?
ふと、司はつくしを追い詰めてみたくなった。今ここでこいつにキスをしたらどうする?
まだ俺のものになっていないことが不安なのか、それともそうならないこいつに罰をあたえようとしているのか?
司は唇をかすかに歪めた。
すると、やっと視線に気づいたのか頭を横に振り向けたつくしは驚いたように司の目を見た。
気付くのが遅いと言いたい気持ちを抑えた司は驚いた表情のつくしを見つめていた。
至近距離でまっすぐな視線で見つめられ、つくしの顔はみるみる赤く染まっていった。
こいつはまさにサバンナでライオンと目があって、黄金の瞳に囚われて動けなくなったガゼルのようだ。その距離はわずかで、目をそらすことも、まばたきをすることも、息をすることもはばかられるほどだ。少しでも動けば頭からがぶりと食べられるのではないかと思っているようで、じっとしたままだ。
司はつくしの瞳に自分と同じ気持ちがあるかどうかを探った。それはキスをしたい、相手が欲しいという気持ち。見つめ合ったまま、まるで金縛りにでもあったかのように動くことが出来ないふたり。
しばらくその均衡が保たれていたが、やがてどちらからともなく近づいていく二人の唇。
司の手のひらがつくしの頬に優しく添えられると、つくしの大きな瞳がゆっくりと閉じられていった。

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

応援有難うございます。
親子の反目は今に始まったことではない。
楓は他人の前ではビジネスだという姿勢を崩したことはないし司も全く同じだ。
そんな親子の関係は、今ではもう習い事のようなものだった。
他人の前で感情を表すのは賢明でない。
それは企業家としては至極当然の感覚。
ただ、二人きりになると全く別だった。
過去には色々と確執のあった親子関係も、今では互いに感情むき出しで言いたいことを言う親子関係となっていた。それはもう習慣そのものだと言ったほうがいいのかもしれない。
血の繋がりを感じたことはなくても、やはりそこは親子だ。
血が繋がっているからこそ、言いたい放題が言え許されると言うものだ。
今までの二人は感情表現の仕方がよくわからなかった、と言うことだろう。
驚くべき事ではないが、長い間迷子になっていた親子関係はいつの頃からか互いを認めて受け入れるようになっていた。
まずは相手をありのままの存在として受け入れることから始めていた。
自分の母親はこういう人間だ。自分の子供はこういう人間だ。
そう思えば、何も相手に対して求めるものはない。人は求めて与えられなかったときが一番傷つくと言うことは、経験上学んでいた。
司も30を過ぎれば自分の親がどれだけのことをして来たのか理解も出来る。母親から学んだことはビジネスの世界は非情で容赦がなく、この世界で生き延びて行くためには例え世間から冷たい女、鉄の女だと呼ばれても仕方がないと言うことだ。
あるとき、母親に言われたことがある。
『 あなたに関心を払ってあげなくて悪かったわね 』
そんな言葉ひとつでねじ曲がってしまった親子関係が修復できるとは思わなかったが、
それでもやはり親子ということなのだろう。母親にとってはいつまでたっても息子はかわいいということだ。ひとり息子の姿を目にする機会は殆どなかったとしても、心の中にはいつも司の姿があったはずだ。
司は早くに親離れを余儀なくされたと言うことだが、母親にとっては本意ではなかったということも、今の年になれば理解も出来るようになっていた。
当時の状況では、そうせざるを得なかったことを内心では認めていた。
司の母親は会社に対して、従業員に対しての義務を果たしていたのに過ぎなかったと言うことだ。
人は幾つになろうとも、難しくない年頃なんていうものはない。
10代なら10代の、20代なら20代の、その年齢に応じた悩みというものがある。
今の司にとっての悩みはあの澤田智弘をどうやったらつくしの前から排除できるかということだ。
楓は大きくため息をつくとソファに腰を下ろした。
顔からは非難めいた色は消え、代わりに暖かみさえ感じさせるような笑みが浮かんだ。
「あなたも、もういい加減に将来を見据えたおつき合いした方がいいと思うわ」
先程までの冷たさとは打って変わったように穏やかな口調は楓の本心だ。
東京支社の視察と銘打って来たが週刊誌の記事を見て来たことには間違いがない。
「司、ここからは母親として話すわ。ここに来る途中で椿の所に寄ってきたわ。わたくしの唯一の孫は椿が生んだ子供だけよ?」
司の姉はロスでホテル王と幸せな結婚生活を送っていた。
「わたくしの孫はこれから先もあの子だけなのかしら?」
「さあ、どうでしょうね?彼女が俺と結婚してくれたら孫も増えるかもしれませんが」
「あなた、本気なの?その女性に?」
どうしようもなく荒れた少年時代を経て、今はこうして副社長として仕事をこなす息子の姿に正直安堵している。
だが、子供の頃に関心を払ってやらなかったことを今でも後悔していた。
そうした思いからか楓は埋め合わせをすることに決めている。息子の人生伴侶は息子の好きな相手を連れてくればいい。息子の人生で不足していると感じるもの。それは多分家族としての愛情だろうということは理解していた。自分が十分に与えてやることが出来なかったことは後悔していた。
「ああ。本気だ」
「そう。それでその牧野さんって方とはニューヨークで出会ったそうだけど?」
楓は問うような仕草で眉を上げた。
「3年前にうちが買収を仕掛けた会社を取り合った会社側のコンサルタントですよ、彼女は」
「ああ。あの会社の・・・・」
楓は何かを理解したように司を見た。
「牧野さんって方、優秀なんでしょうね?」
「当然だ。俺がバカな女に惚れると思いますか?」
司は机に肘をつき、指の先を組むと顎を支え母親を見た。
「とうとう本気で好きな女性が現れたってことかしら?」
「ああ。そのとおりだ」
司ははっきりと言い切った。
「会いたいわね。その牧野さんに」
「近いうちに会えるんじゃないですか?」
司はからかうような笑みを母親に向けていた。
***
近いうちに会える・・
それは自分自身へ言い聞かせた慰めの言葉だったのかもしれない。
司は一連の状況に苛立っていた。
牧野とろくに会う機会もない。
まだデートというデートさえしておらず、ましてや寝てもいない。
文字通り寝るだけ、という状況に陥ったことはあったが気分が悪くなって胸で吐かれたあの事はある意味不可抗力な出来事だ。
ちくしょう・・
それに今では澤田智弘なんて男が牧野を好きだと言い放ち、ライバル宣言までしてきた。
3年もかかってやっと牧野ときちんとした関係を築くことが出来ると考えていた矢先のあの男の出現だ。いまいましい野郎だ。
・・ったく、いらいらするし落ち着かない。
あの男、いったい何を考えるのか知らねぇが、それにしても今の俺のこのざまはなんなんだ?
牧野とデートの約束を取り付けるはずだった日曜はとっくの昔に流れてしまっていた。
毎週月曜には取引残高のレポートを持って来るとはいえ、所詮執務室の中で仕事の延長のような会話しかない。
そんないつもの月曜日だった。
司の目の前に座るつくしは応接ソファの机に前屈みで何やら書いている。
こいつから目が離せない。
言葉は悪いが何とかして早くこいつを自分のものにしたい。そんな気持ちばかりが湧き上がって来ていた。澤田という男の出現が司をそんな気持ちにさせているということだろうか?
司は向かいの席から、気持ち前に乗り出すとつくしの頭の上に自らの顔を近づけた。
爽やかなシャンプーの匂いが鼻腔に広がった。
頭をもう少し下げると、ちょうど顔の高さまで前屈みになっていた。
司の注意は嫌でもつくしの唇に注がれていた。
すぐ横には司の顔があるというのに今のつくしは書くことに集中しているのか気づいていない。
仕事は常に一生懸命がこいつのモットーか?
ふと、司はつくしを追い詰めてみたくなった。今ここでこいつにキスをしたらどうする?
まだ俺のものになっていないことが不安なのか、それともそうならないこいつに罰をあたえようとしているのか?
司は唇をかすかに歪めた。
すると、やっと視線に気づいたのか頭を横に振り向けたつくしは驚いたように司の目を見た。
気付くのが遅いと言いたい気持ちを抑えた司は驚いた表情のつくしを見つめていた。
至近距離でまっすぐな視線で見つめられ、つくしの顔はみるみる赤く染まっていった。
こいつはまさにサバンナでライオンと目があって、黄金の瞳に囚われて動けなくなったガゼルのようだ。その距離はわずかで、目をそらすことも、まばたきをすることも、息をすることもはばかられるほどだ。少しでも動けば頭からがぶりと食べられるのではないかと思っているようで、じっとしたままだ。
司はつくしの瞳に自分と同じ気持ちがあるかどうかを探った。それはキスをしたい、相手が欲しいという気持ち。見つめ合ったまま、まるで金縛りにでもあったかのように動くことが出来ないふたり。
しばらくその均衡が保たれていたが、やがてどちらからともなく近づいていく二人の唇。
司の手のひらがつくしの頬に優しく添えられると、つくしの大きな瞳がゆっくりと閉じられていった。

にほんブログ村

人気ブログランキングへ

応援有難うございます。
- 関連記事
-
- 大人の恋には嘘がある 35
- 大人の恋には嘘がある 34
- 大人の恋には嘘がある 33
スポンサーサイト
Comment:2
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます

co**y様
こんにちは^^
はい!拝読させて頂きてきました!もちろんそちらのサイト様も存知上げておりましたが、母屋のパスは存じ上げす読めてません( ノД`)シクシク…読みたい!なのに・・・「遅すぎた**」「凍てついた*」読みたかったです。ポエムからイメージだけは膨らんでしまいました。「虚像の夜****」とかイラスト付きじゃないですか!司かっこいいですね!(@_@。読みたかった・・
それにしてもco**y様素晴らしいじゃないですか!!大先輩です!(≧▽≦)お姉さまぜひその才能を生かしてみませんか?
さっきからあの頃のサイト様巡りをしています。うわーん(泣)また読み手に戻って読みふけりたいです。
もう皆さん書かれないんですかね?途中で終わっているのが残念でなりません。お伺いしたいことは沢山有り過ぎて・・・
もう、ただの読み手状態です(笑)はぁ・・わたしもあんな風に書けたらいいな的な作品が沢山有り過ぎて・・(*´Д`)
co**y様また色々と教えて下さいませ!!あの頃ってどんな感じでした?羨ましいです(泣)
コメント有難うございました(^^ゞ
こんにちは^^
はい!拝読させて頂きてきました!もちろんそちらのサイト様も存知上げておりましたが、母屋のパスは存じ上げす読めてません( ノД`)シクシク…読みたい!なのに・・・「遅すぎた**」「凍てついた*」読みたかったです。ポエムからイメージだけは膨らんでしまいました。「虚像の夜****」とかイラスト付きじゃないですか!司かっこいいですね!(@_@。読みたかった・・
それにしてもco**y様素晴らしいじゃないですか!!大先輩です!(≧▽≦)お姉さまぜひその才能を生かしてみませんか?
さっきからあの頃のサイト様巡りをしています。うわーん(泣)また読み手に戻って読みふけりたいです。
もう皆さん書かれないんですかね?途中で終わっているのが残念でなりません。お伺いしたいことは沢山有り過ぎて・・・
もう、ただの読み手状態です(笑)はぁ・・わたしもあんな風に書けたらいいな的な作品が沢山有り過ぎて・・(*´Д`)
co**y様また色々と教えて下さいませ!!あの頃ってどんな感じでした?羨ましいです(泣)
コメント有難うございました(^^ゞ
アカシア
2016.07.01 00:17 | 編集
