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2015
08.18

いつか見た風景18

つくしは結婚してから初めて東京に行くことになった。
驚くことではないが、9年ぶりに訪れた世田谷の道明寺邸。
あのとき以来ここには来たことがない。

あのとき、さよならも言えなかった。
暴漢に襲われた道明寺は一命を取りとめたが、あたしに会うこともなくそのまま渡米してしまった。当時高校生だったあたしにいったい何が出来たと言うのだろう。親しい者以外、誰も近づけようとはしなかった男だ。渡米した道明寺を、追いかけて行くこともできず、ただ過ぎ去って行く日々を過ごすしかなかった。

あたしが今手にしている美しく輝く球体は、そんな高校生だったあたしの大切な宝物だった。またこうしてこの球体を手にすることが出来るようになるまでの9年間を思う。

なぜあたしを忘れたの?
なぜあたしなの?
どうしてあたしだったの?

なぜ、と、どうしての疑問しか思い浮かばず、過ぎ去りし日々を振り返り思う。
これから先どれくらいの道があたしに、あたし達に残されているのか。
あたしが道明寺を幸せにしてあげる。あたしの気持ちはこれ以上揺るぎようがない。
思い出の後先を考えても仕方がない。
つくし、ここからまた前進するのよ!



***



司は東京支社で買収計画のある企業体の報告書に目を通していた。
対象となる企業体は複合企業体だ。多種多様な分野の会社を保有している。
司が欲しいのはこの中のひとつの会社だ。他は必要としていない。そのひとつを残し、あとは売り払うか。利益になる優良企業だけを残し他は売り払う。ここ数年はこんなマネーゲームを楽しんできた。だがいくら成功を収めても充足感は得られない。
以前は難しい取引を前にすると心が躍った。最初から成功すると思われるような会社では、挑戦しがいがない。
司はその報告書を手に席を立った。

異様に静まり返った会議室。
司がニューヨークから出張って来た意味を知っているのか、張りつめた空気が感じられた。
挨拶をし、長い会議テーブルのひとつだけ空いている上席におさまった男は、それから暫く仕事のことだけを考えていた。




***



「おはようございます、ご無沙汰しています。」

つくしは休職扱いになっている花沢物産へと顔を出した。
退職の手続きと、花沢類に一時帰国したことを報告しようと思っている。

「もしもし?花沢類?今ね、東京なの。一時帰国していてこれから会社へ退職の手続きに行こうと思ってるの」
『じゃあ、会おうよ。今日でしょ?いつでもいいから俺の部屋に寄って?』
「いつでもって・・。じ、時間を決めよう、花沢類!」
『じゃ、一緒にランチに行かない?』
「え?いいの?ビジネスランチとか予定はないの?」
『多分大丈夫』

待ち合わせの時刻にロビーに現れた花沢類。
彼の後ろに控える秘書がつくしを一瞥した。

「ねえ、大丈夫なの?」
「大丈夫だよ、なんたって相手は道明寺ホールディングスの副社長夫人なんだ。問題なんて何もないよ」

秘書が見せた態度に、大丈夫だという言葉は嘘だとわかる。
だが、類の態度はいつもと変わらない。飄々とした態度でいるようだが、知的で、教養があり、強固な意志がある。つまり頑固な男だということだ。静かだが、何かあれば威厳のある態度で周りに接する男。高校生の頃、世の中のことに無関心だった類。
今はさすがにあの頃のように無関心というわけにはいかないだろうが、どこか、あの頃の雰囲気が感じられるこの人の傍は、落ち着いた気持ちになれるから不思議だ。下心のない理解者とも言える類の存在は、つくしにはありがたかったはずだ。


「それにしても随分急な帰国だね」
「うん、道明寺が東京で会議があるから、同行させて貰ったの」

類がつくしを案内したのは、小さなフランス料理の店だ。
こじんまりしたこの店は、フランス家庭料理を出す店らしく、気取ったところがなく、店内もそれらしく設えてありリラックスできる空間にしてあった。

「で、どうしたの?」
「え? どうもしないけど・・・」

類はつくしの顔をじっと見つめ、つくしの中の変化を見極めようとしていたようだ。
そんな類に、つくしは少しだけ苦笑交じりに答えていた。

「ふーん」
類は手を伸ばすと、ちょいちょいとつくしの前髪をかき分けていた。

「牧野、なんか変わったね。結婚生活が充実してきた?」
「な、なによそれ。どう言う意味?」

類はつくしの変化に気づいたようだ。
直感ともいえる鋭い勘をもつ男は、つくしにだけその勘を如何なく発揮する。

「決まってるでしょ?」
と、花沢類はくつくつと笑いだした。
「牧野って相変らず表情に出やすいよね? で、司の様子はどう?」






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