車はレストランの入り口に横付けされて待っていた。
つくしは車のドアが開かれると後部座席へ滑り込み窓の外を見ていた。
今夜のこれはデートだとは言えないはずだ。まったく世の中には思いもよらないことが起こると言うが、野中さんの奥さんの言いがかりには驚いた。
いったい何がどうしてそんなことになったのか?
あんなボケた写真なんかでどうしてあたしだって言えるのよ?
あの人のおかげで食事なんてする気になれなかった。食欲が減退したなんて言ったけど、
あんなふうに言われて何もなかったように男性と食事が出来るほどあたしの神経は図太くはない。
口にしたのは食前酒だけで固形物なんて何もお腹に入れてなかったつくしは、実はもう死にそうにお腹が空いていた。
隣に座っている男は本気でテーブルに並んでいるフランス料理を持ち帰ろうとした。
いくら道明寺でもそんなこと出来るわけがないのに・・
断られるに決まってるじゃない・・・
だいたい誰がフランス料理のフルコースなんて持ち帰って食べるのよ?
それも2人分・・この男の意図はまるわかりだ。
だが案の定支配人からご丁寧なお断りを頂いた道明寺。
そんなの当然だ。持ち帰る料理じゃないのに持ち帰って食べて食中毒なんか起こされたら店の信用問題にかかわる。
常識がないと言うのか我儘というのか・・
いや、違うはずだ。無理を承知で言ったんだ。
・・それって・・
やっぱりあたしの部屋に寄るための口実ってこと?
料理の持ち帰りは断られたけどなんとか、ケーキだけは持ち帰ることが許されたみたいだ。
これっていつかの食事のときみたいだ。あの時もこの男がケーキ片手に車に乗ってたなんてことがあったっけ。
でもあの時と違って今はこの車の後部座席が小さく、狭い空間に思えた。
物理的なことを言ってるんじゃなくて、親密さが感じられる空間のように思えた。
少しだけ道明寺との距離が近づいたような気がした。
それはさっきこの男があたしを心配して化粧室まで見に来てくれたことだ。
それに野中さんの奥さんの話じゃなくて、あたしを信じてくれたことだ。
だから、あたしにはどうしてこんなことになったのかを道明寺に話す義務があるはずだ。
「ねえ道明寺、さっきの話しだけど・・」
つくしは窓の外を見ていた視線を車内に戻すとまっすぐ前を向いて話しはじめた。
さっきの話し。それは野中さんの奥さんがあたしと御主人が不倫関係にあるなんて、あらぬ誤解を抱いていることだ。
「あたし、違うからね」
「わかってる。どうせあの女の思い込みだろ?」
言うなり司は膝の上の脚を組み替えた。
「あたしのこと信じてくれたんだ・・」
「おまえが不倫するような女だなんて思ってねぇし、そんな女なら俺にはとっくにわかってるよ」
「それにあんな中年男のどこがいいんだか・・あの女もおかしいんじゃねぇか?」
司はシートにもたれかかったまま小さな声で呟いた。
「実はあの野中さんって人、ちょっと困った人で・・ほらこの前、あんたの会社がホワイトナイトに名乗りを上げて買い取ろうとした会社があったでしょ?その会社を買収しようとしてたのが野中さんの会社だったの」
「あんたんとこが買収阻止に動くから、あたしと野中さん・・あの人は株式担当課長なのよね、それで対策を練るために毎晩結構遅くまで一緒に仕事をしてたの」
司はもたれかかっていた体を起こすと薄暗い車内で隣に座るつくしを見つめた。
「なんだよ?それってうちがホワイトナイトになったばっかりにおまえはその男と毎晩遅くまで仕事してたってわけか?」
「うん、まあね・・」
「それで・・打ち合わせとか終わったあとで飲みに行かないかとか色々と誘われたことはあったんだけど、全部断ったし個人的なつき合いなんて一切ない」
つくしは出来るだけそつなく、決して誤解を招くようなことがないように話しをした。
「奥さんとうまくいってないなんて話しも聞かされたことがあるけど、あたしには関係のない話しだから・・関心を持って聞いたことなんてなかったし、全然興味のない人なの」
「それでもしつこく誘われたことがあったけど、もうあの会社の担当から外れたから会う事も無くなったからよかったんだけど、いまだに電話だけは・・」
司の眉根が跳ね上がった。
「電話って言っても会社の電話だから・・プライベートの電話なんて教えてないから」
「それにだいたいあたしに不倫なんて器用なことができるわけないじゃない?」
つくしは司に同意を求めるというわけではなかったが、それでもおまえはそんなことが出来る女じゃないと言って欲しかった。
「それは言える。おまえは感情がすぐ顔に表れるから不倫男と会ってたとしたらまるわかりだ」
「それに・・」つくしは呟いた。
短い沈黙が2人の間に流れた。
「それにどうしたんだ?」
つくしは膝の上の置いた鞄を所在なさげに撫でていた。
「こ、この鞄ね?ほらあの奥さんが写真の女の人が持ってるのとそっくりだなんて言ったし、あたしもどこにでもある鞄だなんて言ったけど、違うから」
「これニューヨークの鞄屋さんでひと目惚れして買ったビジネスバッグだから、あんな女が持ってるわけないし」
「この鞄、結構気に入ってるのよ?」
「でもあっちにいる時は使えなくて、こっちに戻ってから使い始めたの。もう3年になるけど凄く丈夫で型崩れもしなくて使い勝手がすごくいいの。革も柔らかいし肩にもかけられるし、パソコンにもジャストサイズなの」
「あ、あんたと会ってた頃、あんたが教えてくれた鞄屋で買ったの・・」
会社は戦場だ。勝ち残るためにはいい武器も必要だなんて言ってたのを思い出した。
何がいい武器なの?と聞いたとき、持ち物にも気を配れ。
名刺入れひとつにしても上質なものを持てと言ったのは道明寺だ。
営業は頭の先から爪先まで気を抜くなと言ったのもこの男だ。
あの頃はこの男もどこかの会社のごく普通の社員だと思っていたから、真実味のある話しだと思って聞いていた。
「とにかくこの鞄はあの女の鞄とは違うからあたしじゃないからね!」
「そんなにむきになって言わなくてもわかってる」
「それより、メシどうすんだよ?ハラ減ってんだろ?」
「こんなちっちぇえケーキなんかで足りねぇだろ?」
「それとも家に帰ればなんかあるのか?」
司は小さな箱に目を向けた。
「う・・うん・・ない・・」つくしは首を横に振った。
だって今夜は食事の約束をしていたわけだし、買い物は休みの日にしか行けないんだから今日の冷蔵庫の中なんてろくなものがない。正直なところ今のつくしはお腹が空き過ぎて気持ちが悪いくらいだ。
「仕方ねえ。うち来るか?」
「う、うち?うちってあんたの・・」
「うちって言ってもメープルだよ」司は髪の毛をかき上げるとつくしの声のただならぬ緊張を感じ取った。「俺はマンションにひとり暮らしなのにメシなんかあるわけねぇだろ?」
「はあ・・それもそうよね・・」
確かにこの男が自分で料理をするなんてことは想像しがたい。
「メープルなら食いもんはいくらでもあるからな」
「でも、このケーキどうするのよ?」
つくしは2人の間に置かれた箱を指差した。
「持ち込み」
「い、いいの?そんなことしても?」
「いんだよ!俺が持ち込んだものに文句なんか言わせるかよ」
まあ、あんたのうちのホテルだから誰も文句なんて言わないとは思うけどね。
司はしばらく黙ってつくしを見つめていたが、つくしがまだ何か言いたそうな気配に言葉を継いだ。
「なんか他に言いたいことがあんのか?」
つくしは野中の事の他にもうひとつ言っておくことを思い出した。
今夜の食事の初っ端に言われたことだ。
「あのね、微妙な関係のあとに・・ね・・寝れるかなんだけどね・・」
つくしはまっすぐ前を向いたまま、なんとか落ち着いた声で言った。
「あたし、ないのよ」つくしは軽く咳払いをした。
「だからあんなトロピカルな建物にも行ったことがないの」
しばしの沈黙が重く感じられた。
「今まで一度もないのか?」司は不思議そうな視線でつくしを見た。
「うん・・ない」
つくしは司を見た。
驚いたような顔した男は「そうか・・」と短く言って愉快そうに顔を歪めた。
「別に知らなくても生きていけそうな気がするし・・」
つくしはさらりと言ってのけた。
何を知らなくても生きていけそうな気がするかは見当がつく。
「おまえ、本当に一度もないのか?」
「し、しつこいわね、道明寺も!」
「なんで・・」
「だから言ったじゃない。別に知らなくても生きていけるって」
「だからあの不倫女は絶対にあたしじゃないからね!」
つくしは思いっきり力強く宣言した。

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あんなボケた写真なんかでどうしてあたしだって言えるのよ?
あの人のおかげで食事なんてする気になれなかった。食欲が減退したなんて言ったけど、
あんなふうに言われて何もなかったように男性と食事が出来るほどあたしの神経は図太くはない。
口にしたのは食前酒だけで固形物なんて何もお腹に入れてなかったつくしは、実はもう死にそうにお腹が空いていた。
隣に座っている男は本気でテーブルに並んでいるフランス料理を持ち帰ろうとした。
いくら道明寺でもそんなこと出来るわけがないのに・・
断られるに決まってるじゃない・・・
だいたい誰がフランス料理のフルコースなんて持ち帰って食べるのよ?
それも2人分・・この男の意図はまるわかりだ。
だが案の定支配人からご丁寧なお断りを頂いた道明寺。
そんなの当然だ。持ち帰る料理じゃないのに持ち帰って食べて食中毒なんか起こされたら店の信用問題にかかわる。
常識がないと言うのか我儘というのか・・
いや、違うはずだ。無理を承知で言ったんだ。
・・それって・・
やっぱりあたしの部屋に寄るための口実ってこと?
料理の持ち帰りは断られたけどなんとか、ケーキだけは持ち帰ることが許されたみたいだ。
これっていつかの食事のときみたいだ。あの時もこの男がケーキ片手に車に乗ってたなんてことがあったっけ。
でもあの時と違って今はこの車の後部座席が小さく、狭い空間に思えた。
物理的なことを言ってるんじゃなくて、親密さが感じられる空間のように思えた。
少しだけ道明寺との距離が近づいたような気がした。
それはさっきこの男があたしを心配して化粧室まで見に来てくれたことだ。
それに野中さんの奥さんの話じゃなくて、あたしを信じてくれたことだ。
だから、あたしにはどうしてこんなことになったのかを道明寺に話す義務があるはずだ。
「ねえ道明寺、さっきの話しだけど・・」
つくしは窓の外を見ていた視線を車内に戻すとまっすぐ前を向いて話しはじめた。
さっきの話し。それは野中さんの奥さんがあたしと御主人が不倫関係にあるなんて、あらぬ誤解を抱いていることだ。
「あたし、違うからね」
「わかってる。どうせあの女の思い込みだろ?」
言うなり司は膝の上の脚を組み替えた。
「あたしのこと信じてくれたんだ・・」
「おまえが不倫するような女だなんて思ってねぇし、そんな女なら俺にはとっくにわかってるよ」
「それにあんな中年男のどこがいいんだか・・あの女もおかしいんじゃねぇか?」
司はシートにもたれかかったまま小さな声で呟いた。
「実はあの野中さんって人、ちょっと困った人で・・ほらこの前、あんたの会社がホワイトナイトに名乗りを上げて買い取ろうとした会社があったでしょ?その会社を買収しようとしてたのが野中さんの会社だったの」
「あんたんとこが買収阻止に動くから、あたしと野中さん・・あの人は株式担当課長なのよね、それで対策を練るために毎晩結構遅くまで一緒に仕事をしてたの」
司はもたれかかっていた体を起こすと薄暗い車内で隣に座るつくしを見つめた。
「なんだよ?それってうちがホワイトナイトになったばっかりにおまえはその男と毎晩遅くまで仕事してたってわけか?」
「うん、まあね・・」
「それで・・打ち合わせとか終わったあとで飲みに行かないかとか色々と誘われたことはあったんだけど、全部断ったし個人的なつき合いなんて一切ない」
つくしは出来るだけそつなく、決して誤解を招くようなことがないように話しをした。
「奥さんとうまくいってないなんて話しも聞かされたことがあるけど、あたしには関係のない話しだから・・関心を持って聞いたことなんてなかったし、全然興味のない人なの」
「それでもしつこく誘われたことがあったけど、もうあの会社の担当から外れたから会う事も無くなったからよかったんだけど、いまだに電話だけは・・」
司の眉根が跳ね上がった。
「電話って言っても会社の電話だから・・プライベートの電話なんて教えてないから」
「それにだいたいあたしに不倫なんて器用なことができるわけないじゃない?」
つくしは司に同意を求めるというわけではなかったが、それでもおまえはそんなことが出来る女じゃないと言って欲しかった。
「それは言える。おまえは感情がすぐ顔に表れるから不倫男と会ってたとしたらまるわかりだ」
「それに・・」つくしは呟いた。
短い沈黙が2人の間に流れた。
「それにどうしたんだ?」
つくしは膝の上の置いた鞄を所在なさげに撫でていた。
「こ、この鞄ね?ほらあの奥さんが写真の女の人が持ってるのとそっくりだなんて言ったし、あたしもどこにでもある鞄だなんて言ったけど、違うから」
「これニューヨークの鞄屋さんでひと目惚れして買ったビジネスバッグだから、あんな女が持ってるわけないし」
「この鞄、結構気に入ってるのよ?」
「でもあっちにいる時は使えなくて、こっちに戻ってから使い始めたの。もう3年になるけど凄く丈夫で型崩れもしなくて使い勝手がすごくいいの。革も柔らかいし肩にもかけられるし、パソコンにもジャストサイズなの」
「あ、あんたと会ってた頃、あんたが教えてくれた鞄屋で買ったの・・」
会社は戦場だ。勝ち残るためにはいい武器も必要だなんて言ってたのを思い出した。
何がいい武器なの?と聞いたとき、持ち物にも気を配れ。
名刺入れひとつにしても上質なものを持てと言ったのは道明寺だ。
営業は頭の先から爪先まで気を抜くなと言ったのもこの男だ。
あの頃はこの男もどこかの会社のごく普通の社員だと思っていたから、真実味のある話しだと思って聞いていた。
「とにかくこの鞄はあの女の鞄とは違うからあたしじゃないからね!」
「そんなにむきになって言わなくてもわかってる」
「それより、メシどうすんだよ?ハラ減ってんだろ?」
「こんなちっちぇえケーキなんかで足りねぇだろ?」
「それとも家に帰ればなんかあるのか?」
司は小さな箱に目を向けた。
「う・・うん・・ない・・」つくしは首を横に振った。
だって今夜は食事の約束をしていたわけだし、買い物は休みの日にしか行けないんだから今日の冷蔵庫の中なんてろくなものがない。正直なところ今のつくしはお腹が空き過ぎて気持ちが悪いくらいだ。
「仕方ねえ。うち来るか?」
「う、うち?うちってあんたの・・」
「うちって言ってもメープルだよ」司は髪の毛をかき上げるとつくしの声のただならぬ緊張を感じ取った。「俺はマンションにひとり暮らしなのにメシなんかあるわけねぇだろ?」
「はあ・・それもそうよね・・」
確かにこの男が自分で料理をするなんてことは想像しがたい。
「メープルなら食いもんはいくらでもあるからな」
「でも、このケーキどうするのよ?」
つくしは2人の間に置かれた箱を指差した。
「持ち込み」
「い、いいの?そんなことしても?」
「いんだよ!俺が持ち込んだものに文句なんか言わせるかよ」
まあ、あんたのうちのホテルだから誰も文句なんて言わないとは思うけどね。
司はしばらく黙ってつくしを見つめていたが、つくしがまだ何か言いたそうな気配に言葉を継いだ。
「なんか他に言いたいことがあんのか?」
つくしは野中の事の他にもうひとつ言っておくことを思い出した。
今夜の食事の初っ端に言われたことだ。
「あのね、微妙な関係のあとに・・ね・・寝れるかなんだけどね・・」
つくしはまっすぐ前を向いたまま、なんとか落ち着いた声で言った。
「あたし、ないのよ」つくしは軽く咳払いをした。
「だからあんなトロピカルな建物にも行ったことがないの」
しばしの沈黙が重く感じられた。
「今まで一度もないのか?」司は不思議そうな視線でつくしを見た。
「うん・・ない」
つくしは司を見た。
驚いたような顔した男は「そうか・・」と短く言って愉快そうに顔を歪めた。
「別に知らなくても生きていけそうな気がするし・・」
つくしはさらりと言ってのけた。
何を知らなくても生きていけそうな気がするかは見当がつく。
「おまえ、本当に一度もないのか?」
「し、しつこいわね、道明寺も!」
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