「どうかされましたか?」
司は牧野つくしが携帯電話をかける前に声をかけた。
背後の暗がりから声をかけられた女は驚いて振り返った。
「おや?チェーンが切れたようですね?」
女は強張った表情で携帯電話を握りしめ自転車のチェーンが切れたことを指摘した男を警戒した様子で見ていた。
「どうぞご安心下さい。私は怪しい者ではありません。私はこの家の住人です。この界隈は治安がいいと言われていますが夜道に女性がひとりでいては危険です。お困りのようでしたらお手伝いしましょう」
司は高い塀の奥が自分の家であることを示し、散歩をしている途中だと言った。
けれど女は人影のない夜道に突然現れた司の言葉を半信半疑で訊いているのは明らかだ。
だから司は、これまで誰にも見せたことがない笑みを浮かべ言葉を継いだ。
「私はあなたに何かするつもりはありません。もし私のことを変質者か何かだと疑うなら今すぐ私の身分を証明しましょう。私は道明寺ホールディングスの副社長の道明寺司と言います」
そう言って名刺を差し出した司の後ろには、足を開き手を後ろで組んだ男が二人いた。
司は振り返ると彼らに向かって目配せをした。すると二人の男は自転車に近づいた。
「自転車をここに置いておくと処分されてしまいます。それに今すぐに修理をするのは無理でしょう。ですから私のところで預かりましょう。彼らが邸に運びます。それからどなたかに連絡をされるなら私の家でその方が来るまでお待ちになればいい。夜道に女性がひとりでいるのは危険です」
***
司は女を邸に案内した。
世の中には司の邸に招かれることを望む女が大勢いる。
だが司はこれまで女を招いたことはない。けれど今は積極的にひとりの女を招いていた。
玄関ホールの天井は高く、シャンデリアが輝いている。
だがそこに人の気配はなく司の足音と緊張した女の小さな足音が響いていた。
「さあ。どうぞ中へ」
司はまっすぐな廊下を進み、奥まった部屋へ女を連れて行った。
そしてコーヒーか紅茶でもどうかと勧め、女がコーヒーをと言うとメイドにコーヒーを運ばせた。
「そうでしたか。お仕事でこの近くへ」
「はい。私は小さな出版社で働いています。今、大学で物理学を教えている先生に子供のための本を書いていただいています。今日も……いえ実は毎日先生が書いた原稿を受け取りに来ています。何しろ先生はお忙しい方なのでそうでもしなければ原稿を書いてもらえないからです」
ソファに腰掛けた女は足元に置いたリュックを見て言った。
「なるほど。毎日とは大変ですね」
「ええ。大変といえば大変ですが仕事ですから」
女はそう言って笑うとカップをソーサーに戻し、まだ半分残っているコーヒーに目を落としてから遠慮がちに「すみません。お手洗いをお借りしたいのですが」と言った。
だから司はメイドを呼ぶと案内するように言った。
女の口から語られた話は調べた通りだった。
司は牧野つくしが部屋を出て行くとソファの足元に残されているリュックを手に取った。
そして中に入っていた封筒から原稿を引き出し書かれている文字にじっと見入り、再び原稿を封筒の中に収めるとリュックを元の場所に置き女が戻って来るのを待った。
暫くして戻ってきた女は、「道明寺さん。そろそろ失礼します。コーヒーをごちそうさまでした。それからあの、お手数ですがタクシーを呼んでいただければ助かります」と言った。
だが司はタクシーを呼ぶ必要はありません。送りましょうと言った。
すると女は少し躊躇ったが「ありがとうございます」と礼を言ってリュックを掴んだ。
「あ!」
女が声を上げたのはリュックの口が開いて、そこから原稿用紙が床に散らばったから。
だから女は慌ててしゃがみ込むと原稿用紙をかき集めていた。司もしゃがんで集めるのを手伝った。
そして女に原稿用紙を渡したが、司の顏は女の息がかかりそうなほど近くにあった。

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司は牧野つくしが携帯電話をかける前に声をかけた。
背後の暗がりから声をかけられた女は驚いて振り返った。
「おや?チェーンが切れたようですね?」
女は強張った表情で携帯電話を握りしめ自転車のチェーンが切れたことを指摘した男を警戒した様子で見ていた。
「どうぞご安心下さい。私は怪しい者ではありません。私はこの家の住人です。この界隈は治安がいいと言われていますが夜道に女性がひとりでいては危険です。お困りのようでしたらお手伝いしましょう」
司は高い塀の奥が自分の家であることを示し、散歩をしている途中だと言った。
けれど女は人影のない夜道に突然現れた司の言葉を半信半疑で訊いているのは明らかだ。
だから司は、これまで誰にも見せたことがない笑みを浮かべ言葉を継いだ。
「私はあなたに何かするつもりはありません。もし私のことを変質者か何かだと疑うなら今すぐ私の身分を証明しましょう。私は道明寺ホールディングスの副社長の道明寺司と言います」
そう言って名刺を差し出した司の後ろには、足を開き手を後ろで組んだ男が二人いた。
司は振り返ると彼らに向かって目配せをした。すると二人の男は自転車に近づいた。
「自転車をここに置いておくと処分されてしまいます。それに今すぐに修理をするのは無理でしょう。ですから私のところで預かりましょう。彼らが邸に運びます。それからどなたかに連絡をされるなら私の家でその方が来るまでお待ちになればいい。夜道に女性がひとりでいるのは危険です」
***
司は女を邸に案内した。
世の中には司の邸に招かれることを望む女が大勢いる。
だが司はこれまで女を招いたことはない。けれど今は積極的にひとりの女を招いていた。
玄関ホールの天井は高く、シャンデリアが輝いている。
だがそこに人の気配はなく司の足音と緊張した女の小さな足音が響いていた。
「さあ。どうぞ中へ」
司はまっすぐな廊下を進み、奥まった部屋へ女を連れて行った。
そしてコーヒーか紅茶でもどうかと勧め、女がコーヒーをと言うとメイドにコーヒーを運ばせた。
「そうでしたか。お仕事でこの近くへ」
「はい。私は小さな出版社で働いています。今、大学で物理学を教えている先生に子供のための本を書いていただいています。今日も……いえ実は毎日先生が書いた原稿を受け取りに来ています。何しろ先生はお忙しい方なのでそうでもしなければ原稿を書いてもらえないからです」
ソファに腰掛けた女は足元に置いたリュックを見て言った。
「なるほど。毎日とは大変ですね」
「ええ。大変といえば大変ですが仕事ですから」
女はそう言って笑うとカップをソーサーに戻し、まだ半分残っているコーヒーに目を落としてから遠慮がちに「すみません。お手洗いをお借りしたいのですが」と言った。
だから司はメイドを呼ぶと案内するように言った。
女の口から語られた話は調べた通りだった。
司は牧野つくしが部屋を出て行くとソファの足元に残されているリュックを手に取った。
そして中に入っていた封筒から原稿を引き出し書かれている文字にじっと見入り、再び原稿を封筒の中に収めるとリュックを元の場所に置き女が戻って来るのを待った。
暫くして戻ってきた女は、「道明寺さん。そろそろ失礼します。コーヒーをごちそうさまでした。それからあの、お手数ですがタクシーを呼んでいただければ助かります」と言った。
だが司はタクシーを呼ぶ必要はありません。送りましょうと言った。
すると女は少し躊躇ったが「ありがとうございます」と礼を言ってリュックを掴んだ。
「あ!」
女が声を上げたのはリュックの口が開いて、そこから原稿用紙が床に散らばったから。
だから女は慌ててしゃがみ込むと原稿用紙をかき集めていた。司もしゃがんで集めるのを手伝った。
そして女に原稿用紙を渡したが、司の顏は女の息がかかりそうなほど近くにあった。

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コメント
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司*****E様
こんばんは^^
気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ牧野つくしという女を泣かせてみたい。
この司は歪んだ欲望を持っているようですが、狙った女は逃がさない。そんな雰囲気が感じられます。
そしてその時が訪れたようですが、この先どうやって自分のテリトリーに入れていくのか。
もう少しだけお付き合いをいただければと思いますm(__)m
コメント有難うございました^^
こんばんは^^
気の強さと生意気さと、いさぎよさを持つ牧野つくしという女を泣かせてみたい。
この司は歪んだ欲望を持っているようですが、狙った女は逃がさない。そんな雰囲気が感じられます。
そしてその時が訪れたようですが、この先どうやって自分のテリトリーに入れていくのか。
もう少しだけお付き合いをいただければと思いますm(__)m
コメント有難うございました^^
アカシア
2021.01.12 22:19 | 編集
