fc2ブログ
2022
01.14

花束に添えて 7

人生は一回限りの旅。
その旅を無事に終えることを誰もが望む。
だがやむを得ず途中で止めなければならないこともある。
もし司が旅を終えることになるなら何を思う?何をする?
何週間か、何か月後に命が終ることを知ったとき、これは仕方がないことであり運命なのだと、その日が訪れるのをひたすら待つか。それとも可能性を信じて前を向くか。

司の人生は豊かであり、何不自由なかった。幸福は金で買えると思っていた。
そして自分の命は自分だけのものだと考えていた。だからそんな男が人生という旅が終わりを迎えることを知れば、恐らくだが納得して受け入れただろう。
だがそれは記憶を取り戻すまでの話で今は違う。彼女の存在がある限り可能性を信じて前を向く。







「お待たせ。父さんブラックで良かったよね?喫茶室でもブラックを飲んでたからそうしたんだけど?」

「ああ。ありがとう」

司は息子から缶コーヒーを受け取ったが、こぼれた涙は拭われ、眼差しは鋭敏さを取り戻していた。

「父さん知ってる?あの木、ハルニレって名前の木なんだ」

息子はそう言って窓から見える大きく枝を広げた背の高い木を指さしたが、いつの間にか窓の外には雪が舞っていて、見える世界を白一色に塗り潰していた。

「それからあれはエゾユキウサギの足跡」

雪の上に残されている小さな足跡は木に向かって続いていた。

「あの木は北海道ではよく見る巨木だけど春に花が咲く楡の木。だからハルニレ。それからアイヌ神話では、ハルニレは女神になって人間の子を産んだって言われている。
母さんはそんなハルニレの木が好きで春になると子供の僕を連れて公園に行って、そこにある大きなハルニレの木の下で弁当を広げていた。それから母さんの作る弁当のメニューは決まっていて卵焼きと、えのきのベーコン巻。このふたつはいつも必ず入っていた」

木を遠目に見ていた息子は、その視線を司に向けた。

「ねえ父さんは母さんと付き合っていた頃、弁当を作ってもらった?」

「ああ。ある。その時も卵焼きと、えのきのベーコン巻があった」

司は息子の話を聞きながら過去の記憶を紐解いていた。
思い出されるのは校舎の屋上で食べた弁当。
彼女が作ってくれた弁当を食べたのは後にも先にもあの時だけ。いや。記憶を失ったとき彼女が作ってくれた弁当を他人が作ったと信じたことがあったが、あの時も出汁の効いた卵焼きと、えのきのベーコン巻があった。
だが司はあの時まで、えのきという食べ物を知らなかった。

「そっか。それで母さんが作る弁当の中身がいつも卵焼きと、えのきのベーコン巻なのか分かったよ。そのふたつが父さんとの思い出の食べ物だからなんだね」

駿は缶コーヒーを飲むことなく手にしたままだ。
それは司も同じだが、息子の口から語られる過去を訊くたび、何故もっと早く記憶が戻らなかったのかと思う。だが司の代わりに、彼女に似てしっかり者の息子が傍にいたことは、いくら感謝しても足りない。
それに息子も母親に感謝していた。母親が自分を育てるために苦労を重ねていたことは、ちゃんとわかっている。だから貧しい中でも負けを背負い込んでしまうこともなければ、虚飾のかけらもない青年に育ったのは、ひとえに彼女のおかげだ。

高校時代の彼女は自分を苛める人間を許し受け入れた。
彼女と関わった人間は、誰もが彼女のやさしさに触れると心を開いた。
それは、見せかけではない本当のやさしさが胸の奥に流れ込むから。だから司も彼女に惹かれた。
それに潔さが彼女の性分。だから自分の心臓が止まるかもしれない状況でも、別れは誰もがいつか通る道だと我が子に言った。そして自分に何かあったら駿を頼むと司に言った彼女の背中は、まるで馬上の風に吹かれるように伸びていたが、決して彼女は人生を諦めた訳ではない。
そして彼女を愛している司は、どんな犠牲を払ってでも彼女を助けたい。もし代償が欲しいというのなら、自分の命と引き代えでもかまわない。だが心の底で望んでいるのは、彼女の代わりに命を捨てることではなく彼女と一緒に幸せになること。
そして春を迎えた北の大地で、彼女が好きだとういうハルニレの木の下で一緒に弁当を食べたい。
そう願う司は神を知らなかったが、今は彼女の手術が無事終わることを神に祈っていた。




にほんブログ村 小説ブログ 二次小説へ
にほんブログ村
関連記事
スポンサーサイト




コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2022.01.14 16:53 | 編集
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2022.01.15 19:17 | 編集
ま**ん様
アカシアの描くシナリオは.....
お待たせいたしましたm(__)m
続きを書きましたので明日お読みいただけます。
と、いいながらまだ書いてます(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2022.01.19 22:47 | 編集
ふ**ん様
シリアスな話にえのきとベーコンを!(笑)
果たしてハルニレの下で弁当を食べることができるのか?
続きは明日です!←宣言したんだから書かねば!(>_<)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2022.01.19 22:50 | 編集
管理者にだけ表示を許可する
 
back-to-top