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2021
09.14

コーヒーの味

Category: コーヒーの味
車が世田谷の邸を出ると司はプルタブを引いた。

「社長。そちらの缶コーヒーはまだ沢山あるんですか?」

「ああ。ある。沢山ある。毎日飲んでもまだ暫くはある」

「そうですか……社長のお気に入りのコーヒーはドリップされたブルーマウンテンのブラックだということは存じております。それに社長は缶コーヒーがあまり好きではないことも訊いております」

2週間の休暇を取らせた西田の代わりの若い秘書は気の毒そうに言ったが、その通りだ。
司はコーヒー党だが缶に入ったコーヒーを殆ど飲んだことがない。
それは、どんなに美味しいと言われるコーヒーでも、缶に入れられることで司の繊細な味覚は金属の味を感じるからだ。

それにしてもこの缶コーヒーは甘い。
だがそれもそのはずだ。何しろ缶には微糖という文字が書かれている。
しかし、司にはこの缶コーヒーを飲まなければいけない理由があった。








「司。じゃあこれお願いね」

数日前、車に乗ろうとした司に手渡された缶コーヒー。
その日から司は缶コーヒーを手に車に乗り込むようになったが、それは妻から頼まれたからだ。

「実は缶コーヒーが大量にあるんだけど飲むのを手伝って欲しいの」

仕事から帰った司はパントリーの棚に並べられた缶コーヒーを見せられたが、あるのは同じ銘柄ばかりで、ざっと見たところ20本近くあるようだ。いや、奥にはもっとあるような気がした。
だが妻も子供たちも普段缶コーヒーを飲まない。だから何故ここにこんなに缶コーヒーがあるのか理由を訊いた。
すると、「澪(みお)が好きなアイドルがこの缶コーヒーのCMに出てるからなの」と言う返事が返ってきた。

澪とは司と妻つくしとの間に生まれた三人兄弟の末っ子だが、中学生の娘に好きなアイドル、つまり芸能人がいるということを知ったのは、この時だ。

「実はこの缶コーヒー6缶ひとセットで、その箱についているバーコードを切り取って送ったら抽選でそのアイドルのオリジナルクオカードが当たるらしいの」

世間が言うベストセラー商品とはハードユーザーがひたすら買いまくるからで売れるのであって、興味がない人間は買わない。だから、ここにある缶コーヒーをベストセラー商品と呼ぶのなら、それはひとりの人間が大量に買っているからに過ぎないのだが、まさか自分の娘がそんなハードユーザーのうちのひとりになるとは思いもしなかった。

そして司はクオカードと言われるものが何であるか知らない。
だが、娘はそのアイドルの姿が印刷されたカードが欲しいがために、小遣いの中からそのコーヒーを買い応募していると妻は言った。

しかし娘はコーヒー党ではなく紅茶党。だから自分では飲まずに母親や兄たちに飲んで欲しいと言っているようだが、母親もさすがに自分達で消費することは難しいと考えた。だから父親である司にも飲んで欲しいと言った次第だ。

それにしても、何故母親はこれまでこのことを黙っていたのか。
だが見当はつく。それは父親である司が好きなアイドルのクオカードとやらのため、自分では飲みもしない物を大量に買っている娘を叱るのではないかと思っているからだ。
だが、まさにその通りだ。
だから司はその思いを妻に言った。

「司、そう言うけど、これはあの子が自分のお小遣いの範囲で買ったものだから叱らないで欲しいの」

確かに自分の小遣いの範囲内で何を買おうと構わない。
だがやはりこういった金の使い方は褒められたものではないのだが、自分が娘と同じ中学生だった頃のことを思い出すと厳格な態度は取れそうになかった。

そして、この缶コーヒーを出している飲料メーカーの社長は司もよく知る男。
つまり父親に頼めば娘の望みは簡単に叶う。それは缶コーヒーに限らず全てに於いてだが、どうやら妻の話から娘は父親の力を借りたくないようだ。

「それにあの子は司に頼めばなんとかなることは知っているわ。
でも親に頼んで手に入れるんじゃなくて自分の力で手に入れたいのよ。まあ、これは力というよりも運だけど。
それから司は知らないでしょうけど、あの子。これまでも懸賞に応募してるの。ほら。司も食べた今年のあの子からのバレンタインチョコ。あの子の手作りチョコレート。あれは板チョコを溶かして作ったもので、そのチョコのCMにもあの子のお気に入りのアイドルが出ていて懸賞があって応募したの。でも残念ながらハズレちゃったみたいだけど、懸賞に応募するのが好きなのは私に似たのかもしれないわね」

思い出されるのは妻が中学生の頃の話。
パンの袋に付いている点数を集めて皿を貰ったという話。それにオーブントースターが当たったという話。どちらもパン会社のものだが、毎日食べるものだから点数が集まりやすかったと言った。
それにディズニーランドの入場券を当てたことがあると言った。だが妻は娘のようにわざわざそのために商品を買ったのではない。

「ねえ、澪を怒らないで。私は違ったけど中学生の女の子がアイドルに夢中なることはごく普通よ」

司は男だ。
男親だ。だから男の子の考えそうなことなら分かる。
息子たちが小さい頃、秘密基地が欲しいと言ったことがあった。
だから庭に宇宙が舞台のアメリカ映画に出て来る秘密基地と寸分たがわぬ基地を作ったことがあった。すると息子たちは大喜びした。
だが娘となると、やはり男親が理解するのは難しいのか。
それでも司は娘が幼い頃から遠足、運動会、音楽会、学芸会と行事があるたびに母親と一緒に参加してきた。
だから娘のことはよく分かっていると思っていた。

だがいつのクリスマスだったか、クリスマスに何が欲しいか訊いたとき、シルバニアファミリーの家が欲しいと言われた。だからその家族のために邸の近くに大きな家を建てた。すると娘は違うと言って大泣きした。
そして妻に「あんたは任せとけって言うから、ちゃんと説明しなかった私が悪かった。
あのね、シルバニアファミリーは動物の人形の家族なの。澪が欲しいのは、その人形たちの家なの。つまり澪が欲しいのはドールハウスなの」と呆れられた。
だから父親である司は娘のことはよく分かっていると思っていても、やはり娘については母親が一番理解しているのかもしれない。

しかし、思春期真っただ中の娘に反抗的な態度はない。
その幸せを思えば甘い缶コーヒーがなんだと言うのだ。
それにニキビ面した青臭い男子学生と付き合うくらいなら、アイドルに憧れている方が余程いい。
だが妻は、「いつかあの子にも本当に好きな人が現れるわ。そうしたら快くあの子の好きになった人を迎え入れてあげるのが私たちの役目。あの子には私たちのような思いをさせたくないもの。それにしても澪はどんな男性を好きになるのかしらねえ。結婚式には金屏風の前で花束贈呈されるのかしらね?」と言って思い出したようにクスッと笑った。


「社長。そう言えば我社の子会社のCMにその缶コーヒーのCMに出ている男性アイドルが起用されるそうですよ」

若い秘書は缶コーヒーを飲み終えた司に言った。

「どの会社だ?」

「ええっと、確か__」

司は秘書から、どの子会社かを訊き出すと、すべき事を決めた。
それはポスターは勿論のこと様々な種類の販促品を作らせることだ。

「そう言えば社長。あの男性アイドル。社長の若い頃に似ているって女性社員の間では噂になっているんですよ」

司の頬は緩んだ。
悪い気はしない。
そしてある話が頭の中を過った。
それは女性が父親似の男性に惹かれるという話。
司の機嫌は一気に良くなった。
と、同時に甘いと思われていたコーヒーも悪くはないと思った。


夕方。執務室にいる司に妻からメールが届いた。
タイトルは、『クオカード当選!』
そして、『澪、大喜び!』と知らされたが、司は『良かったな』とそっけなく返信した。
そんな司が携帯を置いて見たのは、デスクの上に置かれた6缶ひとセットの缶コーヒー。
秘書に買いに行かせたそれは10パック。
バーコードは全て切り取られていた。

司は缶を手に取った。そしてプルタブを引くと、ひと口飲んだ。
やはり司は甘いコーヒーは苦手だ。
だからその甘さに顏をしかめた。
だがもうひと口飲むと、「まったく父親ってのは」と言って笑った。




< 完 > *コーヒーの味*
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コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます
dot 2021.09.15 21:46 | 編集
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dot 2021.09.18 22:14 | 編集
ふ*******マ様
お久しぶりです!(^^)/お元気でしたか?
え?最高な二度寝をしている!
羨ましいです。アカシアは二度寝が出来ないタイプです。
休みの日はゆっくり寝たいと思いつつも、目が覚めたとき日が昇り始めていると脳内に起きろという指令が巡ります。だから日の出が早い夏場は無駄に早起きなこともあります。
今日もその口で早朝から汚れが目立ってきた網戸の掃除なんぞしていました。

さて、こちらのお話。全然似合わないと言われる微糖の缶コーヒーを飲む男。
それもこれも愛しい娘のためです。
え?購入した大量の缶コーヒー?もちろんそれは秘書室行でしょう(笑)
そして次に澪ちゃんのお気に入りのアイドルが出るCMは道明寺の子会社です。
やったね澪ちゃん!司パパが様々な販促品を作ってくれるようですが、きっとその前に娘にリサーチするはずです(笑)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2021.09.19 11:09 | 編集
ふ**ん様
シルバニアファミリーのために家を建てた男。さすが道明寺司です‼(≧▽≦)
まあ、シルバニアファミリーとは何ぞや、というのが父親でしょう(笑)
そして娘のために微糖缶コーヒーを飲む男。
それもまた父親です(笑)司は娘が可愛くて仕方がないんです。
こんな父親ですから娘が嫁に行く時は大変だと思いますが、いつか娘を嫁に出す司の姿を、と思っています。

コロナで世の中の全ての祭が消えても必ずある春のパン祭!!
同じくアカシアも白いお皿を持っています(笑) 
そして今でも使っているお皿があります。
え?懸賞を出すとき年齢を18歳と偽る人間がいる!
それはいくらなんでもサバ読み過ぎです(≧▽≦)

さて、話は戻ってアイドルが自分の若い頃に似ていると言われて悪い気はしない男。
そして女性は父親に似た男を好きになるという話を思い出し上機嫌な男。
本当に単純ですな(笑)
あっちでシリアスな話を書いていると、こっちでほのぼの系を書きたくなるという状況(笑)
またこのような状況があるかもしれませんが、楽しんでいただけて良かったです!(≧◇≦)
コメント有難うございました^^
アカシアdot 2021.09.19 11:25 | 編集
このコメントは管理者の承認待ちです
dot 2021.09.25 18:15 | 編集
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