「いらっしゃいませ。何かお探しですか?すみません。うちの店は御覧の通りごちゃごちゃしていて目的の物を探すのに時間がかかるので、よろしければお伺いしますが?」
私は女性の明るい声に誘われるように店の中に足を踏み入れていた。
そして、この店の店長だという女性からそう声をかけられ振り向いたが、私は何か欲しいものがあってこの店に入ったのではない。だから、「いえ。大丈夫です。見ているだけですから」と答えたが、確かにこの店は整然と下着が並ぶ都会のおしゃれな店とは違い、狭い空間に高密度で品物が置かれていた。いや。置かれているというよりも、入り乱れていると言った方が正しいのかもしれない。
だから本当に欲しい物があったとき、探すのは大変なような気がした。だが、それでも大量の商品と、こうした陳列の仕方は何か掘り出し物があるかどうか自分で探す楽しみというものがある。現に大手のディスカウントストアはこうした陳列と、いたるところにある派手なPOP広告で売り上げを伸ばしている。そしてこの店にもそういったPOP広告が沢山あった。
「そうですか?それではお手伝いが必要な時はおっしゃって下さいね」
女性はそう言うと店の奥へ入って行こうとしていたが、足を止めて振り向いた。
「お客様。失礼ですが、もしかして東京の方ですか?いえ。この辺りの人間とイントネーションが違うのでそう思ったんですが…..」
だが、そう言った女性もこの辺りの人間ではないように思えた。
そんな私の思考が伝わったのか。女性は自分のことを口にした。
「私は東京出身なんです。だからそうじゃないかと思って。それにこの辺りは観光地ではないので東京の方がいらっしゃるのが珍しくて」
私は女性がそう言って話しかけて来たことに嫌な思いはしなかった。
むしろ東京出身の女性が田舎でも過疎地でもないとはいえ、地方の小さな町の駅前商店街の下着屋で働いていることに興味を抱いた。だが東京出身の女性が地方の町で暮らすことはそれほど珍しいことではない。けれど、溌剌とした女性の態度に人間的な魅力を感じた。
そして私の頭に思い浮かんだ、この女性がここで働いている理由は、彼女がこの町に暮らす男性と結婚したから。だから女性の左手にその証を探した。だがそこに銀色に光る指輪は無かった。
女性はにっこりと笑って、「私。この店の店長をしている牧野つくしと言います」と名前を名乗ったが、その愛想のよさが職業柄ではないように思え、私も「脇本杏子です」と名前を名乗っていた。
***
「このお茶ね。さっきのおばあちゃんから頂いたお茶なんです。娘さんが静岡に嫁いだから毎年お茶が沢山送られて来るらしくてそれを分けて下さるんですよ」
牧野つくしと名乗った女性は、「よかったらお茶でも飲んで行きませんか?」と言った。
だが私が遠慮すると、「いいから。いいから。うちの店はおばあちゃんたちの井戸端会議場になることもあるから」と言って私を店の奥の小さなテーブルに座らせると、紫色のブラジャーを買って帰った女性がくれたお茶を煎れてくれた。
そして「この町に来たのはお仕事ですか?」と訊かれたが、違うと言ってこの町に来た訳を話した。
「そうですか…..古本の間に挟まれて使われなかった切符の目的地がここだったんですね」
「ええ。本を読み終えたとき切符が使われなかった理由も気になったんですけど、切符を買った人物が訪れるはずだったその場所へ行ってみたいという気になって。だからこの町を訪れることに決めたんです」
そして全く知らないこの町を訪れることで気分転換しようと思ったと言った。
「お仕事。大変なんですか?」
気分転換が必要になると言えば、生活に何かがあって変化を求めていたり、仕事が煮詰まっていると思うのが一般的だ。
だから彼女はふたつのうち、比較的当たり障りのない後者の方を口にした。
そして私はそうだと答え、商品広告のデザインの仕事をしていると言った。
すると彼女は「そうなの?実は私も昔のことだけど広告会社で働いていたのよ?でも御覧の通り今は商品を売るための状況を作る仕事じゃなくて直接商品を売る仕事をしているの」と言った。
「じゃあこのお店のPOPは牧野さんが?」
私はそう言って店内を見渡した。
「ええ。そうなの」
「そうでしたか….私。お店の中を見たとき、ごちゃごちゃとしているけど魅力的な店内だって思ったんです」
そうか。そうだったのか。彼女は広告会社で働いていたのか。
だから私はこの店の商品の陳列と広告が気になったのだ。
そして好奇心から同じ業界にいた彼女がどこの会社で働いていたのかを訊いた。
「私?」
「ええ。差し支えなければ教えていただけませんか?」
その問いかけに彼女は少し間を置いて答えた。
「……ハウスエージェンシーなの」
ハウスエージェンシーとは、特定の企業を広告主として専属で広告事業をおこなっている会社のことだ。そしてそれは大企業の広告宣伝部が独立分社化しているケースが殆どだ。
だから牧野つくしという女性は、日本人の誰もが知る企業の広告を専属で手掛ける会社で働いていたということになるが果たしてその会社は__
「私が働いていたのはエー・ディ・ディなの」
「エー・ディ・ディ?牧野さん凄いですね。だってその会社_」
「ええ。道明寺の広告会社よ」

にほんブログ村
私は女性の明るい声に誘われるように店の中に足を踏み入れていた。
そして、この店の店長だという女性からそう声をかけられ振り向いたが、私は何か欲しいものがあってこの店に入ったのではない。だから、「いえ。大丈夫です。見ているだけですから」と答えたが、確かにこの店は整然と下着が並ぶ都会のおしゃれな店とは違い、狭い空間に高密度で品物が置かれていた。いや。置かれているというよりも、入り乱れていると言った方が正しいのかもしれない。
だから本当に欲しい物があったとき、探すのは大変なような気がした。だが、それでも大量の商品と、こうした陳列の仕方は何か掘り出し物があるかどうか自分で探す楽しみというものがある。現に大手のディスカウントストアはこうした陳列と、いたるところにある派手なPOP広告で売り上げを伸ばしている。そしてこの店にもそういったPOP広告が沢山あった。
「そうですか?それではお手伝いが必要な時はおっしゃって下さいね」
女性はそう言うと店の奥へ入って行こうとしていたが、足を止めて振り向いた。
「お客様。失礼ですが、もしかして東京の方ですか?いえ。この辺りの人間とイントネーションが違うのでそう思ったんですが…..」
だが、そう言った女性もこの辺りの人間ではないように思えた。
そんな私の思考が伝わったのか。女性は自分のことを口にした。
「私は東京出身なんです。だからそうじゃないかと思って。それにこの辺りは観光地ではないので東京の方がいらっしゃるのが珍しくて」
私は女性がそう言って話しかけて来たことに嫌な思いはしなかった。
むしろ東京出身の女性が田舎でも過疎地でもないとはいえ、地方の小さな町の駅前商店街の下着屋で働いていることに興味を抱いた。だが東京出身の女性が地方の町で暮らすことはそれほど珍しいことではない。けれど、溌剌とした女性の態度に人間的な魅力を感じた。
そして私の頭に思い浮かんだ、この女性がここで働いている理由は、彼女がこの町に暮らす男性と結婚したから。だから女性の左手にその証を探した。だがそこに銀色に光る指輪は無かった。
女性はにっこりと笑って、「私。この店の店長をしている牧野つくしと言います」と名前を名乗ったが、その愛想のよさが職業柄ではないように思え、私も「脇本杏子です」と名前を名乗っていた。
***
「このお茶ね。さっきのおばあちゃんから頂いたお茶なんです。娘さんが静岡に嫁いだから毎年お茶が沢山送られて来るらしくてそれを分けて下さるんですよ」
牧野つくしと名乗った女性は、「よかったらお茶でも飲んで行きませんか?」と言った。
だが私が遠慮すると、「いいから。いいから。うちの店はおばあちゃんたちの井戸端会議場になることもあるから」と言って私を店の奥の小さなテーブルに座らせると、紫色のブラジャーを買って帰った女性がくれたお茶を煎れてくれた。
そして「この町に来たのはお仕事ですか?」と訊かれたが、違うと言ってこの町に来た訳を話した。
「そうですか…..古本の間に挟まれて使われなかった切符の目的地がここだったんですね」
「ええ。本を読み終えたとき切符が使われなかった理由も気になったんですけど、切符を買った人物が訪れるはずだったその場所へ行ってみたいという気になって。だからこの町を訪れることに決めたんです」
そして全く知らないこの町を訪れることで気分転換しようと思ったと言った。
「お仕事。大変なんですか?」
気分転換が必要になると言えば、生活に何かがあって変化を求めていたり、仕事が煮詰まっていると思うのが一般的だ。
だから彼女はふたつのうち、比較的当たり障りのない後者の方を口にした。
そして私はそうだと答え、商品広告のデザインの仕事をしていると言った。
すると彼女は「そうなの?実は私も昔のことだけど広告会社で働いていたのよ?でも御覧の通り今は商品を売るための状況を作る仕事じゃなくて直接商品を売る仕事をしているの」と言った。
「じゃあこのお店のPOPは牧野さんが?」
私はそう言って店内を見渡した。
「ええ。そうなの」
「そうでしたか….私。お店の中を見たとき、ごちゃごちゃとしているけど魅力的な店内だって思ったんです」
そうか。そうだったのか。彼女は広告会社で働いていたのか。
だから私はこの店の商品の陳列と広告が気になったのだ。
そして好奇心から同じ業界にいた彼女がどこの会社で働いていたのかを訊いた。
「私?」
「ええ。差し支えなければ教えていただけませんか?」
その問いかけに彼女は少し間を置いて答えた。
「……ハウスエージェンシーなの」
ハウスエージェンシーとは、特定の企業を広告主として専属で広告事業をおこなっている会社のことだ。そしてそれは大企業の広告宣伝部が独立分社化しているケースが殆どだ。
だから牧野つくしという女性は、日本人の誰もが知る企業の広告を専属で手掛ける会社で働いていたということになるが果たしてその会社は__
「私が働いていたのはエー・ディ・ディなの」
「エー・ディ・ディ?牧野さん凄いですね。だってその会社_」
「ええ。道明寺の広告会社よ」

にほんブログ村
スポンサーサイト
Comment:2
コメント
このコメントは管理人のみ閲覧できます

ふ**ん様
え~、(^^;)色々と疑問があるとは思いますが、こちらは短編ですのでもう少しだけお付き合い下さいませm(__)m
え~、(^^;)色々と疑問があるとは思いますが、こちらは短編ですのでもう少しだけお付き合い下さいませm(__)m
アカシア
2021.03.11 21:40 | 編集
