司は牧野つくしと会う度に「好きだ」と言った。
女もそんな風に求められる日々が続けば、司に惹かれるようになりふたりは付き合い始めた。
そして月日が過ぎたある日。
大学教授から最後の原稿を受け取った女は、それを校正し終えると司に電話をかけてきた。
「やっと終わったの。これで毎日通わなくてよくなったわ」
だから司は「大変だったな。お疲れ様」と言った。そして「見せたいものがあるから今日来ないか?」と言った。すると「なに?」と言った。だから「来てみれば分かる」と言って女が来るのを待った。
仕事を終え司の邸に来た女は、「ごめんなさい。遅れてしまって」と言って約束の時間に遅れたことを詫びた。
「いや。構わない」
「本当?それで見せたいものがあるって何?」
女は関心をもって司を見ていた。
だから司は、それはこれから向かう場所にあると言って女と共に庭に出た。
「足元に気を付けろ」
暗闇が広がる庭は足元を照らす黄色い球体が灯されているだけで他に灯りはない。
そんな場所を背後に女を従えた司は邸の一角にある古い洋館に向かっていた。
そこは空に丸い大きな月が浮かんでいたとしても、建物は背の高い木々が作り出す影の中に飲み込まれている。だから輪郭もなく突然目の前に現れた洋館に女は驚いた顏をした。
「この建物の中には祖父がアトリエとして使っていた部屋がある」
司はポケットから鍵を取り出し玄関の扉を開けた。
「アトリエ?」
「会ったことがない祖父だが絵を描くのが趣味だったそうだ」
司は建物の中に足を踏み入れた。だがそこは、しんと静かな暗闇が広がっていた。
そんな場所に司は女の手を取り引き入れた。それから灯りを点けた。
「祖父が描いた絵はとても興味深い絵だ。だからその絵を見て欲しい」
力強い手は女の手をしっかりと握って洋館の中を歩いた。
そして「ここだ」と言って扉の前で立ち止まった。
「この部屋?」
女は閉ざされた扉を見ていた。
「ああ。ここが祖父のアトリエだった部屋だ。だがこの部屋の鍵は失われていたと思われていた。だから長い間誰も足を踏み入れることがなかった。けど失われたと思われていた鍵は簡単に見つかった。その鍵でこの扉を開けたとき何が出て来るのかとゾクゾクした」
と言って司は扉を開けた。すると女は息を呑んだ。
それは目の前の光景に驚いたからだ。
「どう思う?」
「え?ええ…..」
女が見ているのは、部屋の壁に沿って置かれている絵だが、そこに描かれているのは恐怖に歪んだ女の顏や上半身が血まみれの裸の女。切りつけられた白い背中やカッと見開かれた目が赤い涙を流している、おぞましく暴力的な光景だ。
「どう思う?」
司は女に繰り返し訊いた。
だが女は「え?」と言って口ごもった。
そして何か言わなければと思っているが、言葉にならないのか何も言わなかった。
だから司は、「他にも沢山の絵があるから中に入ってゆっくり見て欲しい。それに気に入った絵があれば教えて欲しい」と言って「ここにある絵は全て祖父が描いたものだが、祖父には絵の才能があったと思わないか?それに想像で描いたのなら凄いと思わないか?」と言葉を継ぎ女の背中に手を回し中に入るように促した。
だが女の足は部屋の奥へ入ることを拒んでいる。
それでも女は、「ええ。そうね」と言って戸惑いながらも、「ちょっとショックを受けるような絵ばかりだけど、おじい様は絵の才能があったのね」と言った。
「そうだ。祖父には絵の才能があった。それから他にも見て欲しいものがある」
女はその言葉にホッとした様子を見せた。
それは目の前にある暴力的な絵から解放されると思ったからだ。
司は机に近づき引き出しを開けた。するとそこに整然と並べて保管されているのは様々な種類の包丁。刃は光るほど研かれ、大きいものから順番にまっすぐ並べられていた。
「ここにあるのはすべて祖父の包丁だ。祖父は絵を描くために包丁を用意した」
司はひとつを手に取って刃先に触れたが、ずっしりと重く長い年月を経ても劣化はない。
女はアトリエと呼ばれるこの場所に絵筆ではなく沢山の包丁が規則正しく並べられているのを見て身を固くしていた。そして司の言葉の意味を考えている。
「この邸には地下室がある。そこの鍵もこの部屋の鍵と一緒に保管されていた」
そう言った司の声は、面白そうな響きが溶けていた。
そして司は女が考えていることがすぐに分かった。
「どこへ行くつもりだ?」
女は一歩あとずさった。逃げようとしていた。
だから司は女の手首を掴んだ。そして頬を緩めた。
祖父はここで絵だけを描いていたのではない。
この部屋には地下へ降りるための階段があった。地下室があった。
自分が愛した人と結ばれることがなかった祖父の心は歪み、そこに女を連れ込んで身体を切り刻んでいた。
だから、引き出しの中に整然と並べて保管されていたのは筆ではなく様々な種類の刃物。
祖父は女を傷付けながら絵を描いていたのだ。
それは祖父にとってのセレモニー、儀式だったはずだ。
そして祖父が法律的な制裁を受けることがなかった。
何しろ祖父は日本の経済界に君臨する道明寺の総帥だ。それに道明寺の家に生まれた男には法律を凌駕する力がある。
司がこれから牧野つくしにおこなうことも犯罪ではなくセレモニーだ。
司は祖父とは違う意味で女を泣かせたかった。だが誰でもいいというのではない。
気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ牧野つくしという女が泣くところが見たいのだ。
そして司にとって甘い囁きのその声が助けてと言い、自分にすがる姿が見たい。
「何故こんなことをするのか知りたいか?私はお前の泣く姿が見たい。泣き声が訊きたい。助けて欲しいと私にすがる姿が見たい。どうしてそう思うか?それは私の車に向かってスピードの出し過ぎだと啖呵を切った姿が勇敢だったからだ。何しろこれまで私に向かってあんな態度を取った女はいなかった。私はその態度に惚れた。ああ大丈夫だ。心配はいらない。殺しはしない。お前はずっとここにいる。それに痛みもいずれ別の感覚に変わる。そのうち慣れるはずだ」
司は抑揚のない声で言って扉を閉めた。
そして頑丈な鍵をかけた。
するとそこは扉のない部屋になった。
< 完 > *扉のない部屋*

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女もそんな風に求められる日々が続けば、司に惹かれるようになりふたりは付き合い始めた。
そして月日が過ぎたある日。
大学教授から最後の原稿を受け取った女は、それを校正し終えると司に電話をかけてきた。
「やっと終わったの。これで毎日通わなくてよくなったわ」
だから司は「大変だったな。お疲れ様」と言った。そして「見せたいものがあるから今日来ないか?」と言った。すると「なに?」と言った。だから「来てみれば分かる」と言って女が来るのを待った。
仕事を終え司の邸に来た女は、「ごめんなさい。遅れてしまって」と言って約束の時間に遅れたことを詫びた。
「いや。構わない」
「本当?それで見せたいものがあるって何?」
女は関心をもって司を見ていた。
だから司は、それはこれから向かう場所にあると言って女と共に庭に出た。
「足元に気を付けろ」
暗闇が広がる庭は足元を照らす黄色い球体が灯されているだけで他に灯りはない。
そんな場所を背後に女を従えた司は邸の一角にある古い洋館に向かっていた。
そこは空に丸い大きな月が浮かんでいたとしても、建物は背の高い木々が作り出す影の中に飲み込まれている。だから輪郭もなく突然目の前に現れた洋館に女は驚いた顏をした。
「この建物の中には祖父がアトリエとして使っていた部屋がある」
司はポケットから鍵を取り出し玄関の扉を開けた。
「アトリエ?」
「会ったことがない祖父だが絵を描くのが趣味だったそうだ」
司は建物の中に足を踏み入れた。だがそこは、しんと静かな暗闇が広がっていた。
そんな場所に司は女の手を取り引き入れた。それから灯りを点けた。
「祖父が描いた絵はとても興味深い絵だ。だからその絵を見て欲しい」
力強い手は女の手をしっかりと握って洋館の中を歩いた。
そして「ここだ」と言って扉の前で立ち止まった。
「この部屋?」
女は閉ざされた扉を見ていた。
「ああ。ここが祖父のアトリエだった部屋だ。だがこの部屋の鍵は失われていたと思われていた。だから長い間誰も足を踏み入れることがなかった。けど失われたと思われていた鍵は簡単に見つかった。その鍵でこの扉を開けたとき何が出て来るのかとゾクゾクした」
と言って司は扉を開けた。すると女は息を呑んだ。
それは目の前の光景に驚いたからだ。
「どう思う?」
「え?ええ…..」
女が見ているのは、部屋の壁に沿って置かれている絵だが、そこに描かれているのは恐怖に歪んだ女の顏や上半身が血まみれの裸の女。切りつけられた白い背中やカッと見開かれた目が赤い涙を流している、おぞましく暴力的な光景だ。
「どう思う?」
司は女に繰り返し訊いた。
だが女は「え?」と言って口ごもった。
そして何か言わなければと思っているが、言葉にならないのか何も言わなかった。
だから司は、「他にも沢山の絵があるから中に入ってゆっくり見て欲しい。それに気に入った絵があれば教えて欲しい」と言って「ここにある絵は全て祖父が描いたものだが、祖父には絵の才能があったと思わないか?それに想像で描いたのなら凄いと思わないか?」と言葉を継ぎ女の背中に手を回し中に入るように促した。
だが女の足は部屋の奥へ入ることを拒んでいる。
それでも女は、「ええ。そうね」と言って戸惑いながらも、「ちょっとショックを受けるような絵ばかりだけど、おじい様は絵の才能があったのね」と言った。
「そうだ。祖父には絵の才能があった。それから他にも見て欲しいものがある」
女はその言葉にホッとした様子を見せた。
それは目の前にある暴力的な絵から解放されると思ったからだ。
司は机に近づき引き出しを開けた。するとそこに整然と並べて保管されているのは様々な種類の包丁。刃は光るほど研かれ、大きいものから順番にまっすぐ並べられていた。
「ここにあるのはすべて祖父の包丁だ。祖父は絵を描くために包丁を用意した」
司はひとつを手に取って刃先に触れたが、ずっしりと重く長い年月を経ても劣化はない。
女はアトリエと呼ばれるこの場所に絵筆ではなく沢山の包丁が規則正しく並べられているのを見て身を固くしていた。そして司の言葉の意味を考えている。
「この邸には地下室がある。そこの鍵もこの部屋の鍵と一緒に保管されていた」
そう言った司の声は、面白そうな響きが溶けていた。
そして司は女が考えていることがすぐに分かった。
「どこへ行くつもりだ?」
女は一歩あとずさった。逃げようとしていた。
だから司は女の手首を掴んだ。そして頬を緩めた。
祖父はここで絵だけを描いていたのではない。
この部屋には地下へ降りるための階段があった。地下室があった。
自分が愛した人と結ばれることがなかった祖父の心は歪み、そこに女を連れ込んで身体を切り刻んでいた。
だから、引き出しの中に整然と並べて保管されていたのは筆ではなく様々な種類の刃物。
祖父は女を傷付けながら絵を描いていたのだ。
それは祖父にとってのセレモニー、儀式だったはずだ。
そして祖父が法律的な制裁を受けることがなかった。
何しろ祖父は日本の経済界に君臨する道明寺の総帥だ。それに道明寺の家に生まれた男には法律を凌駕する力がある。
司がこれから牧野つくしにおこなうことも犯罪ではなくセレモニーだ。
司は祖父とは違う意味で女を泣かせたかった。だが誰でもいいというのではない。
気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ牧野つくしという女が泣くところが見たいのだ。
そして司にとって甘い囁きのその声が助けてと言い、自分にすがる姿が見たい。
「何故こんなことをするのか知りたいか?私はお前の泣く姿が見たい。泣き声が訊きたい。助けて欲しいと私にすがる姿が見たい。どうしてそう思うか?それは私の車に向かってスピードの出し過ぎだと啖呵を切った姿が勇敢だったからだ。何しろこれまで私に向かってあんな態度を取った女はいなかった。私はその態度に惚れた。ああ大丈夫だ。心配はいらない。殺しはしない。お前はずっとここにいる。それに痛みもいずれ別の感覚に変わる。そのうち慣れるはずだ」
司は抑揚のない声で言って扉を閉めた。
そして頑丈な鍵をかけた。
するとそこは扉のない部屋になった。
< 完 > *扉のない部屋*

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司*****E様
え?続きが読みたいですか?
いえ。こちらのお話はこれで終りです。
この続きは読んで下さった方の想像にお任せとなります。
つくしはどうなるのでしょうね。
ところでJ君。凄いですねえ。大河主演!おめでとうございます!
アカシアは今の「麒麟~」も楽しませていただいているのですが先の楽しみが増えました。
何しろ大河と言えば天下の公共放送が誇る半端のない製作費のかかるドラマです。
どんな家康になるのか楽しみにしています(^^ゞ
え?続きが読みたいですか?
いえ。こちらのお話はこれで終りです。
この続きは読んで下さった方の想像にお任せとなります。
つくしはどうなるのでしょうね。
ところでJ君。凄いですねえ。大河主演!おめでとうございます!
アカシアは今の「麒麟~」も楽しませていただいているのですが先の楽しみが増えました。
何しろ大河と言えば天下の公共放送が誇る半端のない製作費のかかるドラマです。
どんな家康になるのか楽しみにしています(^^ゞ
アカシア
2021.01.21 22:17 | 編集

ふ**ん様
何気に宮沢賢治っぽい世界でしたか?
そうです、つくしは囚われてしまいました|д゚)
どうしたらいいのか?
え?あっちの北村刑事に様子を見にいかせるんですね!
あ、でも北村刑事。あちらの方が始まるそうなので忙しいみたいです(>_<)
以上。怖いお話でしたm(__)m
何気に宮沢賢治っぽい世界でしたか?
そうです、つくしは囚われてしまいました|д゚)
どうしたらいいのか?
え?あっちの北村刑事に様子を見にいかせるんですね!
あ、でも北村刑事。あちらの方が始まるそうなので忙しいみたいです(>_<)
以上。怖いお話でしたm(__)m
アカシア
2021.01.21 22:25 | 編集

か**り様
ちょっと怖いお話になりました。
囚われた女はどうなるのか。
司に慣らされてしまうのか。
それともあの場所から脱出を試みるのか。
鋭い刃物を前にした男は何をするつもりなのか。
この先はご想像にお任せします。( ̄▽ ̄)
ちょっと怖いお話になりました。
囚われた女はどうなるのか。
司に慣らされてしまうのか。
それともあの場所から脱出を試みるのか。
鋭い刃物を前にした男は何をするつもりなのか。
この先はご想像にお任せします。( ̄▽ ̄)
アカシア
2021.01.21 22:43 | 編集

s***7様
ちょっと怖いお話になりました。
色々と想像していただければ、と思っていますm(__)m
ちょっと怖いお話になりました。
色々と想像していただければ、と思っていますm(__)m
アカシア
2021.01.21 22:47 | 編集

s**p様
>扉のない部屋=逃げる出口のない部屋
はい!その通りです。
つくし。囚われてしまいました。
これからどうなるのでしょう。
想像にお任せするという終わり方ですので、もしかするとつくしは刃物で司と戦うかもしれません!(≧▽≦)
そして、司が怪人でつくしがクリスティーヌ。いいですね!
>扉のない部屋=逃げる出口のない部屋
はい!その通りです。
つくし。囚われてしまいました。
これからどうなるのでしょう。
想像にお任せするという終わり方ですので、もしかするとつくしは刃物で司と戦うかもしれません!(≧▽≦)
そして、司が怪人でつくしがクリスティーヌ。いいですね!
アカシア
2021.01.21 22:58 | 編集
